他人の間違いより自分の行い

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ





他人の間違いより自分の行い





他人の間違いに目を向けるな

他人がしたこと

しなかったことに目を向けるな

ただ 自分のやったこと

やらなかったことだけを見つめよ





外部の神秘力に頼ることなく

自分の力で道を切り拓くという

自己鍛錬 自己実現を目指す

全てが自己の内部で完結するのであるから

他人と比較することには

意味がない

むしろ他人との比較は

心を意味もなく動揺させるという点で

害になる

他人を気にせず

自分の行動をしっかり見極め

自分を高めていくことが大事



ブッダ100の言葉 より












最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







聖者の心

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





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笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






聖者はこの世の中で

束縛を捨て去り

争いが起こっても

党派に参入する事がない

心が静まっていない

人たちの中にあっても

独り心が静まり

一方に偏ることなく

他の者たちが

執着していても

執着することがない





ブッダ 100の言葉 より






最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







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法句経・・・13

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法句経・・・13 



そあらに

葺(ふ)かれたる

屋舎(いえ)に

雨ふれば

漏れやぶるべし

かくのごとく

心ととのえざれば

貪欲(とんよく)これを破らん






そあらに葺いたところの屋舎(いえ)には

雨がうがち漏れるように

反省する事のない精神は

これとちょうど同じく

本能的愛欲のために破りうがたれる



法句経  友松圓諦訳 講談社学術文庫 より抜粋




人生いつも良いことばかりではありません

雨 嵐のような事ともあります

悪い誘惑も沢山あります


雑に葺かれた屋根の家のように、

心をととのえられていなければ

世の中の 良くない誘惑に

簡単に負けてしまいます


これ 自分なりの解釈である


最後に これを 

ポチッ としてね






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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動








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ありのままの最期 末期がんの“看取(みと)り医師” 死までの450日 0918 2017

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ありのままの最期 

末期がんの“看取(みと)り医師” 死までの450日 0918 2017








最後に これを 

ポチッ としてね




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私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







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和顔為説(わげんいせつ)

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『法華経巻第五 安楽行品第十四』



以微妙義(いみみょうぎ)和顔為説(わげんいせつ)

微妙の義を以て 和顔にして為に説け


と説かれております。

人に法を説くとき、その顔は、温かみのあ

る笑顔で法を説くべきであります。





日蓮大聖人様は、『上野殿御消息』に、


「親によき物を与へんと思ひて、せめてやる事なくば一日

に二三度え(笑)みて向かへとなり」

と説かれております。

 『自分の父親・母親に対して何か差し上げたい』

と思って、

何もないとするならば、1日に2度・3度、親に自分

の笑顔を見せる。

それが親孝行につながっているのだと

御指南されているのであります。





家庭の中であっても、

職場であっても、


いかなる場所どんな場合においても 

慈悲の心から顕れた

にこやかな笑顔を皆に注いだならば

必ずその場は、和(なご)やかな雰囲気に

和やかな場と変わっていくものであります。

ましてや、人に法を説くとき

そのときの自分の顔、振る舞いというものは

そうした穏やかな笑顔で

柔和な笑顔に

優しい笑顔で

包まれているということが大切であります。

このような人は、未来において、

必ず美人・美男子になると、

経文に説かれております

外見の美人・美男子ではありません

お間違えないようにね








最後に これを 

ポチッ としてね




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私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







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100分de名著 歎異抄 親鸞 『悪人こそが救われる!』 Part2

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私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







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今ある所に不満がある を 感謝 調和へ変える

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いつも 

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今ある所に不満がある を 


感謝 調和へ変える




今住み、ある所に 

不満を感じ その場所ににて

苦しみ、自分なりに悩み、

仕方なくその場所にいて

嫌悪感を感じ、

考えながら住まいし 又 

仕事、与えられた任務を完了しようとする。

イケマセンヨ

これは自分勝手な、

自己満了形の精神ですよ(自己納得)

属に言う苦労知らず、

辛抱出来ぬ人です


他を批判するより,

先ず秩序を持ちて 

調和を求め




実践致さなければ ね、

今現状の場所より

別の楽園的(ご自身に取って)環境の方が

何か楽しく、新鮮な、

そうして新しい発見のように感じる人

ようするに 自分の苦なるものに 

対処するのではなく

自分の楽を のみ求め行く・・・


申し訳なく思いますが

自主 自己確立の人ではないでしょうか・・・・・





今吾吾に与えられている

現実修行(行)の場、時、所に

無限の感謝です

回りの人や 物事に 調和し

只只 ありがとう御座います。

と 言い続けましょう








故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







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愛とは

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



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愛とは

与えるものである

愛するとは

相手を愛して

相手に 何かを要求したり

求めるものではない

愛とは

只只 相手に与えきるものであります

与えた 愛に対して

報酬を求めてはダメなのです









最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







私達にある病気

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 笑っていて下さいネ

ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ









お題 

「私達にある病気」



医療 医学が 発達した時代 しかしながら 

これだけ医療や医学が発達していながら

人々の病気

国の医療費は 増すばかりの時代

おかしな話ですよね・・・・・



私達にある病気 主に

「心」 によって 

御自身の 「心」 によって 

今の健康状態が大きく変化する
(すべてではありませんけどね)


事が 書かれております


長文ではありますが

ぜひ 最後まで 読んでいただけると

きっと 私達にとって

大なり小なり 気づきを得る事が

出来るのではないかと思います






本当は病気なしの

神の子、仏の子、如来の子の

私達なのに・・・・・どうして?



私達にある病気

執着、嫉妬、自己中心者 嘘善者にはありますよ


私からのお願い事です


皆様お願いです

いつも 笑っていて下さいネ






私達にある病気


神の子仏の子の本来相には全然(まったく)くない病気

しかし現実には存在している人間の病気 どうしてなんだろう?

と感じて悩む人々も沢山おられると思います

本来相には肉体はなく 今の吾々には肉体があるからだろうか?

と 考える方々 特に真の真理を求める求道者には 特に多いと思います

それは本来相成る 真理の理である 理論を覚っているからだろうと

私は思う訳であります しかし 真理とはただの理屈理論ではない事を

是非知って頂き度く思いますし 私生意気ながらお願い申し上げたく思います

宗教で在るからという思いで 漠然と信じていては 又考えていては

生命(いのち)の働きであります 偉大なる御神仏の癒す力

全てを癒す力の源で御座います 親さまなる 神様仏様の大生命を

知っている つもり だけで終わってしまう危険が共なうのであります

大変有難い事に 私達神の子仏の子に内在する生命(いのち)此の生命が

自己に宿り給う 全ての癒しの大生命成る 親様の大生命なのであります

この生命が本霊なる 霊魂(たましい)の働きなのであります

ですから物質であります肉体を生命で在ると感じたり 見たり致しますと

大変な間違いの問題が起こってくるのであります
(病気、迷い等々)

此で生命と肉体との 主観的視方を覚る最大の必要性を覚って頂きたく思います

私達の大生命は 「ご神仏の いのちの 波動」

客観的に肉体を使用致すことを 先ずお知りください

其の客観的に使用いたします働きの源は

霊の智心 感情 成しとげる意慾 智慧 知性 想念

私達一人一人にある本能 これらが 前述の主観的働きの元なのであります

この働きによって 本来物質なる肉体が 生命の本源なる

大生命の命令ともうしましょうか 下命と申しましょうか

その 波を与える事により動く力となって 生命のまま

それぞれが(肉体の部分)独立の動きと 働きを致すのであります

と 私は思います いかがでございます?

肉体のみでは 自由勝手な行動や 行いは絶対に出来ないのであります

私達は ご神仏の波動と申せます心 この心の働きと 導きにの指導がなければ

都合によって勝手気ままに自滅してしまうのであります

ですから病気に掛かったり 迷ったり悩んだり

他 悪諸行と認めざるをえない状況 状態が現れてくるのであります

(病気は全てそうかと誤解無きようにお願い申します 原因は多種あります)

肉体人間の心? と申しましょうか 意志と申しましょうか

その もの によって支配されて生きている人間は

「必ずと申します」「必ず」不足の原因により障害が表面化致すのであります

私達は神様仏様の大生命で御座います 生命(いのち)の子

そのままの生命の子が私達本来の 実相身であります

神の子仏の子の私達一人一人なのであります

ですから 何らかの懐疑全く皆無にして(全く疑う事無く)天上の親様である

ご神仏に対し奉り 無条件にて従う事が必是なのであります

此のご神仏に無条件に従う事が当然の事でありますので

その結果として 善き事の導きのみが働き給うのであります

すなわち 此れが主観的指導の内に 自らが存在(ある)事となるのであります

こうなりますと 神は愛でありまして お与え専門の親様なのでありますし

仏様も同じ大慈悲の親様なので在りますので

善き事としての結果は 病気無しが成就するのでございます

「全てに於いて 神仏の統治が必要である」

ですから完全に統治されたる私達には 釈尊お示しの

法爾自然(ほうにじねん)そのものの処となりますので

自然と悪い事も 悪いものも 消滅してしまうのであります

大変有難い事でありますので 今すぐ合掌しご神仏に

ご先祖様に御礼と感謝を申し上げたら 大変良い事と私は思う訳で御座います


物質文明の内で 食物を互いに分け合っている間は

何とか生きる事が可能である そうして

とも角生きているように見えるであろう・・・・

此れは 物質主義の人々に対する言葉かな・・・・と思う


しかし私達はいずれか いつか必ず・・・解って頂けると思いますが 

天の主なるご神仏(大生命)より 生かして下さる

力 を 戴いて 生かされながら 普通で言う

生きて行かなければ成らないのであります

この主に従い 今現在の体を働きとして 世の為 人々の為に奔走し

愛業実践の人々は ご神仏の主観的働きに乗じている事になるのであります

この働きに乗じる人は 守護(まも)られ 尊きを受け

幸福となれるのであります

幸福や豊かさの本体は 人々の為のお役立てが

実際に出来る人々の為であり その人々が ご神仏より享受できる

本当の幸福な人なのであります


「富とは生命のさきはえ」である

大生命の さきはえ なのであります ですから富とは 

その生命が私達の住む現象界に具体化したものなのであります

ですから私達一人一人が 不特定多数の一人一人対しに奉り

相手様の幸福 健康(心の健康)繁栄 そうして最も大きく

大切なお悟りの為に 献上の心持って接し 真実(まこと)の心 

善の波動にて 生命をお与え致す事が大事なので御座います

本当にそのように致しますと 不思議と思われかも知れませんが

自らの病気も治り 健康体と成れるのであります

その原因は当然の事でありますが 心が健康に成りますので 

その精神波動によって あらわれている 肉体が

ご神仏の創造の域に達する為

車で例えるなら 真新しい車(新車)と言うことに成るのであります


私達は神に創造(つく)られた私達なのであります

性的交渉に のみによって 生まれ 生れ出たのではありません

ご神仏は 常日 常時 常秒 私達をお護りお導き下さって居られます

私達は 只それに気付き御禮として 接する多くの人々に

布施行の実践を致せば良いのであると思います

私は当然のこと 皆様も 今より少しだけ頑張って頂きまして

是非そう致して下さい 伏してお願い申し上げます

喜び幸福を求める人々のお役立てに成れる幸福を 実感致して頂き度く思います

全ての癒しは 私達の回りに そうして 近くに そうして 自己に内在し給う 

御神仏無くしては 全然無理ですし 駄目なので御座います

ちょっとぐらいの覚識で上慢に成らぬ方が良いのであります

人々へのお救いの助けは ご神仏の波動であります

主観的導きに 私達が客観的に応じる 心 ありてこそ

現象界での諸業が成就致すのであります

此れが全ての苦痛より脱する 業と行であり ご神仏へ

無条件降伏致せまして 万事悉くが円満に事が運び

喜びと 嬉しさと 感謝の念いの感情が起こってくるのであると

私は信じておりますし 思っております 忘れなく 願いたく思います事は  

中途半端な 善の心 念いを完全に捨てきる事が大事な要件でございます

信仰心を持ちながら 物質第一主義の念いと心を捨て

そこの処より脱却致してください  執する事無く 又

支配される事も無く 頑張って頂きたく思い願うもので御座います

物質と感じ見える処の中に 霊が宿っております

事実この事実の奥に宿り給う偉大なるご神仏の波動

その絶対的霊性の尊厳を自覚致さなければなりません

全てを霊性と視るか 物質と知るかによっても 

全然受け方が違ってくるのであります ですから

その事によって自分自身の霊的尊厳を悟る事も出来ますし

また 不可ともなるのであります 日蓮宗的に申しますと
 
霊々妙々 と観ずれるか 観ずる事が出来ないか の

差が生じるのであります どちらを選ぶも私達の自由意志であります


私達は 皆様ご存知の通りの 神様仏様の申し子であります

神の子誰々 仏の子誰々でありますれば 余り心配は無いので在りますが

そのご神仏の申し子であります事実を 少しであると思いますが

今 忘れている人 また 残念ながら

全然覚らぬまま現在に至っている人たちには・・・

物質論によって 必ず病気があるので御座います

書き示すのが申し訳無く思いますが・・・(お許しください)



御自身の 心 によって 今の健康状態が変わる

と言うことを申しお伝え致したく思います





最初は疑念を持ってお読み下さっても結構です

結構で在りますが 最後までお読み下さる事を信じ申し上げ

小生生意気ながら 皆様の健康成就の為



心 と言うものが如何に偉大な 「進化と、結果を現す」 のか



と言う処をお知らせ申し上げたく念います

お読み下さる決意に伏して感謝申し上げます




現代に於いては よくテレビ等を見ておりますと

野球なら野球 他のスポーツもそうですありますが

試合途中の状態に応じて 精神状態がイライラしたりすると

責任者等が よく 胃が痛くなる等と申しておりますが

其の原因はストレスと申しまして 陰の心の相の表れなのであります

陰の相の心とは 悪い方面や 大変な不都合が生じるのではないか等と

恐怖を考えてしまうものであります ですから

今まで調和していた 心 の波動が上手い具合に調整されない為

細胞一つ一つの働きに不都合が生じ 

上手い具合に細胞の働きが進まないのであります

其の原因は ご神仏の御意志であります 創造の働きに追従するのでは無く

人間の自分の心で 想念し創るからで御座います





人は案外 善き事 良き様に成る事を願いながらも

実はその反対に 余計に悪い事をも 

想像し想念してしまうものであります





やはり 恐怖の情が存在しているようでございます 残念であります

ご神仏がお求めに成られ教示どおり 何にでも 

感謝報恩の心をたもちながら御礼を申し上げては如何でしょうか

但し 対立の可能性ある場合には 関心を示さず 

相手様を 憎まず 怨まず 対立せず 只只相手様の

神の子の相 仏の生命の相を礼拝致しまして

実相を祝福して差し上げると大変良いのであります

だいたいほとんどの場合 病気と言うのは



陰の心(暗い心の事)そのものの 

不調和より生ずる事が多いのであります


**陰の心** 大変大事な意味です





ですから 陰の心より発し 在るかのような病気を癒す為には
(本来無しに近づく為には)

私達は勿論のこと 薬屋さん 薬剤師の事ですが それと 

最大の効果 結果を 表現わす お医者さんの言葉によって

変化いたす事が実際に数限り無く沢山在るので御座います

私達が病気になっている最中に医者より 恐怖ある診断をされたとしますと

今以上の心配を致すのではありませんでしょうか

お医者さんには申し訳ないのでありますが 医者の言葉によって大分変わるのであります

常日頃 小生申し上げておりますが ヨハネ聖者の 「言葉は神なり」であります 

ですから 医術に於いては 又 医者の言葉 又 薬剤師の言葉などは

大きな効果と結果をあらわすのであります

(申しお伝えいたします 医者は肉体的に見て診断するのでありますから当然の事です)

小生龍弘の勝手な申し出で在りますが 医者もですね 難しい顔ばかり致さず

もう少し明るい顔で 患者に接して頂きたいものでありますね と 申し上げたいです

例えばですね 患者さんに対して 大丈夫ですよ今ねとても良く効く薬を差し上げますからね

此れで絶対大丈夫ですと 力強い言葉など申してくださると
(自信をもってですよ)

大部違うと思うのでありますが ね 案外お医者さんは 

とりあえず薬を出しておきますねと 言います 

そう致しますと 当然の事 患者さんは心配致します 

心配の心は 心を暗く致します そうしますと

改善の余地も無くなり 心淋しくなり 顔相も大変厳しくなり

人々に接する時も 眉をひそめ 病気そのものの 悲しい表情を致すのであります

そうして 背中丸めて 人相の悪い状態を継続致すのであります

ですから 指導者 先達者 上に立つ者は 常に相手の事を良く認識致しながら

言葉を発して頂きたいものです 現に小生の住む旭川で

小児科の病院の医者ですが このお医者さんは 子供、その親に接する時

何時もニコニコ顔で応対し 悪い病気のようでも 決して余り悪くは言わず

大丈夫だよと言う様な言葉で 安心を与え治療致して下さるのであります

医者は人々に人々に幸福を願うものでなければなりません

小生龍弘実際に体験致した事であります


この先生の病院は 今現在大変大きな病院となり

沢山の人々のお役立ちを致しているのでございます

人間と言うのは 人相 言葉によって 

大変大きな影響を相手様におよぼすものであります

如何に自分の対応が大切かを 覚る事も 大きな大きな改善の道なのであります

勿論自分より発する言葉によっても 自らが病気になることもあるんです

自らの言葉での病気の原因は 相手とのお話の中で

相通ずる事の出来ない 一種の癖によって相手様に不快の思いを起こさしめる原因もあります

例えばですね 小生龍弘常日頃よく申し上げてる事ですが

語尾をハッキリ言わない 又 自分都合なのか 言語能力不足なのか(失礼でした スミマセン)

わかりませんが 言語不明瞭な人間が実に多い現代

聞く側の立場の人に致してみれば ハッキリ申し上げて腹が立ちますよ

特に小生はそうですが その様な人々に常々接する機会の多い人は

多分精神的にイライラしていると 小生思うのでありますが 如何でしょうね

そうして イライラしている人は 相手に対して多分文句等申すと思うんです

そう致しますと 言語能力不足の人間は面白く無い顔して相手を見ると思うんです

そこで 此の所に精神的対立が起こってくる事があるのであります

この精神的苦痛が病気になる原因となる可能性が多分にあるので御座います



批判を受けるのをわかって書きます



「言語不明瞭は相手に余分な迷惑をかけるぞ!

まともな言葉を喋る事の出来ない人間の為

何の為 こちら側の人間が病気にならなければならないのか?

小生は不思議だよ!」



此の部分は

小生の腹立ちです 通り過ぎて下さい・・・

と 書いてありましたが あえて書きました


前述の腹立ちの部分 此れは小生龍弘の一種の利己主義と成るのであります

利己主義は全然駄目でありますので 小生龍弘は精神?神経?衰弱者?となります

神経衰弱を治す為には 真理の理を 何時も受持(たも)って

人々の実際の幸福の為 愛行を致し一所懸命つくす事により

脱却いたす事が出来るので御座います


人々のお喜びを余り覚(し)らない人 又 喜ぶ事の出来ない人には

大変無理であるかと思いますが 


他人の嬉しい相 楽しい相 喜ぶ顔などを見ますと 

私達神の子仏の子は 自分に対する感じがとても良くなり

その後味が良く大変嬉しいものであります

それは大生命の子 通りの 本来相を潜在的に悟っているからであります



自他一体の真理であります



色々とあれこれ考えず 出来るだけ純粋に 他の人々

時としては物 事に対しましても 全然抵抗無く

自然的に行動できる人は 先ず病気になる事もなく

御神仏創造の相 其のものの健康体で居られるのであります

よ と小生申し上げます(少々はあるかも知れません?けどね)


常々私達はご神仏より 恵 を受けているのであります

その恵みに対し何ら お返し 致す事無く の生涯は悲しいものであります


「神様の恵みがそこの実現する為には 神の無限の調和

神の無限の平和 神の無限の愛」




それらと 私達一人一人の 

心の波長 が合わなければならない




私達が波長を合わせることが出来なければ 残念ながら

私達は 神愈も受ける事も出来ず 悲しい状態と成る可能性が高いのであります

余り簡単に読み過ごさず 真剣なる事をお願い申し上げたく思います


ご神仏の恵が 何時も有ると言う事は当然の事

私達は肉体が在っても 無くても 全然関係無く 霊界に住(い)ても

現世修行界にても 一瞬の休み無く 生かして いて下さって居るのであります

ですから私達は 神様仏様を尊敬し ご神仏の 愛 と 慈悲 に感謝し

ご神仏の権威に無条件に従いて 此の世界は全部ご神仏の創造で在る事を

覚り 悟るなら 自己の念(おも)いより生ずる 病気は

絶対に起こる事は皆無なのであります


当然の事でありますが 

ご神仏が 不具合や不調成るものを創る訳が無いのであります


(病気だけではありません ご神仏は全部ての もの こと

悉くを調和致して創造(つく)られてたのであります)



悉くの一切は 愛と慈悲の ご神仏より出て来たものなので御座います

だからご神仏は 不完全や不調和で 神の子の人間 仏の子の人間を

苦しめたり 悩ましたり 悲しませたり致すようなこと 

事を お創造(つく)りにはなっていないのであります

もしそう言う状態や状況が表面化致すのは


私達人間の心が現すのであります


もし不完全と思うのならばですね 


それは 中途半端な信仰心であり 

強盛な信仰心に欠けている証拠でもあるの訳でございます



人々の幸福を願い 自らが満たされた喜びを与えたく思いますなら

是非とも願います事は 強盛な信仰心と 只 只

ご神仏への 無条件降伏をお願い申し上げたく念います

自分の親様であります 全ての源で御座います 親さまなる御神仏 

此のご神仏を軽々しく思い 自分都合に合わせる信仰を

直ぐ止めて頂きたく 小生龍弘お願い申しお伝え致します


神や仏を けがすな! と 申し上げます


実際現世社会の仏教の祖で御座います お釈迦様は

一等最初の悩みは 生老病死の難しさに悩まされたそうでありますこと

仏典に示されております

人は生まれ 段々と年老いて その内に病気になり 

最後には 苦しみながら死亡する・・・・

この 四苦に大変お悩みであったことが書かれております

勿論お釈迦様以前等より あった と思いますが

人々の意識であります 人類意識の中に 一つの人生の流れの意識に


生まれ 老いて 

病にかかり 死ぬ



と言う 一つ一つの 苦 を通る 通過するのが普通であり

当たり前である との 潜在意識の働きがあり

それを中々忘却(ぼうきゃく)致す事が出来ないのが

忘れ去る事ができないのが 私達人間なのであります


その念いが 現在までも広がり 今の世 迄も続いているのが実態であります

私達の潜在意識の内に在る念いを消す事は 本当になかなか難しいものであります

如何でしょう 私達も何かの病気などに掛かった時 又 病気を現したとき

家族の人や回りの人たちに対し 誰々さん気を付けなさいよ

私はこの様な状態に成ってから こんな病気に成ったんだよ・・・と

余分な気づかいを致し 相手様にお伝えしたりしませんか?

又 自ら一所懸命説明を致し 病気に成る流れを肯定いたすのであります



この様な話しは出来るだけ 

止めたほうが良いかと思います
・・・が ですね


回りの人々も 病人を心配致している様な振りを致しながら

どのような事からそうなったの? 等と聞き出したいものであります

それは 自己に在る 


恐怖の心より 発芽いたします 

悪玉の心なのであります




私達は神の生命 仏様の生命であります

お釈迦様は 人類皆悉く 仏子 なりと大宣言もうされております

イエスキリスト様も 天の父の子なりと 私達のことを申され

日本古神道にても ミソギによりて 神の子である事を示されております

私達は大生命の分霊であります 個霊であります

ですから 真実の(本当の)御神仏の申し子なのであります

此の本来の創造主(つくりぬし)の真実と教えに 何の抵抗も無く

ハイ と従い 帰依いたしますなら 

何にも絶対に間違いは無いのであります がねと申し上げます

生命の宿らぬ 肉体に 執する事無く また 

物質を 主 とする感じ 教えの意識に執する事無く

神の生命に生かされたいもので御座います 

人類意識を捨てましょう ご神仏の御意志に託しましょう

そうして安心の上乗せの安心と 我此土安穏の真理に

生かされて 行こうじゃありませんか!

 
「我此土安穏 天人常充満」(自我偈)

…我が此の土(この世)は安穏であり、

常に天人や人々で満ちあふれている



野獣や野鳥には病気は無い・・・・

じゃあどうして野獣や野鳥には病気は無いのかと申しますと それは簡単な事であります

私達人間はご神仏の申し子であり 万物の霊長でもあります

ですから 全ての悉くを完全に 如何様にも出来うる


自由な想念と創造とを持っているのであります


その人間は精神的部分の発達 発展が豊かな人と

物質物理的容積の豊かな人とがあります

吾々人間は全員(みな)両方の波動波長をたもちながら生活を致しているのであります

どちらを沢山生出して 毎日毎日の生活を致すかは

それぞれの念い思いの儘(まま)での現れで日毎を生きるのであります

ですから 私達は 何を見 何を覚るかによって 

又 何を想像し何を想念致すかによっても

ずい分と毎日の生活 健康が 変化いたすのであります

万物の霊長であります私達の自由は 如何なる所でも

自身の思いのまま 事々を支配いたす事が可能なのであります

ですから 前述に御座いますように 



想像 想念によって 恐怖いたしたり 悲しんだり

対立心を起こしたり 

恨み 憎しみなどの心を




自由自在に表現化出来る訳ですので

その反動として 心に不調和が生じ

細胞一つ一つの働きの調子が狂い

病気になったり 不具合が生じたり致すのであります





しかし 二次元の動物(いきもの)や 三次元の鳥等は

弱肉強食のみの事しか知らない下等な生き物ですので

想念も何も無いわけであります お解り頂けます事 感謝申し上げます

しかし そう言う動物なども 人間界の雰囲気の中に入ってしまうと

残念ながら病気になりやすいのであります(不思議と本当なのであります)

皆様が一番よく知っていて身近な動物は 犬、猫 小鳥などではないでしょうか





わしはマイッタよ 字がポンポン出てきて書くの間に合わないよ

いったん書くの止めるかな ほんとにマイってしまって

コマってしまって どうしようもありません・・・・



って 書いてあります(笑)
 


ちょっと 本文からずれますが

私 せんちゃん 亡き師匠からよく聞かされていました


亡き師匠は このような文章は わしが頭で考えて書いてるんじゃないんだよ

書かされるんだ・・・・・・


なんて よく言っておりました

せんちゃんは 当時 うそだ~~~~ なんて 思っていましたが






「わしはマイッタよ 字がポンポン出てきて書くの間に合わないよ

いったん書くの止めるかな ほんとにマイってしまって

コマってしまって どうしようもありません・・・・」



なんて 書いてあるって事は  ほんとに そうなんですね

不思議ですね・・・・・

例えば 普通飼っている犬や猫 小鳥でありますが

寒い時家の中に入れたり ストーブを付けて暖めてあげたりする方がいますが 

実際に私達人間は 飼っている生き物に対して 余り心配を致し

その動物の生き様を 私達が勝手に想像し作って居りませんでしょうか?

その結果として 動物は病気にかかるのであります

世界の人類皆そうでありますが 人類の精神波動

人類の念いと言うものは 大変なものでありまして

動物ごときものには いとも簡単に影響を与えるものであります


ですから万物の最高の長であります 神の子仏の子の私達は

想念観として 絶対に病気が在るなどと思っては 全然駄目なのであります

心 の波動に常々 病気無しの念いを 固定いたす事が是非必要であります

但し 否定しすぎる事は 執着の心となりますので お気おつけ下さい




本当は否定も肯定も全然無いのが一番よいのであります

神の子の儘(まま) 

仏の子の儘(まま)であるということです

悪は無い 病気も無い 

悪いもの 事は無いと宣言致し





普通の人類意識に 惑わされず


悪や変なマイナス的観は無いと ご神仏に感謝御礼を申し上げ

一所懸命お祈りいたす事であります

悪い人々の意識 そして人類意識の悪想念の観念と 

波長が合わぬように致さなければなりません

大変有り難い事に 私達は神に 仏様に 


愛され 護られ 導かれている 神の子仏の子なのであります


先ず持って 毎日毎日 有難うと申す事であります

口先 減らず口 作り笑顔等 早く止めよ・・・と申します


普通の状態で 明るく 心 親切にして

思いやりの心持って ご神仏を始めとし 全て悉くに


ありがとう と申し上げることであります

(ただし自分の都合にあわさず・・ね)


科学の力ばかり頼っていては 失敗いたしますよ

要するに科学の力による 色々なお薬が沢山出る事により

人々はそれぞれ少しぐらいの不調にも 恐怖いたし 何の薬がよいかなと 

心が 変な方向へ向かってしまうことも多々在るのでございます

私達の本性は 神であり 仏様であり 如来様であります

先ず 創造主(つくりぬし)にご相談申し上げ


ご神仏の神癒を戴く事が大変大事であります


私達一人一人が気をつけ 薬 薬 の上乗せは 是非とも 止めるほうが 


神の宿り給う 身体にはとても良いのであります


浄土宗の開祖 法然上人さまは 


「しらつゆも もみじにおけばくれないの

たまとみゆれど まこといろなし」

と お示しで御座います


在るようだけど 実は無い であります


不必要なる病気を所有致す必要ありません

存在(ある)ようですけれども 


実は無い



と言う 無所有の実践が絶対であります


小生龍弘 当寺林昌寺にお力添えを下さいます 

御信者様によく申し上げてる事で有りますが

風邪を引いた時 普通療法では 暖かくして汗を出して寝なさい 

と申しますが  小生龍弘は 風邪を引いた時は


アツイ お風呂に入ってくださいと 申します

なぜならば 小生の記憶では 昔より風邪は万病の元と聞いております

風邪の万病とは 迷妄の事であります

神の生命の宿り給う素晴らしき修行服 肉体と感じ見えるこの相は

実は 神其のものの修行者なのであります

ですから 神宿り給う修行者の肉体が風邪などに引掛る訳が無いのであります

ご神仏は愛と慈悲を持って 私達一人一人の個霊なる霊魂の

改善 改魂の為に 常にお導き下さって居られるのであります

もしもですよ 風邪ならば それは 前述申し上げた

人類意識の念波動に 一寸だけ引っ掛っただけの事であります

中途半端な 善 の念いと心で 神や 仏様や

自己の超高級霊であります 守護神様を計らぬ事であります

風邪は無い 風邪は無い等と余り申して 非定致さぬほうが良いと思います

私達の本性は 如何なる衝撃にも 左右されない


「 霊的存在であります」

肉体に執して 決して 

つかまない で下さい





*わしには全然無理かも知れませんが 一応記をさせて頂きます*



生命(いのち)が自由自在に成就(なる)為には

放す事が必要なのであります

縛っていては 駄目なのであります

放してこそ 本来の自由自在となるのであります




自由とは 


表面上で円満に致す事ではありません


一番大事な 心 の事で御座います




心の中に何かを 又 何かに対して つかむ心がありますと

全然自由とは言えないのであります

こうなりますと病気に成りやすくなるのであります

( 小生みたく馬鹿な奴は 腹を立てたり 何かに少しであっても

恐怖したり致す事も 原因となります)


例えば人々の為の救済のお手伝いの為のことでありましても

また 意識的でありましても そうなのであります

言葉によって成る行動 これこそ 良く 良く 考えて

行動致さなければ 大変だな と 小生思います


お釈迦様は全ての 悉くを解脱せしむる事を教えられて居るのであります

特に一切の衆生 自分 人々 生命(いのち) 迄をもでありまうす


つかまず 放せ と 言う事であります

執着 嫉妬 自縄自縛 等 


全ての解放であります




己自身の解放は 神の解放であり 仏様の解放であるとの

信念と確信より生出さなければなりません

この 真の解放は 心よりの 身体を健全に致しますので

完全なる ご神仏の護りの癒しと成就(なる)訳であります


「汝が何者かに傷つけられたり 

バイキンや悪霊に冒されたりするのは

汝が 天地一切のものと 

和解してない証拠であるから 省みて 和解せよ」



人々の病気は 肉体的な対立よりも

精神的対立 不調和 不和解のほうが 

病気に成りやすいのであります


治りたければ 和解いたすことであります


私は 僕は 俺は 何とも思ってないよ・・・・・

だけれども あいつが・・・ 相手が・・・・


どうのこうの・・・なんて 心に思う 事が 



精神的な部分よりの病気の実態なのであります


日蓮宗の開祖 日蓮聖人は  「一心同体」 と申しお示しで御座います

私達はそれぞれ 個性豊かな生命ある人間であります

容貌(ようぼう)や 体の相形の個々別々によって

相手を判断いたす事は 大きな間違いなのであります

(それぞれの好き好きによって違いますが 実際は肉体的に見て
カッコいい方が良いですよね フフッ)

しかし人々は 残念ながら 自分の感情的な働きによって

外見で見て 判断してしまう事が大変に多いのであります

例えば 民族対立 家族対立などもそうであります

本当は ともに 人 悉く宇宙創造の大生命なるご神仏の

大生命に生かされたる 生命(いのち)の 分霊であります

その分霊の 一霊一霊が 個霊なる 今の私達の生命なのであります


その生命の一体なる実相を見ること 又は

感じることの出来ない人間・・・・


対立心の念いを 何の抵抗も全く無く

もろに出して 平然と自己主張 個人主義

勝手主義の思想を出し自分は善人であり 

正しい考えの人間だと自己を信じるのであります

(それでは 駄目でありますよ!)





私達が最低限守らなければならない法則は



私達一人一人が 互いに 尊重し合い

出来るだけ 仲良く致し 人を愛し 人に慈悲を与え

人に善意の施しを致さなければなりません です




誰々関係なく 人殺しをしたり 人々を苦しめたり

自分の快楽 歓喜のため 相手様より 奪ったり 

他色々ありますが 悪い事を致しては駄目であります


一時の収入(自身の得と成る事)は 必ずゼロになります

栄える事は 無し と言うことであります



仏典お示しの 


「因果」は 巡る(めぐる)のであります


人間の悪業は 人間の来世までも引継ぐのであります




この人間の悪業を 断ち切れない者 又は 悟る事の出来ない人は

仕方在りません・・・沢山苦しんでください


お願い申し上げます 願います

仏の子であります私達 ですから私達は仏我であります

仏我であります私達が 自己中心の我を持っていては

全然いけないのであります


我を完全に滅するこつは

我を忘れることでありまして(放下致す事)

再び戻る事無く修行することが必要であります


要するに 本当の本当に無条件で帰依するだけで成立いたすのであります


我を無くす事によりまして




執着の心 嫉妬の心

憎しみの心 争いの心

怨みの心 持越し 取越し苦労の心

欲しい 欲望の心

腹立って くやしい心

時々気が狂う心

悲しい心  等々 





まだまだ沢山御座いますが


全て 我の心 なのであります


是非とも下劣な業より脱して 本来の


仏我吾成り(無我と言う事です) と 悟りまして

悪い業の本体を捨てる事が大事であります


そうして 思いっきり飛躍いたしまして

ご神仏との一体を 躍入によって覚ることが大変大事で御座います


そう致しまして 私達の本来の目的であります



善行 善業 を成し

森羅万象に奉仕いたし


公の場 処に於いて 愛行を実践し

吾生命を持って お与えさせていただく広宣流布は 


立派な諸行であります





しかし 此れは神の子仏の子としての私達

厳しい事では有りますが 成せて当然のことであります
(出来るだろうか? などと思うから・・出来ないのであります)


理論理屈の問題ではありません 必ず実行致せる人は


神に護られ 仏に導かれ


富と幸福の泉の中に 何時もいるのであります





人々が必ず喜んで下さるために 必ずお喜び戴ける為に

自分の生命投げ打つ覚悟で 事を運ぶ事が

ご神仏がお求めに成り お与え下さっているのが

法爾自然 そのものなのであります

御神仏のままの法則 此れが真実の念いより生ずる

宇宙よりの波動と一致いたす思いでありますとか 行為なのでありますし

この事が自然の中 何にも不思議無く 調うと

宇宙創造の 法爾自然と成るわけであります



森羅万象悉く仏性なり 

森羅万象悉くご神仏の智慧となりまして


私達一人一人 そうして周りの全ての人々の 又

世界の人類一切の幸福と成るのであります



宇宙の法則は秩序であります 整然であります


秩序は法則であります



私達の肉体の細胞が何の狂いも無く 上手い具合に調和し円満に運ばれ

私達が健康なのは ご神仏の智慧のおかげであります

ご神仏の智慧は 一切の事 一切の運びに対し

対立も不具合も不調和も全く無しに 大調和のまま 事運んでくださるのです

この秩序ある法則に乗じ 生活を保つためには 

私達の内にあります 個我 であります この 



個我を 捨てきる事を致さなければ成りません


我は ご神仏とのつながりを 断つ原因であります


私達にとって大事な 製造元であります

創造主(つくりぬし)との つながりを無くしては

神の子としての生活は出来ないのであります


常々良い「果報」を頂く為には 天地一切との 

自然の調和 此れが大事であります

(果報とは 何かの原因に対して 結果としての むくい の事でです)




「悪い果報」「良い果報」 我を生出しての行動は

歯車が合わず ガタガタと行き 上手く行きません




天地の自然の動きと調和する動きになることが出来ますれば

健康は勿論の事 ほとんど悉くが 円満に運ばれます



繁栄も当然のことであります 天地宇宙の自然は ご神仏の智慧であります



「智慧」に逆らっての行動は 何を致しても絶対に上手く行きません



逆らう事は 「我」の一方通行であり 相手に関係なしの行動でありまして


自己満足だけの 畜生道と餓鬼道の現れの実践であります


最良の霊長であります 私達の魂の真の働きが 


陰となっている状態となる訳であります 此れでは 何をやっても 


一時的には上手い事行ったと思う事がありましても 必ず失敗いたします 


本当は物質ではありません 生命体であります

生命体で在る以上 必ずそこには智慧が存在するのであります

その智慧なる生命体にとけ込まないで 事運んでも善き様には行きません

原因は 皆様ご存知の通りの 個我が在るからです

ご神仏に従い生活を 心豊かに生きようと思いますなら



「観法の実践」 この大事な観法を忘れず実行いたしてください



仏我なる 魂が 塾いたしまして ご神仏の智慧と一体となり

前述通りの 御神仏の法則通りの 法爾自然と一つの相となる為の行動として

私達は 素直に従って 大事な大事な 自然法爾に成りたいと言う念いを

内なる処より生出さなければ駄目であります

確たる信仰の実際の行動化であります



確かたる信仰とは・・・・信じてご神仏の創り給うた処の

完全なる相を信じ 自分の全てを託す事です


うわべの信仰とは・・・・話も聞くし 話もする しかし何かの事に対して

感謝よりも懐疑心を持つ 我の思いより判断しやすい人です(他にも沢山ありますけどね)





この文章の題は 「私達にある病気?」でありますが



病気は ある のでは無く


あらわれている だけの事であります






お間違い無きようお願い申し上げます


神の子仏の子の吾々には 病気は無いのであります


他人(ひとびと)を愛する事 人々を思いやる心の無い人

人々に怒ってばかりいる人 人々を憎む人

人々を批判の対象とする人 

自分が正しくて 自分の心の思いと違う人たちに対して

ムッとしたり 暗い表情をしたり 被害者のような振りをしたりする人々


本当に自分中心の勝手人間 周りの神の子仏の子に 迷惑を掛けるやつは




一日でも 早くこの処より ??れ!  と 私は言いたい




中途も中途も半端な気持ちで 善人ぶるな!

善の心の影に 振り回されている事を悟れ!


書いてる内に少々腹立ってきた 駄目ですね・・・・





と 書いてあります

なき師匠 故龍弘上人は たま~~に 話していると

感情的にる事が有りました(笑)

ふと 懐かしく思ってしまった 自分であります


ところで


「一日でも 早くこの処より  ??れ」


なき師匠は どのような言葉を思って 

??れ と 書いたのかな~~~?

皆さん 自分なりの言葉入れてみてください


ちなみに 僕は  無意識に 去れ と 読んでました




そして 今日の最後は

この言葉を忘れないように


病気は ある のでは無く


あらわれている だけの事であります




ですよ~~~~


私達の精神状態や 雰囲気によって変化いたす事

また 環境をも変化する事を致す

私達の 心 権威(ちから)の事を書かせて頂きます


何べんも申しますが 万物の霊長である私達

この私達が善く思う 心の力 によって微生物も感心致し

よい結果を現す菌と成るのであります 例えますと

お食事の料理を作る時 物質であります 調味料ばかり頼りに致さず

この料理は必ず良くなる 必ず良く 美味くなる 絶対間違いない!

と念じ 思いながら調理の作業を行いますと

その思い念が必ず 具象化し現実に具体化になる と小生思うのです

ですから 自分の立場から一所懸命 感じ 

念う雰囲気は大変大きな効果を表すのであります

その善き雰囲気が全てに感応して 相手様にお喜び戴ける

美味しい味の料理となるのであります



明るい心で 楽しく作ることが大事であります


どうかな? どうかな? 等と思わず

お喜び頂ける為だけに 一所懸命事を成す事であります

何に対しましても 自分の雰囲気がどれだけ多くの回りに

影響を与えるか 良く考えて行動いたすとよいのであります

自分の精神波動による影響は 大変なことであります




「相手様を大きく苦しめる事も

相手様を嫌な状態にしてしまう事も

自由に出来る 力を 持っているのであります」





勝手信条を捨てきれ! 




解りましたか と 申しお伝えいたします



「相手様を大きく苦しめ 相手様を嫌な状態にしてしまう人」


に 対しまして  絶対間違いなく 必ず 強く申しておきます


このような人は 

全身に重症の痛み それから ブツブツ

それから 神経痛のような 痛みが体に現れるのであります


本当は 物質であります肉体 なぜこの肉体物質に痛みがあるかと申しますと



それは 自分勝手の中途半端な頭脳的心の 感情より

感応する 心 と申しましょうか

その心が その時々の状態で 自分都合に合うように変化いたす為

不調和が生じ 良いか悪いかの判断も  全然と言っても過言ではないくらいの 


判断能力しか持っていなのであります ですから 病通も仕方無いのかもしれません


しかし 何とか少しでも良いから 覚って頂きたく思います

この事は 肉体が病むのではなく 基本的に



「心が 病んでいる証拠なのであります」



心の痛みの原因は 

「不調和 不感謝 の源であります


対立の口惜しい思い 腹が立つ思い


嫉妬の思い 執着の思い」 





等など まだまだ 沢山御座いますが 



「その様な心の痛みが 肉体に現れて(表現)来るのであります」


イタイ イタイは 大変です 肉体が痛いのでありますが


本当は 「心」 が 痛いのです・・よ



以前より 何べんも お伝え申し上げております事でありますが


私達は 何辺も 難十回も何百回も



「霊的修行の為 生まれ変わっているのであります」


その修行途中の現在が 私達の 「今」なのであります


ですから 私達は修行の段階に応じた 結果としての「相」が


如実に顕現(あらわ)れて来るのです


精神的波動の部分の包容が 多い人と そうでない人とが いるのであります

なぜ この事を 書き記したかと申しますと

私達の痛み その痛みの激しいい人と そうでない人の

差を書こう・・ と思う訳であります


私達は ご神仏の申し子であります ですから



ご神仏の近くに 精神波動の在る人は


案外痛みがありましても そのことにすぐ気が付き

反省し 真剣に感謝いたす事の実践観法を 致しました時

案外簡単に治り癒されるのであります


「わが魂の 底の底なる神よ 無限の力わきいでよ」 



一生の間 一所懸命 念い観ずる事は

霊魂のレベルを上げる事になると 小生は信じております


この事は私達の潜在意識の中に在る 悪想念を排しますし

又 形状に現して 懺悔いたす事にも繋がる行業であると思うんです


是非共頑張って実行して頂けますようお願い申し上げます


悪想念を人間の心でつかむな


先ず人間の心を捨て 神仏の心に直結致すよう 共に頑張りましょう


人間の心についてでありますが 人間の心には宿業と言う

良くない業の元(良くない事)と成るという 可能性が非常に多いのであります

小生以前にも書いた事でありますが

人間は前述通り 何べんもの生まれ変わりの相なのであります


「その私達一人一人の 今の諸行が 

来世の諸行のつながりとなります」

(良き事も 悪しき事も 苦も 楽も 今 今が大変大事であります)



そうして 今の自分達が存在すると言う事は

当然の事前世があったと言うことでございます

その前世の宿業が現世につながり 引継ぐ事は

今の時に必ず 間違いなく表現化致すのであります

(宿業とは悪い事であります)


余り詳しく書きますと 恐怖いたします

中には 大丈夫だから教えてくださいなんて 申す方も居られますが

大変なんです 興味あって聞きたがる人もいます でも もうしません


只大変なことであります 「宿業」 この事だけは

よ~~~く 心に 思い 置いてください


*宿業よりの脱却はかなり難しいです*


表面の相 形と 潜在的 心の念いの違いと引継ぎの事

(潜在的・・・知らぬ間覚らぬ間に納まる潜在意識の恐さを知る事大事)


毎日毎日を 心して 生活奉仕の業行をお願い申し上げます



ここから とても大事です よく読んでください




宿業の始まりは ほとんどが 人間と人間の間にある

「惑わし」合いの内より生ずるのが 普通であります

普通と申しましても 是が 大変大変な大事件であります


怨みを受けるな 憎しみを受けるな 怒りを受けるな


と 申しお伝えいたします


受ける苦しみには 必ず対応したくなるものです

そこに何が起こるかと申しますと 当然の事


闘争の心が起こります


闘争の念いと 行動は決して良い結果は出ません


「執着満足」 と 「嫉妬満足」の


精神的怨みの 気狂い(きちがい)障害に気付かず


相手を 怨み 憎しみ続ける事となります

その結果は 悉くの不調和でありますので

その人の生涯は中々 上手い具合には行きません


又 気狂い障害の者は 自分の精神的イラ立ちを納めるため

相手様を殺したり 障害事件を起こしたりの

事件を起こすことにもなるのです 

その結果の先々は如何でありましょうか

お解り頂けるものと思います


*書き出したら止まりません これ以上書くと恐怖のみ残る事となります

本当に書くのやめます 失礼致しました*




自分を物質の塊と思う事なかれ


人々を物質の塊と思わないで下さいね


生命です!




さあ~て 是よりは

ご神仏の本当の智慧の働きや 

知性の創造等を書かせて頂きます


吾が守護神様 守護霊様に 伏してのお導きを願い奉ります


この文章が神の子の 人々のお役に立てますように

神の子仏の子の 人間と人間の糧となれますように・・と

お願い申し上げまして 加護を願います


私達はご神仏の一つの基盤の内に 今立っているのであります

その基盤とは 知性と言うものであります

知性は 全ての人類に共通致すものであり

私達一人一人の中に内在しているのであります ですから

知性とは普遍的な生命体と申しますか 意識なのであります

「人は皆が同じ構造を持ち同じ生理作用を営んでいる事は同じ知性である」

人は全員同じ構造を持っているということは(人種に関係なく)

この事事態 創造者たる ご神仏の業なのであります と 小生信じております

ですから 結論は私達はご神仏の申し子となる

神様仏様の子なのである と言う証拠であります

宇宙に普遍的に満ち給う内で 最も尊い段階の生命 それが 

万物の霊長であります 私達一人一人なのであります

唯物論者には 申し訳なく思いますが  唯物論では

とても計り知る事の出来ない 創造なのであります

信じるも 信じないも 勝手でありますが

無量であり 無辺であり 普遍なる 大生命は偉大なので御座います

唯物信仰の論者は 多分こう申しますでしょうね 一般でよく申す事でありますが




人間は死んだら 心も何も無いと申します 勿論 唯物論者でなくても

ほとんど無信仰に近い人は 同じ様な事を申しますが・・ね

(わしに言わせると 馬と鹿としか申しようがありません)



人が死んだら 心も何も無い との考え 感じ方は如何なものでしょうか

要するに 頭脳があって初めて その頭脳より発する一つの作用が

心みたい なものであると申すのであります(心と思いますでしょうね)

ですから 人間が死んで脳髄が消えてしまうと

心なるものは 元々無いものだから 当然無くなり

消え去るものであると思うのでしょう

理屈はそうであるかも??? 

そう感じるかも知れません?????



しかし 真の人間は 細胞と細胞の塊ではなく

霊魂の顕現(あらわれ)れと致しまして

個々の霊体の内に 心と言う働きの源が備わるのであります




ですから 其の 心無くして 人間としての相も

物質包容の肉体も創られることは無いのであります




私達が現象物を見るとき絶対に必要な 目を見てください

そうして考えて見てください 私たちが近くを見ていて

急に遠くを見たとき如何でありますか

ちゃんと即見ることと 見て確認いたす事が出来ますでしょ と申します


此の瞬間の出来事にでも即時に相応致す事が出来るのは

頭脳の そして脳髄の働きでしょうか また 此の

物を見たり確認いたす 目は 脳髄の意識で作ることは可能でありましょうか

ましてや 凸凹自由自在の 運動と働きをなす 眼球などなどの構造は

物理的 物質的な偶然では 絶対に出来ないのであります

もし出来ますなら 失礼な事と言葉で御座いますが(申し訳ありません)


目の不自由な方々は居られないと思うのであります

ですから 私達の本性であります 生命 此の生命の源であります

大生命の知性の働きがあって 初めて生命による処の

ご神仏の心の働きが 人間の頭脳以前に 


心を創造されるのであります




知性と智慧の働きによって ご神仏の自己実現の

人として 修行と魂の上昇の為 

必要なる全ての細胞を創造(つく)って下さっているのであります

魂の上昇の為の修行であります


決して 全ての個人満足 快楽の為ではありません。。。宜しいいでしょうか




「唯心論者と唯物論者の違いは大きいんです」


私達が一生の間 一所懸命 其の場 其の時の衝撃に左右されず

大生命に 帰依 致す念いを 常日頃どんな時でも 受け持っているならば



誰一人もれなく 完全に大生命の 

「智慧」と「知性」に 「護られ」



私達自身が高き霊魂の状態でいられるので御座います


よろしいでしょうか



脳髄が先ではなく

心が先であり 創造の元であります




もしもですが 唯物論的に申しますと

脳髄が先で その つくりが少々悪いといたしますか(例えばの話でありますよ)

そういたしますと 身体も不都合とならざるを えないのであります


が と 小生思います 間違っていますかね?



残念ながら 私達は どうしても 


暗い方面 悲しい方面に向かう 

不幸な印象を心に憶えている という傾向に在りたがる?

のか あるのであります もしかしますと


人々の注目を引きたいのか 又 自身のあわれみによって

一種の中心者と成りたいのか 良くわかりませんが

人と言うのは どんな時でも 幸福を求めながらも

悲劇者となりたがるのであります





それは 自分が 自分自身をあわれむ事によって

人々の注目を引きたいという 思いの原因となるからであります

その事によって 友が増え 一つの集合体の形が出来る事によって

安心いたすのでありましょうか 




でも 悲しい印象は 深ければ深いほど 大変であります

ですから 私達は明るく 人々の多くの心に


明るい印象を植えさせていただく 伝者にならなければなりません


私達は神仏の働きそのものの 私たちであります


意を決して 人々のため 明るく喜んで 奔走いたしまして


不幸は無い 心の念いの波動によって 

人々の生涯は変わるのである事を お知らせ申し

彼らの心の中 潜在意識に良き事を 印象して頂くことが必要であります


その為の働きを 私達は致さなければ成らないのであります


私達の取って大事な事は 何事に於いても その時々の状況 状態 

又 時の変化に対応できなければ駄目なのであります


要するに プラスの思考に 得に必要な事は 応ずる心の変化


この心の変化に 対応出来なければならないのであります


この事を成就させる為には 何が一番大事であるかといいますと



観の転換が 大変大事なことであります


「観 観念は  創造事であります そうして 観る事であります」



例えでありますが 実際には 皆様も少なからず経験があると思いますが



ここより とても大事な事書きます




* とても 悲しい事や 苦しい事 辛い事 等は

時間的に見ても とても長い間だった・・なと 思いませんか?


ああ~ 「あの時は苦しかったよ」 と思う念いは

長い間 自身の心に 深く印象致す傾向に」あるのではないでしょうか *




現実の実際は案外短い時間であったかも知れない事でも

非常に長く感ずるものであります


しかし 人というのは(立派な人は別です)


「楽しい事 愉快な事には 時間が立つのが

 とても 早く感ずるものなのであります」


ですから 此の時こそ 楽しく 愉快な時と

心を長く感ずれる様に 感謝の念いを持って 

其の感謝の念いを 持続 出来るように



観を変える必要が 絶対に必要なのであります



悲しくて 辛くて 苦しい どうして私は不幸で

なんで 上手く行かないのかな 等の 悪い事

不快な事の印象を 心して 「潜在意識より」

捨ててください! と お願い申し上げます


潜在的悲しみの記憶を捨ててくださいね



私達の潜在意識は 大したものなのであります


「 マイナス的思考の人は特に 又 恐怖の人も特にそうでありますが


どんな時でも 何かあったらどうしよう・・・・・


と 考えてしまうのであります そう考える人は 残念ながら 


自分の想念で恐怖やマイナスを呼び込んでいるのであります 」


(自分の想念 思いによって 良くない事や 恐怖するような事が 
 現実に形となって 現れてしまいますよ)




智慧に満たされたる私達は ご神仏の愛の子であります

その愛の子であります私達 神の子仏の子に対し

親であり全ての導きの源である ご神仏が

真に 不幸や 悲しみを お求めでは 無い のであります

ですから私達はその 善き誠の念いの御意志の お求めに対し

只 従う事でよいのであります

ご神仏は 守護して下さいますし 私達の幸福の為に

お導き下さるのであります


悪い印象の記憶を捨てましょう

本来 人々に不幸はありません



幸福と感ずれる 心が 神であり仏様であります

それも 心 が大変健康であり 霊魂よりの喜び幸福が

本当の幸福なのであります

不具合と感じたり 悩みと感じたりいたして

もし 悪いような状態が出来たと致しましょうか


でもそれは 出る 事によって 

その悪い事は 消える事となるのであります



ですから 逆に 出てしまったことに 感謝いたし

振り返らない事が大事であります

自己の想念の恐怖が 形相と成ったのであります

だから 出てしまった後は 簡単に消えます ご安心ください


暗いと不平を言うよりも 「進んで明かりを燈(つけ)よう」


でしたか?? キリスト教の教え?? があります

「進んで明かりを燈(つけ)よう」 


小生も本当にそう思います

光明であります 明かりなんですよ 大事なのは

それは只 電気を燈して明るく致すもそうでありますが


心そのものに 明かりを受持つことが大切であります


私たちは何時も 自分を光の方へ 

振り向けていなければならないのであります

 
私達が意を決して 全人類に 明かりを運ぶ人になりましょう
(自分が困っているとき 助けが欲しいでしょう 同じことであります)


人類意識改革の為にですよ


その明かり 光の運びの実際の奔走者となるためには

先ず自分自身の

* 現在意識の あまりハッキリしていない時に 潜在意識に

光明の祈りの念いを 強く強く印象付ける事が 是非必要であります

エミール・クーエの暗示の方法で

「私はこれから 毎日あらゆる点で 一層良くなる」

と いう言葉を 20回 唱えよ と 御座います *


私たちも 今のことに感謝申し上げ その為に

霊魂よりの本当の奔走を致しませんか


人々の幸福ありて 自らも幸福になれるのであります



「 人々の為に 広宣 愛行の布施を致さず

自分の癒しと解決を願うような 下等な人間に

ならない方が 大変良いのであります」



ご神仏のお示し給う 完全円満な処


実在の実相の世界 その処 所が 今の吾々の処

ここで あります

ご神仏の 独在 の 処であります


「全ての創造主である 神を 一時も忘れることないように

また 常に神との直結を求めよ 祈りて感謝せよ

そして 神は愛であり 全智であり 全てのものを知りつくし 

全ての幸福を吾々に与え給うている」





ご神仏は私達に 一瞬一時も休みなく 

無限の幸福をお与え下さっているのであります

悪いやつにも 良い人にでも 全然関係なくです

ですから その全ての幸福を 我が物と致すためには

毎日毎日必ず神とつながる 観法を致すことが当たり前の事であります


何かを求める時 何かに悩む時 何かの要求を満たすための時だけ

祈っても 又 先達者に相談されても駄目であります





もし まかり間違って 成就致したのごとく 表れましても

それは残念でありますが まもなく 崩壊致すこととなります



それは 我欲 我欲 我欲 の一種の信念の力にて

自分の良き様に 現象物を引き寄せたこと だけ の事であるからです



人々も もし引き寄せられたと致しますと

それも 現象物の一つと成り下ってしまいます

注意致さなければなりません


「私達には 真実のご神仏の恵みを

この現象の処に 引き出す役目が在るのでございます

その事が出来る事により初めて 

全て え の ご神仏の癒し」



が始まると 小生思うのであります
 
吾々も 知性と智慧に満たされた

真の神の子仏の子なり

悉く調和の先達者 吾 なり


その吾の生みの媒介者であります

我が 父 母 そして ご先祖様 各先祖の

個々の霊位に 伏して感謝致さなければ駄目であります


自分一人の力ではありません 


ご神仏ありて 秩序あり そして法則なのであります

そして自分を守って下さる 守護神様に御礼を申しましょう



「普段の生活状態 環境作り 人々との良い対応

布施行 浄財行 法説行 愛行 調和行

そして 六根清浄業 等々によりまして

私達の守護神(霊)は段々と 高い位置にいらっしゃる

高級霊と現在の守護霊との入れ替わりが可能と成るのであります」




又 逆の事も当然のごとくあります

妙法蓮華経 如来寿量品第十六に御座います処の

宝樹多花果(ほう じゅ た け か)

と お釈迦様お示しの

地上天国の生活(いとなみ)を お求めでありますれば

正に 一所懸命 迷わず正道を 真実を求めながら

進み行くと 大変良いのであります


私達がこの道を歩むことによりまして

私達自身のご先祖様も 大変喜びます 間違いありません


この事は ご先祖様に少しでもの 安心を

与えて頂くことにつながりますので

結構大きな 功徳と 成るわけでございます


ご先祖様ありての 私達であります


ご神仏は私達に 素晴らしい親をお与えくださいまして

その立派な親が 私達の親であります

私達は 真(まさ)に 神の子仏の子の親を媒介として

現世に生まれ出た 神の子仏の子の 真人間であります

(たまあ~に 悪い親もいる・・・かな? 仕方ありませんけどね)


各ご先祖様に対する 報恩感謝行を忘れては 駄目でありますよ


「神に感謝しても 父母に感謝し得ないものは

神の心にかなわぬ」



父母とは 両親の事だけではなく 両親の親もそうでありますが

上へ 上へと昇りますと ご先祖 そのご先祖の源であります

個霊 分霊とつながり 大生命であります

神様仏様と つながるのであります

ですから 少なくても ご先祖に対する

感謝報恩の行は絶対に 実践業(行)として実行致すことが

当然の事であります 私達の生活そのものであります

最も簡単に申しますと 先祖に対するご供養は

先祖の霊魂を招霊し 感謝の法要を致し

真の理を付与致すことであります

真理の言葉を念送することでありまして

その有難い真理の言葉の力と 功徳によって

迷える個霊も救われるのであります

救われたる霊魂は 真理を悟っている事ですので

自縄自縛 束縛より脱することができます


その結果は 明らかに 一層の自由自在を与え

増々の神通力を発揮することが出来ると思います

その神通力を与えた霊位は喜びと満足とを

御礼返しの 感謝として 私達の子孫の繁栄 健康

等への導きと成って下さるので在る と 小生断じて信じております


祈ってばかりでも駄目であります

実際に実践致さなければなりません



実の業 実の行いであります そうして

墓参りも忘れないように お願い申し上げます

本当の心は必ず通じます


*私は頑張るよ と 皆で大宣言致しましょう*


ご神仏はどうして 私達をこの世に出して

色々な苦難や困難 また 幸福と見える人


又 悲しいと見える人等々・・・作られた??のでしょうね

それは 何なんでしょう・・・キリスト教的にもうしますと


アダムとイブのお話があります

ご神仏は アダムとイブが現象的快感を(肉体で知る快感)を知るまでは

天国と同じ 地上天国を示されていた訳であります

ご神仏の念いの 心 のままでの地上天国で在った訳であります

しかし キリスト教的教えによりますと


アダムとイブが果実(現象の肉体的快感 快楽)を知った時を限りとし 

神より離れた所の現象界(物理理論 物質理論 唯物論)に

落とされたと申しましょうか そうなのであります

此の処で 小生は思います


「人は皆本来 神の子との聖句」であります

私達は本来ご神仏の子なのでありますから

吾々の心も本来のご神仏の念いの善であります 心を

常日頃 たもち続ける事が出来るならば

まったく 全てにおいて問題は無いのであります


しかし 私達が 快感 快楽 を知ったとき

そのままの ご神仏の善念波の 心なるものを

維持いたし受持続ける事はなかなか いや 全然でしょうか

無理であろかと 小生生意気でありますが そう思います


ですから 私達は勝手な 自己の心?に総じて おもてむくままに

もの 事を 運びたがるのでございます


その時 どうしても回りの人々との関係に於いて

中々一通致すことが少なく 対立の図面が出来てしまうのであります

そうして 対立 怨み 憎しみなどが 現れてきまして

自己統制が不都合と成り 自己抑圧 そして自己破壊へとつながり

最後には 自己崩壊と成ってしまうのであります


其の時ほど 人々は自己の心の 置き処の改善改革よりも

他人や回りの人々に 責任を加せてしまうのが大変多い実例であります

この様に 現実界で余り良い状態の行いを致さぬ場合に 


現れてくるのが 自分の身体えの病気であり 



特に難病や 中々治りづらい病気となってしまうのが

多く在るのでございます


これは 自分の 心 の念いの 想念感情が

そのまま 現れた結果であります

(今霊界にいる人の波動もありますが この件は別にお伝えします)


良くない事の 想念感情が 体に現れたと言うことであります

想念感情とは 祈る事 のみ ではありません

なんとなく 腹立たしく思うこと 不幸の事 不満の事の思い

又 常々の口癖が全部 自分の「心の相」として 

現実に 肉体に現れるのございます



心の相とは 心の象徴であるという 肉体のことであります


「私達の肉体は 念う心の象徴であります

肉体は 心の影であります」



自分達の心の念いの相として 現実界の内にあって

本当はまだ何も無いのに 

形ある形に あらわされ たのが象徴であります


吾々神の子仏の子の生命は健全であります

心の象徴であります 肉体に執着する事が無いように頑張りましょう



もし病気などにより 苦しむ事 多くありましたら

私達の祖先の 「功徳に頼る事も必要であります」

また 高級霊の治病であります 

神癒の力 仏癒の力 を信じて 受け入れる心が必要であります


「宇宙を貫く法則 真理 智慧 絶対の愛」

すなわち 宇宙普遍の超高級霊の働きであります



私達は 誤った 「心の象徴」 を変化させなければだめであります



ある意味においては 肉体と言うのは

人間の心の 「かたまり」 といえると思います

いや 「かたまり」 みたいなものと 申した方が正しいのでしょうか

どちらに致しましても 吾々の心の変わりようによって

どうにでも 変わることができますし 

変わることが可能なのであります




私達は 勝手な思想の持ち主でありまして

仕事でも 家事の事でも 何かにつけて 不都合や 不具合が生じますと

疲れたな・・ どうしてこんなに上手く行かないんだろう・・・

嫌に成って来た 等と考え 思う傾向にあります

その時に 少しゆっくり休みたいな・・・と 思うことありませんでしょうか

もしかしたら 病気にでもなって 入院でも出来たら

ゆっくり 休めるのにな~~ と 思うことあるのではないでしょうか?

この様に考える事がありましたら それは 即ち




人間的意志の 観想 が働きますので 

その意志の力によって 必ず何らかの病気になります 


これが 心の象徴である 肉体に現れる 

現実の結果なのであります



私達はご神仏の申し子であります

ご神仏の象徴ではありません

神の子仏の子の 生命の そのままなのであります


ですから 真剣にご神仏のご意志のままの

心持で いなければならないのであります

嘘を言っておりますと 本当の病気になります

例え仮病で在りましても 申さぬ方が良いのであります



小生も事実 過去に致した実験があります

それは 若い女の人でありますが 

虫歯で大変痛がっていた訳であります

ほっぺは パンパンに腫れ上がり 冷たい何かで冷やしておりました

小生はその時医者へ行って 早く治療するといいよと申しました

女の人は歯医者へは行ってきたとのこと しかし

今は腫れがひどいので治療ができない とのことだそうであります

小生はあまりにも その女の子が可哀想と感じましたので

何とかしてあげたくなりました その時 上手い具合に

ふと 思いだしたことがありました 早速 その女の子に

これは 特殊な歯の薬で 小生もめったに使わないことを

まず 時間をかけて 一生懸命説明しました

その理由は 早く痛みが治りたいと言う思いを

女の人に 沢山持って欲しかったからです

其の時 この薬は よく効く薬で どんな痛みも

20~30分以内には必ず治ると宣言致しました


大事な事は 心の 問題であります


そうして 単に正露丸に似た 家庭薬の熊の胃薬でありましたが

それを痛む処へ つぶして つけさせたのであります


ここで 必要な言葉は 小生も今まで何べんも経験があるけれども

絶対に 間違いなく 一発で効く!

と 申し伝えることを忘れては駄目であります

小生の実験では 激しく痛む場合ほど 良く効くみたいであります

固形と固形の当たり具合では無いので 余計に上手くいくのです

女の人は 安心の顔も少しではありますが 表情としてありました

儂は上手くいくと 本当に自信の心で在りました

今でもはっきりと記憶致しております

そこで あ~~ら不思議 本当に痛みがとまります

2時間ぐらいの間に 腫れも少し引いて来たのであります

そうして 数日後報告がありました 無事 歯科にて

抜歯して今は大丈夫との事でありました

本当に上手い具合に事が運びました事は

ご神仏のとっさの判断の導き(実相に すでにある導きで在ります)と

小生伏して一所懸命御礼を申し上げました


如何に私達は 心の象徴なる肉体で在るかの

事実の証拠であります(たまたまかもネ)


理屈理論では計り覚る事の出来ない心の波動が

実際に在ることを忘れては駄目であると



小生思うわけで在ります  



私達は実相身の神の子仏の子であります


私達は如何なる事がありましても

決して 同情的注目を求めては駄目であります



憐れみを求める事 のことであります

同情的注目を集めるためには 第一に

自分が不幸につながる状態を表現いたさなければなりません

その為には 病気になるか 何か災難の様な事に合うか

苦しい様子を出すか の事です



要するにあまり良くない事が起こることを

願いだすことであります



同情を求める人にではなく

相手様を救いうる人にならなければ駄目であります

それが 神の子に与えられた業であり 

使命であり 菩薩業なのであります

この菩薩業を成功させる為には どうしても

現世諸行の使い人となる為に 肉体が不可欠なのであります

肉体が無ければ 何の 修業も 愛行も 

広宣流布もできないのであります 

この 業と行をなす為に 肉体と言う物質を

活用致さなければ 全然出来ません

その物質と見える 肉体の内に宿り給う

大生命の流れの いのち 

その いのち の 心が 

存在してることを 忘れないでほしいのであります




心によって成立致している 身体(からだ)


この大事な身体は 


大生命の 心 によって整理され

正しく 組立られている 構造を持っているのであります


ですから肉体だけを見ると  物質であるように感じますし 見えます

此の処に 心(創造の命)の働きが現れますと

肉体は完全に支配下に置かれるのであります



だから 心の変化  悲しみ 

苦しみ 恨み等々によって

肉体に心の反射として 

不調和が生じる事により


病気や精神的病いに

掛かりやすくなるのであります

如何に 心 なる精神的波動が 

大きく左右しているかの

証明と証拠であります



先日某テレビ番組で 医学のみではなく

精神治療と医学との組み合わせが 絶対に必要であることを

医学博士が申しておりました 小生も昔からお伝え致しております


神の教えに素直に ハイ と従い 

神の導きに素直に ハイ と従う


此の事が私達には大変必要な心構えなのであります

お釈迦様を 祖とする仏教でもそうでありますが

教えの基本は 無我の ハイと従う心 の教えなのであります


無我とは 

見返りの報いを求めないことであります


仏教の極意は 

報いを求めない

無我のハイ 

であると示されております




お釈迦様が霊鷲山で六波羅蜜を示され 極意伝授のときであります

その時釈尊は 末顕真実と申され その極意を

覚り悟ったのが 十六弟子のひとり 迦葉尊者でありました

釈尊は実相無想微妙の法門ありと 宣言致され

迦葉尊者に伝え渡されました


執着全然無く 愛着も 染着も 嫉妬も 

何もかも 全然く無想にて 報いを求めぬ

従いの ハイ が大切なことであります


ちから関係や 仕方なしのハイは 全然だめであります

お悟り下さいね・・・・


素直に ハイと従うことは 

大調和そのものの相でありますので

実相の儘 の相なのであります



実相には 悪は無い 

苦も無い 悲しみも無い

執着も無い 憎む事も無い 

嫉妬も無い 要するに

マイナス 悪い事は まったく 

無いのだと言うことであります

「神は無相にして相形無く」 

と 小生お伝え申し上げます

だから 円満にして完全な円相なのであります




せっかくのこの世の生涯 私達は 

何か人々の為のお役立てとして

大事な使命を実践致しませんか

それは 私達が人々への御報恩として

菩薩となり 菩薩業を致す使命を ご神仏とお約束し

本当に実践致すことが 大事なのであります

ご神仏の望みのため 懸命に生きましょう


吾々自らの内に隠れている 

真の念いを引き出し

善は人々の為と確認いたし

大いなる希望は 

必ず成就するとの観念想を

常に 心 身体に 抱いて

人々 社会の為に 

働いては如何でしょうか




「神が創造給うと 

此の処に後退は無い

我が情熱 久遠に在り

甲斐(かい)は創り出すもの 

生きる気 強盛

祈りのみの願いは不足是なり 

広宣流布ありて 成就せり

善き諸行無くして 

幸福願うは 魔の心なり

神の子が 

神の子に施すは当然の事

何らの報い求めず

ご神仏は一切を求めず 

只与える事のみ

吾ら その申し子なり 

御意志迎合して

初めてご神仏の子となる

その儘が 

神の子 仏の子」





終わり



私達にある病気

故 玄龍院龍弘日宣上人より







故 玄龍院龍弘日宣上人より



...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







幸福の源とは

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ




幸福の源とは

与え 与わる 

無限の愛と慈悲の事

人は皆 真理の子です


幸福の源とは

仏教的には 与え 与わる

大慈悲で在り


日本古神道 又

キリスト教的には

同じく 与え 与わる

愛 であります

太陽の輝きの如く

万人の光で在ります











故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







ご神仏は偉大 母は偉い! 

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます






まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ




ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ







ご神仏は偉大 母は偉い!





決めつけは無理でありますが

應々にして 乱暴な言葉使い 又 強力な暴力

又 自分の指示(ご主人)に従わざる時は

態度の変化を致す勝手な 夫

自分の遊びや 酒席での楽しみには

家族の不安 不満等全く気にせず暮す 夫

俺の言うことを聞かなければ 必ず後で後悔する・・ぞ

なんて 偉そうな事を言う 夫 自分中心の勝手なことを申し 

己の立場を維持しようとする 勝手な夫 がおります

いろいろと多種 ありますと 思いますが

そんな状態の内でも 一所懸命 一生の間

影ながら  一人一人の母が 影ながら

誰々に理解(わか)って頂く事に 期待もあまり示すことなく

偉大な貢献を致している 母に 

感謝申し上げなければいけません


お母さんに 心して  ありがとう と

感謝の言葉を献上受持って 申し上げては如何でしょうか


私達をこの素晴らしい世に産んでくださる媒介者となり

苦慮致しながらも その子供たちの生長 幸福を願い

又 家族円満 調和を願い 我慢致しながら

一所懸命頑張っている 天下の母さん

この 母さまに 今一度有難うの感謝の言葉を申しませんか


さあ皆さま ここで一緒に母様に

有難うを宣言致しましょう


(如何です 心明るく幸福に成りますでしょう)

追分・・残念ながら 内には悪い母もおります

どうしょうもない 母も実際におります・・です




苦しくても 悲しくても 出来るだけ

明るく振る舞うよう 努力致し 我顔と愛の言葉を発し

心配りを致しながら 家族円満と具足を求め 願い

一所懸命働く母 この母こそ 地上天国を作る

源と申しても言い過ぎでは無いと 小生思うわけでございます

耐える力の強き母よ ガンバですよ


顕祭仏像にも慈母観音菩薩はございましても

慈父観音菩薩とは 小生の記憶では知りません

全ての創造も観音様の業なのでありまして

其の観音様は大使命として 森羅万象に対し奉り

智慧であります 大慈悲を顕現(あらわ)して

全てを育み給うので在ります

円満に育む為には 念(ねが)う 思いやりが

皆無では全然駄目なのでありまして

当然の事 大慈悲の念いのままでの業と行いを

実際に取締り仕切るのであります

大いなる慈悲が無ければ 

不平等な処しか顕すことが出来ないので在ります

しかし 悉くが調和により整う世 この世が生みの業

創造の業 実際の行として 円満に 

そうして 完全に現れているのであります

ですから 母さまは 偉大なるものとして

御仏様の慈悲と 一通いたすと 小生思います

感謝致さなければ ならないと思うのであります

この慈悲深い母さまに対し 逆らったり 憎んだり致し

非礼な者は  偉大な母を殺してしまう極悪な奴もおります

この悪い奴も 心入れ替えてくれるなら 大変良いのでありますが




本性なる本来の私達は もれなく全員が全員 

神の子 仏の子 であります


(此の事から申しますと 本当は悪い奴は 皆無なのであります

その人の内に必ず善いところがあるということであります)



ですから祈りをもって 内在の実相の生命を 礼拝致しましょうよ

そうして人々の幸福到来の為 自分が頑張りまして

行く行くの処えの 私達の道柄の糧と致しましては 如何でしょうか

そうして 何よりも大事なことは 


人々は皆  一つの生命の つながり でありますことを 

自覚致さなければなりません




ですから 回りの 誰か一人の思想の 心が変わりますと

回りの人々が 一変して良くなるのであります




ですから結果として 地上天国が建設されると言う事に成るので


「明るく」 「ハイ」と 返事をいたし

必要な事を実際に実行致さなければなりません

それを実行している母 母さまへ  一番立派だと ほめて差し上げましょう

余分なことであるかもしれませんが

小生若い時より 次のように書いておりました


「親を拝し 夫を拝し 妻を拝し

回りの全ての人々へ感謝致しましょう」




現象は母でありますが 人々は全員が全員 

前述の言葉通り 一つの生命体であります


皆に 互いに御礼と感謝を申し上げまして

自身の神の子仏の子の 実相を現しまして

ご神仏へ恩返しを致しましては 如何でしょうか

是を実行致しますことにより 心も軽くなり

何かの事や 物に執し縛られる事もなく

大変な幸福と 喜びを実感致せると思います

私達は善子(よいこ)であります

この事を心して ご神仏 ご先祖様 父 母 兄弟 兄妹 姉妹 

回りの人々 もの 事に 誓願致しませんか

必ず成ると宣言してください


これより 少し文章を変えます


仏教の教えにも

「吾仏性を顕すことが出来れば 全て万事が変わる」

と 教えられています


「自分が変われば 回りも変わる」


それは私達が ご神仏の自己実現として

真実を表現致し 実践致す事により

円満に 事 運ぶからで在ると 小生思います


先ず 私達は完全なご神仏の自己実現で在りますこと

絶対にお忘れ無き様お願い申し上げます

その意味に於いて 私達は中心者なのであります

ですから 人間としての 人間力で いくら頑張っても成しえぬ事も

ご神仏の自己実現でありますことを覚り

ご理解ご認識頂けるなら 全ては

癒しの対象となり 解決致すのであります

小生は絶対に信じております


人間智は頭脳の働きのみ 

ご神仏の波動には 大愛と大慈悲と言う

不可思議な ちからの 大きな大きな働きが在るのでございます

病気でも もし 不治の病気といたします

その時自分は勿論の事 家族の人達も大変残念に思いますでしょうし

又 絶望致し 悲しむのではないでしょうか

これが 一種の絶望的行き詰まりなのであります

この時こそ 私達は神を信じ 仏の慈悲に感謝の思いを起こし

自己の実相成る真実(まこと)を 思い起こしまして

本来の霊魂(こころ)の光明を生出さなければならないのであります

しかし 人々はおうおうにして こういう時は

只悲しみ 気づくのも忘れてしまい

生命の霊魂を 残念ながら 暗くしてしまうのであります

例えばでありますが 今記載の病気の件の時

人々が 今は最悪の時では無い と信じ

相手様の内に 内在し給う霊魂

そのご神仏の働きで在ります 霊魂(たましい)の実相

その実相成る 曇り無き想をみて 一所懸命礼拝致せることは

相手様に内在し給うご神仏に 思いを懸ける事につながりまして

上手い具合に現象的危機は自然と消え去り

本来の神の子仏の子の 綺麗な相 晴天のような

常住の実相が 現実に現れるのであると申せます

信じて頂けるか 否かの事でもあります

残念ながら 私達は案外常日頃の思いとは別に

何か事が起こってきますと 潜在的にあるのかどうかわかりませんが

病気の事や 不幸や 災難や 悪や その他の悪い事を思っていたり

つかんでいたり 想像したりしてまして 

その事を自然体なのか わかりませんが

常々吾心に描いている場合が大変多いのであります

ご神仏は 決して私達に不幸につながるような

悪い事をお求めになっていないのであります

しかし 私達の 心 の置き所の間違いにより

自分勝手な想念の源を「つかんで」しまうのであります

これが 心 に描きつかんで 放さない

心の所現(しょげん)であります 
(現象の心の法則)

ですから これを放さない限り 私達は

現象の不幸より 脱する事は全く無理であります

豊かな繁栄も全然無理であります


全てこの現象界は

心の所現(あらわれ)であります

(三界も含みます)




「ですから 同じ心の所現(あらわれ)でありますなら

感謝 報恩 貢献 人々の救済奔走 願い等

善に つながる諸行成満の念いの

心 を起こしては如何ですか

誰よりも 自分が幸福となり 

心の健康も生出(いで)まします

心の健康は全ての癒しでありまして

その事が神であり 仏様なのであります

その本人が 私達一人一人なので在ります」



人間の人間を脱した 真の人間であります



如何ですか?何か自信が付きませんか



私達は解っていながらも 病気の事や

災難の事や 苦痛の事 等々ありますが

應々にしてその事や それを時々や ほとんど毎日のように

思い浮かべる方達が 沢山いるとおもいます

特に今現在 病気になってる人や

災難 苦難の中にいる人は 特にそうであると思います

しかしですね その事や それを思うことは

恐怖致している証拠なのであります



大事な事は その「恐怖」する心の働きは 想念感情となり 

その想念は「形」となり「心の所現」として現実として

今より「強烈」な 状態を作ってしまうのであります
(生意気ながら この時は 最初の ゼロ に戻ると良いのです)




私達はご神仏の「子」であることを

覚っていても そうなってしまうのであります・・・ネ

そこで私達はこの状態 この時こそ

私にかかるものは 非実在なり 本当の実在は


何の理由もなく「只完全円満大具足なり」と


神とのつながりを 強調し一所懸命「祈る」事が

とても大切な事なのであります

大事な事でありますので 心して記憶してください


全ての調和円満の創造(うみ)の親は無限でありますがゆえ

完全なのであります

私達に計り知る事の出来ない 大善の偉大なる

権威の顕現なのであります これを悟る為には

自分の心の不健康を「消す」事が必要であります

不健康は すべてが ぜんぶの 癒しを駄目にしてしまいます


ご神仏は前述の通り癒しで御座います

応々私達はその癒しを 心 の内で求めていながらも

現象の 相 形 物質 に心が縛られて

真理なる精神波動に素直に乗じる事が出来ないのであります

結果として 否定的に成って 只苦しむ事と成るのであります

だから その癒しの善を 「否定」 なすような

心の波動は 全然駄目なことで在りますので

神の子 仏の子の 実在の放棄となり ご神仏とのつながりをも

肉体重視の低次元の頭脳判断により 断ずる事となるのであります


大変大事なところであります 良く読んで下さいね


吾々一人一人が神(真理)へ向へよ

心して神(真理)の方へ振り向くことの大切さを悟(し)って下さい

又 苦しめる人 病む人々の為の癒しの為には


自分自身が まず 癒されている 

実際の実相を 悟らなければなりません


ただ相手様の癒しを願うことは

相手の苦しみ 病気などを

認めている事になるのであります


ですから まず 「吾」を完全に癒すことを

絶対に忘れては駄目なので在ります

この事をお忘れ無きようお願い申し上げます





お間違い無きようお願い申し上げますが

決して 医術を否定致す訳ではありません

唯物信仰の人達にとっては 唯一の治療はの方法は 医術に頼り

医術の力によっての快癒を願うのが当然の事なのであります


決して 悪い考えでも 悪い感情でもでもありません

過去にも申し上げ お伝え致して居りますことで在りますが

現象修行途上の私達は 人それぞれの霊魂の状態により

どちら側が 強く持っているかの違いはありますが


精神的法則の部分と 物理的法則の部分の

二つを持っているのが 私達なのであります




ですから 物理的法則の方を強く持っている方は

当然の事 医術を選ぶ方が多いのであります しかしですね

「私達の本質は ご神仏の申し子」であります

ですから もし もしもですよ お医者様が手放したとて 

余り心配致すことは無いのであります



* それの為には 今の自分 今の

「自分に宿り給う」 ご神仏の「生かす生命」

この生命をよ~く お覚(し)り頂きまして

その「波動」の「心」をご神仏の方へ

振り向ける事が 何よりも大切なことであります

ご神仏は全智であり全能であり

限り無き 無限の愛と 大慈悲であります

その大愛のご神仏の生命の分霊が 私達一人一人であります

ですから その大愛 大慈悲成るご神仏を

一時も忘れること絶対無くして

今の吾心に描く事が大変大事であります

「心」に描く事が出来まして 全智全能なるご神仏が

今即 自分 又は知り合いの人 又家族の人々の

苦痛や病気を癒し給いつつある事を

「心」に描いて 信じ 深く深くご神仏に

そうして その人達の内に宿り給う 

ご神仏の大生命に その個霊の生命に

伏して感謝の祈りと 言葉を発する事が必要であります *



元々から在る 苦痛や病気ではないと思うのであります

(霊界での修行も致さず 何度か 何十回か 何百 何千回かの
生まれ変わりの修行者?で 全く改善の無い人で
無理に 激しい修行? を与えられる者?は別であります)


ですから 全癒して当たり前の事であります

ただし 我 や自己の個人的感情を 生出して祈ったり

相手様を視ては駄目であります 

この為には 毎日々の観法が大切で在ります

一所懸命祈り 正しき(真実の)誓いの希望を

祈願致すことであります

この時が初めとなり 慈母の観世音菩薩さまが

顕れ 成就成満致す訳であります

無量にして無邊の働き(無指向)

「吾 業は吾なすにあらず」

「天地の御親神が為し給うのである」

私達は真の理をお伝え致す お使い者となり

その業と行をさせて頂くのであるとの

自覚をしなければならなのであります
(相手献上の精神)


自身應護の我によりての 自由を求むるな

そして 執着するな 又 嫉妬するな



自分の力で生きている間は 普通の事と思いがちですが

全然違うのであります

吾(われ)吾(わが)生くるにあらず であります

神の生命ありて生きるなり であります


自己の働きで生きる者は 自縄自縛に落ち入りやすくなり

苦痛も病気も 悲しみも つかみやすいのであります

そうして自分の思うがままでの心で 事を進めるので

人々を自分の意の思いで 支配致すのであります

此に 自分を縛る状態の精神が存在致しますから

相手をも縛り 自分の思いの 自由にしたくなるのであります

嫉妬 執着 恨み 憎しみ 不平不満 相手非難 全てそうです

しかし ご神仏の申し子なる私達は

生かされている者でありますので 

これを覚(し)り悟る人は 執着も無く 心平和にして 

悉くが安心と安定と安堵の処でありますので

幸福であると覚(し)る事ができまして

私は本当にご神仏に 生かされているとの 自覚が 

神仏の意のままで自然と 生まれてくるのであります

如何なることも このように 感じ 考える事が出来るなら

私が 事 を成しているのではない との

大義の自覚を致さなければ駄目であります

例えば仕事なら仕事によりましても

誰々が仕事を致しているのでは無く 現実は 私 誰々でありますが

誰々の仕事を通して ご神仏が働き給う事を

悟らなければなりません

私達は 神の子仏の子であります ご神仏の入り口の前で 


「吾々の 心 を開き 全開致して」


ご神仏とのつながりを 決して断ずる事無きよう

信じて神仏の生命を 迎合致さなければなりません

小生も含め願いたく思います


「心 全開であればあるほど 神と仏は守護給う

本当のことであります

信ぜよ そして心より感謝致せよ 奉ぜよ」


と 力強く申しお伝えいたします


人間の能力での判断で物事を進めて行く時

必ずと言って良いくらい行詰りが存在(ある)ものであります

本当にそうなんですよ

人間の力によって行った事物が 行詰った時 そして

どうしようもなくなった時 皆さま如何いたしますか?

多分 自分の都合良き事に運ぶ為の智慧が

湧き出ると思いますが 如何でしょうか?

もし そうでありますなら 此の考え方こそ

物質 肉体人間の 考え方であり 着心致すところの

自己 善人 相手 悪人の 思想なのであると

小生思いますが・・・皆さな如何思いますか?


この様な人は 必ず間違いなく 相手を非難し

相手が悪いから こうなったと 

責任転嫁いたすものであります



はっきり申し上げまして その時 行詰った時 

ご神仏に心振り向け 何の抵抗も感ぜず 心全開に致し
 
ご神仏に全托し「ワガイクルハ ワガチカラナラズ」

私達は 祈り 従い 神の子仏の子としての

普通の生活を致し 円満に事運ぶ事に感謝し

完全円満なる実相を現す為 

一所懸命頑張る事が必要なのであります


「この様に致す実践により」 


神が為し給う諸々の業には 

絶対に行詰りは 無いのであります




創造主であり 総取締の主のご神仏は

無限の繁栄の開放であるからであります

この事は大変有難く思えることでありまして

信じてご意志に従いますならば 間違い全然なく

心 暖かく しかも笑いながら 愉快に

事 運び進み行く事が出来るのであります

これ 繁栄のための源であると申せます


繁栄・・とは 健康も幸福も 全て含まれる

言葉の表現であります




ご神仏の創造せるこの大地 天地一切に

感謝致す事にもなるのであります

天地一切に感謝致す事は 

普通の生活を致すことであります ですから 



特別な諸行は全然必要無いのであります


「でもね 人と言うのは 苦悩致すとき 

その事件よりのがれたい時ほど 他の方面へ

苦より脱する願いの為 

好き勝手な方へ向きやすいのであります

それは 遊びこけたり も そうですし

酒に溺れるのも そうであります それから

色情におちいる者もおります そうして

酒の量が多くなったり 訳の解らない事でも

怒ってしまったり 暴力的に成ったりと

余り好ましくない事を致す人も実際に沢山います」



小生も本当にそのような相談に接することが多く 

時々嫌に成る事もあります

普段は案外へらへらしているのですが

酒などが入ってしまいますと 


なかなか大変なようです

家族の一員でありましても 人なのでありますのに

小言グダグダ言ったり してさ 本当に

嫌になると思いますよね  可哀想にね・・・

でもね 実はですね 酒飲み酒乱の人々の

酒量の多い少ないの問題だけの原因だけでは無くですね

実は霊界よりの影響もかなり強く在るのでございます

実際に小生も何度も経験を致しております(僧侶として)



霊界からと申しましても 自分の直接の関係者だけの

影響だけではないのであります 飲酒の悪い癖のある誰かが 

霊界で大変苦しんでいて(親類とか縁者)

酒が欲しいと波動を起こすのであります

これも現世の人達への

苦しみの逆念波動と成るのであります

多分成仏の成さない霊でありますので

今だ肉体の相の念いを持ち続けているのでしょう と思います

この酒が飲みたく念う 思いを持っている霊の

心の波動を感受致す人は 残念ながら

いくら沢山飲んでも 全然飲み足らないのであります


飢えと 渇きの相 そのものでありますので


結果として泥酔致すのであります

泥酔だけならまだ少しくらいは良いのですが?

(本当は全然良くないと思います)
(暴力より少しくらいいいでしょうかね)


狂乱の状態を起こすのであります

それはですね 

自分自身(現象生活者)(生きている人 本人)

が しっかりと 真 を求めた実践者であり

普通の生活者でありましたなら

絶対にこう言う事にはならないのでありますが・・・




仕方無いのでしょうか 現在の人が

この様な相に現れるのは 霊界の 迷い霊に左右され

チョロチョロにされているのであります

お前しっかりしろよ! と言いたいです


応々にしてこのような人は 自分に何かの不都合や

不具合 勝手思想に相応致さぬ人々に

色々と理屈を言い

「お前が あなたが悪いからだ」


と申し 回りや相手の責任に致したくなるので在ります


「霊界よりの影響は 

酒のみだけではありません

変な悪癖も 色情も 

精神的急変も 言葉での

相手への暴力状態を

起こすもそうであります」




でも ご安心ください この問題の

解決方法はちゃんとあるんですよ



泥酔にて一種の狂乱状態になっている本人を

元の状態に治す為には まず一等最初に

迷っている霊を 完全なるご神仏の子であります


実の相を現して上げなければなりません


誰に対しましても 酒によつて酒乱の状態になった時

又 酒によって暴れる様子の時 

もし自宅に居りましたら(祭事を致す人)


仏壇へ向かい ローソクの明かりと 線香をつけ

酒によって苦しむ 迷霊に対し 酒 を供えて

御供養の儀を致すと良いのであります


お金を支払うのが嫌な方は別でありますが

出来る限り いや 絶対にと申したく思いますが

6丈の塔婆にての供養を寺に委託し

自宅にては 迷える霊に対して あなたの本来相は


神の子であり 仏様の子であります・・・よ

と申し伝え 今肉体の無いあなたに

肉体があった時(真実にあったのではない)の苦しみも

何かの影響によって苦しむ事も 全くありませんよ

と 真実をお伝え致す事が 

大変大事な事なのであります


この時絶対忘れてはいけない事は

必ず経文を読誦致す事であります


出来るだけ訓読にての読誦が良いと思いますし

相手様にも大変理解出来やすいと 思うのであります

そうして もう一つ大事なことは 狂乱状態の人に対しましても

誰々さん あなたは本来素晴らしい 神の子仏の子の


実相身そのものであります!


と大宣言にて 断言致す事であります

そうして必ず祈る事を 当然の業と行いとして

実践致すことが約束事であります

ご神仏との約束事でありますので 完全な結であります

ですから軽々しく思わず 真剣に実行致してください


一日のみ 又は泥酔の時のみではなく


毎日致す事が良い事なのであります


又この祈り願いは必ず成就するとの信念を持って

ご神仏 ご先祖を そして父母を仰ぎ奉り

感謝の思いを起こし わが心の乱れを整し

天地万物と調和することであります


その真の諸行の結果として


霊界にて迷っている霊も そして苦しみの余り

狂乱錯乱の念波動を送る霊も

悟り救済致され 成就致されますので

そのような感と念いは

送られて来なくなりますのであります

これで 一件落着 であります


常日頃のご先祖の御供養は大変大事なのであります

今の自分が特別な事もなく 生活致しているからとて

余り安心はできないのであります

何かの問題や事件が起こってからでは無く

先んじて 感謝と報恩と御礼の真理をの宣言をのべ

供養を致さなければならないのであります

迷い霊の強力な波動が現れてからでは 

解癒も中々大変であり 


現象より 霊の所へ送る真理の言葉も

中々通じずらいのであります


それはどうしてなのでしょうか?


と 思う方が全員かと思いますが その原因は

私達にとって大切な 本源なる秩序(善き調和)を

守らないからなのであります

ご神仏を尊ぶことも ご先祖を尊ぶ事も致さぬ人は

応々にして 死後の霊は迷霊となります

ある強力な迷霊は 私達の現象外の苦痛の


地獄 餓鬼 畜生 の三悪道にいるからであります


この事を 妙法蓮華経普賢菩薩観発品第二十八に

次のように示されて居ります

よーく お聞きください よーくお読み下さいまして

ご理解下さい お願い申し上げます


*若(も)し復(また)是の経典を受持せん者は

其の過悪(かあく)を出(いだ)さん・・・

此の人は現世に 白癩(びゃくらい)の病となる

又 之を軽笑(きょうしょう)致す者は

醜脣(しゃしん) 平鼻(びょうび) 

手脚繚戻(しゅきゃくりょうらい)

眼目角眸(げんもくかくらい)身体臭穢(しんだいしゅうえ)

悪瘡膿血・水腹短気(あくそうのうけつ・すいふくたんけ) 等

諸々の悪重病あるべし

(あるべし)・・ですので 肉体重視の思いは穢れ(けがれ)

となり 三悪道へ入ると言う事です*



と お釈迦さまはお示しでございます

ですから この意味からしましても

絶対に天国浄土へ向かうことは全くありませんし

真理受持の心無くして 自分の考えているような

楽な処は全然保障されてはいないのであります


ですから 無秩序なる者は 間違いなく

地獄 餓鬼 畜生道に落ちるのであります

そうして落ちたる者は 最悪の悪邪霊と成り

時として悪魔民の霊と成ったり 邪鬼になったり致し

浮幽霊となり 全然救われる事の無い

迷霊と成ってしまうのであります


「これも本人の責任であります」


*迷霊はその苦痛を知る人々に與(よ)せ
自分が楽に成ろうと致すのであります 
(迷霊が満足致し楽しむ事・・・大変な事なんですよ此れは)
又時として 他人に頼る事も多々あります 
頼られる人は大変迷惑を感ずる訳であります


私達から言わせれば 勝手な奴が

勝手にそうなっているのだから

自己の責任にて 勝手に苦しめ・・・と

申したくなりませんでしょうか・・・・・

でもね 「仕方無い」 でもいいです 

次のように みんなで頑張ろう!  です

私達は神に愛され 神に育まれている 

ご神仏の愛子であります
 
ですから 私達の回りには一瞬のすきも全く無く

無量無辺なる菩薩さまが陀羅尼を宣舌致しながら

三千大千世界の真空妙有を私達にお与え下さりながら

御守護下さっておられるのであります

この有難い真の波動 念いを 私達が

心善く受納させて頂きましいて

仏様の言葉を 声聞いたし 迷霊の為

真理のちからと 塔婆の供養によって

救済のお役立ての実際の実践を致し

私達の子孫に波及致すこと無きように

迷霊救済成就の為 皆んながそれぞれの中で

頑張って頂きたく思います 又そのように

致さなければ成らないのが本当であり

自己救済の霊魂浄化の実践でもあります

同じご先祖の影響を受けるに致しましても

善きことなら大変有難い事でありますが

悪い事など全然不必要なのであります

迷霊も一日も早く 仏語を受持して

浄魂浄化 修業を霊界に於いて致して頂く願います


御供養の大切さ 塔婆供養の大切さ

しっかりとご認識頂きたく願います



いずれ それぞれの皆様のご先祖が御供養の供々により

功徳を与えられ 救済されまして善霊と成り

素晴らしい高級霊となり 大いなる善魂の使命として

高級守護神(霊)となり 世の争い無き 秩序整いの為 

大慈悲の念波動を送り続けて頂きたいものです

勿論私達も前述(高級霊)のようになる使命があるのです

此の処の使命とは 天の使いの天子 天童のことであります

今の諸行に甘んじるな もっともっと厳しく

自身を見つめる事 そして実際の行動にても

人々の為にご神仏の申し子で在ります私達は



智慧と 愛と 慈悲を 

おおいに 生出し 奔走致す事が

功徳と 使命 と言う事なのであります



人々の為 人々の為と 小生よく書き示しますが

これは 禅宗の修証義の内にあります処の

一切衆生を渡さんと発願修行するもの・・・・

たとい過去の一家一内悪業多く重なりて

悟りの障りの因縁ありといえども・・・とあります


すなわち 私達が 一所懸命 

浄魂の供えももって 「功徳」

真実の理りに乗じるとき

その時が悟りとなりますので

私達一人一人が 菩薩さまの位に

位置致す訳であります

この菩薩の位に 自らが乗じる時

その「功徳」は あまねき無尽の法界に

完全充満致すのであります

ですから 如何なる悪業積も 順調に

消滅 改業され 円満となるのであります


悪苦からの解脱であります




何を成すにもまず 大事なことは

自己善儀によるところの

争いの 念波動を 

起こさぬことであります



そうして 両親に対する感謝の念いが大切であります


両親とは 父母のみではありません

上に向かって ご神仏の事でもあります


天地一切への感謝であります


ご神仏は私達の味方であります

ご神仏に只伏して 感謝御礼を申し上げましょう・・ね


私達の中 又私達の知り合いの方々の内で

「心しての」ご神仏への信仰ある人は案外少ないと思います

信じているように感じられる人々も ほとんどが

半信半疑の思いでいるのではないでしょうか

例えば 私は 一所懸命行っている

私は 一所懸命勉強もしている

私は 一所懸命本も読んでいる

私は 一所懸命お話も聞いている

私は これだけ一所懸命している



等々と申される方は沢山居ると思います

そうして こんなに一所懸命しているのに

どうして上手い具合に事が運び行かないのかな~

と 思っている事もございませんか?

もし そうでありますれば その原因は



「心」のどこかに 不足 不満が 

潜在している場合があるので御座います



ようするに 「心」に真実を求め

それを与える喜びを 心に描く事を

想念として 念わないのでは・・・ 

なのではありませんか・・と申し上げます


この事は 仕事に於いても言える事であります

その道のプロで在ればあるほど 特に

そう思いがちであると 小生思います

それは大変失礼ながら 仕事なら仕事が

誰よりも出来るばっかりに?

思いあがってしまう 心の思いが

表現(あらわれ)るからであります



「この時こそ 私の仕事は

ご神仏の成せる仕事であり

ご神仏の念いを(人々を生かし繁栄喜びの為)

代行しているのだ

その自覚での事でありますれば

事 悉く 上手く 具合も良く

結果も善く納まると思うのであります」



そこに まつわる人々の神の子仏の子の

共生共通の 本来なる相を感じ

認識出来るからであります


「この時 此の処で この人に

神の生命 仏の生命の実相が顕現(あらわれ)た 

素晴らしい 真実の人と成就致すのであります」



多くの人がこの様に成れますと お釈迦さまお示しの 

森羅万象悉く仏性なり その仏性そのものが 

法爾自然として 現象化致すのであります

此処に書かせて頂きました通り



私達一人一人が変われる事が出来ますれば

不思議と思われるかも知れませんが

本当に周囲が変わる者なのであります



しかし 実際に実行致しながら 

中々変わる事が無いようで在りますれば それは 

当人の急ぎすぎか 相手を視る「心に」

少々問題があるのかも知れませんので

冷静に一考して頂きたくおもいます そして

現象界の諸行には必要である 時間がかかる事を

絶対に忘れてはならないのであります この世は 

時間 空間にて成り立っている処であるからです

ところで 元の所

「自分が変る(改善)と周囲が変る」


のでありますが

私達は全員が全員 神の子仏の子であります

ですから 有難いことに 私達は神の御名のもと

常にいつでも 完全な自由で在るので御座います

しかし その自由を 神の子仏の子として

真に発揮致す事が出来なければなりません

もし不可能でありますれば


この事は 自己主義 主張の勝手自由と

者があっての自由と勘違いいたし

そのように変化いたします


神の子仏の子には 縛られることも

回りの人々に支配され そして 相手の奴隷にもならず

ましてや 暴力に伏し 悪に 染まる事も

全然無いのであります 神の子仏の子は 

本来の本性をけがす事は 全く無いのであります

けがれ無き本質の本性を顕現し それを悟る為には

毎日毎日の 観法 観座 が大事であります

その結果としての祈りが 神の子としての

自由増進の源となり 内在の神が

現象修行界に現れ 常に働き給い

何かとっさの問題 判断が必要な時

又 何かに行き詰まり 苦悩しているとき

本当にその事象に 案外簡単に 上手い具合に

解決致せる道が 開けて来るものなのであります

神は相合う法則であります ですから

「私達が真で」ありますなら 


如何なる問題も

解決の為に必要なる言葉 対応が突然のごとく

思い起こして チャンと解決致すのであります

相手を通じて 自分も導かれるのでります

円満解決であります


皆さま 祈りの観法を致されて居りますでしょうか

実践も伝導も

「祈りに始まり 祈りによって成就」

致すのであります こと 強く申し上げます

神仏は「常住の愛」であり「慈悲」であります

ですから 私も「常住の愛と慈悲であると」信ぜよ

そうして 本当の心から感謝致してください


常住の愛と慈悲とは 社会的立場を捨てて

奔走実践の事で在ります

いい加減な生き方をあらためよ

受ける喜びを人々の為に与えよ


「言葉理論のみ覚ろうと思うな」


与える事に躊躇致す者 いつの時か必ず

もれなく全員が 吾が身体 心を塞す(とざす、ふさぐ)であろう

人々を見る時 私を救って下さる 又

私を導いて下さる観世音菩薩さまの到来と感謝せよ

そして 拝む事忘れるな

無量無辺なる相を顕す 観世音菩薩さま

その観音様は 私達の持続する 「心」によって

「心」のままの相を顕すのであります



ご神仏の御心のままでのお話を話します


心によって現れ給う観音様 この観音様は

私達の接する回りの人々の相となり

私達の浄化の鐘と成って

「真理」 「行動」 を通しまして

真理を常に 吾々みんなの為 

ご説法致されているのであります

この観音様の奔走の説法を 受来る事が

出来るのも 不可であるのも 

私達の「心」の置き所によって 

大きく違ってくるのであります

例えば自分が正しくて 相手が悪い時 どうしても

相手批判に集中しやすいのが普通の状態でありますが

少しお考えください・・・・多分

常日頃の「浄心」を 忘れ

相手様を 「正して」?差上げる?という

「大義」?のもと 自分がいつの間にか先生と成り

相手様の本当の 神の子仏の子のすがた

実相の真実を忘れているのではありませんでしょうか

如何でしょうか 

話が上手く 行くことを願うよりも

神の義(ただしき)を 

お伝え致すことが大切なのであります

義(ただ)しきをお伝え致す為

心正して「相手救済」の「喜びの」ため

奔走致しましょう と申し上げます


観世音菩薩さまは いろいろな相を持って現れます

それは私達の親と成り 又兄妹と成り

又祖父母 姑など 又勤め先にては重役部下

仲間と成って「私を」導いて下さる相となって現れまして 

私達の心の向き先を 私達が覚る為に 

顕現(あらわれ)て来て下さるのが

観世音菩薩さまなので在ります

私達の霊魂の浄化 向上の為わざわざ

多分「御苦労」されながら いろいろな相と成って

示され顕れ給うので在ります



相手批判より 

その人を通して現れている相を見て

自分自身が反省し改善致せれば 

大変良いのあります




この反省が そうして懺悔と相手様を認める

「心」を顕現わす事が

自分の霊魂の向上につながります

そして 相手の悪い人の「内」に宿り給う

ご神仏の生命を礼拝し 現れている相を無視し 

自らの心より 捨て放つと良いので在ります

余り気になるようでしたら 

その悪い人と現れている人との関係を

浅く 又は断ずる事を致せば良いので在ります

全員では在りませんが


外に出て いいふりして 

家庭では いいかげん・・では 駄目です

生命の実相 生命の本当の相を

職場でも家庭でも 実際に実践致す事

外部の第一線に 心とらわれるな

物質一線は崩壊の危険在り


おどりでるなら 生命をともなった 第一線を

そして 多くの人々のお役立ての

立役者となって頂きたく思います


ご神仏の生命の実相は 外に在るのではなく

「我が」仏子成る 内に現存しているのであります

ですから 真の心 受持(も)って

内在のご神仏に感謝御礼を申し上げまして

「心」正してお祈りいたし 内在のご神仏の念いと願いを

現実の世に現せれば 大変良い事であり

「大善」の「行と業」と成就(なる)のであります

この大善の行と業を実践致す為には


自分自身が真理の「行者」として

実際に行動致さなければ駄目であります


そうして自信を持って


「吾 動かざれば 誰がこの世の

救済の役立ちとなるか!」


と大宣言し 第一線にて より多くの人々に

真理(まこと)の理(ことわり)道理を宣舌いたし

誤りて迷える人 誤りて病める人

誤りて苦しめる人 誤りて悲痛の思いの人

誤りて他人 知り合いを 

怨んだり 憎んだり致す人

誤りて不調和と成ってしまう人等

まだまだ沢山ありますが そう言う

真より 少し離れた生き方の人々の為

ご神仏の天使として「吾」動き「実践」し

皆の幸福 平和の為 奔走いたしますと・・・

「吾動かざれば」が 完成致します

ご神仏に誓願を祈り 

本当に実業致してみては如何でしょうか 

この事は 自分の心が楽しくなり 

幸福感を知る事が出来ます原因となります

自分に出来るかな? 等と 余り前もって心配すると

恐怖の心の働きが 具象化致し表面化致しますので


勇気と決断と自信を持って

平然と行動致す事が大事で在ります


「吾 常に神と偕なり 神と吾と二人なりき」

浄土宗の開祖法然上人さまは

「衆生仏憶念すれば 仏 衆生を憶念し給う」

と申されております まったく同通のことであります


親(神仏)は子を見離しは致しません

必ず何時も護っていて下さいます

先ず 信じて ありがとう と

申す事を忘れないでください お願い申し上げます



感謝と共に 既に神の御業が顕れ 吾願い成就せり 

と感謝致し ご神仏の偉大なる御業を


自分の内に取り込み 霊魂のレベルを

ぐ~~~~んと 上昇致し

我 神と偕 成るが由

我成す業 悉く円満に事運ぶと信じて

仕事場にても 組織の中でも 家庭でも

友達 親族縁者の所でも

大生命成る 生命の実相を生出し

顕現(あらわ)す事が 出来ますことが

真実(まこと)の現れなのであります

一生の間一所懸命させて頂きます と言う

取決めの心體と礼拝の心が大事で在ります


「そして 自分が変る事により 回りも変わります」


回りが変って来ますと ご神仏の本来の求めで在ります

世界も変わります 忠実に帰依致す処の

世界平和が現実化致すので在ります

(現実の実際は 欲に着する為 中々難しいです
でも 理想の念いです)


私達は神の子仏の子であります 

今の自分はご神仏よりの 愛と智慧を戴いている

金剛身そのもので御座います

絶対に崩壊致すことなく 只々 皆が


「善く成る為だけに生かされている生命で在ります」


要するに本来相を現実界に現す 

大使命を 持ちながら生かされているのであります

この意味から申しましても 人々 そして世の光明化の為にも

私達は「心」して 何の抵抗も全く無くして

人々 環境の為にも揵身致さなければ駄目なのであります

ご神仏に只有難うだけではなく


「報恩の」行いを実践致さなければなりません

ご先祖に 各個霊位に 親に兄妹に 良い人(おっと)に

妻に 子供たちに 心よりの生命礼拝を致し

神の子仏の子として尊先祖 尊人扱い致さなければなりません


そこの処に秩序ある 神の子仏の子の 平等性が表面化致し

平和と成り 調和と成り 互いの生かし合いが

円満に成就すると言う事になり 悉くが完成致すのであります

これが 小生思いますに お釈迦さまお示しの

森羅万象悉く仏性なり が顕れた事に成り

環境もふぞろいのままで ご神仏お示しの

美しさを認めさせて頂くことが出来る

神の子仏の子の「自分が」此の処に在るので御座います

「今 まさに 吾神の子の実相身」なのであります

有難い事であります

真実(ただしき)行いと業は執われず行動致す事です


ある意味にては
(成せる業に執着せず 感謝と御礼を致し
与える布施行のこと等)


無我夢中でやっているうちに 必ず 全く予期致さぬ 

実際の 善き現象結果が顕れてまいります 
(本当なんですよ)



私達が最も信頼の致せる者は

神様仏様でなければなりません

それは 誰もが求める 心の健康
(心の健康とは私達の本性自体の事
神の生命 仏の生命の子の事)

その心の健康を現実社会で表現して

出来るだけ 知り合う人たちと仲良く

「円い心」を受持ながら 勿論の事

精神的にも 肉体的にも健康で幸福で 喜びで 豊かで 

人々と仲良くくらしたいと願うものではないでしょうか

ご神仏の創造の森羅万象とも 調和の整う

理想のふるさとが 実現できるので在ると思います

仏様の 仏語通りの影響そのものの

善き大調和の処と成ると思います

この喜び 幸福の内に 常に有難いと思い願いますなら

神を信じ 仏様を信じ 吾内に そのご神仏の



生命存在の意義を間違いなく

迎合致さなければなりません


迎合致す為には 信仰の心と信仰成就の「要(かなめ)」

として必ず致さなければならない約束事がございます  

それは 自分の幸福や豊かさ 健康 自分都合の

良きことを求め実現を願う事より まず 大事なことは

「愛の伝導」と「愛行」が無ければなりません


相手様が本当に善く成って下さると いいなぁ~

と願う 本当の心の「念いの想念感情」を

「湧生出す」生命の働き この生命の働きを

遠慮なく おしむ事なく 全てを出し切り

躍動の柱として頂きたく 小生願いたく思うのであります


お釈迦さまは 時々 限り無く あらゆる処で

信仰の布施行を致されておりました事が

経典に示されております ですから

現代に至も仏教があるのであります


幼き時より仏法をならい 法華経広宣流布の為 

色々な法難と申せし事件も 沢山沢山出合いながらも 

只々大乗経典 妙法蓮華経の功徳と真実の教義功徳を

大衆に示さんが為 自らの生命の危険に

何度も出合いながらも 又流刑に処せられしも 


本当の本当の真理  この真理は  

お釈迦様は四十余年間衆生の為の

救済真理として方便を説いて来た しかし 

今 此処に最終経典として最勝のまことの真理を

広宣す と大宣言致され 法華経を示された

大乗経典 法華経以外には無いとの確信の源

生涯をかけて 万民の為 国家の為大奔走された

聖者も 実際におられたわけであります

これは 日蓮大聖人であります

日蓮聖人は 法華経の義(ただしき)の内にだけ

ご自身を置かれ 真の真理広宣流布の為

身を粉に致しながらも 大奔走致され

時の幕府にも 経文の理を献上致されました

素晴らしき 大聖者であります




真理は一つであります

自分の過去の業績が現在の 私達一人一人の

人生の出発点と成っているのであります

もし今現在の生活の内で 苦難や困難等があるとすれば

全部 現在の人生 生活を 今迄よりも

尚一層 真剣に生きまして 今以上沢山の

善き徳を稼いでおく必要があります

この事は 当然の事として気づかなければなりません

善に於いての想念感情 善の行動 善き言葉

良きことを念い 善き親切等々を業績として蓄積し

神仏の世界に 善なる業績として

一種の記録とでもいいましょうか

そのように致さなければなりません

そうして 善き財産として 来世誕生の時まで

大事に受持(たもつ)ていなければなりません


「常に善き生活 人に親切 

人の為になる行為 人を傷つけず

人の財を奪う事無く 生物の生命を奪う事無く

又 いじめる事無く」




少々難しく思うところもあるかと思いますが

私達はご神仏の申し子であります

「心」して心がけなければなりません


生まれ変わりの人生の半分は 過去世の諸行の

「業」で決定致してしまうのであります ですから 

今 もし色々な悩み苦しみの内に在るならば

心の持ち方 行いの仕方 人々の為成る事 等を

一所懸命努力致しながら 善事実現の為頑張る事に

心がける必要があるのでございます

今の世は激しい映り変わりの時代であります

今良くても 又すぐ駄目に成ってしまう・・と言う

急激な景気状態と社会情勢 本当に困ってしまいます

と思っていると思います 此れには

互いに相手より奪ってでも 他より お金 財産が

自分の所が知りえる 誰よりも繁栄繁栄いたせば良い

と言う心の波動が在るのではないでしょうか

もし その念いでの仕事成就 繁栄を願いましても

それは 中々上手い具合に 事運びません 又

客入りが悪いと 相手商売の人に対し 何か

自分の「心の置き所」も不安定となり

感謝に始まる 安心安定の感情が

抜けてしまうのではないでしょうか

そうして これが原因となり 時として



家庭不和の原因にもなり 具合の悪い時(状態)には

崩壊にもつながりかねません この時こそ

心して自分の本体成る本質は何であるかに

気づく事を忘れては駄目なので在ります

もし忘れる事多い人は


神と偕にして 二人成りの理りを

真剣にとらえていない証拠であります


私達は宇宙の大生命成る 生命の分霊なる

神の子仏の子であります(絶対に忘れぬように願います)


今こそ 此で神様仏様ま そして

超高級霊なる霊の「援助」や「導き」「加護」を

「絶対に必要と致すのであります

ご神仏よりお与え下さる生命の働き

援助を必要と願う事なく 只

受け入れると良いのであります」




私達は肉体によって生きているのではありません

生命にての働きにて生かされているのであります




この事でもご理解頂けると信じますが

ご神仏の威力の 尊き援助と加護を頂く事が無くては

先ず改善 改造は全然無理であります と申し上げます

心正して制し 秩序万全成るご神仏の尊き修正によって

もしかしたら 今よりもっともっと幸福に成るかもしれないし

そう成るはずの運命が 少しずつ より高く

改善改造され 有難い事に救われる運命に

大きく変わる可能性が ぐ~~んと 

高くなる事もある訳で御座います

運命が好転致した時にばかり 有難うと感謝せず


「常日頃に 何事があっても 

御礼と感謝の念いを 

忘れぬことが大切で在ります」



そうして善きことを多くの人々に宣布

広宣致さなければ駄目であります

自分が受けたり 繁栄致したり致す事に

有難く思い歓喜致すだけでは無く 

一種の 苦 と思える事にも

私の改善の為の修行と とらえ ご神仏へ向かい

ご神仏の「善き波動」を「迎合」致し


「必ず善く成る 絶対に善く成る

いや 既に私は善く成ったのである との

信念が 必要であります」




「すでに成就(なり)たる観念想」

を受持ながら

観座 観法を致し 神想う心にて

ご神仏との一体感を悟る事で御座います

この時 神の修正に導かれて 上手い具合に

ほとんどの悉くが成就致すので御座います

(ご注意申し上げます 「事実の行い」を

致してください そうでなければなりません)



私達には個人的差は御座いますが 私達の念波動は 

聞いたこと 見て恐怖致した事 等により

「凶運」になったり「良運」になったり致すものであります

それは 例えますと星座占いとか トランプ占いとか

画数占いとか 生命判断の手相とか

今の世 色々な占い的相談所?なるものがありますが

そこで相談致し 占い師より 

自分の運命の善く無い事を宣言され

その事が恐怖の源となり 潜在的にも現実的にも

自らが 自分を凶運者と決めつけてしまい

いつもその事を思い 又は思いださずには

いられなくなりますし この思いが 残念ながら

心に描いてしまう原因となってしまうのであります

この心に描く「悪い原因が」


「繰り返し自分の心に描くもの」と成ってしまいまして 

必ず 現実の処に現れてしまう 最悪の状態となり 

大変悲しまなければならない 結果と成るのであります

そうして人によっては あの占いが的中した等と考え

増々「恐怖」が「増長」いたし

どんどん不幸となり 益々中々抜ける事の出来ない

「恐怖」と「不幸」の 人生の内の小さな部分か

大部分か解りませんが 



毎日毎日の本来の感謝致せる善き日を

「自らの念波動により」 本来の善なる善き日を

悪い日と恐怖とに 変えてしまうのであります

一見超能力者?と見える人であり?ましても

決して悪い運命(凶運)を又それに通ずる様な

運命を宣言するような言葉を信じては

絶対に駄目なのであります
(カルト集団のマインドコントロールにはまるな)

自分は何の子なのか良く覚るべきであります


小生二十二才の頃より 人々は皆が皆

偕に神の子仏の子の真実(まこと)で在ること

お伝え申しております しかし

現在よりは全然自覚不足であったと思います

勿論の事今現在も全然まだまだ自覚不足であります

文章・・元の処へ戻ります


凶運の生涯と思っていた 悪い運命を

善く致す方法がちゃんとあるので御座います

悪いと思っていた運命を修正いたしたく思い

心より正しく願う人は 幸福到来の確約を

ご神仏とお約束出来たことと成るのであります

と 申し上げます  これは絶対的結びで在ります


「宣言致された言葉の力により

自分の心の世界 自己の霊の世界に起こる

事件の原形 光景が出来上がって

その事が現実化致し

映写されるべく 待機している

一種の運命のフィルムを

その現実化以前に 神に仏に

幸運の方向に修正していただくのが必要である」



「修正に應ぜざる時は その凶運なる働きが

既に現象界に移行すべく待機している」




「大事な事は 私達がその悪い運命とでも

申しましょうか その事に

正と義の 義(ただしき)を持って

神を信じ 仏様の慈悲を願い

私達一人一人が 真剣に心して

ご神仏へ振り向く誠の心と 

本質の身体在りまして 祈るとき

当然の事 その人の 心は浄まり

その人の浄まり具合によって ご神仏の御加護 

そして 高級霊による守護により

御加護戴けまして 本当の大善なる

護りのちからが働き 生出すのであります

自分の内にある仏神の湧出であります」






私達がこの祈り この浄化を信じ切り

実践する勇気を持ち 感じましたならば

絶対大丈夫であります


日蓮上人も お釈迦様もお示しで御座います

「お釈迦様は 自らを仏と」宣言致し 如何なる時も

「私達一人一人をお護り」下さる・・と

日蓮聖人申す「お題目吾を守護(まも)ると」

現代語にて解りやすく



「吾背後には ご神仏の無限の生命

無限の愛 無限の智慧 

無限の慈悲がひかえている」




私達はなんの問題も 恐怖も全然無くして

大丈夫なのであります 絶対の安心の境地であります

絶対安心の根拠は まず私達は霊的実在なる

自己実現の神の子仏の子であります

その源成る真実の実在は 「霊なる源」

それは 「高級霊」であります

この高級霊は なんの衝撃も障害も全くない

「霊の世界」に住んであるのであります

そ高級霊の内には 私達の祖先の高級霊化した

霊魂も含まれているので御座います ですから

子孫である私達の 苦しみや 苦痛 困難をみて

悲しまない祖先の高級霊は絶対にありえなのであります

高級化致した祖先霊は お悟りの処でありますので

それぞれの子孫の安穏 安堵を常日頃

願い 護っておられると思うのであります

ですから 占い師たぐいから 悪い運命

悪い将来の事柄など 又 凶運であるとの

言葉を受けまして 苦しむる子孫を

そのまま放置致すこと ばかりでは無いのであります

(ばかりとは 全部が全部高級化
致してる訳ではありませんので・・ね)

(祖先に対する御供養の大切さ ご理解下さい
自分の霊魂浄化も)

その占い的言葉の恐怖などにより

淀みかけた状態が 現象現実化致す前に
(本人の心の想いが現象界に移行する直前)

我らの高級霊は 最高の智慧持って

修正の為働き給うたり 迷える本来無き

謎の迷走苦痛を破壊いたし 

お守り お導き下さるのであります

お護り頂く為には 只願うだけで無く

常日頃の観法が不可欠であります
(真理にふれる事)

毎日毎日の生活の内 私達は幸福である

普通の生き方を致したく願っていると
(自分都合の欲深くないこと)

思うのでありますが 如何でしょうか

もし本当の 心より願いますなら


「自らが真理を悟り」


ご先祖の霊魂に対しても 真理の言葉を

御供養させて戴き「神通の力」を増し

またご先祖にも増して頂く事を願う事であります

ただし一生の間 一所懸命実践致す事

忘れずお願い申し上げます

少々もんくを申し上げますが

今の状態に満足していて 毎日のことながら
(経文読誦の義 祈りの義)

「なれ合い」の心で行っている人が多いと思います

何か問題が起きると大変あせるのに・・・

全く「勝手心」の人々よ 「大改善致せ!」

と願いますし お祈り申し上げます



私達の内在のご神仏を生出し

「自らを神々しい」ご神仏の「相と認め」

生出して感謝と御礼と奔走受持(もっ)て

「平和の為」頑張りましょう

平和はご神仏の念いの相 そのものの

心の健康であります 心の健康も

自分だけでは 全然駄目であります

本当は全員と申し上げたいのでありますが

中々大変であります しかし出来るだけ多くの人々が 

心の健康成就で頂きたく思うのであります その成就の為には 



* 自らの 実際の「広宣流布」(愛行)が必要で在ります

人は皆 神の子仏の子であります  残念ですが

そのご神仏の子の 自覚のない人が沢山おります

その人たちが 本来相なる実相実在の自覚を

覚って頂くために 私達が実際に

愛行実践を通して 吾が霊魂の「高昇」を計り

相手様の神の子成る実相を 顕現の為奔走致し

「明るく光輝く人生で在り」 

素晴らしく楽しい生涯と共に 吾が霊魂も

「光明」そのものの「霊的実在」である事を

相手様にお知らせ致し 「本当の人間の」

「霊的実現の自分である」事をお覚り頂き

この事を自分も悟る事が 大事なので在ります *





愛行 広宣流布は相手様を生かす事です

相手様を生かさず 自分が生きる事は不可能であります

なぜなら それは生かし合いの無い不調和で在るからです

自分一人の所なら良いかもしれませんが・・ね

私達は広宣流布 愛行を致し

すぐ結果が出ないからとて 躊躇致すことなく

一所懸命 その人の為 その事の為

ご神仏の御意志のまま 念いを受納いたし

相手様の改善 幸福到来の為

真理の理を 宣舌致す事であります

法華経には 「仏語を大宣舌」致せと示されています

挺身 挺心 致心 でございます

そうして 自己犠牲にも似た

献身と必要なる献資であります

自分の状況状態に着せず 他人の事は気にせず

自分を守る事に終始する 自分の今の幸福 

普通の状態をも 自己満足にも似た状態での

愛行 実践は少々つらいとも思います


「信仰とは伝導なり 愛行なり」

「自己限定を打ち破れ」

「今の幸福を他人(人々に)与えよ」

「君たちも必ず善く成り 

幸福と成れることを 大宣布せよ」

「人々の為に成る事は 今すぐ現れずとも

必ず素晴らしき ご神仏の御業として顕現る」

「私は調和であると念え 念えば必ず成る」

「善きことを心に描け そして一所懸命祈る事」

「吾が使命喜びて成就する」

「真理にふれての不調和は本来無し」

「成せる業 行いを自分が成したと思いあがるな

神仏在りて成せるなり」

「口先の説法はは悪魔成り」

「行じ実践致す事 此れ 真理成り」

「自分だけ 自分の家族のみの 思想は

崩壊の第一歩成り」

「他人在りて吾整い 全てが整う」

「観法 観座は吾道の羅針計である」

「私は神の子仏の子 全員が全員

神の子仏の子 と観ぜよ そして感謝せよ」

「森羅万象悉く神性仏性である

次元の違いを乗り越して覚る事は悟りなり」

「私の心は光に満たされたダム湖である」

「喋る言葉は愛と慈悲であれ」

「仲良くすることは 大変良い事です」




現実に私達を生んで下さり 育んで下さいます

私達の両親 父母に恩を返し

ご両親に悦ばれる徳を積まなければなりません

この徳は 常日頃の生活の内 明るく

人々の為となる諸行 所作を成し

人々にお喜び頂ける行いは 回りの人達より

喜びと感謝の念いの念波動を 自分が

受ける事が出来る喜びなので御座います

この喜びの念波動がご両親に対する

報恩でもあるので御座います 中には 

自分なんか 生まれてこなければよかった

等々申す方もおられますが・・・・・・

駄目ですよ そんな考えは 今より頑張りましょう

暗い思い(現象の中での事)での問題は

改善 成就 成功後の 今の素晴らしき心境に

到達致す為の 一種の布石であります


暗く悩んだときは もう既に遠くへ行った

今の私の周囲には ご神仏の光に満たされた

人々と ものと こと しか存在していない

と 感謝し御礼を申し 今より後の諸行は

他人の為 お尽くし致し 幸福と喜びを覚って頂くため

誠心誠意頑張ると 誓って下さい そして

必ず実践実行致して下さい

広宣の流布も致さず 自分の喜び幸福を欲しても

それは絶対に成就致しません

人々に喜び 幸福 繁栄の原因をお知らせいたし

その相通ずる念いが相応し幸福が到来いたすのであります

当たり前の事と思いませんか そう思う方

実際の実践行動は如何されておりますか

生活に おわれている なんて理屈は必要ありません

それからですね 解ってはいるけれども

中々出来ないし とか 結構忙しいから 等々申す方は 

はっきり申し上げて 全然駄目な人であります

と 申し上げます 返り見て 考えて見てくださいよ

自分 又は自分の家族 回りの親族連中の苦しみ

悩みの時 ご相談も受けた事あると思いますが

そんな時 如何でしたでしょうか・・・

それとも 知らないふりをしていましたか?




私達は 生かされている者同士なのであります

一人一人が別々の相 形を致しておりますが

ご神仏の名のもと 私達は同じ神様の大生命より

分霊し 個霊化致し それぞれに生まれて来ていますが

元々の源泉は一つであり 一緒なのであります

現象的には別々の生命體と感ずる 「生命」も

実は「大生命」の「個霊化の現れ」であります

人々を全く関係のない他人と見たり 又は思わず

本来は同じ 神の子仏の子どうしと認め

相手様の苦しみは 私の苦しみ

相手様の(総合的に申しますと)精神的苦痛激痛も

私の精神的激痛と感じ 相手さまも自分も

本来の神の子の相が現れてこそ 本当の相と悟り

本来一体であるのが 本当でありますのに

誰かさんだけが苦痛に在るのは 絶対に違うとの

信念(おもい)を観法により 覚り 悟りまして 

神の子仏の子の実相顕現の為の 祈りと 実践伝導 

愛行のお助けの人と成らなければなりません


「それが衝撃に左右されない 

金剛不壊の

仏子であります処の 

私達なのであります」




その生命(いのち)は 大和魂です

大和魂は共通のもので在ります 

一体で在ると言う事であります

光明は日本人特有の明かりと輝きで御座います

心の輝きは 世界を照らします

「平和」を求め「秩序」を大事に思う

立派な国 それが日本なので在ります
(現代は少し違うように思います?)


日本には日本の文化があります

(決して他の国の人や国を非難してるわけではありません
誤解無きようお願い申し上げます)


個人主義が何か通説のようになっている現代 又 

物質万能信仰の現代 唯物信仰は必ず崩れます

又 崩れなくては ならないのであります

いつの時か 私達が覚るところの

神の子仏の子の真理が 多くの人々に覚られ

共に生かし合いの生命礼拝の出来る国 顕現の為

私達は心して 今 今 一所懸命 


「真理の伝導を致し」


私達の祖国日本の為 又 日本に住まいする

人々の為 覚りたる神の子 仏の子の真理を

多くの人々にお伝え致す事を ともに頑張って

一生の間一所懸命奔走の義(ただしき)を

お示し致しませんか

この世 この日本に生まれさせて戴いた事に

気づかなければなりませ 本当にありがたい事であります

日本古神道のお示しの 天照大神さまの

御光そのものであります 本来の私達は

其の儘の相の出現であり 顕現なのであります

感謝し合掌礼拝いたしては如何でしょうか

ありがとうございます・・・と

天照大神さまの御光 その御光が実相であり

その実相顕現が私達の使命そのものであります

天照大神さまの御光の輝きは 光明思想を

表現することであり 顕す事であります

私達は内在の光明思想を生出して

仕事の内 又周囲の人々の為 又

色々の事象に対し自らが 明るい思想を

「心に受持て」それを実際生活 実際の作業の中

明るく光り輝く信念のもと いつも


「善き明るい希望と理想を失わず」


毎日毎日を生き 生活致す事であります

この明るい本来の生命の動きが

私達神の子仏の子には存在致しているのです

実際に存在していると信じ感謝致せば

必ず顕れまして 実感出来るのです

光り輝く明るい生命の源 動力は

ズバリ ご神仏の大生命の働きであります


その働きが私達一人一人の

「心」の中に在るんです ですから 

その「心」が明るい方向を選択して向うも

暗い方向に振り向くも


「自分が決定致す事なのであります」


有難く 神の子仏の子を覚りたる人は

間違いなく 当然の事

明るい方向へ向くのでります それは

喜びである幸福を 潜在的に悟っているからであります

もし もしもですよ 間違ってか誤ってか別として

その暗き方向へ向う人が居りましたら

お知らせ申し お助け致して差上げてください

共生の法則であります 今の時こそ

「心」の影響範囲にあり 起こる色々な出来事を

感謝と輝きの 善のみに致さなければ成りません

勝手な心による 悪道は絶対に許してはいけません
(自己主義 個人主義の人)

中途半端に妥協致しては全然駄目であります

現実に現れる事象は 私達一人一人の


「心」の現れであります 

「環境は心のあらわれ」であります




私達の「心」の念いの 「心」の「波動」が

どちらに向くかによって 

重大な 結果を表す問題なのであります




人々との調和の取れない重大な悪い結果で

ありましたら どう致しましょう



相手様を傷つけてまでも 自分を守るのか

又 自ら悟りて改善の方向性に気づき頑張るのか

進歩改善の無い その時の働きのままでは

駄目でありますし 無理でしょうね・・・



ですから 私達の「心」の持ち方は

大変重要であり 大事なのであります


私達は常々幸福を願っているのであります

しかし自分の幸福だけでなく 他人を

含まなければなりません 含む事による幸福

調和で在り 円満であり 喜び等であります

この事を 実際に明るい処を現す為には

暗黒の心を捨て 久遠の光なる光明を糧にて受納し

たもち続けて 生出さなければなりません

生出せば必ず明るくなりますし 

闇は消えて 当然の事と成ります 

久遠の光は神であり 仏様で御座います

その処が妙なる処所であり 真空妙有であります

その真空妙有なる処より発生するすべての空は

全てが「善であり 素晴らしきご神仏の

アイデアで在るのであります」


その霊的アイデアを 神仏と一体の私達の

「心」に感受して 結果として具象化致し

展開致すのあります 以前よりお伝え致している

観座観法の事で在りますが 皆さま如何でしょうか

実践致されておりますでしょうか

私達がご神仏との一体感を覚るため 又

ご神仏に振り向く為には 絶対必要な業であり

事実の実践で在ります この実践によりまして

私達は ご神仏の愛と慈悲の霊光に「ふれる」

ことが可能と成り 霊光に照らされている事を

有難く感ずれる実感を悟る事が出来ると思うのです

実感することが出来まして 本来の本質であります

霊的実相と霊的実在を顕す事が出来て来るのであります

その実相と実在が吾霊魂歓びを生出し

湧き出て来るのであります

盡十方無礙光のことであります

無礙光は喜び勧善の御光で在ります


「触れる光は我が光成りであります」


その光明の源に ご神仏に

感謝御礼を申し上げましょう


神様の恩 仏様の恩 で御座います


「神は愛で在ります ですから

愛に飢えたる者 

人間の愛に裏切られた者は

神に振り向くが良い

神の愛は裏切る事は無い

神の愛は無限である」



悲しい時こそ 

神と偕にあると念い 信ぜよ

自分は淋しいと 思う時こそ

神と偕あると 信ぜよ

自分はつらいと 思う時こそ

神と偕あると 信ぜよ

どうしたら良いか と悩む時こそ

神の解決を願い 神と偕あると信じ感謝せよ

自分は孤独なんだ と感ずる時こそ

神と偕なりと 信ぜよ

と 小生申しお伝え申し上げます


「自分と神とは如何なる時も

常に 一緒で在ります」



人によって他にも色々 悩み苦しむ事が

多々あると思いますが 仕事にしても

諸々の事象困難の時にも 常に

「神と偕にあると 信じ切る事が」

大事であります

ご神仏は 愛と大慈悲であります

神様仏様は吾らが願いをお知り下さいまして

御守護を用意していて下さる事を

信じなければなりません

私達は絶大なる勇気を持って前進致し

一時も無駄な時や 最も大切な心による

不安 心配 取越苦労 持越苦労など致さず

今現実に在る仕事(諸々の愛行も含む)

与えられた諸々の業と行いを全力にて

心身を集中し頑張るのが ご神仏の加護を

受ける条件なのであります

改善大躍進の為には ご神仏より頂いている

大生命の精神を そして神仏の権威の力とを

完全集中致すの事で在ります

天照大神さまの光 日蓮宗で申しますな日天さま 

浄土真宗なら無礙光 真言宗なら大日如来等の

光り輝く光明と 愉快な心にて 

物事に取り組む事が大切なので在ります

大繁栄躍進の改善は 自らの感謝と 

観法による処の 神仏との一体感 

その一体感より出現いたします

神仏の善波動と真の自分が 一致致す事であります

この事がご理解いただけます事により

今迄あったかもしれない 恐怖 心配

悩みなどと違いまして

安心と幸福の念いの心で 前より一層

善く成る事が出来るので在ります


「全ての人の内に輝く生命の荘厳を見よ

全ての事件の奥に動いてる

進歩せんとする力」 を見よ




人々を祝福せよ そして自らも祝福せよ

自分も相手様も同じ 神の子仏の子であります


「一切衆生悉く仏性なり」の金言であります

お釈迦様が 常不軽菩薩さまの時の修行途上

人々を軽く見る事無く 全ての人々を

仏の子として礼拝致されましたことが

経文に書き示されております

私も常不軽菩薩そのものの生命であります

ですから 同じく人々の生命の実相を

礼拝致す事が必要なのであります

又私達にはこの実践が出来るのであります

第一義の事を 第一義にする事が大切であります

あれこれ考えて 第二義の事を考えて行動すると

案外失敗することが御座います

第一義的に あ~これは良い事だと思いましたら

素直に すぐ第一念のまま 実践致すと良いのであります


「ただし 仏子としての自覚を持っての事です」

「個人の欲望欲情の感ありましては

全然駄目であります」



「第一念とは」 

自己の内に潜在する能力は 現有の能力よりはるかに 

超高級の霊魂の潜在の能力の所であります

私達は現有の能力のみを 一所懸命努力し

すすめようと致しがちであります

しかし今この時 潜在するご神仏に通ずる

超在意識の所まで入り込み 今だ自分の気づかない

無限の活動の源の存在を覚る事をしなければなりません

「現有の能力意識を 最大だと思わず」

まだまだ自分には 内在の強い力が在る事を

覚るべきであります

潜在する能力を沢山生出し 素直に感謝しますと

必ず此の処に ご神仏が働き給います

ご神仏の導きなる働きは「善き」事で在ります

正しき道柄のまま 神の子仏の子としてのままで

第一念が生出すのであります

神→超在→潜在→現有→吾々 この吾々が

上(かみ)へ通ずる念いの能力を

眠らせては全然駄目であります

少しくらい普通より出来るからと言って

思いあがらない事であります

「潜在能力」を 上手い事利用いたしますと

「現有能力」の働きの助けとなり

本来持っている(包蔵)潜在能力を 生出し

現有能力として活動 活躍致す事が出来るのです

それなりに 今の仕事 技術 対応等に

それなりの満足感を知っている人は

全然と言ってもよいと思いますが

改善も 潜在するちから(無限能力)の存在をも

なかなか信じる事は致さないので在ります

残念で在ります  精進努力を致してこそ

全てが育まれるのであります

少しずつの改善で在りましても それが

「真」の諸作で在りますれば 絶対大丈夫であります



「人間神の子無限力」



無限力は→潜在→超在→に至る事であります

現有意識 現有能力に満足致し 改めも求めず 

自分はこれで大丈夫 自分より勝者はそうそういない

等と思い上がらぬ事であります


私達は観法修行を必ずする事


祈りはご神仏との一体感の為

祈りは自分の欲望 欲等で無く

他の人々の為

祈りは必ず成就するとの観念を持つこと




私達には真実の理念があるんです

それが本来の実相で在ると小生思い信じております

だから必ず成就致し仕事も 人々に喜ばれながら

繁栄成功致すのであります

ご神仏のお求めに 神の子の自己実現成る人々に

お答え出来ます事に有難く感謝も出来る訳であります


「今」少し回りの人より「劣っ」ているからとて

「絶対に悲観致すな」



悲観致しますと

此の処よりご神仏はいなくなります

善きこと成就の為の 最後の目標の為

あきらめず 一緒に頑張りませんか

絶対大丈夫です 間違いなく大丈夫です

全てをご神仏に托し 只々従いて

明るく 愉快に 人々にお喜び頂けますよう

一生懸命挺身 改心致し 全員もれなく幸福到来の為 

ご神仏の理念の働きを 自らが受納いたしまして

接する多くの人々の為 喜びを受持て

明るき光明の輝きを 放射致しましょう

喜び幸福は 誰もがお喜び下さいます

結果 相手様の真の幸福と 心の健康は

吾々自分自身の幸福と成るのであります




個性に満ちた「善の花びらきを」祈ります

吾々一人一人に本来より潜在致します

神仏其のものの能力を 顕在致す事が

出来ますれば 全てがオーケーです

こうなりますと 嬉しい事に

増上慢になる事も無いですし

今 回りの人々より 仕事でも 何かのことでも

少しばかり遅れていても 悲しむ事もありませんし

悲観する事も無いですし 最悪の劣等感に

落ち入る事も全く無くなります



* 存在(ある)のは 神様仏様に満たされ

導かれたままの 神の子仏の子の

「我」のみが 何物にも支配されず

神に直結の「心」と精神のまま

最終目的達成の為の 愛行実践を

成就致す事が完成として出来るのであります*





この愛行実践の「功徳」が「充満」する事により

他人(ひとびと)よりの感謝と御礼の

善き念いの念波動が 

「自分に流れ入ってきます」ので

当然の事 自分は喜びと嬉しさと 繁栄と

幸福感とが実感として体感することが出来るのです

これで全てが万事結実致した事であります


「先ず 先ず 自分が変ること!」


大事であります 自分が変る事により 

中々無理で出来ないと思っていた

調和 繁栄 愛の伝導 

慈悲の伝導が調和致し

両立いたすのであります

仏様の誓願が成就致すのであります

これは 私達の親さまなるご神仏に

恩返しをする事であります


親は子供に何かをしてもらうと

大変喜ぶものであります

まあまあ いつの間にこんなに立派に成って

と 思って 感激の涙の一つも出ると思います

そうでは ありませんか?



「吾はあなたの愛が婆を

あらわしたものなのである

吾はあなたの智慧の

個体化したものなのである

吾は生命である 吾は愛である 

智慧である 平和である

吾はまた名づけ難き実体である

吾はまた霊である 吾は本質である

吾は病むと言う事はない

吾あ健康である 吾は歓喜であるからだ

吾は実在だ 実有だ 実相だ

吾は恐るるものは無いのである

吾は実在だ如何なる危険も

吾に近寄る事は出来ない

吾は実有だ 吾は霊だ 吾は生命だ

吾は空しくならない 

吾は神の内に在るからだ

吾は迷わない 神よあなたは到る所にいます

もし物事がこぐらかったり 

順調に行かなかったりしましたならば

どうぞ いとたかきもの の奥底に入らしめて下さい

全能なる者の庇護の下にあらしめてください

吾は実在である 吾は実有である

吾魂の奥底では 全ては平和で安穏である

御親の神に感謝致します」 と

小生あらためて 大いなる感動と

向うこれよりの進路の証明(あかし)と

なったような精神状態であります

本当にありがたいですね 嬉しいですね




今の子供たちの内に在り 内在致す


ご神仏の働きの「無限力」を伸ばして頂くために

親御さんの いま一層の努力と

神の子仏の子の無限なる潜在の生命の

躍動を湧出していただきたく思い

書かせていただきます



子供が義務教育を終了し上の学校へ向かう時

高校進学の時でありますが その時

中学の担任の先生より 誰々さんは

OO高校は無理ですよ と宣言されたとき

親は勿論の事 子供達も大変ガッカリ致すと

思うのであります その時

ほとんど全員の親御さんは 大変な心配を致し

何とかならないのか 又 子供に対して

お前が 普段から一生懸命勉強していないから

こう言う事になるんだ 等と

苦情と子供非難を言ったり 


しませんでしょうか?

しかしですね ご安心下さい 

不思議に感じ 思われるかも しれませんが

ご両親が変る事により 

不思議と

周囲が変る事実があるのであります

それは 人々の為 自分が愛の実践

慈悲の実行を致し 

自分自身「かまえる事」全然なく

自分自身の心を「全開」に致し 

自らが ご神仏に向かい 

「愛と慈悲の心で」


育んできた子供の生命の本源であります 

本質を悟り 子供を 

吾々の「肉の子」であると感ぜず

そして 大生命なる 神の子であると

絶対に認める事であります 

認めて 大変大事なことは

大生命なるご神仏より 

お預かりし ご神仏から頂いた

神の子仏の子である真実を感じまして

愛と慈悲によって育んできた

子供たちの名前を書き

 誰々さん あなたは

神の子仏の子の実相であり

完全円満であります 

完全円満であるがゆえ

当然の事 本来は

素晴らしい 素晴らしい

神様仏様の働きによる 

頭脳の持ち主である  と 


「信じ切る」 事が大変大事な

「観念」 なので御座います




前述の所へ戻りますが 例えば

OO高校受験の件と致しましょう この時 紙に 

OO高校「既に」に「進学」出来ましたと

「書い」て「感謝」致す事であります

そして 各祖先霊の流れの内に在る

子供の 生命(いのち)の働きに対して

感謝と報恩の意味から申しましても

ご先祖代々 各個霊に経文の功徳を

毎日読誦し「続ける」事で在ります

形式的な所作にとらわれるのではなく

心の諸作として 誠を創造(つく)る諸作として

「心に描き続ける」


ことが大切であります

描きつ続ける事により この事が

自分の心の世界に 完全に完成完了致した

事に成るのであります ですから

当たり前の事として 現象界に

現象界の事実として 映し出されて

実際に「実現」致すのであります 

此の処に 

本来神の子仏の子の実相に 満たされた 

生命の動きが潜在致して

働き給うているのです 

その潜在の賢い能力を

生出して上げれば良いのであります

心の法則であり 

大生命なる生命の哲学であります

この事を 自分自身が

実際に体験致します事を

小生伏してお願い申し上げます


「人々の愛の実践は 

結果として 私達自身に 

感謝と喜び 嬉しさの

念いの心の波動が

私達の心に 

神の善き波動と共に

流れ入ってくるので在ります」




そういたしますと 

神は愛であり

何でも育んで下さる 

大愛の「主」でありますので

私達の真実の諸行に在っては

「必ず」 「お力添え」


を戴く事が出来るのであります

一発大成功であります 

自分だけが

真実(まこと)に生きればいい 

と言う思想を捨て 

私達の回りの人々

接する人々の 出来るだけ多くの人が

真実に目覚め 

幸福に成ってほしいと願い

日毎日毎の生活を致します方は

全ての事が成就致すのであります 

本当であります


大いなる夢と希望 

願い成就の為には

何かの紙に希望を書き 

それを毎日魔日見て

一所懸命信念を持続し 

念ずると良いのであります

必ず成就致し現実化致すのであります


「真理の実行は 吾心にあります」


吾心にある真理を 

実行致す人は

誰から見ても尊敬されるのでありますし

善い結果を得ますし 

成就致すのであります

子供達の将来の幸福安穏を願いますなら

又 子孫大成繁栄を願いますならば

今 親であります私達が 

真剣に取り組んで

一生の間 一所懸命 

愛の実践 慈悲の実行


を致す事を 

一時も忘れては駄目で在ります

今の間良いからとて 

安心いたすな

生涯は 現象であります 

しかし その奥なる処に

生命であります 

霊魂が存在(ある)のであります

自分で生きている思いを捨て 

ご神仏の大生命によって 

生かされていることを 

自覚致す事であります

其の大生命が 

私達の祖より 私達の親 私達

そして 大事に育んできた 

子供達へとつながって行き

行く行くは子孫の繁栄 

幸福喜びへと

つながって行くので在ります

悉くが出来るだけ 

円満に運ばれる為には

「当然の事である」との大認識のもと

神を奉じ 仏を奉じ 信頼の観持って

より多くの人々の為に 

奔走愛行の実践を

吾が浄財にて 

何の抵抗も感ぜず 

実際に 行動の業を

起こすことが大変大事で在ります



この時 私は経済的に大変だから

致したいけれど無理なんです とか

そこまで致さなくても 

一応頑張っているから

此れでもいいと思う人等は 

本当のご神仏の

お求めに成られている事を 

全然理解致せぬ 

少々残念なお人であると 小生思います


「吾が子孫の繁栄は 

今の自分の内に在る事を」



悟って頂きたく思います

日蓮上人は



悪は 上七代より下七代迄流るるべし」

「善は 上七代より下七代迄流るるべし」




と申し示されて居ります

今現在の 自分の諸行生活が

善くも悪くも 行く行く大変大きな

結果を表すのであります



将来の日本の国体維持の本源と成り

生命線と成る子供達 

そして 今の若い人達の

善き希望成就の為 今の私達が

真理の功徳を「心」より生出して

人々にお与えし 「心」の養いを致し

お伝導(つたえ)致さなければなりません


「無限なる可能性の宿り給う人々を

生かして上げるのが 

私達の‟大使命”であります」




今致さなければ手遅れであります


自分の家の子供だけでなく 

他人の為に 挺身致す事は 

吾の幸福の源であります



常に愛行 徳業の功徳を宇宙の蔵へ

預蓄致しておく必要がある事をご理解下さい

預蓄がありますれば 必要な時いつでも

降りてくる訳であります

陰徳は大変大事なのであります




陰徳は大変大事であると申しましたが

その理由(わけ)は・・・・・

親でありましても 実際の真実(まこと)は

私達が 神の申し子 仏様の申し子

「そのもの」どうしなので在るという

真実なので御座います

現象界にては 親と成り 子と成っている

事実でありますが 互いに生かしあう

ご神仏の子なのであります

この事とをご理解いただけますよう

お願い申し上げます ですから

現実現象界にての役目としての

親の立場 この 親が陰徳を積む事は

他を生かす事であり 他の生命を

伏して礼拝致す事ともなり 他の人々の

喜び 嬉しさ 楽しさ 歓喜を生出して

差上げる 影の力と成るわけであります

ですから 特に吾子供達ならば なおさらの事

最も近い存在で在りますので 誰よりも

その子供たちの為に 役立つ諸行の所行と

覚ならば 全く何らの抵抗全然無く

一所懸命頑張る事ができるのであると

小生思うのであります そうでありませんか

感謝の念いを普通の状態での中

忘れる事無く 実践致しますならば

この影の陰徳が実を結ぶ結果が現れるので在ります





「今迄も何度も申しお伝え致しておりますが

人々のお役立ちの為 自らが何かの求めもなく

お与えさせて頂く喜びを覚りながら

一所懸命奔走し 浄財の功徳持って

他人の救済の為の資金と致し 使用致します事は

ご神仏の生命をお与え致す事と 同じ事で在ると

小生は 確信と信念を持ってあります」



私達は神の子仏の子であります

相手の幸福を願うため 先ず第一に

人は全員(みな) 神の子仏の子の

無限なる 実相の持ち主である事を

観じて視る事が真理の理として 

大事なのであります このように

自分が「誰」「彼」全然関係なく

観じ視る事が出来まして 初めて

神の生命 仏様の生命の働きが生き

生み出し湧きいずるのであります

こうして私達は 必要な時に

必要な実力が出るのであります

他人に対しても 友に対しても 子供に対しても

無限力を観じ視る事を出来る事が大事であります

大人にも 子供にも 日本人にも 外国人にも

「ご神仏の無限力が」潜在している事を

認めることであります 今より少しでも良いです

信じて頑張ることです そう致しますと

段々と改善され 神の導きのまま「よく」成ります

そう致しますと 嬉しくなりますでしょ


{その処に「善く」成りたいと言う念いの

欲が出てくるのであります}


誰に致しましても 苦しさや悲しさより

良いほうが嬉しいのが 当然であると思います

子供達の場合は特に 自分が 親は勿論のこと

友達や知り合う人々より 良く見られたいと

素直に思っていると 思います

良い子だねと 褒められたいものであります

此の処が 子供に宿り給う無限の

力(神仏の相互性)の存在なのであります

子供が この 褒められたい 認められたい

と 潜在的に求めている 心の状態を

指導的立場にある親が その事に気づき

内在の働きを引き出して差し上げる行動を

業行として 実際に 愛と慈悲の念いのままで

相手(子供達)を 神の子仏の子の一人として

人格を認め その人の為に 一所懸命

努力致さなければ ならないのであります


自分の子という 又 

自分の理想や 

念いの自由になる子供と

みるのは 全然間違いであります




子供の人格は ご神仏の愛深い

尊きの波動の内にあるので御座います

ですから 

「この人達(子供)を発展途上の

途中で無垢なる 

素晴らしい状態を

破壊致すような言葉や 態度や

強制的指導方法は 

駄目であります かといって 

溺愛では余計に駄目であります」




秩序ある真理のままでの教えに

従う処より発する思いを

ご神仏の念いに変化致し

自らが そうである事を

立証致すことが 必要であります

こう致しますことにより 

子供達も 素直に 正しさと

義しきとを 自然と悟る事となり


「現象現実の親に対しまして

感謝と幸福と喜びの観を

意識致しまして

人間的に大変立派になり

大人となって 回りの人々より

尊敬される人格者と成る訳であります」

(それぞれの置かれた処での立場)


尊敬される為には まず 頭脳の働きと

回りとの調和を計ることの出来る

人間性(理念)が必要であります

「自分はほとんど何でも知っている

との思いは 自分の ”我” を

力強く出しているだけの人であります

もしか致しますと 単なる

権力維持を願う 表面 ”つくり” の

上手い人なのかもしれません です

多分 自分は立派であると 回りの人に

知らせたいのでしょうね」




これ ダメな事であります


能ある鷹は 爪をかくす のでありますし

能なし 鷹は 爪を 出す であります




*人さまより 尊敬される人格者と成る為には

不特定の人達の悦びに お答えさせて頂く為の

愛行と広宣流布が 絶対に必是であります*




「少し不思議に思われる方も居るかも知れませんが

大人や親である私達が 

人々の お役立ちの相を現実の中 

実際に致してる状態を 子供たちは

内在している 本来の霊魂の歓びを

感受致すことが 可能と成る訳であります」


ですから 子供は親の相を見て

育まれるのであります



俺は 私は 親である・・・との

ことだけ では 駄目だと小生思うのであります

お間違い無きようお願い申し上げます


お陰はご神仏のお求めに 素直に従い

ご神仏の導きのままに 伝道実践を

致す事の大切さを悟らなければなりません

(お陰様でさまで という事の意味です)

今よりの日本国 この素晴らしい日本国の

国体維持の立役者たる人達のため

今の私達が 今すぐ実行いたしませんか


本当に私達が行動することにより

子供達の「心」も豊かとなり

神仏礼拝に始まり 先祖への感謝

親への感謝 回りの人々との調和の大切さ等を

覚り 悟れる事となり その人の生涯は

素晴らしい状態での 日毎であると

思わざるをえないのであります

ご神仏に導かれたままでの幸福な一生涯であります

来世も又 調和と幸福の内 

心豊かな状態での生活が保障されるのであります


「報恩の功徳は 

必ず自分に戻って参ります」




物質の人間では無く 神の生命 仏の生命の

私達であるからの結果であります

申しお伝えいたします

子供は神の子です 私達の子ではありません

ご神仏よりの

「おあずかり」

致している

ご神仏の申し子であります

信じて 正しき念いのまま 

ご神仏に 託する事でございます


吾が子は本来 

吾が子に非ず
 


で あります(少し悲しいですか?)

神の子 仏の子 成就(なり)

その神の子仏の子に 私達は

心して 拝む(おがむ)行いを致すのが

当たり前なのであります

お導きのご神仏に感謝御礼申し上げます



子供の成長を願う念いは 誰よりも強く感じ

いつも心配りを致して居られるご両親

そのご両親が 自分の「思想」や「思いのみ」で

子供を育てられては 全然駄目であります

それは どうしても自分の欲と申しても

過言ではないと思いますが

他人の子供達より 少しでも立派に

致したく思う心の 潜在的働きが

自然と出てきまして 余り気付かぬ内に

相手批判の 言葉と 言動が

実際に表面化致してしまう事も

多々あるのであります

もし この様に成りますと


肉体人間の 物質と物質の

価値観のくらべもの


のようになり下ってしまうのであります


人は皆 偕(ともに) 

神と偕なりでであります

神の子仏の子でありますので

霊魂(たましい)の尊厳を犯しては

絶対に駄目であります それは 

自己の宿業的罪へとつながります

仏教的に申しますと

自縄自縛という事です

これより将来に渡って 私達は

人々の為に 真理の理を多くの人々に

お伝えいたさなければなりません

この事は 使命なので御座います

ご神仏を拝し 感謝致す心の発展を願い

奔走することを 皆に願いたく思います

本当の幸福は「他」と「回りを」

実際に「拝み切る祈りと」「実践」により

私達に来るものなのであります これが 

ご神仏のお求めの 調和致しながらの 

相互の幸福到来と成就であります

これが法則であります


「他人の苦しみや 不幸を見て

見ぬふりを致す人もありますが

大変悲しい思いであります」

「こんな人は 自分中心の

自己満足で欲の強い人」


愛行 先祖供養 

実際の浄財による処の布施行

神の子仏の子の本来相の認業(みとめぎょう)

本来の神童であります直視業

本来の無限力の宿り給う神仏の子(子供)

に対する 祈りと感謝の行業を

親が心して立起致し 実践致しますことが

大事であります

(それなりの状態に答えうる行動が出来なければ

全てが全部上手くは事運びません

秩序と法則は実践 守ることであります)


子供の無限能力 子供の無限力を信ぜよ

信じて 誰々さん 有難うと申しましょう

不安の精神状態の波動より

安心の心を現わせ そうして

子供に安心の気持ちを起こさせよ

余り自分達が(親の事)出来なかった事を

子供に対して 希望期待を

持ち過ぎないことが大事であります

余り関心を持ち過ぎますと

子供には大変な重荷となります

親といたしますと 何かと激励致し

頑張って欲しいがゆえの事なのでしょうが

当の子供にとっては 大変な

精神的疲労となるのであります そして段々と 

その精神的疲労が重くなってきて

親に対する反抗となったり

ノイローゼのようになったり

もうどうでもいいと 宣言したり

部屋に閉じこもってしまったり

登校拒否になったり 等々

色々と大変な状態が出てくるのであります

下手すると悪い方向へと行ってしまう事にもなります

神の子の自分を放棄し 肉欲の快楽や

お金に通ずる喜びの方へ向かいやすいのであります

親の欲望は余り示さず

余り関心を示さぬ方が良いのであります

ご神仏の霊魂に生かされている子供の

真の素晴らしさを認め 信じてください

「親と子の対立は無い方が良いのであります」

子供が親に感謝と尊敬の念いを

常日持ってくれるような 精神的念いが

一番良いのであります

欲望だけで それ程確信に満ちた考えも無く

回りの状況や状態に 振り回されるような

曖昧な考えや 思いは全く駄目な事であります

もしそうでありますなら 反省し

子供の素晴らしき霊魂を穢した事に

お詫び申し上げ 懺悔致す事であります

親の権威を捨てる事も必要なのであります

捨てることによりまして そこに

親と子の間にありながら

神の子仏の子どうしの 相通ずる

ご神仏の本来の理念が働き給うて

悉くの願い事が成就致す事と成るのであります

此の処で万事が円満完全となり

苦が 胸よりさって行く事により

心が安定致し 見定める先々の事柄も

大変上手く運ばれるのであります

これからの日本国の主となる子供達

この子供達の為 私達は最善を尽くし

接する人々を真に救けて差上げなければなりません

何かの事件 問題の時 その時だけ

なんとか上手く切り抜ける事を

私達は 考えがちでありますが

まず 善くなる事を考え ご神仏に

解決を祈ることが大事なのであります

私達の創主は 神であり仏であります

創り主に全托致す事が 一番良い事なのであります

慈母観音さまの 相であります

愛する子供の為 確認に確認を重ねて

一所懸命頑張ることです 又

一所懸命不特定の多くの人々の為

「愛行」と真理の広宣流布を致しますよう

小生お願い申し上げたく思います

再度申し上げます

観座 観法にての祈りをお忘れ無きように

そして 明るく光り輝く前途をお見通しの

ご神仏に 一時も離れずつながっている事を

願います 目の前の諸事や 欲得に

心執われることなく 生きることが

大事であります しかし 私達は

中々このように出来ずらいのであります

それは 一人一人の ものに対する

執われの度合いによるところが

大きく影響致してると思うのであります

大体はその時に これは得か損かの判断と

良いか悪いかの判断により 前途の事まで

判断致したと思い 勘違いいたす事が

大変多いのであります

でもこの 勘違いに気付かず

自分は正しい判断をしたと 満足する事で

自分納得を致すのであります

「神に全托するような心境になることが

肝要である そうして 自我の欲望は

目先にあるものだけしか見ないが

神は遠くを見 はるかして 

何が彼にとって最も幸福であり

適切であるかを 知り給うのである

神に全托するとき 目前の出来事は 

失敗したように見えても

やがてその失敗が その人にとって

幸福だった事を知ることが出来るのである」


実際に体験された方もおられると思いますが

突然都合悪くなり 予定の行動を遅らせる事により

逆にそれが 正しい方向であったり

不都合と思える事柄が また 逆に良かったり

等々ありませんでしょうか 小生には

たまたまでしょうが ありましたし 現在もあります

ご神仏のご意志のままでの 

ご神仏のご選択に おまかせ 致すものが

一番幸福であり 一番安全なのであります

ご神仏のご意志に護られる事が

肉体的互換の判断感覚を乗り越す

最大の幸福なのであります

互換の幸福は 肉体が存在(ある)時のみの

一瞬の 歓喜 歓楽 快楽 であります

特に肉体欲は色情の最たるものであり

用足らずの状態になりますと

益々執着の心が強くなり 最終の

終焉(しゅうえん)を向かえた後も

同じ念を持ち続け苦しむのであります

久遠の幸福は神の道 仏様の道にのみ在り

決して他の所には御座いません

悉くが仏性であります 神性仏性は私にあり

我は神仏の本質成就と祈れ

そして 感謝せよ と 申し上げます

吾が霊魂の素晴らしき事を悟れ

自分を導いてくださる ご神仏

そのご神仏の命令によって選ばれ

私達を常日頃護って下さる 

守護神守護霊さま この守護下さる神霊は

大変な神通力を持っているのであります

守護神守護霊様は 私達一人一人の祖先の内より

選ばれる高級霊なのであります 全員の守護神が

超高級霊でありますれば 良いのですが 

中々そう上手くはいかないのであります

普通よりは 高級でありますが 同じ守護神でも 

修行の足りた霊と まだ途上中の例とがある訳であります

じゃぁ どうして高級霊の守護神と

そうでない守護神があるのでありましょうか

これには 自分の過去世の諸業

その所の諸業 前世の諸 諸業による処の

功徳全行 如何によって決定致してしまうと

小生思うのであります


普通の人間としての生き方の人には

一生涯の間一番最初より 生涯まで

お護り下さる役目の守護神様が

存在(いる)のであります

しかし 真実の理(わけ)を求め

一生の間一所懸命真理を求め 

多くの人類のお役立ての誓願を起(た)て

真理 広宣流布の実践を致して居られる人には

必ず 間違いなく 導きの超高級霊なる

守護神が入り給い お護り下さるのであります

入れ替わりが在る証拠で御座います

しかし 何の善行功徳の業も致さず

只 漠然と入れ替わって下さる訳ではありません

ほとんどの広宣流布の功徳のない人に

そう簡単に善い守護神は与わりませんです

例えば過去世の諸行が大変良く それを

現在の現象界まで引き継いで来ているとします

その人は大変良い環境の中 まずまずの

幸福の生活(いとなみ)が出来ると思います

自分の希望も成就しやすいですし ある程度

順調に 事 運ぶ事が出来るのであります

しかし残念で在りますが その状態を

最後まで維持致せる人は大変少ないのであります

その理由は 常日頃の自分の生活状態 環境が

上手く行ってる事が 当たり前となり

人々に対する「愛の施し」「慈悲の善行」を

「行わない人が」 ほとんどであるからであります

これでは当然の事ながら 生涯の終わりまで

維持致せるわけは無いのであります

過去世に於いて 一所懸命「天」の徳の蔵へ

積んでいた徳行も 途中で使い果たし

せっかく積んでおいた徳行も残りが

少なくなって来ているのであります

これでは 維持は全然無理であります

もし企業家でありますれば 

その企業を受け継いだ人は(二代目)

親の七光りの内での事しか 理解出来ぬ

下等にも等しき人間智しか持ちえないのであります
(理屈理論は立派であるかも?知れませんが)

一代目の親も又 二代目の為 溺愛の心で接し

応々にして 寛大に許してしまうのであります

馬鹿の致す事であります 真に二代目の事

またまたその次の代の人々の事を

真剣に考えますなら 回りの人々の為

お客様の為 取引先の皆様の事を 本当に真剣に考え 

愛の実行を致すと思います 次代の人達にも

その事の大切さと 大事さを知らして

実際の行業として 実践させると思うのであります

もし実践させることが出来ず 指導も出来ない親ならば

全然駄目で在ります でもまあ引継ぎの人の

霊魂のレベルにもよる処も御座います・・です

真の幸福 繁栄を願い求めますなら 

ご神仏に伏して従い 信じて神霊の愛と慈悲の波動を

受納致すことであります 高級の守護神様は

全く間違うこともなく 私達を導いて下さるので在ります

その導きの方法は「真実の霊波」によって

お導き下さるのであります 私達の生活 生き方によって 

神仏の導きを受け入る事が出来る人と 

そうでない人とがあるのであります

その「高級霊波」を受けいる人は 行く先の幸福 繁栄は

ほとんど間違い無いのが事実なのであります

しかし大事なことは 自分自身の「精神状態」を

しっかり守り通す必要が 絶対条件で在ります

もし 自己の精神状態が堕落に近い状態の人や

その方向へ向かいつつある人は 守護神様の

指導の霊波を受け入れる事は難しいのであります

それは 自分の波長と 導きの高級霊との波長が

合わない為であります それは 全部

「自分の責任」なので御座います こう言う時は

中々良い判断に欠けるものなのであります


「超高級なる守護神を 我の主守護神と致し

現世諸行の人々の為と成る実行を成せる

自分の導きの 副守護神さま 又人々の美の法悦に

自らの喜びの心で 報恩報化できる導きの守護神様が 

仏我であります自分に在る事を信じ その通りの生き方 

その通りの諸行を実践致さなければなりません」


神仏に祈る観法にて 切実なる願いの祈りを

致す事が大事であります

切なる願いの祈りを毎日毎日 実行致しておりますと

どうしてだろう 不思議だわ とか

私だけという 護りがあるのでございます

例えばですが 同じ自動車に乗っていながら

事故や大変な不都合が生じました時

守護神(御神仏)様による 守りのある人と

守られる度合いが少ない者との違いが

不思議ながら 自然に出てくるのであります

皆様もご経験がある人もいらっしゃるのではないでしょうか


*大事な事は 「善きこと」の切なる願いの

「祈り」と「経典読誦」「経文読誦」が日毎の

当たり前の諸行である との自覚に至り

実際に差定致さなければ成りません

これはご神仏との約束事であります

御神仏とのつながりと 約束事の結びが在るがゆえ

私達は「生かされる」のであります

この事が「完全円満」の源であります

私達に完全円満の源ありて 生かされている訳ですので

神の子には 本当に大抵の悉くが 直観と申しましょうか

御神仏よりのインスピレーションがピンピンと

自身の頭に善波動(霊波)が来るのであります

これは絶対に正しい導きで在りまして

回りの都合や余分であります 変な気使い無く

事を運ぶと大変良い諸行と結果と成るので在りますし

必ず善き結果が現れます 

ご神仏の導きの事で在りますので

万事都合よく事運ばれるのであります

善き結果が生み出る為には 不都合と感じ見える

不都合なる「こと」は本来無いので在ります

表現(おもて)に現れた状態の癒しのみを求むるな

真の癒しは「心」のあります

素晴らしき「心であります」


病苦に対して「その時の状態は(熱の事)

神が修繕中の 作業熱である」

余り心配と恐怖は致さぬ方がいいのかもしれません

人は神の子であります が 真実であります ですから 

ご神仏に全面的に託した方が良いのであります

人はどうしても 今の処に気を配り 余計な想念を

波及させてしまう事が 実に多いのであります

失敗の原因でもあります

仏我なる心で見定める事が大事な事であります

私達は万物の霊長であります 万物の霊長とは 

生命そのもののことであります すなわち

ご神仏の霊の分霊化した 個々の個霊が私達で在ります

ですから 私達は神の子仏の子なのであります

霊長であります  私達全員が人々の想念(環境)に

案外 支配されやすいのであります  それは

相手も霊長 自分も霊長であるかで御座います

霊長どうしは 感応しやすいのであります ですから

私達は 常日頃より良き想念をたもっていて

それを自らの観にて護り 人々より発信される

悪い想念感情を 絶対に自分に受け入れない信念が

大事であります 強い善人になっている

本来の本当を悟ることで御座います

人はですね 強い善人を受持(たもち)

続ける事は なかなか難しいんですよ・・・ね

どうしてかと申しますと 私達は

精神的波動による処と 物理的波動による

二つの法則により 生きているからであります

どおしても現実界に於いては 

物質の豊かさに執し 欲しやすいのであります

ですから 中々強い善人を受持続けるのは

難しいのであります が

「今の自分」「これよりの自分」 又 

子孫繁栄と幸福 心の健康の為にも

誰にも負けない位の「強い信念」を持ち続け

行く行くの「天国浄土」に住ける為にも

「強盛な心」にて 前へ前へと進み行き

その為の実践 広宣流布を一所懸命 本当に

致さなければなりません です そうして

しょうらいの日本国の主となる子供たちに対し

上っ面の言葉ではなく


「自分を神の子と悟りて その精神状態の内で

子供に対して OOさん OO君

あなたは神の子仏の子 全ては完全円満

善きこと何でも出来る 素晴らしい子 と

褒める事が必要であります」


言葉の実践によって 子供さんが大変良い道へ

進み行く大きな糧となるのであります

「甘やかすのではありません」

でも中には 自縄自縛によって 苦しみ

自分の進み行く道も定まらず

あれこれ 悩みながら 自己抑圧に入り

結果として悪の道へと入り落ちて行く

将来の国の柱となる 本来の神の子仏の子の

子供達が実に多いのであります

残念で在り大変悲しい事と結果であります

特に甘い言葉 文章で申しますならば

一種の習慣的な ものの「縛り」より 

「解放」して差上げる事を 神仏の智慧のままで

致せば良いのであります  それは

現実界の「物」に対し 特に愛着を感じたり

求めたり致すのが現代の流れでありますが

そのままでありますと それは

精神崩落の「すがた」であります ようするに

「真」を知らざる迷いなのであります これは

私達大人にも 大きな責任があるのではないでしょうか

現象界の悉くは 全部が全部 精神波動による処より

生出して来る事を覚って頂く事が必要なのであります

そう致します事により 物は真実ではなく

だだ「形在るもの」だけの事で

事実を悟って頂く事が出来るのであります

此の時「迷い」が消え「縛り」の習慣性が「消滅」し

神の求めます「転回の好機」をえた事となるのであります

執着致すな 嫉妬致すな 「現象の不完全に」

お気づき下さい お願い申します

既にある善 既にある善の行い 既にある実相

これを祈りだし 仏我なる自分のものと致す事が

大事であります 自分の幸福の為であります

祈り 拝み 観座観法によりまして

神仏と我との一体を顕わさなければいけません

何でも駄目だと言う悲観的な事は

考えない方が良いのであります

暗黒の言葉をしゃべる事は 回りを そして

特に近しき人々を大変暗くしてしまいます

これは法罰にも似た行為でもあります

自己憐愍(じこれんびん)をすてて下さいね

自己憐愍は回りの人々の同情を求むる行為であると

小生思います 少し位の事なら 多少は

可哀想にも思いますが 余り 多々そう言う事が

在りますと 自然と近寄りたくなくなります


「自分の そして家族の幸運をお求めになるなら

先ず一等先に 人々の為 一生の間 一所懸命

真理の言葉 真理の本などを布教致し

実際の行動として 本当に 愛行 実践をして下さい

自分のみ 自分の気に入る人達のみの幸福を願い

求むる人は 悪魔的精神波動の(失礼ですかね?)

奪う心で在ります 自分達の事のみの考えや

感じ方は「強奪」に一通するおこないであります

私達は神の子仏の子であります

いつも人々の幸福ありて 吾幸福なりと感じて下さい

そう致しますと そこの処の人々に対し

ご神仏の護りが必ず顕れてまいります

ご神仏在りての私達であります


「肉体あっての私達ではありません

肉体的な私達に 永続的な幸福や幸運は

絶対に存在致さぬことを心して

お覚り頂きたく思います」



人々よ 願い事 希望するものを何かに書いて

一所懸命願い 心に描けよ と強く申します

そして真剣に祈る事であります

自分の希望を願う時 自分の大事なものを

欲する人の与えなければなりません

人々に差上げる事に  出さず

欲し 求めるばかりでは駄目であります

(もったいない それから 
着する人は別であります)


もし迷惑をかけた人には 何よりも先に

素直にお詫びを申し上げる事であります

報恩の心を持って 必ず 愛の念い

慈悲の悦びを与えることが必是であります

与える事は ご神仏の「無限供給」が

「自分に流れ入って」来る事と成るのであります

それは 神様からですよ 嬉しくて有難い事です

与える事も 希望成就を願います事も

全部「心に描く」事により 

祈りが成就いたすので在ります

現実化の法則であります


「自分好き勝手な祈りと 希望は

全然駄目で在ると思います」




「唯物論」から「脱却」することである



又 人間にはすべて 「神」の生命が

本性として宿っているのである 又

仏性である その 神性 仏性を

今 ちょっとだけ忘れているのか

まだ 気づいていないのか どちらかの人々に

私達は色々とお話をし お伝えいたし

相手様の「神性 仏性」宿り給う本来の

「本質」なる「本性」を「生出す」ための機会を

お与えさせて頂く「諸行」が「大変立派」な

「広宣流布」と「実践」伴う「愛行」なのであります

私達自身が 過去にも 今現在にも

又此れより先々までも 沢山の人々に接し

身に余る程の お世話と恩と 報恩なる事を

受けると思うのであります

接する多くの神の子仏の子皆様へ「神性開発」の好機会を 

相手様に報じなければなりません

そう実践いたしますと 必ず相手様よりの

感謝の善き念いの念波が 吾の処に流れ入り

不思議な事が一緒になって 上手い具合に

進み行く事が 自然にできるのであります

これが 神宿り給う者同士の相合布施の

生かし合いなのであります


「私達が幸福になろうと思ったならば 先ず 

朝 目が覚めた時 その今日に呼びかけて

祝福されたるこの朝よ あなたは太陽と共に

すべての人間に幸福を持ってくる

わが家族にも幸福を持ってくる

私にも幸福をもってくる 

私は感謝の心に満たされている

神様ありがとうございます

天地の万物 ありがとうございます

と 感謝の言葉を 声を出して また

口の内で唱えるのもよし 

感謝する人のところへ


‘‘感謝すべきよきもの‘‘


が 集まってくるのである」




言葉の力の 応用の事であります


御神仏は我々の内にあります 実際に 

「生命」として「生きて」おられるのであります

ですから 全てを覚り給い

全ての高貴なる智慧にて 私達を含めた

森羅万象を知り給う大生命の智慧なのであります

その大生命の智慧が 私の内に

誰々全然選ばれる事無く 人びと一人一人の

誰の内にも存在致しているのであります


妙法蓮華経の「妙法」が 又

阿弥陀の「弥陀」が 又

金剛不壊の「不壊」が 真実の理わり 

そして 又 私達の生命として

私達の内に いつの時も「ある」のでございます

その処からからの 自己の霊魂の開眼開発は

スムーズに成就致すのでございます




ありがとうございます



神様 御仏様の事 ご先祖様の事 

父母の事 子供たちの事

他人と感じる人々の事

ご先祖供養による処の 好影響の事

私達自身の心の在り方による影響の事

布施財 浄財の事

御供養致さぬ時の悪影響の事

等々 色々と書かせて戴きました


有難うございましす

平成11年 12月12日


終わり






故 玄龍院龍弘日宣上人より




最後に これを 

ポチッ としてね







~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動









...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・17

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・1

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・2

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・3

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・4

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・5

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・6

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・7

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・8

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・9

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・10

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・11

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・12

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・13

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・14


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・15


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・16





ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・17






人々よ 願い事 希望するものを何かに書いて

一所懸命願い 心に描けよ と強く申します

そして真剣に祈る事であります

自分の希望を願う時 自分の大事なものを

欲する人の与えなければなりません

人々に差上げる事に  出さず

欲し 求めるばかりでは駄目であります

(もったいない それから 
着する人は別であります)


もし迷惑をかけた人には 何よりも先に

素直にお詫びを申し上げる事であります

報恩の心を持って 必ず 愛の念い

慈悲の悦びを与えることが必是であります

与える事は ご神仏の「無限供給」が

「自分に流れ入って」来る事と成るのであります

それは 神様からですよ 嬉しくて有難い事です

与える事も 希望成就を願います事も

全部「心に描く」事により 

祈りが成就いたすので在ります

現実化の法則であります


「自分好き勝手な祈りと 希望は

全然駄目で在ると思います」




「唯物論」から「脱却」することである



又 人間にはすべて 「神」の生命が

本性として宿っているのである 又

仏性である その 神性 仏性を

今 ちょっとだけ忘れているのか

まだ 気づいていないのか どちらかの人々に

私達は色々とお話をし お伝えいたし

相手様の「神性 仏性」宿り給う本来の

「本質」なる「本性」を「生出す」ための機会を

お与えさせて頂く「諸行」が「大変立派」な

「広宣流布」と「実践」伴う「愛行」なのであります

私達自身が 過去にも 今現在にも

又此れより先々までも 沢山の人々に接し

身に余る程の お世話と恩と 報恩なる事を

受けると思うのであります

接する多くの神の子仏の子皆様へ「神性開発」の好機会を 

相手様に報じなければなりません

そう実践いたしますと 必ず相手様よりの

感謝の善き念いの念波が 吾の処に流れ入り

不思議な事が一緒になって 上手い具合に

進み行く事が 自然にできるのであります

これが 神宿り給う者同士の相合布施の

生かし合いなのであります


「私達が幸福になろうと思ったならば 先ず 

朝 目が覚めた時 その今日に呼びかけて

祝福されたるこの朝よ あなたは太陽と共に

すべての人間に幸福を持ってくる

わが家族にも幸福を持ってくる

私にも幸福をもってくる 

私は感謝の心に満たされている

神様ありがとうございます

天地の万物 ありがとうございます

と 感謝の言葉を 声を出して また

口の内で唱えるのもよし 

感謝する人のところへ


‘‘感謝すべきよきもの‘‘


が 集まってくるのである」




言葉の力の 応用の事であります


御神仏は我々の内にあります 実際に 

「生命」として「生きて」おられるのであります

ですから 全てを覚り給い

全ての高貴なる智慧にて 私達を含めた

森羅万象を知り給う大生命の智慧なのであります

その大生命の智慧が 私の内に

誰々全然選ばれる事無く 人びと一人一人の

誰の内にも存在致しているのであります


妙法蓮華経の「妙法」が 又

阿弥陀の「弥陀」が 又

金剛不壊の「不壊」が 真実の理わり 

そして 又 私達の生命として

私達の内に いつの時も「ある」のでございます

その処からからの 自己の霊魂の開眼開発は

スムーズに成就致すのでございます




ありがとうございます



神様 御仏様の事 ご先祖様の事 

父母の事 子供たちの事

他人と感じる人々の事

ご先祖供養による処の 好影響の事

私達自身の心の在り方による影響の事

布施財 浄財の事

御供養致さぬ時の悪影響の事

等々 色々と書かせて戴きました


有難うございましす

平成11年 12月12日


終わり





故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね




img20170210_18150138.jpg







~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・16

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・1

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・2

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・3

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・4

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・5

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・6

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・7

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・8

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・9

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・10

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・11

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・12

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・13

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・14


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・15






ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・16






子供の成長を願う念いは 誰よりも強く感じ

いつも心配りを致して居られるご両親

そのご両親が 自分の「思想」や「思いのみ」で

子供を育てられては 全然駄目であります

それは どうしても自分の欲と申しても

過言ではないと思いますが

他人の子供達より 少しでも立派に

致したく思う心の 潜在的働きが

自然と出てきまして 余り気付かぬ内に

相手批判の 言葉と 言動が

実際に表面化致してしまう事も

多々あるのであります

もし この様に成りますと


肉体人間の 物質と物質の

価値観のくらべもの


のようになり下ってしまうのであります


人は皆 偕(ともに) 

神と偕なりでであります

神の子仏の子でありますので

霊魂(たましい)の尊厳を犯しては

絶対に駄目であります それは 

自己の宿業的罪へとつながります

仏教的に申しますと

自縄自縛という事です

これより将来に渡って 私達は

人々の為に 真理の理を多くの人々に

お伝えいたさなければなりません

この事は 使命なので御座います

ご神仏を拝し 感謝致す心の発展を願い

奔走することを 皆に願いたく思います

本当の幸福は「他」と「回りを」

実際に「拝み切る祈りと」「実践」により

私達に来るものなのであります これが 

ご神仏のお求めの 調和致しながらの 

相互の幸福到来と成就であります

これが法則であります


「他人の苦しみや 不幸を見て

見ぬふりを致す人もありますが

大変悲しい思いであります」

「こんな人は 自分中心の

自己満足で欲の強い人」


愛行 先祖供養 

実際の浄財による処の布施行

神の子仏の子の本来相の認業(みとめぎょう)

本来の神童であります直視業

本来の無限力の宿り給う神仏の子(子供)

に対する 祈りと感謝の行業を

親が心して立起致し 実践致しますことが

大事であります

(それなりの状態に答えうる行動が出来なければ

全てが全部上手くは事運びません

秩序と法則は実践 守ることであります)


子供の無限能力 子供の無限力を信ぜよ

信じて 誰々さん 有難うと申しましょう

不安の精神状態の波動より

安心の心を現わせ そうして

子供に安心の気持ちを起こさせよ

余り自分達が(親の事)出来なかった事を

子供に対して 希望期待を

持ち過ぎないことが大事であります

余り関心を持ち過ぎますと

子供には大変な重荷となります

親といたしますと 何かと激励致し

頑張って欲しいがゆえの事なのでしょうが

当の子供にとっては 大変な

精神的疲労となるのであります そして段々と 

その精神的疲労が重くなってきて

親に対する反抗となったり

ノイローゼのようになったり

もうどうでもいいと 宣言したり

部屋に閉じこもってしまったり

登校拒否になったり 等々

色々と大変な状態が出てくるのであります

下手すると悪い方向へと行ってしまう事にもなります

神の子の自分を放棄し 肉欲の快楽や

お金に通ずる喜びの方へ向かいやすいのであります

親の欲望は余り示さず

余り関心を示さぬ方が良いのであります

ご神仏の霊魂に生かされている子供の

真の素晴らしさを認め 信じてください

「親と子の対立は無い方が良いのであります」

子供が親に感謝と尊敬の念いを

常日持ってくれるような 精神的念いが

一番良いのであります

欲望だけで それ程確信に満ちた考えも無く

回りの状況や状態に 振り回されるような

曖昧な考えや 思いは全く駄目な事であります

もしそうでありますなら 反省し

子供の素晴らしき霊魂を穢した事に

お詫び申し上げ 懺悔致す事であります

親の権威を捨てる事も必要なのであります

捨てることによりまして そこに

親と子の間にありながら

神の子仏の子どうしの 相通ずる

ご神仏の本来の理念が働き給うて

悉くの願い事が成就致す事と成るのであります

此の処で万事が円満完全となり

苦が 胸よりさって行く事により

心が安定致し 見定める先々の事柄も

大変上手く運ばれるのであります

これからの日本国の主となる子供達

この子供達の為 私達は最善を尽くし

接する人々を真に救けて差上げなければなりません

何かの事件 問題の時 その時だけ

なんとか上手く切り抜ける事を

私達は 考えがちでありますが

まず 善くなる事を考え ご神仏に

解決を祈ることが大事なのであります

私達の創主は 神であり仏であります

創り主に全托致す事が 一番良い事なのであります

慈母観音さまの 相であります

愛する子供の為 確認に確認を重ねて

一所懸命頑張ることです 又

一所懸命不特定の多くの人々の為

「愛行」と真理の広宣流布を致しますよう

小生お願い申し上げたく思います

再度申し上げます

観座 観法にての祈りをお忘れ無きように

そして 明るく光り輝く前途をお見通しの

ご神仏に 一時も離れずつながっている事を

願います 目の前の諸事や 欲得に

心執われることなく 生きることが

大事であります しかし 私達は

中々このように出来ずらいのであります

それは 一人一人の ものに対する

執われの度合いによるところが

大きく影響致してると思うのであります

大体はその時に これは得か損かの判断と

良いか悪いかの判断により 前途の事まで

判断致したと思い 勘違いいたす事が

大変多いのであります

でもこの 勘違いに気付かず

自分は正しい判断をしたと 満足する事で

自分納得を致すのであります

「神に全托するような心境になることが

肝要である そうして 自我の欲望は

目先にあるものだけしか見ないが

神は遠くを見 はるかして 

何が彼にとって最も幸福であり

適切であるかを 知り給うのである

神に全托するとき 目前の出来事は 

失敗したように見えても

やがてその失敗が その人にとって

幸福だった事を知ることが出来るのである」


実際に体験された方もおられると思いますが

突然都合悪くなり 予定の行動を遅らせる事により

逆にそれが 正しい方向であったり

不都合と思える事柄が また 逆に良かったり

等々ありませんでしょうか 小生には

たまたまでしょうが ありましたし 現在もあります

ご神仏のご意志のままでの 

ご神仏のご選択に おまかせ 致すものが

一番幸福であり 一番安全なのであります

ご神仏のご意志に護られる事が

肉体的互換の判断感覚を乗り越す

最大の幸福なのであります

互換の幸福は 肉体が存在(ある)時のみの

一瞬の 歓喜 歓楽 快楽 であります

特に肉体欲は色情の最たるものであり

用足らずの状態になりますと

益々執着の心が強くなり 最終の

終焉(しゅうえん)を向かえた後も

同じ念を持ち続け苦しむのであります

久遠の幸福は神の道 仏様の道にのみ在り

決して他の所には御座いません

悉くが仏性であります 神性仏性は私にあり

我は神仏の本質成就と祈れ

そして 感謝せよ と 申し上げます

吾が霊魂の素晴らしき事を悟れ

自分を導いてくださる ご神仏

そのご神仏の命令によって選ばれ

私達を常日頃護って下さる 

守護神守護霊さま この守護下さる神霊は

大変な神通力を持っているのであります

守護神守護霊様は 私達一人一人の祖先の内より

選ばれる高級霊なのであります 全員の守護神が

超高級霊でありますれば 良いのですが 

中々そう上手くはいかないのであります

普通よりは 高級でありますが 同じ守護神でも 

修行の足りた霊と まだ途上中の例とがある訳であります

じゃぁ どうして高級霊の守護神と

そうでない守護神があるのでありましょうか

これには 自分の過去世の諸業

その所の諸業 前世の諸 諸業による処の

功徳全行 如何によって決定致してしまうと

小生思うのであります


普通の人間としての生き方の人には

一生涯の間一番最初より 生涯まで

お護り下さる役目の守護神様が

存在(いる)のであります

しかし 真実の理(わけ)を求め

一生の間一所懸命真理を求め 

多くの人類のお役立ての誓願を起(た)て

真理 広宣流布の実践を致して居られる人には

必ず 間違いなく 導きの超高級霊なる

守護神が入り給い お護り下さるのであります

入れ替わりが在る証拠で御座います

しかし 何の善行功徳の業も致さず

只 漠然と入れ替わって下さる訳ではありません

ほとんどの広宣流布の功徳のない人に

そう簡単に善い守護神は与わりませんです

例えば過去世の諸行が大変良く それを

現在の現象界まで引き継いで来ているとします

その人は大変良い環境の中 まずまずの

幸福の生活(いとなみ)が出来ると思います

自分の希望も成就しやすいですし ある程度

順調に 事 運ぶ事が出来るのであります

しかし残念で在りますが その状態を

最後まで維持致せる人は大変少ないのであります

その理由は 常日頃の自分の生活状態 環境が

上手く行ってる事が 当たり前となり

人々に対する「愛の施し」「慈悲の善行」を

「行わない人が」 ほとんどであるからであります

これでは当然の事ながら 生涯の終わりまで

維持致せるわけは無いのであります

過去世に於いて 一所懸命「天」の徳の蔵へ

積んでいた徳行も 途中で使い果たし

せっかく積んでおいた徳行も残りが

少なくなって来ているのであります

これでは 維持は全然無理であります

もし企業家でありますれば 

その企業を受け継いだ人は(二代目)

親の七光りの内での事しか 理解出来ぬ

下等にも等しき人間智しか持ちえないのであります
(理屈理論は立派であるかも?知れませんが)

一代目の親も又 二代目の為 溺愛の心で接し

応々にして 寛大に許してしまうのであります

馬鹿の致す事であります 真に二代目の事

またまたその次の代の人々の事を

真剣に考えますなら 回りの人々の為

お客様の為 取引先の皆様の事を 本当に真剣に考え 

愛の実行を致すと思います 次代の人達にも

その事の大切さと 大事さを知らして

実際の行業として 実践させると思うのであります

もし実践させることが出来ず 指導も出来ない親ならば

全然駄目で在ります でもまあ引継ぎの人の

霊魂のレベルにもよる処も御座います・・です

真の幸福 繁栄を願い求めますなら 

ご神仏に伏して従い 信じて神霊の愛と慈悲の波動を

受納致すことであります 高級の守護神様は

全く間違うこともなく 私達を導いて下さるので在ります

その導きの方法は「真実の霊波」によって

お導き下さるのであります 私達の生活 生き方によって 

神仏の導きを受け入る事が出来る人と 

そうでない人とがあるのであります

その「高級霊波」を受けいる人は 行く先の幸福 繁栄は

ほとんど間違い無いのが事実なのであります

しかし大事なことは 自分自身の「精神状態」を

しっかり守り通す必要が 絶対条件で在ります

もし 自己の精神状態が堕落に近い状態の人や

その方向へ向かいつつある人は 守護神様の

指導の霊波を受け入れる事は難しいのであります

それは 自分の波長と 導きの高級霊との波長が

合わない為であります それは 全部

「自分の責任」なので御座います こう言う時は

中々良い判断に欠けるものなのであります


「超高級なる守護神を 我の主守護神と致し

現世諸行の人々の為と成る実行を成せる

自分の導きの 副守護神さま 又人々の美の法悦に

自らの喜びの心で 報恩報化できる導きの守護神様が 

仏我であります自分に在る事を信じ その通りの生き方 

その通りの諸行を実践致さなければなりません」


神仏に祈る観法にて 切実なる願いの祈りを

致す事が大事であります

切なる願いの祈りを毎日毎日 実行致しておりますと

どうしてだろう 不思議だわ とか

私だけという 護りがあるのでございます

例えばですが 同じ自動車に乗っていながら

事故や大変な不都合が生じました時

守護神(御神仏)様による 守りのある人と

守られる度合いが少ない者との違いが

不思議ながら 自然に出てくるのであります

皆様もご経験がある人もいらっしゃるのではないでしょうか


*大事な事は 「善きこと」の切なる願いの

「祈り」と「経典読誦」「経文読誦」が日毎の

当たり前の諸行である との自覚に至り

実際に差定致さなければ成りません

これはご神仏との約束事であります

御神仏とのつながりと 約束事の結びが在るがゆえ

私達は「生かされる」のであります

この事が「完全円満」の源であります

私達に完全円満の源ありて 生かされている訳ですので

神の子には 本当に大抵の悉くが 直観と申しましょうか

御神仏よりのインスピレーションがピンピンと

自身の頭に善波動(霊波)が来るのであります

これは絶対に正しい導きで在りまして

回りの都合や余分であります 変な気使い無く

事を運ぶと大変良い諸行と結果と成るので在りますし

必ず善き結果が現れます 

ご神仏の導きの事で在りますので

万事都合よく事運ばれるのであります

善き結果が生み出る為には 不都合と感じ見える

不都合なる「こと」は本来無いので在ります

表現(おもて)に現れた状態の癒しのみを求むるな

真の癒しは「心」のあります

素晴らしき「心であります」


病苦に対して「その時の状態は(熱の事)

神が修繕中の 作業熱である」

余り心配と恐怖は致さぬ方がいいのかもしれません

人は神の子であります が 真実であります ですから 

ご神仏に全面的に託した方が良いのであります

人はどうしても 今の処に気を配り 余計な想念を

波及させてしまう事が 実に多いのであります

失敗の原因でもあります

仏我なる心で見定める事が大事な事であります

私達は万物の霊長であります 万物の霊長とは 

生命そのもののことであります すなわち

ご神仏の霊の分霊化した 個々の個霊が私達で在ります

ですから 私達は神の子仏の子なのであります

霊長であります  私達全員が人々の想念(環境)に

案外 支配されやすいのであります  それは

相手も霊長 自分も霊長であるかで御座います

霊長どうしは 感応しやすいのであります ですから

私達は 常日頃より良き想念をたもっていて

それを自らの観にて護り 人々より発信される

悪い想念感情を 絶対に自分に受け入れない信念が

大事であります 強い善人になっている

本来の本当を悟ることで御座います

人はですね 強い善人を受持(たもち)

続ける事は なかなか難しいんですよ・・・ね

どうしてかと申しますと 私達は

精神的波動による処と 物理的波動による

二つの法則により 生きているからであります

どおしても現実界に於いては 

物質の豊かさに執し 欲しやすいのであります

ですから 中々強い善人を受持続けるのは

難しいのであります が

「今の自分」「これよりの自分」 又 

子孫繁栄と幸福 心の健康の為にも

誰にも負けない位の「強い信念」を持ち続け

行く行くの「天国浄土」に住ける為にも

「強盛な心」にて 前へ前へと進み行き

その為の実践 広宣流布を一所懸命 本当に

致さなければなりません です そうして

しょうらいの日本国の主となる子供たちに対し

上っ面の言葉ではなく


「自分を神の子と悟りて その精神状態の内で

子供に対して OOさん OO君

あなたは神の子仏の子 全ては完全円満

善きこと何でも出来る 素晴らしい子 と

褒める事が必要であります」


言葉の実践によって 子供さんが大変良い道へ

進み行く大きな糧となるのであります

「甘やかすのではありません」

でも中には 自縄自縛によって 苦しみ

自分の進み行く道も定まらず

あれこれ 悩みながら 自己抑圧に入り

結果として悪の道へと入り落ちて行く

将来の国の柱となる 本来の神の子仏の子の

子供達が実に多いのであります

残念で在り大変悲しい事と結果であります

特に甘い言葉 文章で申しますならば

一種の習慣的な ものの「縛り」より 

「解放」して差上げる事を 神仏の智慧のままで

致せば良いのであります  それは

現実界の「物」に対し 特に愛着を感じたり

求めたり致すのが現代の流れでありますが

そのままでありますと それは

精神崩落の「すがた」であります ようするに

「真」を知らざる迷いなのであります これは

私達大人にも 大きな責任があるのではないでしょうか

現象界の悉くは 全部が全部 精神波動による処より

生出して来る事を覚って頂く事が必要なのであります

そう致します事により 物は真実ではなく

だだ「形在るもの」だけの事で

事実を悟って頂く事が出来るのであります

此の時「迷い」が消え「縛り」の習慣性が「消滅」し

神の求めます「転回の好機」をえた事となるのであります

執着致すな 嫉妬致すな 「現象の不完全に」

お気づき下さい お願い申します

既にある善 既にある善の行い 既にある実相

これを祈りだし 仏我なる自分のものと致す事が

大事であります 自分の幸福の為であります

祈り 拝み 観座観法によりまして

神仏と我との一体を顕わさなければいけません

何でも駄目だと言う悲観的な事は

考えない方が良いのであります

暗黒の言葉をしゃべる事は 回りを そして

特に近しき人々を大変暗くしてしまいます

これは法罰にも似た行為でもあります

自己憐愍(じこれんびん)をすてて下さいね

自己憐愍は回りの人々の同情を求むる行為であると

小生思います 少し位の事なら 多少は

可哀想にも思いますが 余り 多々そう言う事が

在りますと 自然と近寄りたくなくなります


「自分の そして家族の幸運をお求めになるなら

先ず一等先に 人々の為 一生の間 一所懸命

真理の言葉 真理の本などを布教致し

実際の行動として 本当に 愛行 実践をして下さい

自分のみ 自分の気に入る人達のみの幸福を願い

求むる人は 悪魔的精神波動の(失礼ですかね?)

奪う心で在ります 自分達の事のみの考えや

感じ方は「強奪」に一通するおこないであります

私達は神の子仏の子であります

いつも人々の幸福ありて 吾幸福なりと感じて下さい

そう致しますと そこの処の人々に対し

ご神仏の護りが必ず顕れてまいります

ご神仏在りての私達であります


「肉体あっての私達ではありません

肉体的な私達に 永続的な幸福や幸運は

絶対に存在致さぬことを心して

お覚り頂きたく思います」





故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







100分de名著 歎異抄 親鸞 『人間の影を見つめて』 Part1

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ




6月になっても

寒い日が多い

北海道ですが


皆さま 元気に過ごしていますか?


私 りゅうは 毎日笑って過ごしています・・・

と 言いたいところだが

なかなか 毎日笑顔で 笑って・・・

そんなことできないですよね(笑)


今日は ちといつもと違った記事で


動画を張り付けてみました




100分de名著 歎異抄 親鸞 『人間の影を見つめて』 Part1








最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







愛とは

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ





愛とは



与えるものである

愛するとは

相手を愛して

相手に 何かを要求したり

求めるものではない

愛とは

只只 相手に与えきるものであります

与えた 愛に対して

報酬を求めてはダメなのです






最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







夢 理想は 叶える為にある

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ








夢 理想は 叶える為にある



このことの為に、

皆一所懸命努力して頑張った

だから 今の結果が出たんだと 

厚座布団にドッカリ座して

生命の働きを少し止め 

静の入り口に向かわれてませんか


叶えた人々は努力ではなく、

如何なる 嫌 と思える人、

物事に対しても 辛抱し、

その場、その時を

一所懸命 感謝して

生かした 因 が在ると思う

この因のためには 




相手の為にと思いながら 

自己中心主義

自分が先生になってはいけません 

「絶対にネ」





相手の人々 物や事など 

他を生かす そうして 

完全に生かし切らなければ駄目です



相手に対し、

自分がどのように信じ

視て上げられるかです

神仏の像り給える世です

神の子 仏の子 人間です






故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







雑用とは

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ




この世に

「雑用」

と言う名の用はない

用を雑にした時に生まれる




「つまらない」

と思いながら生きる時間は

つまらない人生になってゆく







「面倒だから、しよう」

著者 渡辺和子 より 抜粋



最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







繁栄とは

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ



さてさて 今日は

私 りゅうが 今は亡き師匠に

言われ続けていた事を書こうかな と 思う


私 りゅうは 自営業してるんですけど


 

一人で 美容室を経営しています

美容師なんです(笑)

美容師なのになんで・・・ 

日蓮宗の僧侶?

まっ それを話すと

なが~~~~~~く なるのでやめときます(笑)


それで 今日は 今は亡き師匠

故 玄龍院龍弘日宣上人に 

商売をするにあたって 

いやと言うほど 言われていた事

自分で店を出す前 そして 

自分で店を出してからも

ず~~~っと 言われていた言葉


繁栄とは 

すべての人々の

繁栄を願うことだ!

すべての人々の

繁栄を願わなきゃダメだよ!




仲のいい友達とか 気の合う人

好きな人 などなど が

何かお店をしていたり 商売をしていたりしたら

繁盛してほしいな~

上手く行ってほしいな~

とか 思いますよね

要するに 自分が好意的に思える人の事は

その人たちの 繁栄を自分の事のように

喜べたりしますよね きっと・・

自然と繁栄を願っているんですよ


でも 好意的に思えない人

気の合わない人 嫌いな人

みんな 同じ人間なんだけど

やっぱり 嫌いな人もいると思うし

気の合わない人だっているはず


自分が好意的に思えない人であっても

その人たちの繁栄をも 願わなきゃダメ!


もう一度


繁栄とは 

すべての人々の

繁栄を願うことだ!



これね 何度聞いても 何度言われても

りゅうには なかなか難しいです(笑)


ちょいと 言葉悪いけど・・・・

大嫌いな人の繁栄ってさ

なかなか 願えないですよね


表面上は 簡単に言えますよ


心底 心から 

ひがみ ねたみ なしで

大嫌いな人の 繁栄を願えますか?


もしかすると 

好意的に思ってる人のことでも

ひがみ ねたみ なしで 心底

心から その人の繁栄を願えるか? って

言われると・・・・・・んっ?  

って 思ったりしませんか?


商売やってたら 同業者間では よくあると思うんです


自分の店が繁栄すれば 

他の店なんて

つぶれたっていい 

他の店からお客様を

奪ってまででも 

自分の店だけを繁栄させるぞ!


他の店になんか負けないぞ!

勝つぞ!



こんなこと よくありますよね(笑)

ご商売やってる方なら 

よく分かると思いますよね

さて さて  わかりますよね


何をもって 勝ちなのか 負けなのか 

僕には よく分かりませんけど

他の店より 勝つぞ!の心

勝つということは 負かす相手がいるって事

って事は 相手にしてみれば

自分は負かす対象になる 当然ですね


うばう心は 

自分も奪われる対象になる



ひどくなると 自分の店以外を 攻撃の対象にして 

他店を倒してでも 自店を繁栄させる


攻撃する 心は 

自分も攻撃される




どんどん 自分が苦しくなっていきますよ

自分の仕事の繁栄を願うのは当然の事ですが


その願いと同じように 

自分の繁栄を願い 思い

その思い それ以上の思いでなくてもいいと思います

しかし それ以下の思いでもなく


同じ 繁栄の願いを すべての人々に

すべての人の繁栄を願ってください


すべての人々 世界中の国々の 

繁栄を願いましょうね

平和に皆が 繁栄しますよ








最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







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私達の人生とは

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






私達の人生とは




私達が

私達の人生であれば

私達の人生は

人々の為

人々が幸福に成って下さる喜びと

その楽しさを悟り

與る 明るい心が

その心が 自分に在る事が

最高の人生であります

私達の人生は

明るく

幸福を楽しむことが

大切であります





神様の子 仏様の子の人は

皆が生まれつき善であります

善の生命(イノチ)は

一人一人の霊魂の奥に存在(アリ)ます

人々には全員にもれなく 必ず

その豊かな 一つ種はあります そうして 

森羅には 私達が心の念いで呼びかければ

必ず答えてくださる 心 があります

全ての生きとし生けるものに

愛と慈悲をもって 声を掛けますと

必ず答えてくれます

嬉しい笑顔を 楽しい心を

吾に 光り輝く奏天 吾に在りです

相應(そうおう)の善なる全て

吾うちにありと断言し感謝せよ

奏天にある本源なる根を求めよ

そして一体の結合を願いましょう

葉は少しの間に枯れるのであります

人を変え 環境を変え

相合う光明実践の実践者となり

奔走の菩薩の吾を悟れり





故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







過去を捨て去ったとき

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ




過去を捨て去ったとき

自分自身、あなたは新生する

すべての過去からあなたの心を

解放せよ

過去に縛られるものは

現在を充分に生きることができない

過去は過ぎ去った!

今を 新たに 生きよ!

新しい 進歩は過去を踏み越えて

前進することによって のみ得られる





故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね




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私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







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受験生へ 

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






明日は 公立高校の入試ですね

受験生は 今まで頑張って

勉強してきた事かと思います



自分の行きたい高校

やりたいこと


今まで頑張ってきた自分を信じて


自分の希望 

自分の願いは


必ず 成就する!


そお 強く思い 

そして 強く願い


自信をもって 

試験にのぞんでくださいね






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最後に これを 

ポチッ としてね




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私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







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不足の心は 不足を生みます

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ



今 無い物 持っていないもの 

今 欲しい物

今 出来ないこと 

今したいこと

等々 無い物 出来ないことばかりに

目を向けずに


今 あるのも 持っているもの

今 出来ていることに 目を向けて


ありがとう! と 言ってみてください


皆さん 毎日ご飯食べれてますよね

服も沢山持ってますよね きっと・・・

今なら 必ずといっていいほど 

一家に一台 車も有りますよね
 
たまには 旅行に行ったり 食事に行ったり


いま 持っているもの 出来てること

スゴーく 沢山在るでしょ!!



皆さん 今 自分に無い物 欲しいもの

出来ないことばかりに 目を向け過ぎていませんか?


今 自分には あれもない これもない

あれがほしい これがほしい

あれもしたい これもしたい


此れすべて  不足の心です


不足の心は

不足を生みますよ




今 自分の目の前にある物 

今 自分のできていることに

感謝して ありがとう! 

と 思ってね








最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







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明るい心と、明るい言葉

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ



明るい心と 明るい言葉は


幸せを呼びます


人生 生きていれば 

いろんなことがありますが

明るく前向きに考えないと

世の中 楽しくなりません

良き方向にも 向いていきませんよ

どんな時でも

明るい心 明るい言葉 が必要です


暗い心の時がありましたら


明るい心と 表情で

暗い心を 打ち破り

明るさを 取り戻すことです



暗い心は

光明の心によって

消すことができる



闇に対しては 

光をもって相対せよ







故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね




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私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







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すべての出来事

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ





すべての出来事は 

必ず何かを教えてくれます

この世で現れてくる現象は

心を訓練してくれる先生であります

今起こってきている出来事、物事は

それが どんな事であっても

必ず 私たちに何かを与えて

教えてくれているものであり

それがきっかけに 

さらなる 素晴らし生活となって行くのです

全てが 良くなっていくための

土台となっているのです




故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







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失敗と思える事が・・・・

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






神に全托するような心境になることが

肝要である そうして 自我の欲望は

目先にあるものだけしか見ないが

神は遠くを見 はるかして 

何が彼にとって最も幸福であり

適切であるかを 知り給うのである

神に全托するとき 目前の出来事は 

失敗したように見えても

やがてその失敗が その人にとって

幸福だった事を知ることが出来るのである




故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







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我(が)を忘れること

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ





我を完全に滅するこつは

我を忘れることでありまして(放下致す事)

再び戻る事無く修行することが必要であります


要するに 本当の本当に無条件で

帰依するだけで成立いたすのであります


我を無くす事によりまして




執着の心 嫉妬の心

憎しみの心 争いの心

怨みの心 持越し 取越し苦労の心

欲しい 欲望の心

腹立って くやしい心

時々気が狂う心

悲しい心  等々 


まだまだ沢山御座いますが


全て 我の心 なのであります


是非とも下劣な業より脱して 本来の


仏我吾成り(無我と言う事です) と 悟りまして

悪い業の本体を捨てる事が大事であります






故 玄龍院龍弘日宣上人より





最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







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生活、真理、供養

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ









生活、真理、供養



心理とは生活のうち、実際生活の内で見体化され自らの行動が動き出したとき

その 偉大なる功徳が発揮され、心理の本質が証拠となり証明されるので御座います

先ず、私たちは神を拝み、仏様を拝み、先祖を拝み、父を拝み、母を拝み

夫、妻を拝み子供達を拝み、周りの全部ての人々を拝み

森羅万象悉くに感謝申し上げ 拝む事の出来る心が顕現(あらわれ)ました時

私達は有難い菩薩となるので御座います

この様な心境に成り 実際の実践行動が成されました時

すべてが 悉く円満に動きますので 現代において最も

皆様がご心配されて居ります 景気 これなども余り心配なく

事業の繁栄も 上手く運ぶのであります

自己の信仰によって 心の波が変化いたしますので

イエスキリスト様ご教示通り

「汝の信仰,汝を癒せり」

の 実証と成るのであります。

ただし 自分の信仰であって 自分のみ覚った 観では

全然駄目なのであります 先ず何よりも 出来るだけ多くの人々に対し奉り

伝道を実際に行動として起こし 愛業をいたさければ ならいのであります

自分一人で生きているのではありません

ワガイクルワ、ワガチカラナラズ、アメツチヲ、ツラヌキテイクルミオヤノ、 イノチ

私達は、御神仏の大生命であります 生命によって生かされている

御神仏の申し子なのであります 皆ともに生かされている

神の子、仏の子以外 何のものでも無い 其のものどうしなのであります

ですから共々の繁栄で成ければ、ならないので御座います。

繁栄とは金儲けの事のみでは在りません。

絶対に大事で大切なことは 心 であります。

心 整うて、初めて全部が追従いたしてくるのであります

心の健康が第一であります事 ご理解頂けて居ります事感謝申し上げます

修行界の幸福には

神に通ずる 心 仏様に通ずる 心 

出来るだけ近づく事の出来る心

この心が全部ての創造(つくり)の源であります

幸福も 繁栄も 健康も 希望も 理解も

すべての行い等々が 平和と調和の内

順調に事運ぶのであります

まずこの事を お気づき頂きたいと思います

静かに座して 目をつむり 軽く合唱して

吾が霊魂(たましい)の浄化を祈り

六根清浄を祈り

六徳「智慧、愛、生命、供給、悦び(歓)、調和」

の流れ入りを祈り 吾悉く満たされたり

と 感謝申し上げ ご神仏との一体感を感じてください

なんとなく嬉しくなりますよ

ご神仏よりの無限の供給は何に対してでも

数限りなく色々(多種)とあるのであります

ですからご神仏は 与え給う 愛 であります

大慈悲心で在るのでございます

私たちも あたり前の認識ではなく

受ける嬉しさ有難さを覚りまして

同じく 人々の為にお与え致し

与える愛の尊さ、慈悲の尊さを悟(し)り

霊魂(たましい)の本当の喜びを悟り

そのままでの 心 の状態で

人々のため、もの、事の為

一生懸命勤める事が心是 必要なのであります

与える事は 結果として

吾 受ける事なのであります

全部ては 自己中心 個我をすてて

ご神仏の御心ままでの状態を

なるべく多く生出して

まず 喜び嬉しさ、有難さ

そして お与えさせていただく楽しさを知って

お与えさせて頂く事の大切さをしっかり

覚ってくださいますことを

お願い申しあげます

毎日毎日が 幸福あるといいな~

とは 皆がみな 全員思う事であると思います

しかしですね 思うだけ思っても

ぜんぜん 駄目なのであります

まず 朝目がさめましたら その今日の日に向かって

私を祝福してくださる素晴らしき朝よ

光輝く太陽さんのごとく 私たちにも 我が家にも

素晴らしくて明るい喜びの幸福をもって来て下さる

と 感謝の念いで 感謝の心を起こし

誠であります自己の心に素直に申し 満たされている

実際の事実に 御禮と感謝を申しあげる事で御座います

天地万物 森羅万象の悉くよ 有難う御座いますと

言葉を発し 声を 大 にして発するもよし

口の中で唱えるもよし 出来るだけ言葉にて

発声する方がよいのでありますが

ともかく 心 よりの感謝 

此の感謝の念いの心が とても大切なのであります

当然のこと感謝いたすから 良いものが集まってくるのであります


欲するもの 好ましきもの自ら集まり来る


真を祈り真実の心にて 感謝致すところには

必ず集まってくるのであります

吾が内に内在したまう 神様仏様の生命の働きが

生きていられる何よりの証拠であります

無限の智慧でありますご神仏 私達を始め

全部の全部を知り給うご神仏

此れが全智全能なる本当の大生命なるご神仏なのであります

吾々一人一人の本当の親様なのであります

私達は恵まれた親様の 子 なのであります

絶対に忘れないでください

ご神仏であります親様は

私達の幸福を大変お喜びくださるのであります

その為には 私たちは常日頃いつの時も

心 をご神仏に振り向けていなければ駄目なんですよ

私たちが本当に 心を ご神仏に振り向けた時

大変有難いことに ご神仏の無限の智慧の愛の波であります

念波動が全然切れることなく いつの時も 繋がっていてくれるのであります

自分が振り向けば良いのであります ので 大変簡単な事ありますよ

今日はご神仏の日だ 明日もご神仏の日だ 明後日もだ

必ずご神仏は 私たちに私達の家族に そして 私達の回りのすべてに 

本当の幸福をもたらしてくださると信じ

堅固な心と身によって 信念持って 感謝申し上げる事です

当然のこと 他人達 すべての人たちの 

幸福をも願うのが あたり前の事であります

他の人の不幸を喜んだり 仕方ないさ 等と思わぬ事ですよ

そのような想念は 相手様の不幸を作る事にもなります

結果として自分が極限の不幸者となる事になるのであります


ご神仏の世界 天国浄土にては 

誰々が幸福で誰々が不幸であると言う様な事は無いのでありますが

現象世界にては 何か人の犠牲のところに

時分の幸福が在るように感じられる人々 又

人によっては 口先ではうまい事を言い 自ら

自分の立場や尊厳のみを重視いたし 何か事が起こりますと

自己非害意識に入り 自愛の心に執われる人

そう思い考え実行致す人々が 実際には沢山居るのではないでしょうか

でもね 皆様は他人の幸福  

悦びを祝福して差し上げる念いの(おもいの)心なくしては

自分の幸福や悦びは到来いたしません

本来の実相界なる処にては 犠牲を相手様に強いることも全然ありませんし

対立も在りません 勿論 不調和など無く

在るのは 調和と平和のみであります

その処より生まれ生れ出た私たちその私達は

神に守護られ神に導かれたままで生かされている

神の子なのであります 再度申し上げます

私達は 神の子なのであります・・・よ

神の子でありますので 調和なのであります

ですから 人々の犠牲の上に立って

自分が幸福になったり 楽しんだり 喜んだり

歓楽(たのし)んだり致す事は無い

絶対無いと 自己の真の心よりの発生と祈りにより

全ての人々の幸福を願う 祈りの出来る人(私)

又 人々の為実際行動 愛念業(愛念行)を成せるのが

私 誰々 神の子・・と宣言し

自分の慈悲の念いに満たされた心を

多くの人々に流布して頂けたらと 思います

自分のみならず 子孫の繁栄の為でもあります

全てが本来平等であります 完全以外絶対無いと

信念を持って唯有難いと感謝致すことであります

相手様に余り必要以上に関せず 関心を余り示さず

「着する心 嫉妬の心等々」 放ちて 

生命礼拝を致しますと 案外精神的に楽であると思います

あの事 この事と限定致さず 放つ事が大事であります

放つ事により 一種の憎しみ 怨み? 不平不満が

起念致しませんので ジシンが幸福となるのであります


「無着の心」


私達は神の申し子 仏様の申し子であります

ご神仏より愛と慈悲を無料で戴いている私たち

何かご神仏の理念 

事のために その為の使命として

私達は地上に対立無き幸福の処を現す使命があるんだ

・・・・・と思う 自覚が必要なのであります

人まかせ(責任)ではなく 自分が奔走致さなければ

誰がする・・・との 意気込みで頑張らないとだめであります

人々の為に奔走致さず 人生を楽しく幸福で終わろうとしても

なかなかそう上手くは事運ばないのであります

物理的に お金 物 財産など 又

最も大事な健康が維持致していける間は

多分大丈夫に思いますでしょうが

自分の要求と都合になかなか合致しないものであります

そのわけは 欲心に執着した心的波動があるからであります

同じ要求的 欲でも 人々の幸福を願う念いに

少しだけでいいですので 着してみてはいかがですか

神様は愛であります 

愛は受け取る事ではなく 与えることが本望なのであります

私達の 現在の存在も 愛の現れの実態であります

神の子の私たち 同じことを出来るだけ多くの接する人々に

布施し広宣致し 実行致すことでありますし

そう致せることにより ご神仏の尊きと 守護りを

受ける事が可能なのであります

私達はご神仏の理念を此の地上に真髄化ための役割があるのであります

平等を真髄化する役目 平和を具体化する役目

幸福を具体化する役目 調和を具体化する役目・・・

などなど まだまだ 沢山ありますが

私達は その役目の媒介者なのであります

真髄化する媒介者 これが神の子仏の子の 私たちなのであります

幸福の到来 喜びの到来 嬉しさの到来 健康の到来

繁栄の到来 等々は 大変嬉しい事であります

その到来を願いお求めに成られますなら

具体化のつなぎの媒介者となり 実際の行動に参加いたさなければ駄目ですよ

要求だけは致す でも 行動はしない

そんあ勝手な都合主義は 絶対に受け入れられないのであります

行使も致さぬ人に 幸福や喜びが存在(ある)わけがないのであります

もしありましたら 私は不思議におもいます


全てに通ずる幸福の到来を願うには

自分都合の思いを捨てまして 真実の心の波動波長を常に持ち続け

「ご神仏は私に何時の時も 全ての幸福をお与えくださる善き日と時と

場所で在ると信じ 今がその時であると信じ切ることであります」

そうして心より伏して期待いたす事が必要なのであります

その為の心構えは 常に絶対忘れることなく

心明るく 全ての幸福の到来が 来つつあることを

心で念い 有り難く感謝いたす事が 必是なのであります

先んじての御礼であります

既に成れりと感謝いたす御礼であります

御礼と感謝は必ず具象現実化致すのであります

親様であります 神様仏様ご先祖様 回りの人々全部の

感謝を忘れなきように お願い申し上げ度々お伝え申し上げます

決して ウヌボレるな! ご神仏ありての諸行(わざ) 

吾個人の業在りての事ならず であります・・・よ

ご神仏の世界には差別はありません

ですから 誰々は幸福 誰々は不幸 等と言う

差別は絶対に無いのであります

全ての超越世界が(断定断言)神の国仏の国なのであります

その超越の処より戴いた生命が 

現実の神の子仏の子の私たち一人一人なのであります

ですから 全く差別も限定も無いところなのであります

ですから 誰でも全ての幸福を受けることができまして

それを具体化致す事が出来るのであります

私は不幸という念いの心を捨てよ

私はいつも幸福だ 健康だと信じ 感謝し御礼を申し上げよ

そして調和せよ 調和は何にも勝るのであります

ご神仏の智慧は 感謝致し真実に生きる事であります

吾 心 誠でありますれば 必ず全部の幸福が

実際の生活の内 生涯の間一時も離れることなく

自分を守ってくれるのであります

ご神仏は 善と幸福であります

その大生命が私達の生命なので御座います

その生命が 生命が一緒である私たちが

神の申し子 仏様の申し子であります

実際の私達なので御座います あり難いと思いませんか

神の子仏の子なんですよ 自ら選んでいる事ですが

今現在 悪い奴も 罪のある者も 本来無いのでありますから

本人自身 受け入れ懺悔致し 変わる事 可能ならば

必ず一人残らず 幸福になる事が出来るのであります

だからご神仏は 与えっぱなしの 愛と智慧なのであります

これが神様の全然なき 愛と智慧であります

誰々に全然関係無く お与えくださるのであります

受ける側の 心 身体の問題のみであります


吾より発する雰囲気は 明るく明るく善を呼び

吾より発する雰囲気は 明るく幸福を呼ぶ

そうして 霊的雰囲気は 受くるも 与えるも

相ともに 一段となって 全ての幸福を得る事が出来るのでありますし

私達の住む地上に天国なる処が実現いたすのであります

出現し始めると申したほうが良いかも知れません、、、ネ

ご神仏の創造のこの世界 この世界には 本来悪いもの 

本来悪い所も無い これが本当なのであります


善も 悪も人間が作る環境なのであります

それも全て 欲と執着と嫉妬と 見栄っ張りの人間の発想です


しかし 現実には 病気や 対立や 災難や 悩みや 貧乏などが

あるように 表れているのはどうしてなんでしょうか

実際には中々難しい事でありましょうが

病気 悩み 難 貧乏等は 自分自身が描いた


自己中心の返りとしての 悲しみの想念の

一種の投影であると申しあげなければなりません


「実際に中々難しい事でありますが」と言う事は

人間としての人間の欲心に着したり 必要以上の執着による

自分本意の状態による処の対立や

相手を悪人と見て 自分善人の 低レベルの思想 想念が

調和を欠き イライラした心の状態が  

現象を 自分の個我によって 色々と変化して見てしまうのであります

その結果として身体に 不健康と不具合を生じてしまい

精神的にも少々駄目になってしまう事も 多々在るのでございます

(勿論霊的波動による処も在ります事もお忘れなくね)



自分の思想、想念での結果の病気や 悩みや 不幸と感ずる事

対立 貧乏等は本来無いのであります

本来無いので在りますが 本人が否定したり

受け入れる心に欠け 真理の理に従わなければ 現象にはあります

ですから 誤りて想念いたした描きをすぐ止めると

大変良い結果が生まれでてくるのであります

本当は全然無い状態であるのに 現象に現れているのは

真実(まこと)を覚ろうと致さぬ勝手欲の迷いであるからなのでございます

例えば 暗いところに明るいライトを当てると

暗さは消えてしまいます 事実誰でも理解できる事であります

同じ事なのであります ですから

真実を受け入れる事により 現象の悪なる出来事も

消滅してしまうのが本当の事なのであります

ですから 常に 私自身をお護り下さる

神様仏様が 内なる 自分の内に宿っていて下さる事に

感謝 しなければならないのであります

ちょっと なれると 忘れてしまう

自分の心の情けなさを省みる 必要があると思います

まったく 何の要求もなく 私達にお与え下さって居られる

愛 と 智慧 と 慈悲 この事に対しての

感謝の念いが 全然皆無で在るがゆえ 駄目なのであります


愛 と 智慧 と 慈悲 によって生かされているのが

私達なのであります この事を忘れて生活している人は

神の子仏の子で無いと 小生思うのであります

単なる物質的人間と思いたくなるのであります(私はね)

常にご神仏を忘れず いつも一緒でありますと念じ

常日頃より ご神仏との一体感を忘れない事が

本当に必要な事なのであります

一日数分の祈りの念いを 出来るだけ長く

維持致し日毎を暮らすのが良いのでありますよ

深めよ 神仏との一体感を

信頼せよ神仏を

吾が内に宿る神仏を礼拝せよ

そうして 神の子仏の子どうしを

助け合い 生かし合い 認めての生涯は

素晴らしものがあると思います


如何にも被害者や こまった様な振りをして

へナマズルイ態度や行動を致すな

自分の都合主義にて相手を利用するな


ご神仏は今ここにそうして吾が内に存在(いま)して

愛と慈悲と智慧もって 私たちを護ってくれています

導きの智慧持って我々を常に 導きくださり

又 お守護下さり 最大の富を与えてくれています

最大の富を与える為には 都合よく行くのを求めるのではなく

智慧であります 真実を実践する事であります

ですから 私たちは一時もご神仏より離れることなく

断がっていて感謝いたしながら 使命奔走致すことは

当然のことながら全ての富と 幸福を受くる事が出来まして

貧しさや 病気や 苦痛苦悩より 解脱いたす事ができるのであります

想念のみでは駄目であります

実際に観座観法として祈らなければなりません

祈る事により ご神仏の智慧が生出すのであります

そうして 善念の波動として周囲や自分に働き給う

善き思いの波動が生出し給い 全ての悪なるもの 事に 波及し

自分と自身の周囲の困難が消え去るので御座います

中途半端な祈りは全然駄目であります

霊魂よりの切なる願いと祈りは成就いたしますよ

祈りでありましても 受ける祈りばかりではなく

感謝できる 森羅万象 相手様の為の祈りが大変大切でありますし

相手様の為の祈りが大変大切であります

受けたり 頂くことは喜んでありがたかったりしますが

出すのは中々出来ない人が多いですが

それは 心貧しき人ですよ

生活の内の幸福とは秩序整うのが本当であります

家を建築致すにも 土台があってその上に家が建つのであります


一義は秩序なくしては 成り立たないのであります

普通の家族では 主に対して ハイと従う事により

案外上手く事運ぶ場合が多いのであります

主とは 良人のことであります

良人とは 良い人と書きます

ですから 良い人ありますので 当然のこと

ハイ と従う事が出来るのであると思うのであります


同じ家庭の主であり 夫 ありましても

自分中心で 自分の立場を護る事が出来るように

相手(家族の者達 特に妻に対して)を 抑圧し

暴力を振るう事もある夫 

妻たちを自分の勝手と都合に合わせ

自分の気分の状態を表現する低能力の夫

自己の気分精神状態のイライラなどにより

自己統制も全然く出来ない無統制な夫

こんなんは たまたま男として生まれ 家族を持ったから

夫と名のつくだけの事なのであります

本当の おっと とは 

良い人と書いて 良人と言うのですよ

特別立派でなくても 普通の理論で 受け入れる事も可能であります

良人なら 誰だって素直に従い ハイと言って上手く行くのではないでしょうか


恐さの為と 何とか我慢して上手く行く為と

自分や子供の生活 その他の為に ハイと従わざるえない事もあると思います

(属に言う処の カカア天下もありますね)


全てが全て 主だからといって 従う事のみが本当なのでしょうか

秩序を守る人なのか 自己中心で勝手な生き方の人かの判断は絶対必是と思います


日本古神道の教えにもありますが 

夫として 夫ある家では 夫が一家の中心者となり

安全安定の為のアイデアを定め伊佐那岐命の役目として

多くを定めなければ成らないのであります

それは幸福と安定の為 又 家の者に安心を与える為であります

最低限安心を与えることが出来てこそ

一応 「夫」と言えるのではないでしょうか

家の者 子供等に何か 内題等が起こってくると

お前が悪いからだと 相手ばかり せめる 

妻や子や周りの人をせめるだけせめて 自己改善は全くなし

こんな人に 素直にハイと従う事が出来ますでしょうか

少なくとも理論理屈に正当性があれば お話し合いのうち

素直にハイと従い行く事が出来ると思いますが

自分都合に合わない事や 話しは全部お前が悪いと言う者は

これは男として生まれた使命を全然悟らぬアホ野郎でありまして

生まれ変わりの修行の全然足らない 低レベルの

修行途中の霊魂の持ち主であります

「生まれ変わりの修行不足とは 霊界?に於いても 現象修行界にても
全部く(まったく)素直に受け入れずの生活者です」

こう言う人に縁を持たなければならない人も可哀想に思いますが

その時の選択方(えらびかた)の間違いなのではないでしょうか

ですから 常日頃の改善と 自分の霊魂の状態を安全に

見定める心 が 大事なのであります

「見定める心・・・真実の心(御神仏の波動の心)

良人とは 霊的中心者のことであります

霊的中心者は平和調和の為のアイディアマンでなければなりません

安心と安定は相手に恐怖を与えないことで在ります

この様に成りますと 妻も子供も 自分の我を主張することなく

普通の調和と円満な状態での生活が出来るようになります

普通の生活の内には恐怖が存在しません ですから

嫉妬も執着も愛着も染着も全部 現れず 円満に事が進むのです

信頼に自己を開く時 我より発する処の要求も余りなくなり

家族が一体となります

夫婦においても円満な関係が結ばれるのであります

又 お互いの欲する事が成就致すのであります

「空無疑(むげ)と申します」

御釈迦さんのお弟子さんで加葉尊者と言う聖者がおられます

加葉尊者と同じお弟子さんの阿難尊者が

悟りの秘密を加葉尊者に教えてくれるよう頼んだ時

加葉尊者はしばらく黙っていて 突然・・・

阿難と名を呼んだのです(仏典には厳かな声で呼んだと書かれています)

その時聖者たる阿難尊者が 威儀を正して

「ハイ」と答えたと伝えられています

此の時 加葉尊者は阿難に対して

「もう既に仏法の悟りの極意は教え終わった」と申されたそうであります

上位の言葉は偉大なのであります 上位でありますことは

それなりに 役目を整えてこそ上位なのであります

良い人と書いて良人とはこの様でなければなりません

阿難尊者の如くに成って欲しいと願いますならば

しっかりとした おっと「良人」と成る事であります

互いの無我随順の 「ハイ」であります

此の時 森羅万象が整うて円満となるのであります

地上仏国成就となります


前後になりますが 私たちが今あることは

私達の祖先があったればこそであります 

私たちは 先祖各位の霊をお祀り致し 

ご供養の真理の言葉を発して 

供の 供養をされている事と思います

真理の言葉とは 霊に対しての栄養剤であります
(霊に対してとは 私たちも霊であります・・よ)

霊魂を養う糧なので御座います

霊魂にとって最も大切な栄養剤は

真理の言葉と真理の力なのであります


人達は特別な使命の在る人以外は全員が全員と申しても

差支えが無いと思いますが 肉体を脱して霊界へ向かう時

その霊魂は肉体を脱する時の苦しみから

除(のが)れる事はできないのであります

それは脱する時に「断末魔」の苦しみが共ない

一時的ではありますが 気を失って意識がなくなります

と いう事だそうであります


「死した人の顔を見て 苦しみの顔ではなく

何か安楽の死に顔と申す事が多くありますが

それは御神仏の 念い違いによる所の断末魔の苦よりの

解放の為の意識消失の業なのであります」



人間として肉体に着する心の波の強い人で在れば在るほど

そうであると小生は思います

本来霊である私達 その私たちが現象欲 執着 嫉妬

自由自己主義の生活を致して来た処への

着する心の在る者がそう簡単に 肉体解脱の法を

えとく 出来る訳が無いのであります

ですから その者たちが霊界に転生して いずれ目が覚め

意識回復して気がついた時

現象界生活の中での病気や 自分勝手による苦しみや

悲痛な思いのときのことを思い起こし

肉体が在った時の病気 苦しみ 悲しみ等の状態が

今此処に在るとの意識を持つのであります

ようするに 肉体人間の時の念いが そのまま在りまして

この霊魂は 肉体意識より抜け切る事が出来ないのであります

ほとんどの人が死の直前の時の事を 

転生の所で目がさめた時の間の事

すなわち無意識中の事は全然解らないのであります

ですから霊魂は迷念でありますが 

今だ此処に肉体があると思うのであります

ですから肉体が在ると思う念い(おもい)が在りますので

腹減った と 思ったり水物が飲みたい等と

願いその念いを起こすのであります その霊魂の状態が大変なのであります

それは全然自分の事 そうした現状を解っていない霊魂でありますので

で 自分はこんなに食に餓えているのに

家族は何も食べさせてくれないと思い

また 自分がここに居るのに全然解ってくれない等

その想念を発するのであります 大変なんですよ この想念は

この想念は 霊魂自身は餓えと渇きを感じて 苦しむのであります

当然のこと 失礼ながら まだ悟らぬ霊魂は

その心 「執着 嫉妬」が現象界の物質や形に執している為

自らが縛られているのであります(自縄自縛と申します)

例えますと 前世過去世の自分の諸業の結果をきちっと処理できず

苦しむのであります 生前中 反省(かえり)見る事も

余りか 全然か解りませんが 無き人に多い状態であります

懺悔など全然皆無の人間であります

自己非害意識は 誰よりも強く自己善義も強く

私は悪くない 誰々もそうでしょと 相手非難の思想を起こす人間

本当に観によっての 実際の改善も致さずの人生で在ります と申せます

一時は頑張って良くなったように見えますが 元 元へと戻ってゆきますので 

守護神の入れ替わりも大変困難となります 当然のこと

再行か 再々行か 解りませんが そのまま(多少は改善されているかも知れませんが)

いずれ再び現象界に生まれ 修行と言う名のもと

想像以上の苦しみ苦難の内 再び霊魂の継がりによる

肉体修行を致さなければならないのであります

また 救われる事なく 悟る事無き霊魂の想念的波動に頼られ

苦しむ人々も多々居られます 大変迷惑な事であります

本当はその霊魂の苦しみや 渇きや餓えは本人の責任で在りますのに

勝手な奴程 人々に頼って来るものなのであります

自分責任で修行致せば良いのですがね そう思いませんか

残念で在りますが 地縛霊は中々救われないのであります

しかし救いが難しいからとて 知らない扱いは出来ないのであります

仕方なくでも 仕方ありませんので とりあえず

肉体の無い霊魂でありますが・・本人はあると思って居りますので

食や汁物や お茶水など上げて お供え致し

真理の言葉を読む事が大事な業と行であるので御座います

ご自身の将来の救いと

霊魂浄化の徳と思って頑張りましょう!


いつも申している事でありますが 絶対忘れることなく

必ず 6丈塔婆でのご供養の儀 お忘れなきこと

強く強く申しお伝え申し上げます

それから 祥月命日 施餓鬼供養 その他法要なども

必ず忘れず祭事致してください 食べ物 飲み物等必ずお供えしてくださいね

必ず救われると信じて下さいね

信じて信じて信じきって仕切る事は 最も大切な事であります・・・

が 相手の人(?) が 極悪の諸行をして死した霊魂は

中々難しいのが 本当なのであります

救われると信じて行う業に 神の波動仏様の波動が

必ず現れまして 行う私達自身に救済の導きがあるので御座います

それは 仏様の大慈悲の救いの働きが力強く現れるからであります

ですから いずれ やがて 必ず肉体を脱した霊魂が

自分は肉体ではなかったと気付き 霊である本質に近づき

悟る事ができる時がくるのであります

と 期待しまして頑張るより仕方無いのであります

それは 悟りの基盤が出来る事でありまして 悟りの第一歩なのであります

これでやっと 第一歩なのであります


今だ沢山の霊魂が まだ 自分は肉体を持っている・・・

と 思ったままでいる 霊魂がいる

肉体の死の直前の苦しみ 悩み 病気 

自らの死などの続きを抱き苦しんでいる霊も多くありますし

地上の物質欲心を持っていて 地縛して苦しむ霊も沢山居ます

過剰な男女の関係に執し縛られていて苦しんでいる霊もあります


なので 第一歩の悟りを 前へ前へと進み行かせる役目は 

私達一人一人の子孫の義務なのでもあります

私達は神の子仏の子であります その私たちが

前述の霊魂と同じ道を歩んでは駄目なのでありますよ

苦しめる霊魂に (誰々さん) あなた方は 

今 霊界に住る(いる)んですよ と知らせて上げなければならないのです

力念(力強い念い)で 肉体の思いに執着致すな

本来ない肉体だ だから今 今肉体の無いところにいるんだ・・ぞ

と 大宣言申し上げてください この宣言は


私たちの 使命なんです!


出来るだけ感謝の念いを持って行うほうが

当然 大変良いのであります・・・・・・

が まぁ・・・・仕方なく・・・でも いいとしましょう


極悪の霊魂 そうして自分本意の諸行で 不特定の人々に

迷惑を掛けて来て生涯を終了した霊魂以外の多くは

法事や法要の時 又 常日頃の御供養の義を受くる時

又死後の葬式の時等の時 それなりの人々の集まり具合

又 親戚や知人の集まりを見て お経を上げる光景などを見て

あ~ 自分は死んだんだな~~~と 感ずるのであります

そうして今私は 霊界に住るのだと気がつくのであります

自分の肉体の死を 自然と悟ることが出来るのです

お釈迦様お示しの仏教では 死後 初七日

二、七日 三、七日~七,七日迄の 四十九日間を

中陰と申します(中院とも申す)

死した霊魂は49日間の時を過ぎてから

幽界へと向かう事ができるのであります

此の時 勢至観音 弥陀 如来さまがお迎えに来て下さる

と 言う教えの宗派もあります この時

即天国なる浄土へ向かう事は 先ず無理なのであります



「霊魂と言うのは 死して肉体を脱したからといっても

生きていた時の諸行による 怨みや憎しみ 嫉妬等など

他 マイナス的精神波動の対立の蓄積による処の悪臭(体に染まっている)

それから 病気などによる体臭の不快な臭い 又死臭等が

その霊魂に付き纏っているのであります

ですから その臭いが清まらなければ なかなか

幽界に向かう事は難しいのであります」


ですから その霊魂は幽界の入り口のような所の前では

浮浪しているのであります


これが 中陰であります


四十九日を過ぎ五十日の満中陰を向かえたからといって

必ずしも第一の幽界へ向かうこと絶対可能かと申しますと

必ずしもそうではありません 

むしろ順調に中陰を終え満中陰を向かえる霊魂は少ないのであります

ですから 私たちは 現在の修行の内の

諸の業と行いが大事であり 大切なのです

中陰の内での悟りの霊魂は素晴らしいのであります

浄化の中陰の期間を終え 満中陰を向かえ

再浄化の修行の処へと入って進み行くのであります

再浄化と申しましても 霊魂に纏わるそれぞれの

色々な業因が 全部が全部そう簡単に 浄化されて

解消される訳ではありません 

物質界に着していた部分の一部が浄化されるだけの事で在ります

 
先ず絶対大事で大切な事は 生きている私たちが

今 忘れず 私は神の子仏の子 本来肉体無し

吾肉体的存在に非ず と 悟り覚っておくことが

今! 今! 今! 今必是なのであります

この事悟りますと前述のこと 大丈夫なのであります

現世諸行の中で 人々の為 一所懸命頑張って来て

死した霊魂は普通よりも早く解脱し 迷いよりの束縛から脱し至るのであります

大変喜ばしい事に そのような霊魂は必ず 御神仏の護りの内

浄魂 浄化作用も大変上手く運びますので 仏教で申しますところの

神通力を得る事が出来まして 御自身の報恩として

守護神守護霊となって 私達を仏の子として

富と健康と繁栄とに導いて下さる 高級霊と成る霊もあるのです


私達個人個人の 守護神守護霊となって戴くためには

その(ご先祖の事)霊魂の為に一所懸命 毎日毎日当然の事として

真理の言葉をお供え致さなければなりません

そして 私達自身の行動、諸業も誠でなければなりません

いくら真理の言葉をあげましても 常日頃の生活状態

又 心の置き処による 人々 もの 事に対する行動

自分都合主義の生活者 口先だけの嘘つき者

表面ニコニコ 心悪魔の人間 相手を縛る着心多き人間

自分だけを大事にして欲しいと願う人間 等々在りますが

この様な人々はまず 守られる事はむりであります

本当に正しくしての行動 人々の為の奔走 実際の実践を致す事は

私達の子孫の大繁栄にも 大きく繋がる事になるのであります

親がそれなりの仕事を起こし 今現在上手く行ってると致します

その後継として 子供がその事業を引継ぐと致します

しかし 親の七光りの内での仕事は 残念ながら長続きしないものなのです

それは 親が創った土台の上に乗り 苦労も余りせず

感謝報恩の念いも大変少なく 自分が上役(えらく)なります

ですから なかなか難しいのであります

苦労も余りなく 人々との付き合いも上(うわ)べで・・・

一見大変上手とは思いますが

まことに欠ける所が多く在ると思うのであります

又 働く者達に対する愛も 結構欠けているものなのであります

仕事でも 政治でも 愛 が大変大事であります

愛の無い仕事 愛の無い政治は必ず失敗し 

国民の不幸を起こしてしまいます 皆様ご存知であると思いますが

個人の仕事でもそうなのであります

愛の無い仕事 即ち 感謝の無い仕事

又 上手く行かないと 不平不満の仕事になり

不平不満の言葉ばかり発してしまう 全ての原因ではありませんが

此れもですね 引継ぎの人たちが一所懸命

ご先祖様 相対し接する人々に 感謝の供養(共に養う意)も

当然 報恩感謝も致さず 自分都合に合わせて対応し

祈る程度の事しか致さぬ 低次元の魂しか持たない人間なのであります

ですから 上役(えらそ)ぶる事は 一人前でも調和感謝を悟る事の

出来ない未発達者なのであります そういうことから申しますと

仕方ないのかも知れませんが 願わくばいつの時か

お覚り頂き 頑張って欲しいものです 

何も仕事を起こしている人だけではなく 個人個人の所でも一緒であります

ご先祖の御供養は 私達の住む現世界に

偉大な影響をするものなのであります


ご先祖の供養による影響とは 例えますと

今迄と全然違う性格に変わり大変良くなりまして

回りの人々がビックリ致す事も 実際に在るので御座います

それは 素直に受け入れる事と 観による大改善の良き結果なのであります

又 良き結果は 御神仏の働きでありまして

与える愛の実際の証拠であります ですから有難い事に

運命も大変好転致すのであります 勿論の事

子孫も大変幸福となり 同じく運命が好転致すのでありますよ

又 迷いに着し苦しむ霊的雰囲気による波動の迷いや

病気のような事も本当に 一変致すのであります

真理の言葉の読誦供養も 只読むだけでは駄目であります事

御存在であると思いますが 一念 愛持って 何よりも 

深く深く身につけて 頂きたく思うのであります

だからといって 自分のご先祖供養のみの諸行でも駄目であります

では どのように致せばいいのかと 申す方が沢山居ますが


愛の対象となる人は それこそ 沢山沢山居るのであります


忙しい忙しい とばかり言わずに 時間を見つけて

愛の伝通を致す事忘れないでくださいね

自分の本当の幸福を願い 成就を求めるならば

回りの人々の幸福を祈り

愛の業を実際に実行致し 悉く 仏性なる

森羅万象 調和の為(環境等々もです)

真理と供養の大切さを流布いたす事であります

是非 いずれ行くであります  霊界の指導霊に

お前は自分の事、自分の家族の事ばかりで

他人(ひと)びとのお役立てに ほとんど成ってないぞ

なんて 申されないように

お役立てに成って頂きたく念願致すもので御座います

もちろん 自分も同じであります

そうして真の功徳と真理到達の功徳により

素晴らしく高いへ進みたく思いませんか
(今のそこそこの生活の安定と 
今の幸福感に安堵いたすことは大変危険であります)

そうでしょう 思いますし 願いますよね

その為には実践いたす事であります

愛行 広宣流布の業であり 行いであります

余り時間がありませんよ 活躍の人生は数十年しかありませんよ

でもね霊界の時間はとてもなが~~~いですよ

愛の業の流布を致せし人と 悟れる者は別ですが



地獄の苦しみ  天国の安楽


どちらを選びますか?


どちらが好きですか?


法華経 妙法蓮華経如来神力品題二十一 の内に

丈六の塔婆にてのご供養の大切さが書かれております

このお経は 中陰 満中陰 年忌法要の時に読む経典であります
(日蓮宗では毎日読む経典であります)


私達が愛の広宣を致し

実践致すことに精を出し

自らが変われば 回り全部が変わります

そうして 誰よりも自分

その自分自身が全てに於いて

幸福となり 素晴らしくなります

それは 御神仏が自分に与えて下さる

最高の愛と智慧の顕現の大善結果であります



真実を 其の真実の実行 実践を


肉体人間の自分が成せると思うな



イエスキリストさまは


「われみずからにては 何事をも成しえず

天の父われにいましまして成さしめ給う」


と 申されて降ります


有難う御座います



* 人々の霊魂の栄養源に成り度念い

して願う そうして吾生涯を *





真理とは秩序なり

秩序守りて働き給う神

吾々其の子なり

信じて生涯を 供養を



有難う御座います








故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







出来るかぎり 良い言葉を語るようにしようね

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ




いつも 出来るとは限りません

でも できるだけ

少しでも できる努力をしようと

自分は思っています

なかなか 出来そうで出来ない


でも 少しでも 出来るようになろう








良い言葉を語りましょ!


悪しき事は 語らない・・・・


人を傷つける事は 語らない・・・・


真理の言葉を 語りましょ!


人を生かす言葉を 語りましょ!


人に喜ばれる言葉を 語りましょ!


智慧の言葉を 語りましょ!


愛のある言葉を 語りましょ!





故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







過去をつかむな!

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






過去をつかむな!


過去をつかまず


今を一生懸命生きろ!



以前のことを持ち越し苦労することなかれ


その日の苦労は 

その日一日で足れりです


過去の思い煩いに


エネルギーを消費させるぐらいなら


そのエネルギーを


今に生かそう!







故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







感謝と明るい言葉

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ



感謝と


明るい言葉


そして 


笑顔が


平和をもたらします







最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







プロフィール

りゅう

Author:りゅう
北海道の片田舎に住んでる 私 西岡宣龍こと りゅうは 自営業者&日蓮宗の教師 であります 私 宣龍を 日蓮宗の教師へと導いてくれた 今は亡き私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 を 書いてます

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