夢 理想は 叶える為にある

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ








夢 理想は 叶える為にある



このことの為に、

皆一所懸命努力して頑張った

だから 今の結果が出たんだと 

厚座布団にドッカリ座して

生命の働きを少し止め 

静の入り口に向かわれてませんか


叶えた人々は努力ではなく、

如何なる 嫌 と思える人、

物事に対しても 辛抱し、

その場、その時を

一所懸命 感謝して

生かした 因 が在ると思う

この因のためには 




相手の為にと思いながら 

自己中心主義

自分が先生になってはいけません 

「絶対にネ」





相手の人々 物や事など 

他を生かす そうして 

完全に生かし切らなければ駄目です



相手に対し、

自分がどのように信じ

視て上げられるかです

神仏の像り給える世です

神の子 仏の子 人間です






故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







私達の人生とは

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






私達の人生とは




私達が

私達の人生であれば

私達の人生は

人々の為

人々が幸福に成って下さる喜びと

その楽しさを悟り

與る 明るい心が

その心が 自分に在る事が

最高の人生であります

私達の人生は

明るく

幸福を楽しむことが

大切であります





神様の子 仏様の子の人は

皆が生まれつき善であります

善の生命(イノチ)は

一人一人の霊魂の奥に存在(アリ)ます

人々には全員にもれなく 必ず

その豊かな 一つ種はあります そうして 

森羅には 私達が心の念いで呼びかければ

必ず答えてくださる 心 があります

全ての生きとし生けるものに

愛と慈悲をもって 声を掛けますと

必ず答えてくれます

嬉しい笑顔を 楽しい心を

吾に 光り輝く奏天 吾に在りです

相應(そうおう)の善なる全て

吾うちにありと断言し感謝せよ

奏天にある本源なる根を求めよ

そして一体の結合を願いましょう

葉は少しの間に枯れるのであります

人を変え 環境を変え

相合う光明実践の実践者となり

奔走の菩薩の吾を悟れり





故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







受験生へ 

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






明日は 公立高校の入試ですね

受験生は 今まで頑張って

勉強してきた事かと思います



自分の行きたい高校

やりたいこと


今まで頑張ってきた自分を信じて


自分の希望 

自分の願いは


必ず 成就する!


そお 強く思い 

そして 強く願い


自信をもって 

試験にのぞんでくださいね






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最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







生活、真理、供養

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ









生活、真理、供養



心理とは生活のうち、実際生活の内で見体化され自らの行動が動き出したとき

その 偉大なる功徳が発揮され、心理の本質が証拠となり証明されるので御座います

先ず、私たちは神を拝み、仏様を拝み、先祖を拝み、父を拝み、母を拝み

夫、妻を拝み子供達を拝み、周りの全部ての人々を拝み

森羅万象悉くに感謝申し上げ 拝む事の出来る心が顕現(あらわれ)ました時

私達は有難い菩薩となるので御座います

この様な心境に成り 実際の実践行動が成されました時

すべてが 悉く円満に動きますので 現代において最も

皆様がご心配されて居ります 景気 これなども余り心配なく

事業の繁栄も 上手く運ぶのであります

自己の信仰によって 心の波が変化いたしますので

イエスキリスト様ご教示通り

「汝の信仰,汝を癒せり」

の 実証と成るのであります。

ただし 自分の信仰であって 自分のみ覚った 観では

全然駄目なのであります 先ず何よりも 出来るだけ多くの人々に対し奉り

伝道を実際に行動として起こし 愛業をいたさければ ならいのであります

自分一人で生きているのではありません

ワガイクルワ、ワガチカラナラズ、アメツチヲ、ツラヌキテイクルミオヤノ、 イノチ

私達は、御神仏の大生命であります 生命によって生かされている

御神仏の申し子なのであります 皆ともに生かされている

神の子、仏の子以外 何のものでも無い 其のものどうしなのであります

ですから共々の繁栄で成ければ、ならないので御座います。

繁栄とは金儲けの事のみでは在りません。

絶対に大事で大切なことは 心 であります。

心 整うて、初めて全部が追従いたしてくるのであります

心の健康が第一であります事 ご理解頂けて居ります事感謝申し上げます

修行界の幸福には

神に通ずる 心 仏様に通ずる 心 

出来るだけ近づく事の出来る心

この心が全部ての創造(つくり)の源であります

幸福も 繁栄も 健康も 希望も 理解も

すべての行い等々が 平和と調和の内

順調に事運ぶのであります

まずこの事を お気づき頂きたいと思います

静かに座して 目をつむり 軽く合唱して

吾が霊魂(たましい)の浄化を祈り

六根清浄を祈り

六徳「智慧、愛、生命、供給、悦び(歓)、調和」

の流れ入りを祈り 吾悉く満たされたり

と 感謝申し上げ ご神仏との一体感を感じてください

なんとなく嬉しくなりますよ

ご神仏よりの無限の供給は何に対してでも

数限りなく色々(多種)とあるのであります

ですからご神仏は 与え給う 愛 であります

大慈悲心で在るのでございます

私たちも あたり前の認識ではなく

受ける嬉しさ有難さを覚りまして

同じく 人々の為にお与え致し

与える愛の尊さ、慈悲の尊さを悟(し)り

霊魂(たましい)の本当の喜びを悟り

そのままでの 心 の状態で

人々のため、もの、事の為

一生懸命勤める事が心是 必要なのであります

与える事は 結果として

吾 受ける事なのであります

全部ては 自己中心 個我をすてて

ご神仏の御心ままでの状態を

なるべく多く生出して

まず 喜び嬉しさ、有難さ

そして お与えさせていただく楽しさを知って

お与えさせて頂く事の大切さをしっかり

覚ってくださいますことを

お願い申しあげます

毎日毎日が 幸福あるといいな~

とは 皆がみな 全員思う事であると思います

しかしですね 思うだけ思っても

ぜんぜん 駄目なのであります

まず 朝目がさめましたら その今日の日に向かって

私を祝福してくださる素晴らしき朝よ

光輝く太陽さんのごとく 私たちにも 我が家にも

素晴らしくて明るい喜びの幸福をもって来て下さる

と 感謝の念いで 感謝の心を起こし

誠であります自己の心に素直に申し 満たされている

実際の事実に 御禮と感謝を申しあげる事で御座います

天地万物 森羅万象の悉くよ 有難う御座いますと

言葉を発し 声を 大 にして発するもよし

口の中で唱えるもよし 出来るだけ言葉にて

発声する方がよいのでありますが

ともかく 心 よりの感謝 

此の感謝の念いの心が とても大切なのであります

当然のこと感謝いたすから 良いものが集まってくるのであります


欲するもの 好ましきもの自ら集まり来る


真を祈り真実の心にて 感謝致すところには

必ず集まってくるのであります

吾が内に内在したまう 神様仏様の生命の働きが

生きていられる何よりの証拠であります

無限の智慧でありますご神仏 私達を始め

全部の全部を知り給うご神仏

此れが全智全能なる本当の大生命なるご神仏なのであります

吾々一人一人の本当の親様なのであります

私達は恵まれた親様の 子 なのであります

絶対に忘れないでください

ご神仏であります親様は

私達の幸福を大変お喜びくださるのであります

その為には 私たちは常日頃いつの時も

心 をご神仏に振り向けていなければ駄目なんですよ

私たちが本当に 心を ご神仏に振り向けた時

大変有難いことに ご神仏の無限の智慧の愛の波であります

念波動が全然切れることなく いつの時も 繋がっていてくれるのであります

自分が振り向けば良いのであります ので 大変簡単な事ありますよ

今日はご神仏の日だ 明日もご神仏の日だ 明後日もだ

必ずご神仏は 私たちに私達の家族に そして 私達の回りのすべてに 

本当の幸福をもたらしてくださると信じ

堅固な心と身によって 信念持って 感謝申し上げる事です

当然のこと 他人達 すべての人たちの 

幸福をも願うのが あたり前の事であります

他の人の不幸を喜んだり 仕方ないさ 等と思わぬ事ですよ

そのような想念は 相手様の不幸を作る事にもなります

結果として自分が極限の不幸者となる事になるのであります


ご神仏の世界 天国浄土にては 

誰々が幸福で誰々が不幸であると言う様な事は無いのでありますが

現象世界にては 何か人の犠牲のところに

時分の幸福が在るように感じられる人々 又

人によっては 口先ではうまい事を言い 自ら

自分の立場や尊厳のみを重視いたし 何か事が起こりますと

自己非害意識に入り 自愛の心に執われる人

そう思い考え実行致す人々が 実際には沢山居るのではないでしょうか

でもね 皆様は他人の幸福  

悦びを祝福して差し上げる念いの(おもいの)心なくしては

自分の幸福や悦びは到来いたしません

本来の実相界なる処にては 犠牲を相手様に強いることも全然ありませんし

対立も在りません 勿論 不調和など無く

在るのは 調和と平和のみであります

その処より生まれ生れ出た私たちその私達は

神に守護られ神に導かれたままで生かされている

神の子なのであります 再度申し上げます

私達は 神の子なのであります・・・よ

神の子でありますので 調和なのであります

ですから 人々の犠牲の上に立って

自分が幸福になったり 楽しんだり 喜んだり

歓楽(たのし)んだり致す事は無い

絶対無いと 自己の真の心よりの発生と祈りにより

全ての人々の幸福を願う 祈りの出来る人(私)

又 人々の為実際行動 愛念業(愛念行)を成せるのが

私 誰々 神の子・・と宣言し

自分の慈悲の念いに満たされた心を

多くの人々に流布して頂けたらと 思います

自分のみならず 子孫の繁栄の為でもあります

全てが本来平等であります 完全以外絶対無いと

信念を持って唯有難いと感謝致すことであります

相手様に余り必要以上に関せず 関心を余り示さず

「着する心 嫉妬の心等々」 放ちて 

生命礼拝を致しますと 案外精神的に楽であると思います

あの事 この事と限定致さず 放つ事が大事であります

放つ事により 一種の憎しみ 怨み? 不平不満が

起念致しませんので ジシンが幸福となるのであります


「無着の心」


私達は神の申し子 仏様の申し子であります

ご神仏より愛と慈悲を無料で戴いている私たち

何かご神仏の理念 

事のために その為の使命として

私達は地上に対立無き幸福の処を現す使命があるんだ

・・・・・と思う 自覚が必要なのであります

人まかせ(責任)ではなく 自分が奔走致さなければ

誰がする・・・との 意気込みで頑張らないとだめであります

人々の為に奔走致さず 人生を楽しく幸福で終わろうとしても

なかなかそう上手くは事運ばないのであります

物理的に お金 物 財産など 又

最も大事な健康が維持致していける間は

多分大丈夫に思いますでしょうが

自分の要求と都合になかなか合致しないものであります

そのわけは 欲心に執着した心的波動があるからであります

同じ要求的 欲でも 人々の幸福を願う念いに

少しだけでいいですので 着してみてはいかがですか

神様は愛であります 

愛は受け取る事ではなく 与えることが本望なのであります

私達の 現在の存在も 愛の現れの実態であります

神の子の私たち 同じことを出来るだけ多くの接する人々に

布施し広宣致し 実行致すことでありますし

そう致せることにより ご神仏の尊きと 守護りを

受ける事が可能なのであります

私達はご神仏の理念を此の地上に真髄化ための役割があるのであります

平等を真髄化する役目 平和を具体化する役目

幸福を具体化する役目 調和を具体化する役目・・・

などなど まだまだ 沢山ありますが

私達は その役目の媒介者なのであります

真髄化する媒介者 これが神の子仏の子の 私たちなのであります

幸福の到来 喜びの到来 嬉しさの到来 健康の到来

繁栄の到来 等々は 大変嬉しい事であります

その到来を願いお求めに成られますなら

具体化のつなぎの媒介者となり 実際の行動に参加いたさなければ駄目ですよ

要求だけは致す でも 行動はしない

そんあ勝手な都合主義は 絶対に受け入れられないのであります

行使も致さぬ人に 幸福や喜びが存在(ある)わけがないのであります

もしありましたら 私は不思議におもいます


全てに通ずる幸福の到来を願うには

自分都合の思いを捨てまして 真実の心の波動波長を常に持ち続け

「ご神仏は私に何時の時も 全ての幸福をお与えくださる善き日と時と

場所で在ると信じ 今がその時であると信じ切ることであります」

そうして心より伏して期待いたす事が必要なのであります

その為の心構えは 常に絶対忘れることなく

心明るく 全ての幸福の到来が 来つつあることを

心で念い 有り難く感謝いたす事が 必是なのであります

先んじての御礼であります

既に成れりと感謝いたす御礼であります

御礼と感謝は必ず具象現実化致すのであります

親様であります 神様仏様ご先祖様 回りの人々全部の

感謝を忘れなきように お願い申し上げ度々お伝え申し上げます

決して ウヌボレるな! ご神仏ありての諸行(わざ) 

吾個人の業在りての事ならず であります・・・よ

ご神仏の世界には差別はありません

ですから 誰々は幸福 誰々は不幸 等と言う

差別は絶対に無いのであります

全ての超越世界が(断定断言)神の国仏の国なのであります

その超越の処より戴いた生命が 

現実の神の子仏の子の私たち一人一人なのであります

ですから 全く差別も限定も無いところなのであります

ですから 誰でも全ての幸福を受けることができまして

それを具体化致す事が出来るのであります

私は不幸という念いの心を捨てよ

私はいつも幸福だ 健康だと信じ 感謝し御礼を申し上げよ

そして調和せよ 調和は何にも勝るのであります

ご神仏の智慧は 感謝致し真実に生きる事であります

吾 心 誠でありますれば 必ず全部の幸福が

実際の生活の内 生涯の間一時も離れることなく

自分を守ってくれるのであります

ご神仏は 善と幸福であります

その大生命が私達の生命なので御座います

その生命が 生命が一緒である私たちが

神の申し子 仏様の申し子であります

実際の私達なので御座います あり難いと思いませんか

神の子仏の子なんですよ 自ら選んでいる事ですが

今現在 悪い奴も 罪のある者も 本来無いのでありますから

本人自身 受け入れ懺悔致し 変わる事 可能ならば

必ず一人残らず 幸福になる事が出来るのであります

だからご神仏は 与えっぱなしの 愛と智慧なのであります

これが神様の全然なき 愛と智慧であります

誰々に全然関係無く お与えくださるのであります

受ける側の 心 身体の問題のみであります


吾より発する雰囲気は 明るく明るく善を呼び

吾より発する雰囲気は 明るく幸福を呼ぶ

そうして 霊的雰囲気は 受くるも 与えるも

相ともに 一段となって 全ての幸福を得る事が出来るのでありますし

私達の住む地上に天国なる処が実現いたすのであります

出現し始めると申したほうが良いかも知れません、、、ネ

ご神仏の創造のこの世界 この世界には 本来悪いもの 

本来悪い所も無い これが本当なのであります


善も 悪も人間が作る環境なのであります

それも全て 欲と執着と嫉妬と 見栄っ張りの人間の発想です


しかし 現実には 病気や 対立や 災難や 悩みや 貧乏などが

あるように 表れているのはどうしてなんでしょうか

実際には中々難しい事でありましょうが

病気 悩み 難 貧乏等は 自分自身が描いた


自己中心の返りとしての 悲しみの想念の

一種の投影であると申しあげなければなりません


「実際に中々難しい事でありますが」と言う事は

人間としての人間の欲心に着したり 必要以上の執着による

自分本意の状態による処の対立や

相手を悪人と見て 自分善人の 低レベルの思想 想念が

調和を欠き イライラした心の状態が  

現象を 自分の個我によって 色々と変化して見てしまうのであります

その結果として身体に 不健康と不具合を生じてしまい

精神的にも少々駄目になってしまう事も 多々在るのでございます

(勿論霊的波動による処も在ります事もお忘れなくね)



自分の思想、想念での結果の病気や 悩みや 不幸と感ずる事

対立 貧乏等は本来無いのであります

本来無いので在りますが 本人が否定したり

受け入れる心に欠け 真理の理に従わなければ 現象にはあります

ですから 誤りて想念いたした描きをすぐ止めると

大変良い結果が生まれでてくるのであります

本当は全然無い状態であるのに 現象に現れているのは

真実(まこと)を覚ろうと致さぬ勝手欲の迷いであるからなのでございます

例えば 暗いところに明るいライトを当てると

暗さは消えてしまいます 事実誰でも理解できる事であります

同じ事なのであります ですから

真実を受け入れる事により 現象の悪なる出来事も

消滅してしまうのが本当の事なのであります

ですから 常に 私自身をお護り下さる

神様仏様が 内なる 自分の内に宿っていて下さる事に

感謝 しなければならないのであります

ちょっと なれると 忘れてしまう

自分の心の情けなさを省みる 必要があると思います

まったく 何の要求もなく 私達にお与え下さって居られる

愛 と 智慧 と 慈悲 この事に対しての

感謝の念いが 全然皆無で在るがゆえ 駄目なのであります


愛 と 智慧 と 慈悲 によって生かされているのが

私達なのであります この事を忘れて生活している人は

神の子仏の子で無いと 小生思うのであります

単なる物質的人間と思いたくなるのであります(私はね)

常にご神仏を忘れず いつも一緒でありますと念じ

常日頃より ご神仏との一体感を忘れない事が

本当に必要な事なのであります

一日数分の祈りの念いを 出来るだけ長く

維持致し日毎を暮らすのが良いのでありますよ

深めよ 神仏との一体感を

信頼せよ神仏を

吾が内に宿る神仏を礼拝せよ

そうして 神の子仏の子どうしを

助け合い 生かし合い 認めての生涯は

素晴らしものがあると思います


如何にも被害者や こまった様な振りをして

へナマズルイ態度や行動を致すな

自分の都合主義にて相手を利用するな


ご神仏は今ここにそうして吾が内に存在(いま)して

愛と慈悲と智慧もって 私たちを護ってくれています

導きの智慧持って我々を常に 導きくださり

又 お守護下さり 最大の富を与えてくれています

最大の富を与える為には 都合よく行くのを求めるのではなく

智慧であります 真実を実践する事であります

ですから 私たちは一時もご神仏より離れることなく

断がっていて感謝いたしながら 使命奔走致すことは

当然のことながら全ての富と 幸福を受くる事が出来まして

貧しさや 病気や 苦痛苦悩より 解脱いたす事ができるのであります

想念のみでは駄目であります

実際に観座観法として祈らなければなりません

祈る事により ご神仏の智慧が生出すのであります

そうして 善念の波動として周囲や自分に働き給う

善き思いの波動が生出し給い 全ての悪なるもの 事に 波及し

自分と自身の周囲の困難が消え去るので御座います

中途半端な祈りは全然駄目であります

霊魂よりの切なる願いと祈りは成就いたしますよ

祈りでありましても 受ける祈りばかりではなく

感謝できる 森羅万象 相手様の為の祈りが大変大切でありますし

相手様の為の祈りが大変大切であります

受けたり 頂くことは喜んでありがたかったりしますが

出すのは中々出来ない人が多いですが

それは 心貧しき人ですよ

生活の内の幸福とは秩序整うのが本当であります

家を建築致すにも 土台があってその上に家が建つのであります


一義は秩序なくしては 成り立たないのであります

普通の家族では 主に対して ハイと従う事により

案外上手く事運ぶ場合が多いのであります

主とは 良人のことであります

良人とは 良い人と書きます

ですから 良い人ありますので 当然のこと

ハイ と従う事が出来るのであると思うのであります


同じ家庭の主であり 夫 ありましても

自分中心で 自分の立場を護る事が出来るように

相手(家族の者達 特に妻に対して)を 抑圧し

暴力を振るう事もある夫 

妻たちを自分の勝手と都合に合わせ

自分の気分の状態を表現する低能力の夫

自己の気分精神状態のイライラなどにより

自己統制も全然く出来ない無統制な夫

こんなんは たまたま男として生まれ 家族を持ったから

夫と名のつくだけの事なのであります

本当の おっと とは 

良い人と書いて 良人と言うのですよ

特別立派でなくても 普通の理論で 受け入れる事も可能であります

良人なら 誰だって素直に従い ハイと言って上手く行くのではないでしょうか


恐さの為と 何とか我慢して上手く行く為と

自分や子供の生活 その他の為に ハイと従わざるえない事もあると思います

(属に言う処の カカア天下もありますね)


全てが全て 主だからといって 従う事のみが本当なのでしょうか

秩序を守る人なのか 自己中心で勝手な生き方の人かの判断は絶対必是と思います


日本古神道の教えにもありますが 

夫として 夫ある家では 夫が一家の中心者となり

安全安定の為のアイデアを定め伊佐那岐命の役目として

多くを定めなければ成らないのであります

それは幸福と安定の為 又 家の者に安心を与える為であります

最低限安心を与えることが出来てこそ

一応 「夫」と言えるのではないでしょうか

家の者 子供等に何か 内題等が起こってくると

お前が悪いからだと 相手ばかり せめる 

妻や子や周りの人をせめるだけせめて 自己改善は全くなし

こんな人に 素直にハイと従う事が出来ますでしょうか

少なくとも理論理屈に正当性があれば お話し合いのうち

素直にハイと従い行く事が出来ると思いますが

自分都合に合わない事や 話しは全部お前が悪いと言う者は

これは男として生まれた使命を全然悟らぬアホ野郎でありまして

生まれ変わりの修行の全然足らない 低レベルの

修行途中の霊魂の持ち主であります

「生まれ変わりの修行不足とは 霊界?に於いても 現象修行界にても
全部く(まったく)素直に受け入れずの生活者です」

こう言う人に縁を持たなければならない人も可哀想に思いますが

その時の選択方(えらびかた)の間違いなのではないでしょうか

ですから 常日頃の改善と 自分の霊魂の状態を安全に

見定める心 が 大事なのであります

「見定める心・・・真実の心(御神仏の波動の心)

良人とは 霊的中心者のことであります

霊的中心者は平和調和の為のアイディアマンでなければなりません

安心と安定は相手に恐怖を与えないことで在ります

この様に成りますと 妻も子供も 自分の我を主張することなく

普通の調和と円満な状態での生活が出来るようになります

普通の生活の内には恐怖が存在しません ですから

嫉妬も執着も愛着も染着も全部 現れず 円満に事が進むのです

信頼に自己を開く時 我より発する処の要求も余りなくなり

家族が一体となります

夫婦においても円満な関係が結ばれるのであります

又 お互いの欲する事が成就致すのであります

「空無疑(むげ)と申します」

御釈迦さんのお弟子さんで加葉尊者と言う聖者がおられます

加葉尊者と同じお弟子さんの阿難尊者が

悟りの秘密を加葉尊者に教えてくれるよう頼んだ時

加葉尊者はしばらく黙っていて 突然・・・

阿難と名を呼んだのです(仏典には厳かな声で呼んだと書かれています)

その時聖者たる阿難尊者が 威儀を正して

「ハイ」と答えたと伝えられています

此の時 加葉尊者は阿難に対して

「もう既に仏法の悟りの極意は教え終わった」と申されたそうであります

上位の言葉は偉大なのであります 上位でありますことは

それなりに 役目を整えてこそ上位なのであります

良い人と書いて良人とはこの様でなければなりません

阿難尊者の如くに成って欲しいと願いますならば

しっかりとした おっと「良人」と成る事であります

互いの無我随順の 「ハイ」であります

此の時 森羅万象が整うて円満となるのであります

地上仏国成就となります


前後になりますが 私たちが今あることは

私達の祖先があったればこそであります 

私たちは 先祖各位の霊をお祀り致し 

ご供養の真理の言葉を発して 

供の 供養をされている事と思います

真理の言葉とは 霊に対しての栄養剤であります
(霊に対してとは 私たちも霊であります・・よ)

霊魂を養う糧なので御座います

霊魂にとって最も大切な栄養剤は

真理の言葉と真理の力なのであります


人達は特別な使命の在る人以外は全員が全員と申しても

差支えが無いと思いますが 肉体を脱して霊界へ向かう時

その霊魂は肉体を脱する時の苦しみから

除(のが)れる事はできないのであります

それは脱する時に「断末魔」の苦しみが共ない

一時的ではありますが 気を失って意識がなくなります

と いう事だそうであります


「死した人の顔を見て 苦しみの顔ではなく

何か安楽の死に顔と申す事が多くありますが

それは御神仏の 念い違いによる所の断末魔の苦よりの

解放の為の意識消失の業なのであります」



人間として肉体に着する心の波の強い人で在れば在るほど

そうであると小生は思います

本来霊である私達 その私たちが現象欲 執着 嫉妬

自由自己主義の生活を致して来た処への

着する心の在る者がそう簡単に 肉体解脱の法を

えとく 出来る訳が無いのであります

ですから その者たちが霊界に転生して いずれ目が覚め

意識回復して気がついた時

現象界生活の中での病気や 自分勝手による苦しみや

悲痛な思いのときのことを思い起こし

肉体が在った時の病気 苦しみ 悲しみ等の状態が

今此処に在るとの意識を持つのであります

ようするに 肉体人間の時の念いが そのまま在りまして

この霊魂は 肉体意識より抜け切る事が出来ないのであります

ほとんどの人が死の直前の時の事を 

転生の所で目がさめた時の間の事

すなわち無意識中の事は全然解らないのであります

ですから霊魂は迷念でありますが 

今だ此処に肉体があると思うのであります

ですから肉体が在ると思う念い(おもい)が在りますので

腹減った と 思ったり水物が飲みたい等と

願いその念いを起こすのであります その霊魂の状態が大変なのであります

それは全然自分の事 そうした現状を解っていない霊魂でありますので

で 自分はこんなに食に餓えているのに

家族は何も食べさせてくれないと思い

また 自分がここに居るのに全然解ってくれない等

その想念を発するのであります 大変なんですよ この想念は

この想念は 霊魂自身は餓えと渇きを感じて 苦しむのであります

当然のこと 失礼ながら まだ悟らぬ霊魂は

その心 「執着 嫉妬」が現象界の物質や形に執している為

自らが縛られているのであります(自縄自縛と申します)

例えますと 前世過去世の自分の諸業の結果をきちっと処理できず

苦しむのであります 生前中 反省(かえり)見る事も

余りか 全然か解りませんが 無き人に多い状態であります

懺悔など全然皆無の人間であります

自己非害意識は 誰よりも強く自己善義も強く

私は悪くない 誰々もそうでしょと 相手非難の思想を起こす人間

本当に観によっての 実際の改善も致さずの人生で在ります と申せます

一時は頑張って良くなったように見えますが 元 元へと戻ってゆきますので 

守護神の入れ替わりも大変困難となります 当然のこと

再行か 再々行か 解りませんが そのまま(多少は改善されているかも知れませんが)

いずれ再び現象界に生まれ 修行と言う名のもと

想像以上の苦しみ苦難の内 再び霊魂の継がりによる

肉体修行を致さなければならないのであります

また 救われる事なく 悟る事無き霊魂の想念的波動に頼られ

苦しむ人々も多々居られます 大変迷惑な事であります

本当はその霊魂の苦しみや 渇きや餓えは本人の責任で在りますのに

勝手な奴程 人々に頼って来るものなのであります

自分責任で修行致せば良いのですがね そう思いませんか

残念で在りますが 地縛霊は中々救われないのであります

しかし救いが難しいからとて 知らない扱いは出来ないのであります

仕方なくでも 仕方ありませんので とりあえず

肉体の無い霊魂でありますが・・本人はあると思って居りますので

食や汁物や お茶水など上げて お供え致し

真理の言葉を読む事が大事な業と行であるので御座います

ご自身の将来の救いと

霊魂浄化の徳と思って頑張りましょう!


いつも申している事でありますが 絶対忘れることなく

必ず 6丈塔婆でのご供養の儀 お忘れなきこと

強く強く申しお伝え申し上げます

それから 祥月命日 施餓鬼供養 その他法要なども

必ず忘れず祭事致してください 食べ物 飲み物等必ずお供えしてくださいね

必ず救われると信じて下さいね

信じて信じて信じきって仕切る事は 最も大切な事であります・・・

が 相手の人(?) が 極悪の諸行をして死した霊魂は

中々難しいのが 本当なのであります

救われると信じて行う業に 神の波動仏様の波動が

必ず現れまして 行う私達自身に救済の導きがあるので御座います

それは 仏様の大慈悲の救いの働きが力強く現れるからであります

ですから いずれ やがて 必ず肉体を脱した霊魂が

自分は肉体ではなかったと気付き 霊である本質に近づき

悟る事ができる時がくるのであります

と 期待しまして頑張るより仕方無いのであります

それは 悟りの基盤が出来る事でありまして 悟りの第一歩なのであります

これでやっと 第一歩なのであります


今だ沢山の霊魂が まだ 自分は肉体を持っている・・・

と 思ったままでいる 霊魂がいる

肉体の死の直前の苦しみ 悩み 病気 

自らの死などの続きを抱き苦しんでいる霊も多くありますし

地上の物質欲心を持っていて 地縛して苦しむ霊も沢山居ます

過剰な男女の関係に執し縛られていて苦しんでいる霊もあります


なので 第一歩の悟りを 前へ前へと進み行かせる役目は 

私達一人一人の子孫の義務なのでもあります

私達は神の子仏の子であります その私たちが

前述の霊魂と同じ道を歩んでは駄目なのでありますよ

苦しめる霊魂に (誰々さん) あなた方は 

今 霊界に住る(いる)んですよ と知らせて上げなければならないのです

力念(力強い念い)で 肉体の思いに執着致すな

本来ない肉体だ だから今 今肉体の無いところにいるんだ・・ぞ

と 大宣言申し上げてください この宣言は


私たちの 使命なんです!


出来るだけ感謝の念いを持って行うほうが

当然 大変良いのであります・・・・・・

が まぁ・・・・仕方なく・・・でも いいとしましょう


極悪の霊魂 そうして自分本意の諸行で 不特定の人々に

迷惑を掛けて来て生涯を終了した霊魂以外の多くは

法事や法要の時 又 常日頃の御供養の義を受くる時

又死後の葬式の時等の時 それなりの人々の集まり具合

又 親戚や知人の集まりを見て お経を上げる光景などを見て

あ~ 自分は死んだんだな~~~と 感ずるのであります

そうして今私は 霊界に住るのだと気がつくのであります

自分の肉体の死を 自然と悟ることが出来るのです

お釈迦様お示しの仏教では 死後 初七日

二、七日 三、七日~七,七日迄の 四十九日間を

中陰と申します(中院とも申す)

死した霊魂は49日間の時を過ぎてから

幽界へと向かう事ができるのであります

此の時 勢至観音 弥陀 如来さまがお迎えに来て下さる

と 言う教えの宗派もあります この時

即天国なる浄土へ向かう事は 先ず無理なのであります



「霊魂と言うのは 死して肉体を脱したからといっても

生きていた時の諸行による 怨みや憎しみ 嫉妬等など

他 マイナス的精神波動の対立の蓄積による処の悪臭(体に染まっている)

それから 病気などによる体臭の不快な臭い 又死臭等が

その霊魂に付き纏っているのであります

ですから その臭いが清まらなければ なかなか

幽界に向かう事は難しいのであります」


ですから その霊魂は幽界の入り口のような所の前では

浮浪しているのであります


これが 中陰であります


四十九日を過ぎ五十日の満中陰を向かえたからといって

必ずしも第一の幽界へ向かうこと絶対可能かと申しますと

必ずしもそうではありません 

むしろ順調に中陰を終え満中陰を向かえる霊魂は少ないのであります

ですから 私たちは 現在の修行の内の

諸の業と行いが大事であり 大切なのです

中陰の内での悟りの霊魂は素晴らしいのであります

浄化の中陰の期間を終え 満中陰を向かえ

再浄化の修行の処へと入って進み行くのであります

再浄化と申しましても 霊魂に纏わるそれぞれの

色々な業因が 全部が全部そう簡単に 浄化されて

解消される訳ではありません 

物質界に着していた部分の一部が浄化されるだけの事で在ります

 
先ず絶対大事で大切な事は 生きている私たちが

今 忘れず 私は神の子仏の子 本来肉体無し

吾肉体的存在に非ず と 悟り覚っておくことが

今! 今! 今! 今必是なのであります

この事悟りますと前述のこと 大丈夫なのであります

現世諸行の中で 人々の為 一所懸命頑張って来て

死した霊魂は普通よりも早く解脱し 迷いよりの束縛から脱し至るのであります

大変喜ばしい事に そのような霊魂は必ず 御神仏の護りの内

浄魂 浄化作用も大変上手く運びますので 仏教で申しますところの

神通力を得る事が出来まして 御自身の報恩として

守護神守護霊となって 私達を仏の子として

富と健康と繁栄とに導いて下さる 高級霊と成る霊もあるのです


私達個人個人の 守護神守護霊となって戴くためには

その(ご先祖の事)霊魂の為に一所懸命 毎日毎日当然の事として

真理の言葉をお供え致さなければなりません

そして 私達自身の行動、諸業も誠でなければなりません

いくら真理の言葉をあげましても 常日頃の生活状態

又 心の置き処による 人々 もの 事に対する行動

自分都合主義の生活者 口先だけの嘘つき者

表面ニコニコ 心悪魔の人間 相手を縛る着心多き人間

自分だけを大事にして欲しいと願う人間 等々在りますが

この様な人々はまず 守られる事はむりであります

本当に正しくしての行動 人々の為の奔走 実際の実践を致す事は

私達の子孫の大繁栄にも 大きく繋がる事になるのであります

親がそれなりの仕事を起こし 今現在上手く行ってると致します

その後継として 子供がその事業を引継ぐと致します

しかし 親の七光りの内での仕事は 残念ながら長続きしないものなのです

それは 親が創った土台の上に乗り 苦労も余りせず

感謝報恩の念いも大変少なく 自分が上役(えらく)なります

ですから なかなか難しいのであります

苦労も余りなく 人々との付き合いも上(うわ)べで・・・

一見大変上手とは思いますが

まことに欠ける所が多く在ると思うのであります

又 働く者達に対する愛も 結構欠けているものなのであります

仕事でも 政治でも 愛 が大変大事であります

愛の無い仕事 愛の無い政治は必ず失敗し 

国民の不幸を起こしてしまいます 皆様ご存知であると思いますが

個人の仕事でもそうなのであります

愛の無い仕事 即ち 感謝の無い仕事

又 上手く行かないと 不平不満の仕事になり

不平不満の言葉ばかり発してしまう 全ての原因ではありませんが

此れもですね 引継ぎの人たちが一所懸命

ご先祖様 相対し接する人々に 感謝の供養(共に養う意)も

当然 報恩感謝も致さず 自分都合に合わせて対応し

祈る程度の事しか致さぬ 低次元の魂しか持たない人間なのであります

ですから 上役(えらそ)ぶる事は 一人前でも調和感謝を悟る事の

出来ない未発達者なのであります そういうことから申しますと

仕方ないのかも知れませんが 願わくばいつの時か

お覚り頂き 頑張って欲しいものです 

何も仕事を起こしている人だけではなく 個人個人の所でも一緒であります

ご先祖の御供養は 私達の住む現世界に

偉大な影響をするものなのであります


ご先祖の供養による影響とは 例えますと

今迄と全然違う性格に変わり大変良くなりまして

回りの人々がビックリ致す事も 実際に在るので御座います

それは 素直に受け入れる事と 観による大改善の良き結果なのであります

又 良き結果は 御神仏の働きでありまして

与える愛の実際の証拠であります ですから有難い事に

運命も大変好転致すのであります 勿論の事

子孫も大変幸福となり 同じく運命が好転致すのでありますよ

又 迷いに着し苦しむ霊的雰囲気による波動の迷いや

病気のような事も本当に 一変致すのであります

真理の言葉の読誦供養も 只読むだけでは駄目であります事

御存在であると思いますが 一念 愛持って 何よりも 

深く深く身につけて 頂きたく思うのであります

だからといって 自分のご先祖供養のみの諸行でも駄目であります

では どのように致せばいいのかと 申す方が沢山居ますが


愛の対象となる人は それこそ 沢山沢山居るのであります


忙しい忙しい とばかり言わずに 時間を見つけて

愛の伝通を致す事忘れないでくださいね

自分の本当の幸福を願い 成就を求めるならば

回りの人々の幸福を祈り

愛の業を実際に実行致し 悉く 仏性なる

森羅万象 調和の為(環境等々もです)

真理と供養の大切さを流布いたす事であります

是非 いずれ行くであります  霊界の指導霊に

お前は自分の事、自分の家族の事ばかりで

他人(ひと)びとのお役立てに ほとんど成ってないぞ

なんて 申されないように

お役立てに成って頂きたく念願致すもので御座います

もちろん 自分も同じであります

そうして真の功徳と真理到達の功徳により

素晴らしく高いへ進みたく思いませんか
(今のそこそこの生活の安定と 
今の幸福感に安堵いたすことは大変危険であります)

そうでしょう 思いますし 願いますよね

その為には実践いたす事であります

愛行 広宣流布の業であり 行いであります

余り時間がありませんよ 活躍の人生は数十年しかありませんよ

でもね霊界の時間はとてもなが~~~いですよ

愛の業の流布を致せし人と 悟れる者は別ですが



地獄の苦しみ  天国の安楽


どちらを選びますか?


どちらが好きですか?


法華経 妙法蓮華経如来神力品題二十一 の内に

丈六の塔婆にてのご供養の大切さが書かれております

このお経は 中陰 満中陰 年忌法要の時に読む経典であります
(日蓮宗では毎日読む経典であります)


私達が愛の広宣を致し

実践致すことに精を出し

自らが変われば 回り全部が変わります

そうして 誰よりも自分

その自分自身が全てに於いて

幸福となり 素晴らしくなります

それは 御神仏が自分に与えて下さる

最高の愛と智慧の顕現の大善結果であります



真実を 其の真実の実行 実践を


肉体人間の自分が成せると思うな



イエスキリストさまは


「われみずからにては 何事をも成しえず

天の父われにいましまして成さしめ給う」


と 申されて降ります


有難う御座います



* 人々の霊魂の栄養源に成り度念い

して願う そうして吾生涯を *





真理とは秩序なり

秩序守りて働き給う神

吾々其の子なり

信じて生涯を 供養を



有難う御座います








故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







相手を許し、今世~来世~双び今世へ

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ




相手を許し、今世~来世~双び今世へ




ああ自分は此れでよいのかな、

こんなんではいけない


相手に対して敵意は無いのかな?


何かがあって、少し考え、

反省のすがたのような形を一時的に見せるが


又 その様な態度を表す、

しかし基本的な心の観の転換の無いもの(しない者)は


自分が正しくて 相手が悪いと 

自己中心主義で最悪の悪魔化した


言行動取りながら 全く今の自分に気付かず 

悪性の病気(性格、精神,等等)


マイナスの人生 生涯的行動を歩みながら 

今在る時分に気付かず


自己破壊の道柄を歩み 

今世を終わり 地獄の苦しみを


霊界でも持ち続け 

大変な悪行の主たる生業の宿業


そうしてふたたび霊界での

業苦修業(行)の為・・・


そうして 再度生まれ生出る事があっても

同じ苦痛の中に在りて


楽無しの生活を致すことと成る

(大変な激しき苦痛の共なう生き方)





怨みや憎しみに満ち 自分が正しくて相手が悪い(確認もせず)


だから相手を許さない(しょせん自己中心主義での判断ですから)


馬鹿馬鹿しく哀れな心の持ち主ですよね、何とか救われて欲しいですね


本当にそうと思います、でも中々大変でしょうね


自分、自らが本当に変わらなければ 駄目ですよ


憎しみには 愛と慈悲持って接し


不平 不満には 深心より感謝の心で接し


悲しみ 悩み等には悦び接し 喜びの心を持って接することです


まず心の感情を善であり 平和に致す人が1番です


六根が真清浄であり誠真無垢でなければ 


本来の大生命なる生命(いのち)は顕現(あらわ)れないと思います



如何でしょう・・・どのように思われますか


今世での修業生活は出来るだけ少ないほうが良いのでは・・・





怨み、憎しみ、自己心の波動に支配されるもの


全てマイナス的な思考の人


自己感情にて態度に表す人 ようするに




不調和な人


このよう人は(今は大丈夫でも)激しい苦痛の内


色々と大変な事を必ず致さなければならない<



他人と、物事と調和の出来ぬひと 常に自分が正しくてね


仮に反省し見ても少しだけ、後は全部相手が悪く(自己感情のまま)


全部相手の責任 この様な人は、人間で(相)あっても


実は 地獄の使い人(三悪道)、一時的に悪が勝るように見えます


しかし 少し時間がかかるかもしれませんが



必ず 善が勝ります(執着せず)




勇気を持って立ち向かい、正しき誠の真理を通年持続し



不自情身命の信念、観念の源 善者は、善者の輪を作り


自己の回り、又 自分と接する多くの人々の為に


お役立ち出来ますように致しましょう


人の数ではありません、誠をどれだけ多くの人々にお伝え出来るかです


そうして お救いのお手伝いが、出来えたかどうかです


誠に結果は追従いたします 頑張りませんか




人々の為、自分の為




故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







般若心経

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






般若心経


般若心経の内に色即是空 空即是色とありますこと 

皆様ご存知のことと思います。色とは、色々な うつり変わりのことであります。

物質のことでもあります、在るようで 実はないと言うことであります

しかし必要に応じて表れても致す訳であります

この事を お釈迦様は本来五官に感ずるものは何もないと 

申しお伝えくださって居ります此れを 

仏教の言葉で 五蘊皆空 とお示しで御座います

この五蘊皆空に照見(しょうけん)し給うとの事でございます

「我今五官の世界を去って 実相の世界に入る」です

本来五官に感ずるところはないのでありますよ と 言う事なのであります

ですから肉体に溺れて 生活致して居りますと

絶対に 成仏も 天国もないのであります

あるのは 地獄道 餓鬼道 畜生道の 三悪道のみであります

本来無しと お悟りに成り 悟ることが出来て

断ずることにより 成就致すのであります

所有していながら無所有の理(ことわり)で御座います

現象の物や 肉体に 執着致す事により

苦しんだり 悲しんだり 悩んだり致すのであります

その結果は 対立 争い 等など悪いことが沢山おこってくるのであります

お釈迦様は 五蘊皆空と照見して

「度一切苦厄」 とお示しで御座います

(度 とは助けるという意味です)

五蘊を照見致す事により 吾われにある

一切の苦厄が 消えるとお示しなので御座います

病気も 災難も 苦難も 全部消えると言うことで御座います

肉体に執するな 物質に執するな 

執着致す事による結果は 心の乱れと成りまして

病気や 苦痛の原因となるのであります

私たちは 神の生命 仏の生命の顕現であります事を

本当に自覚いたさなければなりません

そうしてこの現象は不生であり 不滅であると

悟り 認める事でございます

現象物存在(あり)てそのまま無であると言うことです

無でありながら 無尽の世(実相界)たる処には、宝蔵されたるものが

理念其のままに いくらでも ある訳で御座います

物や形に執したり 人々相(すがた)に また 対応に嫉妬したり

対立闘争ムキ出しの 心を起こしたり致すことは

即ち物が 事実のものであり 肉体的心が 実際の心であるとの

念(おもい)の処より 発せられる 現実界の思いが そう致すのであります

本当のことで御座います

この事は 自分の悟りに到らない 修行不足の為のことでありまして

大いに省(かえり)みて お覚(し)りに成る必要があるのであります

いくら 心理を勉強しても 理論で知っていても 

実際に 観と念(おもい)によって 実感致さなければ 全然駄目なのであります

いづれ消え去り 消滅してしまう 物事に 少しでも執する心が起きますことは

厳しい言葉ではありますが ご神仏よりの 生命の尊厳

そうして 働きを全然く(まったく) 悟るどころか

覚る(しる)事も、不可の 低い魂の人なのであります

残念で御座いますが 仕方のないことなので あるのでしょうか?・・・

全部て(すべて) ご神仏の下命の結果なのでしょうか

汚れたものを綺麗にするための 清水の流れが少々不足なのでしょうか

それならば 自らが覚り(しり) 覚れる為に努力し

真を求め進み行き 激流の清水にて 洗い清められると

良いと思いますが如何でしょうか

少しでも 一秒でも早くこの様に致してくださいますよう願いとう御座います

皆様と共に祈りて 彼らの 幸 来たらん事を 願いたく思います

「妄想に執(とら)われず」 にで在ります 要するに

根拠の全然ない 妄想なるものの上に築かれたものに着して

執着 嫉妬 その事ににての 対立 不調和を成しては

駄目でありますよ と 言う事であります

本来五官は無いんだ念(おも)い 信じていくことが必要なのであります

真の理(ことわり)在りて 追従のことであると認め

迎合致すことであります(五官の事)

現象に現れている 物 に着し あるかの如く思い

これが欲しい、あれが欲しいと思う 

そうして それを吾個人所有と願う欲望が

相手と喧嘩をしても 時としては 殺人まで起こしてまでも

奪い合いをするのであります 当然の事 人と人も含みます 

虚言も平然と言いますしね どうしようもありませんです

般若心経の最後のほうに御座います経文に

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦  
(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい)

とお示しで御座います 要するに

早く 早く 真実を悟りて 仏に成れよ と言うことで御座います

私たちは 御神仏の申し子で在ります

神性仏性 そのものの子なのでございます

御神仏の霊魂が 私たちの霊魂なのであります

大変ありがたいことで御座います

本来諸法は不生不滅であります

未だかって 生まれたことも滅したことも無いのが諸法で御座います
(諸法とは現象存在の諸々のことであります)

無いものは無いのであります ですから実相なのであります

何かがですね 存在(ある)と思うから

私たちの心が ある ものに引掛かってしまうのであります

そうして その内より何とか自由が供なうようにしようと一所懸命頑張るんです

ところが残念ながら 何か に 引掛かっておりましては

絶対に自由は無いので在ります

本来の自由自在を失うのであります

自由自在を失う事は 迷いに入ってしまうことであります

本当は 迷い無しが真実でありますが 迷ってしまうのであります

無明という事でございます

無明を放棄致し 光明を生み出しては如何でしょうか

光明は神仏の光であり 明るい智慧と申しまして

とても素晴らしい事なので御座います

何らに迷うな 

ただ神仏に従い 行いを致し 業を成就(なす)事であります

理屈は全然必要ありません ハイ でいいのであります

欲の夢 執着の夢から さめてくださいね

慧可禅師の弟子入りのお話を少々

慧可禅師の師は 達磨大師であります

その慧可禅師が大師の弟子になるために

寒い冬のとき、先生どうか私をあなたの弟子にしてくださいと、申したそうです

すると達磨大師は

「お前なんか弟子にしてやる資格がない出て行け」 と言って

入れてやらなかった・・・と 書かれています

現代では 教えを受けるのに道場を暖房装置で暖めておいて貰って

先達者の方から

「どうぞ来てくださいませ、ただで聞かせてあげますから」・・・・


「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」


道を聞くためには、生命を投げ出して、肉体は本来無いのだから

その肉体の生命を投げ出して 今この一瞬に

「真理」  を知らしていただいたなら、

一切のものをなげうってもいい、というほどに

全生命を賭けなければならない・・・

慧可の 断び(わび?)といいまして 有名な話があります

慧可禅師は、私は肉体の救いを求めているのでは無く

又その為に弟子に成るのでは無く

「真理を知れば こんな肉体など どうなっても好いのです」 と言って

腕を切って血みどろの腕を差し出し 達磨大師の前に出したとあります

それで 弟子として入室することが許されたのです と御座います

真理を真剣な気持になって聞いて

真剣に受取る事の出来ない人は駄目なんですよ・・・

いくら本当の真理を与えられて居りましても

なれあいになっていたり 受取る人の身体の態度如何によって

ごく少ない真理しか受取ることが出来なくなることも、沢山在る訳で御座います

例えば、注意されても 我 を持って生出だし、失敗を繰り返す人も居ります
(そういう人は・・・駄目だと思います)

私たちは御神仏の本性で居りますのが本当です

ですから一生懸命頑張って、智慧ある生命を出し切り

沢山の人々のお役立てと成り、四苦を超越し
(四苦とは生老病死のことであります)

御神仏の教えを広宣流布致しまして、私たちが本来持っている

神の生命 仏様の生命を その善なる生命の波動を

知り合う多くの人々に、差し上げましょう


吾 観世音菩薩なりと 大宣言致しましょう

無量無辺の相持って奔走し 普賢菩薩の如く賢くあまねきましょう

そうして 人類救済の御為

吾 人生 吾 肉体神のもの 仏のもの悟り 本来同魂の

今だ少しだけ悟りに、遠ざかっている人たちのため

愛の実践、慈悲の流布を致しましょう、必ずご神仏が守護給います

吾 日天、大日無碍光天照大神の智慧そのものなり

吾 その愛そのものなり 吾その慈悲そのものなり

吾 その生命そのものなりと大悟し ガンバ です



我一切のものの我なり そうして大生命なり

我心(意)に従って 全部備わり

意(こころ)に従って 善き事全部 漏れなく

集まり来ると断言し、大宣言せよ


悪は本来無いが、あると見えても

自ずから去るのであります 間違い無しであります



再度申します

般若心経いわく

羯諦 羯諦 通り 早く早く

悟り 実践 愛業を祈ります

奔走は吾祥福の源なり











故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね










~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







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ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・15

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます






まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ




ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ



ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・1

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・2

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・3

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・4

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・5

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・6

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・7

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・8

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・9

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・10

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・11

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・12

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・13

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・14










ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・15





陰徳は大変大事であると申しましたが

その理由(わけ)は・・・・・

親でありましても 実際の真実(まこと)は

私達が 神の申し子 仏様の申し子

「そのもの」どうしなので在るという

真実なので御座います

現象界にては 親と成り 子と成っている

事実でありますが 互いに生かしあう

ご神仏の子なのであります

この事とをご理解いただけますよう

お願い申し上げます ですから

現実現象界にての役目としての

親の立場 この 親が陰徳を積む事は

他を生かす事であり 他の生命を

伏して礼拝致す事ともなり 他の人々の

喜び 嬉しさ 楽しさ 歓喜を生出して

差上げる 影の力と成るわけであります

ですから 特に吾子供達ならば なおさらの事

最も近い存在で在りますので 誰よりも

その子供たちの為に 役立つ諸行の所行と

覚ならば 全く何らの抵抗全然無く

一所懸命頑張る事ができるのであると

小生思うのであります そうでありませんか

感謝の念いを普通の状態での中

忘れる事無く 実践致しますならば

この影の陰徳が実を結ぶ結果が現れるので在ります





「今迄も何度も申しお伝え致しておりますが

人々のお役立ちの為 自らが何かの求めもなく

お与えさせて頂く喜びを覚りながら

一所懸命奔走し 浄財の功徳持って

他人の救済の為の資金と致し 使用致します事は

ご神仏の生命をお与え致す事と 同じ事で在ると

小生は 確信と信念を持ってあります」



私達は神の子仏の子であります

相手の幸福を願うため 先ず第一に

人は全員(みな) 神の子仏の子の

無限なる 実相の持ち主である事を

観じて視る事が真理の理として 

大事なのであります このように

自分が「誰」「彼」全然関係なく

観じ視る事が出来まして 初めて

神の生命 仏様の生命の働きが生き

生み出し湧きいずるのであります

こうして私達は 必要な時に

必要な実力が出るのであります

他人に対しても 友に対しても 子供に対しても

無限力を観じ視る事を出来る事が大事であります

大人にも 子供にも 日本人にも 外国人にも

「ご神仏の無限力が」潜在している事を

認めることであります 今より少しでも良いです

信じて頑張ることです そう致しますと

段々と改善され 神の導きのまま「よく」成ります

そう致しますと 嬉しくなりますでしょ


{その処に「善く」成りたいと言う念いの

欲が出てくるのであります}


誰に致しましても 苦しさや悲しさより

良いほうが嬉しいのが 当然であると思います

子供達の場合は特に 自分が 親は勿論のこと

友達や知り合う人々より 良く見られたいと

素直に思っていると 思います

良い子だねと 褒められたいものであります

此の処が 子供に宿り給う無限の

力(神仏の相互性)の存在なのであります

子供が この 褒められたい 認められたい

と 潜在的に求めている 心の状態を

指導的立場にある親が その事に気づき

内在の働きを引き出して差し上げる行動を

業行として 実際に 愛と慈悲の念いのままで

相手(子供達)を 神の子仏の子の一人として

人格を認め その人の為に 一所懸命

努力致さなければ ならないのであります


自分の子という 又 

自分の理想や 

念いの自由になる子供と

みるのは 全然間違いであります




子供の人格は ご神仏の愛深い

尊きの波動の内にあるので御座います

ですから 

「この人達(子供)を発展途上の

途中で無垢なる 

素晴らしい状態を

破壊致すような言葉や 態度や

強制的指導方法は 

駄目であります かといって 

溺愛では余計に駄目であります」




秩序ある真理のままでの教えに

従う処より発する思いを

ご神仏の念いに変化致し

自らが そうである事を

立証致すことが 必要であります

こう致しますことにより 

子供達も 素直に 正しさと

義しきとを 自然と悟る事となり


「現象現実の親に対しまして

感謝と幸福と喜びの観を

意識致しまして

人間的に大変立派になり

大人となって 回りの人々より

尊敬される人格者と成る訳であります」

(それぞれの置かれた処での立場)


尊敬される為には まず 頭脳の働きと

回りとの調和を計ることの出来る

人間性(理念)が必要であります

「自分はほとんど何でも知っている

との思いは 自分の ”我” を

力強く出しているだけの人であります

もしか致しますと 単なる

権力維持を願う 表面 ”つくり” の

上手い人なのかもしれません です

多分 自分は立派であると 回りの人に

知らせたいのでしょうね」




これ ダメな事であります


能ある鷹は 爪をかくす のでありますし

能なし 鷹は 爪を 出す であります




*人さまより 尊敬される人格者と成る為には

不特定の人達の悦びに お答えさせて頂く為の

愛行と広宣流布が 絶対に必是であります*




「少し不思議に思われる方も居るかも知れませんが

大人や親である私達が 

人々の お役立ちの相を現実の中 

実際に致してる状態を 子供たちは

内在している 本来の霊魂の歓びを

感受致すことが 可能と成る訳であります」


ですから 子供は親の相を見て

育まれるのであります



俺は 私は 親である・・・との

ことだけ では 駄目だと小生思うのであります

お間違い無きようお願い申し上げます


お陰はご神仏のお求めに 素直に従い

ご神仏の導きのままに 伝道実践を

致す事の大切さを悟らなければなりません

(お陰様でさまで という事の意味です)

今よりの日本国 この素晴らしい日本国の

国体維持の立役者たる人達のため

今の私達が 今すぐ実行いたしませんか


本当に私達が行動することにより

子供達の「心」も豊かとなり

神仏礼拝に始まり 先祖への感謝

親への感謝 回りの人々との調和の大切さ等を

覚り 悟れる事となり その人の生涯は

素晴らしい状態での 日毎であると

思わざるをえないのであります

ご神仏に導かれたままでの幸福な一生涯であります

来世も又 調和と幸福の内 

心豊かな状態での生活が保障されるのであります


「報恩の功徳は 

必ず自分に戻って参ります」




物質の人間では無く 神の生命 仏の生命の

私達であるからの結果であります

申しお伝えいたします

子供は神の子です 私達の子ではありません

ご神仏よりの

「おあずかり」

致している

ご神仏の申し子であります

信じて 正しき念いのまま 

ご神仏に 託する事でございます


吾が子は本来 

吾が子に非ず
 


で あります(少し悲しいですか?)

神の子 仏の子 成就(なり)

その神の子仏の子に 私達は

心して 拝む(おがむ)行いを致すのが

当たり前なのであります

お導きのご神仏に感謝御礼申し上げます






故 玄龍院龍弘日宣上人より




最後に これを 

ポチッ としてね







~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動









...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







自分が変われば 回りも変わる

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ




仏教の教えにも

「吾仏性を顕すことが出来れば 全て万事が変わる」

と 教えられています



「自分が変われば 回りも変わる」



それは私達が ご神仏の自己実現として

真実を表現致し 実践致す事により

円満に 事 運ぶからで在ると思います



故 玄龍院龍弘日宣上人より



前回の記事で


ご両親が変る事により 

不思議と

周囲が変る事実があるのであります


おもにそんな内容でしたが


これは 子供に対してだけではなく

自分の両親 妻や夫

ご近所さん 職場の人々 等々

全てにおいて 当てはまることなんです

人って 何かと 他人のせいにしたくなるし



「自分が変われば 回りも変わる」




変える! 変わる!

実は これすごく勇気のいることでも

あると 思うんです もしかすると 

今までお付き合いのあった人たちと

疎遠になったりすることもあります

職が変わったり  などなど

自分が変わると 周りにいろんな変化が起きてきます

でも その変化を怖がらないでください

現象は常に移り変わるのです


大丈夫です 

生命の本源である本質を悟り

自分に宿る 

愛の心 愛の行動をおこし

慈悲を実行してください

「愛の実践 慈悲の実行」

は 必ず 自分たちを 良き方向へと

向けてくれます



自分を悪に変えちゃだめですよ!


悪の行動は

悪の行動となって

自分に返ってきます



愛のある行動は

愛のある行動となって

自分にかえってきますよ







最後に これを 

ポチッ としてね










~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・14

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます






まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ




ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ





ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・1

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・2

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・3

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・4

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・5

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・6

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・7

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・8

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・9

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・10

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・11

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・12

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・13










ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・14





今の子供たちの内に在り 内在致す


ご神仏の働きの「無限力」を伸ばして頂くために

親御さんの いま一層の努力と

神の子仏の子の無限なる潜在の生命の

躍動を湧出していただきたく思い

書かせていただきます



子供が義務教育を終了し上の学校へ向かう時

高校進学の時でありますが その時

中学の担任の先生より 誰々さんは

OO高校は無理ですよ と宣言されたとき

親は勿論の事 子供達も大変ガッカリ致すと

思うのであります その時

ほとんど全員の親御さんは 大変な心配を致し

何とかならないのか 又 子供に対して

お前が 普段から一生懸命勉強していないから

こう言う事になるんだ 等と

苦情と子供非難を言ったり 


しませんでしょうか?

しかしですね ご安心下さい 

不思議に感じ 思われるかも しれませんが

ご両親が変る事により 

不思議と

周囲が変る事実があるのであります

それは 人々の為 自分が愛の実践

慈悲の実行を致し 

自分自身「かまえる事」全然なく

自分自身の心を「全開」に致し 

自らが ご神仏に向かい 

「愛と慈悲の心で」


育んできた子供の生命の本源であります 

本質を悟り 子供を 

吾々の「肉の子」であると感ぜず

そして 大生命なる 神の子であると

絶対に認める事であります 

認めて 大変大事なことは

大生命なるご神仏より 

お預かりし ご神仏から頂いた

神の子仏の子である真実を感じまして

愛と慈悲によって育んできた

子供たちの名前を書き

 誰々さん あなたは

神の子仏の子の実相であり

完全円満であります 

完全円満であるがゆえ

当然の事 本来は

素晴らしい 素晴らしい

神様仏様の働きによる 

頭脳の持ち主である  と 


「信じ切る」 事が大変大事な

「観念」 なので御座います




前述の所へ戻りますが 例えば

OO高校受験の件と致しましょう この時 紙に 

OO高校「既に」に「進学」出来ましたと

「書い」て「感謝」致す事であります

そして 各祖先霊の流れの内に在る

子供の 生命(いのち)の働きに対して

感謝と報恩の意味から申しましても

ご先祖代々 各個霊に経文の功徳を

毎日読誦し「続ける」事で在ります

形式的な所作にとらわれるのではなく

心の諸作として 誠を創造(つく)る諸作として

「心に描き続ける」


ことが大切であります

描きつ続ける事により この事が

自分の心の世界に 完全に完成完了致した

事に成るのであります ですから

当たり前の事として 現象界に

現象界の事実として 映し出されて

実際に「実現」致すのであります 

此の処に 

本来神の子仏の子の実相に 満たされた 

生命の動きが潜在致して

働き給うているのです 

その潜在の賢い能力を

生出して上げれば良いのであります

心の法則であり 

大生命なる生命の哲学であります

この事を 自分自身が

実際に体験致します事を

小生伏してお願い申し上げます


「人々の愛の実践は 

結果として 私達自身に 

感謝と喜び 嬉しさの

念いの心の波動が

私達の心に 

神の善き波動と共に

流れ入ってくるので在ります」




そういたしますと 

神は愛であり

何でも育んで下さる 

大愛の「主」でありますので

私達の真実の諸行に在っては

「必ず」 「お力添え」


を戴く事が出来るのであります

一発大成功であります 

自分だけが

真実(まこと)に生きればいい 

と言う思想を捨て 

私達の回りの人々

接する人々の 出来るだけ多くの人が

真実に目覚め 

幸福に成ってほしいと願い

日毎日毎の生活を致します方は

全ての事が成就致すのであります 

本当であります


大いなる夢と希望 

願い成就の為には

何かの紙に希望を書き 

それを毎日魔日見て

一所懸命信念を持続し 

念ずると良いのであります

必ず成就致し現実化致すのであります


「真理の実行は 吾心にあります」


吾心にある真理を 

実行致す人は

誰から見ても尊敬されるのでありますし

善い結果を得ますし 

成就致すのであります

子供達の将来の幸福安穏を願いますなら

又 子孫大成繁栄を願いますならば

今 親であります私達が 

真剣に取り組んで

一生の間 一所懸命 

愛の実践 慈悲の実行


を致す事を 

一時も忘れては駄目で在ります

今の間良いからとて 

安心いたすな

生涯は 現象であります 

しかし その奥なる処に

生命であります 

霊魂が存在(ある)のであります

自分で生きている思いを捨て 

ご神仏の大生命によって 

生かされていることを 

自覚致す事であります

其の大生命が 

私達の祖より 私達の親 私達

そして 大事に育んできた 

子供達へとつながって行き

行く行くは子孫の繁栄 

幸福喜びへと

つながって行くので在ります

悉くが出来るだけ 

円満に運ばれる為には

「当然の事である」との大認識のもと

神を奉じ 仏を奉じ 信頼の観持って

より多くの人々の為に 

奔走愛行の実践を

吾が浄財にて 

何の抵抗も感ぜず 

実際に 行動の業を

起こすことが大変大事で在ります



この時 私は経済的に大変だから

致したいけれど無理なんです とか

そこまで致さなくても 

一応頑張っているから

此れでもいいと思う人等は 

本当のご神仏の

お求めに成られている事を 

全然理解致せぬ 

少々残念なお人であると 小生思います


「吾が子孫の繁栄は 

今の自分の内に在る事を」



悟って頂きたく思います

日蓮上人は



悪は 上七代より下七代迄流るるべし」

「善は 上七代より下七代迄流るるべし」




と申し示されて居ります

今現在の 自分の諸行生活が

善くも悪くも 行く行く大変大きな

結果を表すのであります



将来の日本の国体維持の本源と成り

生命線と成る子供達 

そして 今の若い人達の

善き希望成就の為 今の私達が

真理の功徳を「心」より生出して

人々にお与えし 「心」の養いを致し

お伝導(つたえ)致さなければなりません


「無限なる可能性の宿り給う人々を

生かして上げるのが 

私達の‟大使命”であります」




今致さなければ手遅れであります


自分の家の子供だけでなく 

他人の為に 挺身致す事は 

吾の幸福の源であります



常に愛行 徳業の功徳を宇宙の蔵へ

預蓄致しておく必要がある事をご理解下さい

預蓄がありますれば 必要な時いつでも

降りてくる訳であります

陰徳は大変大事なのであります





故 玄龍院龍弘日宣上人より



最後に これを 

ポチッ としてね








~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







四苦よりの解脱

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ





四苦よりの解脱


あたかも他の人々の為にと証して

なれ合いの温間による自己主義的意思により

己中心主義 自己欲等々 曖昧な心の波動は

迷いのはじまりです 迷いは三悪なり

「今其の時」 目を醒まし解脱致すことです


解脱とは 今知り悟る神仏の智慧全智全能なる

大慈悲のせいめいの本源 吾なりと悟る事です

これには修行なるもの必要ありません

ただただ 神仏の心理に帰依し

今その時四苦より脱する事です

吾が超高級霊なる守護神と共にいる我を

その生命認識を忘れることなく

久遠の生命に見守られている事を感謝いたす事です


故 玄龍院龍弘日宣




この文章は 亡き師匠が 約20年以上も前に書いた文章なんですが

最近 ふと この文章を思い出し 読み返していたんです


あたかも人の為に あの人の為に

あなたの為に と 思って やっている事が

実は 自己中心的な行動になっていたり

自己欲を満たす為の行動になっていたりするんですね


私はあなたの為に こんなに頑張っているんだよ?

他の人々の為に行動してる自分って・・・

すごいな~~~・・・ なんて 思っていませんか?

自分を犠牲にしてまで 他の人々の為に頑張ってる自分・・・

そんな 自分 カッコイイ・・・ なんて 思っていませんか

自分を良く見てもらい為に 他の人々の為に頑張る・・・・


時によっては 私はあなたの為に こんなに尽くして

頑張ってるんだから あなたも 私の為に尽くしてよ!

つい 見返りを求めてしまう・・・・


他の人々の為にと思って取っている行動が

実は 自己中心的な行動になって

相手様が 自分の思うようにならないと

私は あなたの為にこんなに頑張ってるのに!

と 怒りがわいてきたり

相手様に イライラした感情がでてきたり


うわ~~~~~~

他の人々の為にと思ってやってるのに

怒りやイライラで 自分が苦しくなってしまう

他の人々の為にと思ってたことが

いつの間にか 自分の欲望を満たす行動になってしまっている

欲望が満たされないと イライラしたり

相手に怒りがわいてきたり

相手の為に頑張れば頑張るほど 自分が苦しくなる


他の人々の為に・・のはずが どんどん自分が苦しくなってしまう

おかしな話ですよね


でも これ 意外と皆さん気づかないんですよ


身近なところでたとえると


子供の為に!

夫の為に!

妻の為に!

親の為に!


なんて 思っている事が 

知らず知らずに 相手を自分の

思うようにしたいだけの行動になってしまって

相手が自分の思うようになってくれないから  

イライラして 腹が立ち 

いつの間にか 自分が苦しい思いをしている


自分で自分を苦しめてしまっている


皆さん 心当たりありませんか?

残念ながら 自分は 沢山ありますよ


でも 気づけばいいと思います

気づいて すぐ その苦しみから脱してください


いつまでも 気づかず 

ず~~っと 苦しむ場合もあるかもね


あたかも 他の人々の為にと

自分を犠牲にして 自己犠牲にしてまで

相手様のことを思って・・・考えて取ってる行動が

実は自己中心的で 自己欲

自分を美化する為の行動になってしまっている

そんな 行動は さっさっと止めたほうがいいですよね

もしかしたら 自分のやってることは・・・

なんて 気づいたら

すぐ 今其の時 目を醒まし 行動をあらためて

その苦しみから脱してください









~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・13

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます






まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ




ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ



ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・1


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・2


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・3


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・4


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・5


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・6


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・7


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・8


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・9


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・10


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・11


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・12





ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・13




個性に満ちた「善の花びらきを」祈ります

吾々一人一人に本来より潜在致します

神仏其のものの能力を 顕在致す事が

出来ますれば 全てがオーケーです

こうなりますと 嬉しい事に

増上慢になる事も無いですし

今 回りの人々より 仕事でも 何かのことでも

少しばかり遅れていても 悲しむ事もありませんし

悲観する事も無いですし 最悪の劣等感に

落ち入る事も全く無くなります



* 存在(ある)のは 神様仏様に満たされ

導かれたままの 神の子仏の子の

「我」のみが 何物にも支配されず

神に直結の「心」と精神のまま

最終目的達成の為の 愛行実践を

成就致す事が完成として出来るのであります*





この愛行実践の「功徳」が「充満」する事により

他人(ひとびと)よりの感謝と御礼の

善き念いの念波動が 

「自分に流れ入ってきます」ので

当然の事 自分は喜びと嬉しさと 繁栄と

幸福感とが実感として体感することが出来るのです

これで全てが万事結実致した事であります


「先ず 先ず 自分が変ること!」


大事であります 自分が変る事により 

中々無理で出来ないと思っていた

調和 繁栄 愛の伝導 

慈悲の伝導が調和致し

両立いたすのであります

仏様の誓願が成就致すのであります

これは 私達の親さまなるご神仏に

恩返しをする事であります


親は子供に何かをしてもらうと

大変喜ぶものであります

まあまあ いつの間にこんなに立派に成って

と 思って 感激の涙の一つも出ると思います

そうでは ありませんか?



「吾はあなたの愛が婆を

あらわしたものなのである

吾はあなたの智慧の

個体化したものなのである

吾は生命である 吾は愛である 

智慧である 平和である

吾はまた名づけ難き実体である

吾はまた霊である 吾は本質である

吾は病むと言う事はない

吾あ健康である 吾は歓喜であるからだ

吾は実在だ 実有だ 実相だ

吾は恐るるものは無いのである

吾は実在だ如何なる危険も

吾に近寄る事は出来ない

吾は実有だ 吾は霊だ 吾は生命だ

吾は空しくならない 

吾は神の内に在るからだ

吾は迷わない 神よあなたは到る所にいます

もし物事がこぐらかったり 

順調に行かなかったりしましたならば

どうぞ いとたかきもの の奥底に入らしめて下さい

全能なる者の庇護の下にあらしめてください

吾は実在である 吾は実有である

吾魂の奥底では 全ては平和で安穏である

御親の神に感謝致します」 と

小生あらためて 大いなる感動と

向うこれよりの進路の証明(あかし)と

なったような精神状態であります

本当にありがたいですね 嬉しいですね




故 玄龍院龍弘日宣上人より









~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







四苦よりの解脱

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ




四苦よりの解脱




あたかも他の人々の為にと証して

なれ合いの温間による自己主義的意思により

己中心主義 自己欲等々 曖昧な心の波動は

迷いのはじまりです 迷いは三悪なり

「今其の時」 目を醒まし解脱致すことです


解脱とは 今知り悟る神仏の智慧全智全能なる

大慈悲のせいめいの本源 吾なりと悟る事です

これには修行なるもの必要ありません

ただただ 神仏の心理に帰依し

今その時四苦より脱する事です

吾が超高級霊なる守護神と共にいる我を

その生命認識を忘れることなく

久遠の生命に見守られている事を感謝いたす事です







故 玄龍院龍弘日宣









この文章は 亡き師匠が 

約20年以上も前に書いた文章なんですが

最近 ふと この文章を思い出し 読み返していたんです


あたかも人の為に あの人の為に

あなたの為に と 

思って やっている事が

実は 

自己中心的な行動になっていたり

自己欲を満たす為の

行動になっていたりするんですね


私はあなたの為に 

こんなに頑張っているんだよ?

他の人々の為に行動してる自分って・・・

すごいな~~~・・・ 

なんて 思っていませんか?

自分を犠牲にしてまで 

他の人々の為に頑張ってる自分・・・

そんな 自分 カッコイイ・・・ 

なんて 思っていませんか?


自分を良く見てもらい為に 

他の人々の為に頑張る・・・・


時によっては 

私はあなたの為に こんなに尽くして

頑張ってるんだから 

あなたも 私の為に尽くしてよ!


つい 見返りを求めてしまう・・・・


他の人々の為にと思って取っている行動が

実は 自己中心的な行動になって


相手様が 自分の思うようにならないと

私は あなたの為にこんなに頑張ってるのに!

と 怒りがわいてきたり

相手様に イライラした感情がでてきたり


うわ~~~~~~

他の人々の為にと思ってやってるのに

怒りやイライラで 自分が苦しくなってしまう

他の人々の為にと思ってたことが

いつの間にか 

自分の欲望を満たす行動になってしまっている

欲望が満たされないと 

イライラしたり

相手に怒りがわいてきたり

相手の為に頑張れば頑張るほど

自分が苦しくなる


他の人々の為に・・のはずが 

どんどん自分が苦しくなってしまう

おかしな話ですよね


でも これ 意外と皆さん気づかないんですよ


身近なところでたとえると


子供の為に!

夫の為に!

妻の為に!

親の為に!




なんて 思っている事が 

知らず知らずに 相手を自分の

思うようにしたいだけの行動になってしまって

相手が自分の思うようになってくれないから  

イライラして 腹が立ち 

いつの間にか 

自分が苦しい思いをしている


自分で自分を苦しめてしまっている


皆さん 心当たりありませんか?

残念ながら 私 宣龍は 沢山ありますよ


でも 気づけばいいと思います

気づいて すぐ 

その苦しみから脱してください


しかし 残念ながら いつまでも 気づかず 

ず~~っと 苦しむ場合もあるかもね・・・


あたかも 他の人々の為にと

自分を犠牲にして 

自己犠牲にしてまで

相手様のことを思って・・・

考えて取ってる行動が

実は自己中心的で 

自己欲

自分を美化する為の

行動になってしまっている



そんな 行動は さっさっと止めたほうがいいですよね

もしかしたら 自分のやってることは・・・

なんて 気づいたら

すぐ 今其の時 

目を醒まし 行動をあらためて

その苦しみから脱してください









~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







盂蘭盆

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






迎え火に

心合わせて

到来を

今の自分は

先祖の供徳





故 玄龍院龍弘日宣上人より





~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







不平と怒りは・・・・・

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ



不平と怒りは


万病の因(もと)



感謝と 愛行は


健康の基(もと)






故 玄龍院龍弘日宣上人より





~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







般若心経

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






般若心経


般若心経の内に色即是空 空即是色とありますこと 

皆様ご存知のことと思います。色とは、色々な うつり変わりのことであります。

物質のことでもあります、在るようで 実はないと言うことであります

しかし必要に応じて表れても致す訳であります

この事を お釈迦様は本来五官に感ずるものは何もないと 

申しお伝えくださって居ります此れを 

仏教の言葉で 五蘊皆空 とお示しで御座います

この五蘊皆空に照見(しょうけん)し給うとの事でございます

「我今五官の世界を去って 実相の世界に入る」です

本来五官に感ずるところはないのでありますよ と 言う事なのであります

ですから肉体に溺れて 生活致して居りますと

絶対に 成仏も 天国もないのであります

あるのは 地獄道 餓鬼道 畜生道の 三悪道のみであります

本来無しと お悟りに成り 悟ることが出来て

断ずることにより 成就致すのであります

所有していながら無所有の理(ことわり)で御座います

現象の物や 肉体に 執着致す事により

苦しんだり 悲しんだり 悩んだり致すのであります

その結果は 対立 争い 等など悪いことが沢山おこってくるのであります

お釈迦様は 五蘊皆空と照見して

「度一切苦厄」 とお示しで御座います

(度 とは助けるという意味です)

五蘊を照見致す事により 吾われにある

一切の苦厄が 消えるとお示しなので御座います

病気も 災難も 苦難も 全部消えると言うことで御座います

肉体に執するな 物質に執するな 

執着致す事による結果は 心の乱れと成りまして

病気や 苦痛の原因となるのであります

私たちは 神の生命 仏の生命の顕現であります事を

本当に自覚いたさなければなりません

そうしてこの現象は不生であり 不滅であると

悟り 認める事でございます

現象物存在(あり)てそのまま無であると言うことです

無でありながら 無尽の世(実相界)たる処には、宝蔵されたるものが

理念其のままに いくらでも ある訳で御座います

物や形に執したり 人々相(すがた)に また 対応に嫉妬したり

対立闘争ムキ出しの 心を起こしたり致すことは

即ち物が 事実のものであり 肉体的心が 実際の心であるとの

念(おもい)の処より 発せられる 現実界の思いが そう致すのであります

本当のことで御座います

この事は 自分の悟りに到らない 修行不足の為のことでありまして

大いに省(かえり)みて お覚(し)りに成る必要があるのであります

いくら 心理を勉強しても 理論で知っていても 

実際に 観と念(おもい)によって 実感致さなければ 全然駄目なのであります

いづれ消え去り 消滅してしまう 物事に 少しでも執する心が起きますことは

厳しい言葉ではありますが ご神仏よりの 生命の尊厳

そうして 働きを全然く(まったく) 悟るどころか

覚る(しる)事も、不可の 低い魂の人なのであります

残念で御座いますが 仕方のないことなので あるのでしょうか?・・・

全部て(すべて) ご神仏の下命の結果なのでしょうか

汚れたものを綺麗にするための 清水の流れが少々不足なのでしょうか

それならば 自らが覚り(しり) 覚れる為に努力し

真を求め進み行き 激流の清水にて 洗い清められると

良いと思いますが如何でしょうか

少しでも 一秒でも早くこの様に致してくださいますよう願いとう御座います

皆様と共に祈りて 彼らの 幸 来たらん事を 願いたく思います

「妄想に執(とら)われず」 にで在ります 要するに

根拠の全然ない 妄想なるものの上に築かれたものに着して

執着 嫉妬 その事ににての 対立 不調和を成しては

駄目でありますよ と 言う事であります

本来五官は無いんだ念(おも)い 信じていくことが必要なのであります

真の理(ことわり)在りて 追従のことであると認め

迎合致すことであります(五官の事)

現象に現れている 物 に着し あるかの如く思い

これが欲しい、あれが欲しいと思う 

そうして それを吾個人所有と願う欲望が

相手と喧嘩をしても 時としては 殺人まで起こしてまでも

奪い合いをするのであります 当然の事 人と人も含みます 

虚言も平然と言いますしね どうしようもありませんです

般若心経の最後のほうに御座います経文に

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦  
(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい)

とお示しで御座います 要するに

早く 早く 真実を悟りて 仏に成れよ と言うことで御座います

私たちは 御神仏の申し子で在ります

神性仏性 そのものの子なのでございます

御神仏の霊魂が 私たちの霊魂なのであります

大変ありがたいことで御座います

本来諸法は不生不滅であります

未だかって 生まれたことも滅したことも無いのが諸法で御座います
(諸法とは現象存在の諸々のことであります)

無いものは無いのであります ですから実相なのであります

何かがですね 存在(ある)と思うから

私たちの心が ある ものに引掛かってしまうのであります

そうして その内より何とか自由が供なうようにしようと一所懸命頑張るんです

ところが残念ながら 何か に 引掛かっておりましては

絶対に自由は無いので在ります

本来の自由自在を失うのであります

自由自在を失う事は 迷いに入ってしまうことであります

本当は 迷い無しが真実でありますが 迷ってしまうのであります

無明という事でございます

無明を放棄致し 光明を生み出しては如何でしょうか

光明は神仏の光であり 明るい智慧と申しまして

とても素晴らしい事なので御座います

何らに迷うな 

ただ神仏に従い 行いを致し 業を成就(なす)事であります

理屈は全然必要ありません ハイ でいいのであります

欲の夢 執着の夢から さめてくださいね

慧可禅師の弟子入りのお話を少々

慧可禅師の師は 達磨大師であります

その慧可禅師が大師の弟子になるために

寒い冬のとき、先生どうか私をあなたの弟子にしてくださいと、申したそうです

すると達磨大師は

「お前なんか弟子にしてやる資格がない出て行け」 と言って

入れてやらなかった・・・と 書かれています

現代では 教えを受けるのに道場を暖房装置で暖めておいて貰って

先達者の方から

「どうぞ来てくださいませ、ただで聞かせてあげますから」・・・・


「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」


道を聞くためには、生命を投げ出して、肉体は本来無いのだから

その肉体の生命を投げ出して 今この一瞬に

「真理」  を知らしていただいたなら、

一切のものをなげうってもいい、というほどに

全生命を賭けなければならない・・・

慧可の 断び(わび?)といいまして 有名な話があります

慧可禅師は、私は肉体の救いを求めているのでは無く

又その為に弟子に成るのでは無く

「真理を知れば こんな肉体など どうなっても好いのです」 と言って

腕を切って血みどろの腕を差し出し 達磨大師の前に出したとあります

それで 弟子として入室することが許されたのです と御座います

真理を真剣な気持になって聞いて

真剣に受取る事の出来ない人は駄目なんですよ・・・

いくら本当の真理を与えられて居りましても

なれあいになっていたり 受取る人の身体の態度如何によって

ごく少ない真理しか受取ることが出来なくなることも、沢山在る訳で御座います

例えば、注意されても 我 を持って生出だし、失敗を繰り返す人も居ります
(そういう人は・・・駄目だと思います)

私たちは御神仏の本性で居りますのが本当です

ですから一生懸命頑張って、智慧ある生命を出し切り

沢山の人々のお役立てと成り、四苦を超越し
(四苦とは生老病死のことであります)

御神仏の教えを広宣流布致しまして、私たちが本来持っている

神の生命 仏様の生命を その善なる生命の波動を

知り合う多くの人々に、差し上げましょう


吾 観世音菩薩なりと 大宣言致しましょう

無量無辺の相持って奔走し 普賢菩薩の如く賢くあまねきましょう

そうして 人類救済の御為

吾 人生 吾 肉体神のもの 仏のもの悟り 本来同魂の

今だ少しだけ悟りに、遠ざかっている人たちのため

愛の実践、慈悲の流布を致しましょう、必ずご神仏が守護給います

吾 日天、大日無碍光天照大神の智慧そのものなり

吾 その愛そのものなり 吾その慈悲そのものなり

吾 その生命そのものなりと大悟し ガンバ です



我一切のものの我なり そうして大生命なり

我心(意)に従って 全部備わり

意(こころ)に従って 善き事全部 漏れなく

集まり来ると断言し、大宣言せよ


悪は本来無いが、あると見えても

自ずから去るのであります 間違い無しであります



再度申します

般若心経いわく

羯諦 羯諦 通り 早く早く

悟り 実践 愛業を祈ります

奔走は吾祥福の源なり



故 玄龍院龍弘日宣上人より







~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







忙しい 忙しいの心 捨てよ!

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






忙しい 忙しいの心 捨てよ!



ただ うれしい!



ただ ありがとう! と



ただ ありがたい! と



ただただ 感謝せよ!



必ず 栄える!








~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







駄目な習慣無くせ!

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






~駄目な習慣無くせ!~



*目標が 漠然としている人



*恐怖心が 常にある人



*自らの傷は 回避する人



*今の現状に 満足致す人



*過去の経験足に 

頼りやすい人



*グチッたり 恨んだり 

被害者意識の強い人



*時間の概念がない人



*観の転換の出来ない人



これを 実行いたす人


絶対成功いたしませんよ!


成功したければ 

これ やめましょうね・・・









~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







今世生涯を奉仕へ

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






今世生涯を奉仕へ






先ず私たちは神性仏生そのものの、

神の子仏の子であります事


絶対にお忘れ無き様にお願い申し上げます

吾神なり、吾仏成りでございます

奉仕とは、私たち自身の心、

この心を空しくしては全然駄目であります


心空しくしての奉仕は

本当の奉仕では無いので在ります

一寸と変に感じられるかも知れませんが、

本当なのであります


何も自分の我を生出して良い

と 言うことでは御座いません


それは私たち自身が

全能ではないからで御座います

自分と思い感ずれる自分を、

全然捨て去ってこそ


本来の本当の自分


「仏性に満たされた自分」が顕れ


出来るだけ多くの人々の為、

円満にして執着全然皆無で


無碍の、真実なる現れを内側より、


積極的に生み出すのが

本当の自分なのでであります


これが真の自分でありまして


(仏我) (真我) と申します


ですから、この仏我・真我を無くしての


心空しくの奉仕活動は、

全然何の結果も生み出さないのでありますし


人々にも本当の喜び、

幸福を知って頂くことも出来ないのであります


奉仕とは無碍の本然を発揮致せよ 

仏我でなければ駄目なので在ります


無碍の本然言う 

「真我」 「仏我」より申しますと


今現在の生活そのものを 

良く住みよくしたいと言う


欲望的意欲すらも、

一種の執着となるので在ります


このことの理由と意味は 

個我となるからであります


真実の奉仕とは生命(いのち)懸けであり 

浅い方便では全然いけないので在ります


自分が真の、神の子 仏の子と悟るならば 

天国浄土安住の為にも


知り悟らなければならいのであります 

そうして 無執着にての徳積みと


御奉仕活動が

実践できなければ駄目なんです


ご奉仕に対し


「相 形に執われないでたのまれる儘に

少しの反抗もなしに如何なることに対してでも 

随時に 随処に 従順に奉仕することが 

無罣礙の奉仕である」




我執があっては全然駄目なので在ります


対象に好き嫌いがありましては駄目なのであります


無想であり 無二でなければ駄目なんですね


もし もしですよ 相手より求められ

淫欲を与えたと致しましょう

しかし  その淫欲に自分は少しも

執着も染着も全然皆無ならば


聖者の境地なのであります


私たちもその境地に到達しうるなら

到達致したいものでありませんか


不断の希望で在ります・・・ネ


私たちが個我なるものより

脱却いたすことが出来ますれば

可能なことでありますと 思います


私たちは修業の場 

処にての生涯でありますので


どうしても 個我なるものに

支配されるのであります


明るく朗らかな、本当の自由を 

一時としても経験いたしていないからでございます


自分の都合の明るさと 

朗らかさは当然ありますでしょう・・・・ネ


難しい言葉ではありますが 

無罣礙(むけいげ)の自由に飢えているから


小生思いますに、

仏我 真我 の事であると信じます


たとえ言葉で「井の中の蛙大海を知らず」と御座いますが


常に今の状態に満足の感を覚(し)っている人


又 今の状態より脱却 改善を求めたら

仲々進歩、進化を與ること


可わずの人たち等 色々在りますが


いずれも自己の執する我より発する処の 

仏我により支配されている事に


精神的波動による悟りが無い為、

本当は不自由で在りますのに


それに気付かず生活しているので在ります


せっかくの修業の場、処であります 


この大宇宙の大地に生かされている私たち


もっともっと私たちの霊魂大改善を求め


本質であります 

「仏我」 の自由自在の境地を悟り


大いなる生活の場に於いて 

無礙なる奉仕活動を

致さなければ成らないのであります


自分のうちに宿る、

内面的本質を信じ、確信致すことが必要で御座います


自分都合主義の生活を致していた人が、何かに気付き


自己改善を求め、懺悔の道を選ぶとき 

必ず表れるのが、受苦の苦しみであります


今までの自分勝手な生活より脱っし

神仏に通ずる、本当の道を求めるとき


今までと全然違う生き方の為、当然の事 


自分なりの苦しみの受体が出てくるわけであります


しかし こう云う人は自ら進んで苦痛を

なめる必要があるのであると 

小生思うので在ります


この時初めて、

自分勝手な個我が消え去り 

御神仏の神我が顕現れるので在ります


この神我(真我)が有難い、

自己解放を遂げる原因となるわけでございます


この自己解放は我々に応々にして在る

宿業という大変な荷物とでも申しましょうか


重荷よりの開放・・・

これが受苦による処の懺悔と成りまして


自己解放と成ります。

本人がどのような職業で在りましても

全然関係無いので在ります


それはなぜなのか、 人は残念ながら

回りの人達の職業によって判断いたしたり


想像致したり致すものであります 

対象の人達が何であろうと全然関係なのであります


人々を視る時は自分の程度を感じて 

自分善人の心を捨てて


整うた心で感じることが必要で在ります


悪人は  受苦を通してのみ

無罣礙(むけいげ)を取りもどす


これが 真実の 真我であります 

この事で理解できると思いますが


受苦による処の 

真の懺悔が真に帰依いたすための 

1つの奉仕となるので在ります


「無罣礙の奉仕なのであります」



無罣礙とは真の成道であり、

全っき神通力によって一切衆生を教化いたし


救済致せる自分の使命であるとの 

自覚が根拠であります ようするに


一切衆生への救済奉仕と

自分の大使命への 

奉仕で在る訳で御座います


自分の成道は

一切の衆生を救いうる成道であるとの 

大自覚が忘れては


全然駄目なので在ります。

このことを仏教経典に


「皆倶成就大円覚」

かいぐじょうじゅだいえんがく 



と示されています


一切衆生救済教化のことであります


大変厳しく申し上げますと

一寸変な表現でありますが


小さな精神的改善では



全然駄目なので在ります


自己を挺身(ていしん)し、

前述お示し通りの大円覚を


成就 成満 致すことであります


仏様の四十八願であります処の 

1通とでももうせるかとも思うのでありますが


大念願なので御座います



自分大事大切執着の心を 

完全放棄いたさなければ



全部駄目でであります


自分が その自分自身が

執われていては、自らが全然大円覚に

到達いたすことは出来ないのであります



ですから 差別的判断での対応は駄目なんですね 


現象界の生活を、いささかでも良くする為の

方便的救済は駄目なんですよ


その域より脱して本当の天国成る、

仏国の事を第1義と感じ


実際に奔走し奉仕いたさなければ 

駄目だと 言うことであります


執着によって成り立つ?  

この世  ですから


この世の執着を放ちて 

立起いたさなければ駄目なんですね


私たち自身が救済されるためで在ります


苦しみよりも 

幸福の方が大変良いと思います











~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・12

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます




まいど~~

宣龍こと りゅうでございます


皆様お願いです

いつも 笑っていて下さいネ

ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ







ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・1


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・2


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・3


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・4


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・5


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・6


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・7


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・8


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・9


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・10


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・11






ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・12




私達は 生かされている者同士なのであります

一人一人が別々の相 形を致しておりますが

ご神仏の名のもと 私達は同じ神様の大生命より

分霊し 個霊化致し それぞれに生まれて来ていますが

元々の源泉は一つであり 一緒なのであります

現象的には別々の生命體と感ずる 「生命」も

実は「大生命」の「個霊化の現れ」であります

人々を全く関係のない他人と見たり 又は思わず

本来は同じ 神の子仏の子どうしと認め

相手様の苦しみは 私の苦しみ

相手様の(総合的に申しますと)精神的苦痛激痛も

私の精神的激痛と感じ 相手さまも自分も

本来の神の子の相が現れてこそ 本当の相と悟り

本来一体であるのが 本当でありますのに

誰かさんだけが苦痛に在るのは 絶対に違うとの

信念(おもい)を観法により 覚り 悟りまして 

神の子仏の子の実相顕現の為の 祈りと 実践伝導 

愛行のお助けの人と成らなければなりません


「それが衝撃に左右されない 

金剛不壊の

仏子であります処の 

私達なのであります」




その生命(いのち)は 大和魂です

大和魂は共通のもので在ります 

一体で在ると言う事であります

光明は日本人特有の明かりと輝きで御座います

心の輝きは 世界を照らします

「平和」を求め「秩序」を大事に思う

立派な国 それが日本なので在ります
(現代は少し違うように思います?)


日本には日本の文化があります

(決して他の国の人や国を非難してるわけではありません
誤解無きようお願い申し上げます)


個人主義が何か通説のようになっている現代 又 

物質万能信仰の現代 唯物信仰は必ず崩れます

又 崩れなくては ならないのであります

いつの時か 私達が覚るところの

神の子仏の子の真理が 多くの人々に覚られ

共に生かし合いの生命礼拝の出来る国 顕現の為

私達は心して 今 今 一所懸命 


「真理の伝導を致し」


私達の祖国日本の為 又 日本に住まいする

人々の為 覚りたる神の子 仏の子の真理を

多くの人々にお伝え致す事を ともに頑張って

一生の間一所懸命奔走の義(ただしき)を

お示し致しませんか

この世 この日本に生まれさせて戴いた事に

気づかなければなりませ 本当にありがたい事であります

日本古神道のお示しの 天照大神さまの

御光そのものであります 本来の私達は

其の儘の相の出現であり 顕現なのであります

感謝し合掌礼拝いたしては如何でしょうか

ありがとうございます・・・と

天照大神さまの御光 その御光が実相であり

その実相顕現が私達の使命そのものであります

天照大神さまの御光の輝きは 光明思想を

表現することであり 顕す事であります

私達は内在の光明思想を生出して

仕事の内 又周囲の人々の為 又

色々の事象に対し自らが 明るい思想を

「心に受持て」それを実際生活 実際の作業の中

明るく光り輝く信念のもと いつも


「善き明るい希望と理想を失わず」


毎日毎日を生き 生活致す事であります

この明るい本来の生命の動きが

私達神の子仏の子には存在致しているのです

実際に存在していると信じ感謝致せば

必ず顕れまして 実感出来るのです

光り輝く明るい生命の源 動力は

ズバリ ご神仏の大生命の働きであります


その働きが私達一人一人の

「心」の中に在るんです ですから 

その「心」が明るい方向を選択して向うも

暗い方向に振り向くも


「自分が決定致す事なのであります」


有難く 神の子仏の子を覚りたる人は

間違いなく 当然の事

明るい方向へ向くのでります それは

喜びである幸福を 潜在的に悟っているからであります

もし もしもですよ 間違ってか誤ってか別として

その暗き方向へ向う人が居りましたら

お知らせ申し お助け致して差上げてください

共生の法則であります 今の時こそ

「心」の影響範囲にあり 起こる色々な出来事を

感謝と輝きの 善のみに致さなければ成りません

勝手な心による 悪道は絶対に許してはいけません
(自己主義 個人主義の人)

中途半端に妥協致しては全然駄目であります

現実に現れる事象は 私達一人一人の


「心」の現れであります 

「環境は心のあらわれ」であります




私達の「心」の念いの 「心」の「波動」が

どちらに向くかによって 

重大な 結果を表す問題なのであります




人々との調和の取れない重大な悪い結果で

ありましたら どう致しましょう



相手様を傷つけてまでも 自分を守るのか

又 自ら悟りて改善の方向性に気づき頑張るのか

進歩改善の無い その時の働きのままでは

駄目でありますし 無理でしょうね・・・



ですから 私達の「心」の持ち方は

大変重要であり 大事なのであります


私達は常々幸福を願っているのであります

しかし自分の幸福だけでなく 他人を

含まなければなりません 含む事による幸福

調和で在り 円満であり 喜び等であります

この事を 実際に明るい処を現す為には

暗黒の心を捨て 久遠の光なる光明を糧にて受納し

たもち続けて 生出さなければなりません

生出せば必ず明るくなりますし 

闇は消えて 当然の事と成ります 

久遠の光は神であり 仏様で御座います

その処が妙なる処所であり 真空妙有であります

その真空妙有なる処より発生するすべての空は

全てが「善であり 素晴らしきご神仏の

アイデアで在るのであります」


その霊的アイデアを 神仏と一体の私達の

「心」に感受して 結果として具象化致し

展開致すのあります 以前よりお伝え致している

観座観法の事で在りますが 皆さま如何でしょうか

実践致されておりますでしょうか

私達がご神仏との一体感を覚るため 又

ご神仏に振り向く為には 絶対必要な業であり

事実の実践で在ります この実践によりまして

私達は ご神仏の愛と慈悲の霊光に「ふれる」

ことが可能と成り 霊光に照らされている事を

有難く感ずれる実感を悟る事が出来ると思うのです

実感することが出来まして 本来の本質であります

霊的実相と霊的実在を顕す事が出来て来るのであります

その実相と実在が吾霊魂歓びを生出し

湧き出て来るのであります

盡十方無礙光のことであります

無礙光は喜び勧善の御光で在ります


「触れる光は我が光成りであります」


その光明の源に ご神仏に

感謝御礼を申し上げましょう


神様の恩 仏様の恩 で御座います


「神は愛で在ります ですから

愛に飢えたる者 

人間の愛に裏切られた者は

神に振り向くが良い

神の愛は裏切る事は無い

神の愛は無限である」



悲しい時こそ 

神と偕にあると念い 信ぜよ

自分は淋しいと 思う時こそ

神と偕あると 信ぜよ

自分はつらいと 思う時こそ

神と偕あると 信ぜよ

どうしたら良いか と悩む時こそ

神の解決を願い 神と偕あると信じ感謝せよ

自分は孤独なんだ と感ずる時こそ

神と偕なりと 信ぜよ

と 小生申しお伝え申し上げます


「自分と神とは如何なる時も

常に 一緒で在ります」



人によって他にも色々 悩み苦しむ事が

多々あると思いますが 仕事にしても

諸々の事象困難の時にも 常に

「神と偕にあると 信じ切る事が」

大事であります

ご神仏は 愛と大慈悲であります

神様仏様は吾らが願いをお知り下さいまして

御守護を用意していて下さる事を

信じなければなりません

私達は絶大なる勇気を持って前進致し

一時も無駄な時や 最も大切な心による

不安 心配 取越苦労 持越苦労など致さず

今現実に在る仕事(諸々の愛行も含む)

与えられた諸々の業と行いを全力にて

心身を集中し頑張るのが ご神仏の加護を

受ける条件なのであります

改善大躍進の為には ご神仏より頂いている

大生命の精神を そして神仏の権威の力とを

完全集中致すの事で在ります

天照大神さまの光 日蓮宗で申しますな日天さま 

浄土真宗なら無礙光 真言宗なら大日如来等の

光り輝く光明と 愉快な心にて 

物事に取り組む事が大切なので在ります

大繁栄躍進の改善は 自らの感謝と 

観法による処の 神仏との一体感 

その一体感より出現いたします

神仏の善波動と真の自分が 一致致す事であります

この事がご理解いただけます事により

今迄あったかもしれない 恐怖 心配

悩みなどと違いまして

安心と幸福の念いの心で 前より一層

善く成る事が出来るので在ります


「全ての人の内に輝く生命の荘厳を見よ

全ての事件の奥に動いてる

進歩せんとする力」 を見よ




人々を祝福せよ そして自らも祝福せよ

自分も相手様も同じ 神の子仏の子であります


「一切衆生悉く仏性なり」の金言であります

お釈迦様が 常不軽菩薩さまの時の修行途上

人々を軽く見る事無く 全ての人々を

仏の子として礼拝致されましたことが

経文に書き示されております

私も常不軽菩薩そのものの生命であります

ですから 同じく人々の生命の実相を

礼拝致す事が必要なのであります

又私達にはこの実践が出来るのであります

第一義の事を 第一義にする事が大切であります

あれこれ考えて 第二義の事を考えて行動すると

案外失敗することが御座います

第一義的に あ~これは良い事だと思いましたら

素直に すぐ第一念のまま 実践致すと良いのであります


「ただし 仏子としての自覚を持っての事です」

「個人の欲望欲情の感ありましては

全然駄目であります」



「第一念とは」 

自己の内に潜在する能力は 現有の能力よりはるかに 

超高級の霊魂の潜在の能力の所であります

私達は現有の能力のみを 一所懸命努力し

すすめようと致しがちであります

しかし今この時 潜在するご神仏に通ずる

超在意識の所まで入り込み 今だ自分の気づかない

無限の活動の源の存在を覚る事をしなければなりません

「現有の能力意識を 最大だと思わず」

まだまだ自分には 内在の強い力が在る事を

覚るべきであります

潜在する能力を沢山生出し 素直に感謝しますと

必ず此の処に ご神仏が働き給います

ご神仏の導きなる働きは「善き」事で在ります

正しき道柄のまま 神の子仏の子としてのままで

第一念が生出すのであります

神→超在→潜在→現有→吾々 この吾々が

上(かみ)へ通ずる念いの能力を

眠らせては全然駄目であります

少しくらい普通より出来るからと言って

思いあがらない事であります

「潜在能力」を 上手い事利用いたしますと

「現有能力」の働きの助けとなり

本来持っている(包蔵)潜在能力を 生出し

現有能力として活動 活躍致す事が出来るのです

それなりに 今の仕事 技術 対応等に

それなりの満足感を知っている人は

全然と言ってもよいと思いますが

改善も 潜在するちから(無限能力)の存在をも

なかなか信じる事は致さないので在ります

残念で在ります  精進努力を致してこそ

全てが育まれるのであります

少しずつの改善で在りましても それが

「真」の諸作で在りますれば 絶対大丈夫であります



「人間神の子無限力」



無限力は→潜在→超在→に至る事であります

現有意識 現有能力に満足致し 改めも求めず 

自分はこれで大丈夫 自分より勝者はそうそういない

等と思い上がらぬ事であります


私達は観法修行を必ずする事


祈りはご神仏との一体感の為

祈りは自分の欲望 欲等で無く

他の人々の為

祈りは必ず成就するとの観念を持つこと




私達には真実の理念があるんです

それが本来の実相で在ると小生思い信じております

だから必ず成就致し仕事も 人々に喜ばれながら

繁栄成功致すのであります

ご神仏のお求めに 神の子の自己実現成る人々に

お答え出来ます事に有難く感謝も出来る訳であります


「今」少し回りの人より「劣っ」ているからとて

「絶対に悲観致すな」



悲観致しますと

此の処よりご神仏はいなくなります

善きこと成就の為の 最後の目標の為

あきらめず 一緒に頑張りませんか

絶対大丈夫です 間違いなく大丈夫です

全てをご神仏に托し 只々従いて

明るく 愉快に 人々にお喜び頂けますよう

一生懸命挺身 改心致し 全員もれなく幸福到来の為 

ご神仏の理念の働きを 自らが受納いたしまして

接する多くの人々の為 喜びを受持て

明るき光明の輝きを 放射致しましょう

喜び幸福は 誰もがお喜び下さいます

結果 相手様の真の幸福と 心の健康は

吾々自分自身の幸福と成るのであります





故 玄龍院龍弘日宣上人より









~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







相手を許し、今世~来世~双び今世へ

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 笑っていて下さいネ

ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






相手を許し、今世~来世~双び今世へ




ああ自分は此れでよいのかな、

こんなんではいけない


相手に対して敵意は無いのかな?


何かがあって、少し考え、

反省のすがたのような形を一時的に見せるが


又 その様な態度を表す、

しかし基本的な心の観の転換の無いもの(しない者)は


自分が正しくて 相手が悪いと 

自己中心主義で最悪の悪魔化した


言行動取りながら 全く今の自分に気付かず 

悪性の病気(性格、精神,等等)


マイナスの人生 生涯的行動を歩みながら 

今在る時分に気付かず


自己破壊の道柄を歩み 

今世を終わり 地獄の苦しみを


霊界でも持ち続け 

大変な悪行の主たる生業の宿業


そうしてふたたび霊界での

業苦修業(行)の為・・・


そうして 再度生まれ生出る事があっても

同じ苦痛の中に在りて


楽無しの生活を致すことと成る

(大変な激しき苦痛の共なう生き方)





怨みや憎しみに満ち 自分が正しくて相手が悪い(確認もせず)


だから相手を許さない(しょせん自己中心主義での判断ですから)


馬鹿馬鹿しく哀れな心の持ち主ですよね、何とか救われて欲しいですね


本当にそうと思います、でも中々大変でしょうね


自分、自らが本当に変わらなければ 駄目ですよ


憎しみには 愛と慈悲持って接し


不平 不満には 深心より感謝の心で接し


悲しみ 悩み等には悦び接し 喜びの心を持って接することです


まず心の感情を善であり 平和に致す人が1番です


六根が真清浄であり誠真無垢でなければ 


本来の大生命なる生命(いのち)は顕現(あらわ)れないと思います



如何でしょう・・・どのように思われますか


今世での修業生活は出来るだけ少ないほうが良いのでは・・・





怨み、憎しみ、自己心の波動に支配されるもの


全てマイナス的な思考の人


自己感情にて態度に表す人 ようするに




不調和な人


このよう人は(今は大丈夫でも)激しい苦痛の内


色々と大変な事を必ず致さなければならない<



他人と、物事と調和の出来ぬひと 常に自分が正しくてね


仮に反省し見ても少しだけ、後は全部相手が悪く(自己感情のまま)


全部相手の責任 この様な人は、人間で(相)あっても


実は 地獄の使い人(三悪道)、一時的に悪が勝るように見えます


しかし 少し時間がかかるかもしれませんが



必ず 善が勝ります(執着せず)




勇気を持って立ち向かい、正しき誠の真理を通年持続し



不自情身命の信念、観念の源 善者は、善者の輪を作り


自己の回り、又 自分と接する多くの人々の為に


お役立ち出来ますように致しましょう


人の数ではありません、誠をどれだけ多くの人々にお伝え出来るかです


そうして お救いのお手伝いが、出来えたかどうかです


誠に結果は追従いたします 頑張りませんか




人々の為、自分の為











~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから






...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







久遠の昔より

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 笑っていて下さいネ

ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ





久遠の昔より 人間は人間


普通の生活者は


二次元の生き物には 


生まれ変わらない(絶対に)


イエスキリストは 


三十二才の肉体にして


吾は

アブラハムの生まれぬ先よりありし者だ


と答えている



釈迦牟尼仏は



吾は

百千万億那由陀劫以前より


なおそれより 古きこと


久遠なる存在であると



ヨハネ伝大一章に 


言葉は肉体と成りて


吾らの内に宿り給えり 

と書いてあります


不生


不老


不病


不死


不滅の人間


久遠の人間





これ 人間の理念です・・・・よ


少しでも立派に


そうして菩薩の本来相


我成就を悟りましょう















~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







全てに置いての 争い(心的波動)

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 笑っていて下さいネ

ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






全てに置いての 争い(心的波動)




嫉妬    


憎悪


復讐  

恨み  

不調和



この悪感情は

人生においての

全部(すべて)の事事を

失敗に導き

破壊の道を歩みます

人生最大の

不幸ものと成りますよ

本当の幸福を求むるなら


正しきことを

良く理解し


深く心に


止めて置く事です















~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







直心の一以て・・・救いは一つ真理のみですよ

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 笑っていて下さいネ

ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






直心の一以て・・・救いは一つ真理のみですよ



真の勇気は、



毅然として

節を枉(ま)げないものでなければならない



一切のものに 調和して



良く忍寿の 徳を表す



しかし 常に妥協せず



真心の真実を貫くもの



誠をもって 

終始一貫するのである




勇気ある断行の前に


道を開く


直心の一以て貫くことは


徳行である





他をお救いする 

広宣流布に


金剛心 持って・・・・・・


絶対に頑張れます












~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








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成功の為には

この文章は 私 せんちゃんを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 せんちゃんの 独り言 や つぶやき を 書いてます




まいど~~

せんちゃんで~~す

皆様お願いです

いつも 笑っていて下さいネ

ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ





厳しく運び 成功の為には


1・・・失敗しても 成功へと転化できる人


1・・・相手の喜びに 喜びを感じる人


1・・・善くなる事を 求続ける人


1・・・全ての可能性を認め 行動する人


1・・・具体的な方法を 念い思考する人


1・・・生命の波動の 使命感を持つ人


1・・・観念的自身を 信じ持つ人


1・・・時間はキチンと守り 約束の出来る人






完全に守り切る人


神仏の御名の元


必ず成功いたします 













~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








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和を計れ

この文章は 私 せんちゃんを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 せんちゃんの 独り言 や つぶやき を 書いてます




まいど~~

せんちゃんで~~す

皆様お願いです

いつも 笑っていて下さいネ

ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ




和を計れ、天地は和成りて

神仏の創造給える理念の顕現なら

夢は非実在です



実在なるものは、実有のみです

仏性です

実相です

神性其のものに通接する魂の持ち主は(想念、観念波動)

神の子、仏の子、如来の子、善神の子、そのままで在ります

他の何者にも脅かされる事無く、恐怖も無く

貧乏も無く、病気も無く、悲しみも、苦しさも、

悩みも、恨みも、憎しみも、自己慢心も

我欲も、我見も、自己中心主義的思想もなく

今現在の経済的豊かさに、心身浮かれ

満足度に喜びを感じることも無く、等など

神仏とのパイプの接がりを

閉ざすような心の持ち主は

神の子、仏の子、ではありませんよ


只 神仏よりは認められるが由 ありがたく思います・・・

が 自己自身それを悟らぬなら、なんの甲斐がありましょうか

たんなる 肉欲的 肉体人間が アタカモ

信仰の福の中 安泰とわかったような

自分の個人的理解の内の 満足を悟り解ったような・・・

つもりでは ダメですよ

先ず 守らなければならない事は

自分は天地の世界で、誰よりも一番

神仏に愛され 最大の慈悲を与えられていると

自覚いたすことです そうして 私と同じ

神仏に 生かされている 他の人々と

対立したり 恨み 憎しみ等 悪に通ずる波動を発し

相手を悲しませ 苦しみを与えることは

絶対無いのが、神の子です 実相生命です



草 木 花を見てください

強風が来ても 寒くても 水の下に在っても

その時 その時を 無抵抗の相にて 一生懸命

個性ある 美しさを表現していますでしょう

あの個性は何でしょう


神仏は無想です

その無想より 美しき個性が生まれます

その個性が 人間生命の素晴らしさです ですから


互いに 相手を愛認し、感謝し

相手は 悪人ではなく

自分の心が 相手に対して 悪人と視る念いが在ったと


懺悔し 省みて 伏して感謝致すことですよ

そうすると 相手の方々も 物も 事柄も


全部円満に運びます

森羅万象 悉く 仏性なりです


誰に対しても 本当の心(観念)より


感謝いたします

御礼を申します

もっとも美しい言葉


ハイ と言います


約束は絶対守ります


相手に

迷惑はお掛け致しません


相手は悪くなく

自分が悪いと


相手を許す


自分に解決できない事は無い


肉体人間にはあります



私たちの 正しい創り主である



神様 仏様に


自分を 返却して


新たな部品の源

新製品 となりますと OK です


我々が 業(迷い)に対して

業薬を使用しても 癒りません


完癒には 


愛です

慈悲です



そうして 思い遣りです


思い遣りは 

全ての 人や 物や 事にです














~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








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ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・11

この文章は 私 せんちゃんを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 せんちゃんの 独り言 や つぶやき を 書いてます




まいど~~

せんちゃんで~~す


皆様お願いです

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ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・1


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・2


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・3


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・4


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・5


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・6


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・7


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・8


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・9


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・10






ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・11



私達の内在のご神仏を生出し

「自らを神々しい」ご神仏の「相と認め」

生出して感謝と御礼と奔走受持(もっ)て

「平和の為」頑張りましょう

平和はご神仏の念いの相 そのものの

心の健康であります 心の健康も

自分だけでは 全然駄目であります

本当は全員と申し上げたいのでありますが

中々大変であります しかし出来るだけ多くの人々が 

心の健康成就で頂きたく思うのであります その成就の為には 



* 自らの 実際の「広宣流布」(愛行)が必要で在ります

人は皆 神の子仏の子であります  残念ですが

そのご神仏の子の 自覚のない人が沢山おります

その人たちが 本来相なる実相実在の自覚を

覚って頂くために 私達が実際に

愛行実践を通して 吾が霊魂の「高昇」を計り

相手様の神の子成る実相を 顕現の為奔走致し

「明るく光輝く人生で在り」 

素晴らしく楽しい生涯と共に 吾が霊魂も

「光明」そのものの「霊的実在」である事を

相手様にお知らせ致し 「本当の人間の」

「霊的実現の自分である」事をお覚り頂き

この事を自分も悟る事が 大事なので在ります *





愛行 広宣流布は相手様を生かす事です

相手様を生かさず 自分が生きる事は不可能であります

なぜなら それは生かし合いの無い不調和で在るからです

自分一人の所なら良いかもしれませんが・・ね

私達は広宣流布 愛行を致し

すぐ結果が出ないからとて 躊躇致すことなく

一所懸命 その人の為 その事の為

ご神仏の御意志のまま 念いを受納いたし

相手様の改善 幸福到来の為

真理の理を 宣舌致す事であります

法華経には 「仏語を大宣舌」致せと示されています

挺身 挺心 致心 でございます

そうして 自己犠牲にも似た

献身と必要なる献資であります

自分の状況状態に着せず 他人の事は気にせず

自分を守る事に終始する 自分の今の幸福 

普通の状態をも 自己満足にも似た状態での

愛行 実践は少々つらいとも思います


「信仰とは伝導なり 愛行なり」

「自己限定を打ち破れ」

「今の幸福を他人(人々に)与えよ」

「君たちも必ず善く成り 

幸福と成れることを 大宣布せよ」

「人々の為に成る事は 今すぐ現れずとも

必ず素晴らしき ご神仏の御業として顕現る」

「私は調和であると念え 念えば必ず成る」

「善きことを心に描け そして一所懸命祈る事」

「吾が使命喜びて成就する」

「真理にふれての不調和は本来無し」

「成せる業 行いを自分が成したと思いあがるな

神仏在りて成せるなり」

「口先の説法はは悪魔成り」

「行じ実践致す事 此れ 真理成り」

「自分だけ 自分の家族のみの 思想は

崩壊の第一歩成り」

「他人在りて吾整い 全てが整う」

「観法 観座は吾道の羅針計である」

「私は神の子仏の子 全員が全員

神の子仏の子 と観ぜよ そして感謝せよ」

「森羅万象悉く神性仏性である

次元の違いを乗り越して覚る事は悟りなり」

「私の心は光に満たされたダム湖である」

「喋る言葉は愛と慈悲であれ」

「仲良くすることは 大変良い事です」




現実に私達を生んで下さり 育んで下さいます

私達の両親 父母に恩を返し

ご両親に悦ばれる徳を積まなければなりません

この徳は 常日頃の生活の内 明るく

人々の為となる諸行 所作を成し

人々にお喜び頂ける行いは 回りの人達より

喜びと感謝の念いの念波動を 自分が

受ける事が出来る喜びなので御座います

この喜びの念波動がご両親に対する

報恩でもあるので御座います 中には 

自分なんか 生まれてこなければよかった

等々申す方もおられますが・・・・・・

駄目ですよ そんな考えは 今より頑張りましょう

暗い思い(現象の中での事)での問題は

改善 成就 成功後の 今の素晴らしき心境に

到達致す為の 一種の布石であります


暗く悩んだときは もう既に遠くへ行った

今の私の周囲には ご神仏の光に満たされた

人々と ものと こと しか存在していない

と 感謝し御礼を申し 今より後の諸行は

他人の為 お尽くし致し 幸福と喜びを覚って頂くため

誠心誠意頑張ると 誓って下さい そして

必ず実践実行致して下さい

広宣の流布も致さず 自分の喜び幸福を欲しても

それは絶対に成就致しません

人々に喜び 幸福 繁栄の原因をお知らせいたし

その相通ずる念いが相応し幸福が到来いたすのであります

当たり前の事と思いませんか そう思う方

実際の実践行動は如何されておりますか

生活に おわれている なんて理屈は必要ありません

それからですね 解ってはいるけれども

中々出来ないし とか 結構忙しいから 等々申す方は 

はっきり申し上げて 全然駄目な人であります

と 申し上げます 返り見て 考えて見てくださいよ

自分 又は自分の家族 回りの親族連中の苦しみ

悩みの時 ご相談も受けた事あると思いますが

そんな時 如何でしたでしょうか・・・

それとも 知らないふりをしていましたか?






故 玄龍院龍弘日宣上人より









~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








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今まで健康であったのに

この文章は 私 せんちゃんを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 せんちゃんの 独り言 や つぶやき を 書いてます




まいど~~

せんちゃんで~~す

皆様お願いです

いつも 笑っていて下さいネ

ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ







今まで健康であったのに


精神的悩みのため病気になった



これを解決致す方法




ただ1つ 感謝のみです・・・・よ




怒り 憎しみ 恨み 




争い 淋しい 悲しい 等など



私の人生は誰よりのもミジメだとか



こんなに一生懸命しているのに等など




この様な想念 感情




これ 全部駄目・・・・・ネ




今ある状況は将来に対しての




全ての土台ですよ 

頑張りましょう




不平 不満を

全て感謝に大変することで 

OK ですよ

















~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








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今ある所に不満がある を 感謝 調和へ変える

この文章は 私 せんちゃんを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 せんちゃんの 独り言 や つぶやき を 書いてます




まいど~~

せんちゃんで~~す

皆様お願いです

いつも 笑っていて下さいネ

ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ







今ある所に不満がある を 


感謝 調和へ変える




今住み、ある所に 

不満を感じ その場所ににて

苦しみ、自分なりに悩み、

仕方なくその場所にいて

嫌悪感を感じ、

考えながら住まいし 又 

仕事、与えられた任務を完了しようとする。

イケマセンヨ

これは自分勝手な、

自己満了形の精神ですよ(自己納得)

欲  属に言う苦労知らず、

辛抱出来ぬ人です


他を批判するより,

先ず秩序を持ちて 

調和を求め




実践致さなければ ね、

今現状の場所より

別の楽園的(ご自身に取って)環境の方が

何か楽しく、新鮮な、

そうして新しい発見のように感じる人

ようするに 自分の苦なるものに 

対処するのではなく

自分の楽を のみ求め行く・・・


申し訳なく思いますが

自主 自己確立の人ではないでしょうか・・・・・





今吾吾に与えられている

現実修行(行)の場、時、所に

無限の感謝です

回りの人や 物事に 調和し

只只 ありがとう御座います。

と 言い続けましょう














~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








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般若心経

この文章は 私 せんちゃんを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 せんちゃんの 独り言 や つぶやき を 書いてます




まいど~~

せんちゃんで~~す

皆様お願いです

いつも 笑っていて下さいネ

ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






般若心経




般若心経 般若心経の内に

色即是空 空即是色とありますこと 

皆様ご存知のことと思います。

色とは、色々な うつり変わりのことであります。

物質のことでもあります、

在るようで 実はないと言うことであります

しかし必要に応じて表れても致す訳であります

この事を お釈迦様は


本来五官に感ずるものは何もない

と  申しお伝えくださって居ります

此れを  仏教の言葉で 

五蘊皆空 とお示しで御座います

この五蘊皆空に照見(しょうけん)し給うとの事でございます


「我今五官の世界を去って 

実相の世界に入る」です



本来五官に感ずるところはない


のでありますよ と 言う事なのであります

ですから肉体に溺れて 生活致して居りますと

絶対に 成仏も 天国もないのであります



あるのは 地獄道 餓鬼道 畜生道の 

三悪道のみであります



本来無しと お悟りに成り 悟ることが出来て

断ずることにより 成就致すのであります

所有していながら無所有の理(ことわり)で御座います

現象の物や 肉体に 執着致す事により

苦しんだり 悲しんだり 悩んだり致すのであります

その結果は 対立 争い 等など

悪いことが沢山おこってくるのであります

お釈迦様は 五蘊皆空と照見して

「度一切苦厄」 とお示しで御座います

(度 とは助けるという意味です)

五蘊を照見致す事により 吾われにある

一切の苦厄が 消えるとお示しなので御座います

病気も 災難も 苦難も 

全部消えると言うことで御座います


肉体に執するな 物質に執するな 


執着致す事による結果は 

心の乱れと成りまして

病気や 苦痛の原因となるのであります




私たちは 神の生命 仏の生命の顕現であります事を

本当に自覚いたさなければなりません

そうしてこの現象は不生であり 不滅であると

悟り 認める事でございます

現象物存在(あり)てそのまま無であると言うことです

無でありながら 無尽の世(実相界)たる処には、

宝蔵されたるものが 理念其のままに 

いくらでも ある訳で御座います

物や形に執したり 人々相(すがた)に 

また 対応に嫉妬したり 対立闘争ムキ出しの心を

起こしたり致すことは 即ち物が 事実のものであり

肉体的心が 実際の心であるとの 念(おもい)の処より 

発せられる 現実界の思いが そう致すのであります

本当のことで御座います

この事は 自分の悟りに到らない 

修行不足の為のことでありまして

大いに省(かえり)みて 

お覚(し)りに成る必要があるのであります

いくら 心理を勉強しても 理論で知っていても 

実際に 観と念(おもい)によって 

実感致さなければ 全然駄目なのであります

いづれ消え去り 消滅してしまう 物事に 

少しでも執する心が起きますことは

厳しい言葉ではありますが 

ご神仏よりの 生命の尊厳

そうして 働きを全然く(まったく) 悟るどころか

覚る(しる)事も、不可の 低い魂の人なのであります

残念で御座いますが 仕方のないことなので あるのでしょうか?・・・

全部て(すべて) ご神仏の下命の結果なのでしょうか

汚れたものを綺麗にするための 

清水の流れが少々不足なのでしょうか

それならば 自らが覚り(しり) 覚れる為に努力し

真を求め進み行き 激流の清水にて 洗い清められると

良いと思いますが如何でしょうか 少しでも 

一秒でも早くこの様に致してくださいますよう願いとう御座います

皆様と共に祈りて 彼らの 幸 来たらん事を 願いたく思います

「妄想に執(とら)われず」 にで在ります 


要するに 根拠の全然ない 

妄想なるものの上に築かれたものに着して

執着 嫉妬 その事ににての 対立 不調和を成しては

駄目でありますよ と 言う事であります

本来五官は無いんだ念(おも)い 

信じていくことが必要なのであります

真の理(ことわり)在りて 追従のことであると認め

迎合致すことであります(五官の事)

現象に現れている 物 に着し あるかの如く思い

これが欲しい、あれが欲しいと思う 

そうして それを吾個人所有と願う欲望が

相手と喧嘩をしても 時としては 殺人まで起こしてまでも

奪い合いをするのであります 当然の事 人と人も含みます 

虚言も平然と言いますしね どうしようもありませんです

般若心経の最後のほうに御座います経文に

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦  
(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい)

とお示しで御座います 要するに

早く 早く 真実を悟りて 仏に成れよ と言うことで御座います

私たちは 御神仏の申し子で在ります

神性仏性 そのものの子なのでございます

御神仏の霊魂が 私たちの霊魂なのであります

大変ありがたいことで御座います

本来諸法は不生不滅であります

未だかって 生まれたことも滅したことも無いのが諸法で御座います
(諸法とは現象存在の諸々のことであります)

無いものは無いのであります ですから実相なのであります

何かがですね 存在(ある)と思うから

私たちの心が ある ものに引掛かってしまうのであります

そうして その内より何とか

自由が供なうようにしようと一所懸命頑張るんです

ところが残念ながら 何か に 引掛かっておりましては

絶対に自由は無いので在ります

本来の自由自在を失うのであります

自由自在を失う事は 

迷いに入ってしまうことであります

本当は 迷い無しが真実でありますが 

迷ってしまうのであります

無明という事でございます

無明を放棄致し 光明を生み出しては如何でしょうか

光明は神仏の光であり 明るい智慧と申しまして

とても素晴らしい事なので御座います

何らに迷うな  ただ神仏に従い 行いを致し 

業を成就(なす)事であります

理屈は全然必要ありません 

ハイ でいいのであります

欲の夢 執着の夢から さめてくださいね


慧可禅師の弟子入りのお話を少々

慧可禅師の師は 達磨大師であります

その慧可禅師が大師の弟子になるために

寒い冬のとき、先生どうか私をあなたの弟子にしてくださいと、

申したそうです すると達磨大師は

「お前なんか弟子にしてやる資格がない出て行け」 と言って

入れてやらなかった・・・と 書かれています

現代では 教えを受けるのに道場を暖房装置で暖めておいて貰って

先達者の方から

「どうぞ来てくださいませ、ただで聞かせてあげますから」・・・・


「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」


道を聞くためには、生命を投げ出して、

肉体は本来無いのだから

その肉体の生命を投げ出して 今この一瞬に

「真理」  

を知らしていただいたなら、

一切のものをなげうってもいい、というほどに

全生命を賭けなければならない・・・

慧可の 断び(わび?)といいまして 有名な話があります

慧可禅師は、私は肉体の救いを求めているのでは無く

又その為に弟子に成るのでは無く

「真理を知れば こんな肉体など 

どうなっても好いのです」 と言って

腕を切って血みどろの腕を差し出し 

達磨大師の前に出したとあります

それで 弟子として入室することが許されたのです と御座います

真理を真剣な気持になって聞いて

真剣に受取る事の出来ない人は駄目なんですよ・・・

いくら本当の真理を与えられて居りましても

なれあいになっていたり 

受取る人の身体の態度如何によって

ごく少ない真理しか受取ることが出来なくなることも、

沢山在る訳で御座います 例えば、注意されても 

我 を持って生出だし、失敗を繰り返す人も居ります
(そういう人は・・・駄目だと思います)

私たちは御神仏の本性で居りますのが本当です

ですから一生懸命頑張って、

智慧ある生命を出し切り

沢山の人々のお役立てと成り、四苦を超越し
(四苦とは生老病死のことであります)

御神仏の教えを広宣流布致しまして、

私たちが本来持っている

神の生命 仏様の生命を 

その善なる生命の波動を



知り合う多くの人々に、差し上げましょう


吾 観世音菩薩なりと 大宣言致しましょう

無量無辺の相持って奔走し 

普賢菩薩の如く賢くあまねきましょう

そうして 人類救済の御為

吾 人生 吾 肉体神のもの 仏のもの悟り 本来同魂の

今だ少しだけ悟りに、遠ざかっている人たちのため

愛の実践、慈悲の流布を致しましょう、

必ずご神仏が守護給います



吾 日天、大日無碍光天照大神の

智慧そのものなり

吾 その愛そのものなり 

吾その慈悲そのものなり

吾 その生命そのものなりと

大悟し ガンバ です



我一切のものの我なり そうして大生命なり

我心(意)に従って 全部備わり

意(こころ)に従って 善き事全部 漏れなく

集まり来ると断言し、大宣言せよ


悪は本来無いが、

あると見えても

自ずから去るのであります 

間違い無しであります


再度申します

般若心経いわく

羯諦 羯諦 通り 早く早く

悟り 実践 愛業を祈ります

奔走は吾祥福の源なり











~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・10

この文章は 私 せんちゃんを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 せんちゃんの 独り言 や つぶやき を 書いてます




まいど~~

せんちゃんで~~す


皆様お願いです

いつも 笑っていて下さいネ

ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・1


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・2


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・3


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・4


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ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・8


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・9







ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・10



私達には個人的差は御座いますが 私達の念波動は 

聞いたこと 見て恐怖致した事 等により

「凶運」になったり「良運」になったり致すものであります

それは 例えますと星座占いとか トランプ占いとか

画数占いとか 生命判断の手相とか

今の世 色々な占い的相談所?なるものがありますが

そこで相談致し 占い師より 

自分の運命の善く無い事を宣言され

その事が恐怖の源となり 潜在的にも現実的にも

自らが 自分を凶運者と決めつけてしまい

いつもその事を思い 又は思いださずには

いられなくなりますし この思いが 残念ながら

心に描いてしまう原因となってしまうのであります

この心に描く「悪い原因が」


「繰り返し自分の心に描くもの」と成ってしまいまして 

必ず 現実の処に現れてしまう 最悪の状態となり 

大変悲しまなければならない 結果と成るのであります

そうして人によっては あの占いが的中した等と考え

増々「恐怖」が「増長」いたし

どんどん不幸となり 益々中々抜ける事の出来ない

「恐怖」と「不幸」の 人生の内の小さな部分か

大部分か解りませんが 



毎日毎日の本来の感謝致せる善き日を

「自らの念波動により」 本来の善なる善き日を

悪い日と恐怖とに 変えてしまうのであります

一見超能力者?と見える人であり?ましても

決して悪い運命(凶運)を又それに通ずる様な

運命を宣言するような言葉を信じては

絶対に駄目なのであります
(カルト集団のマインドコントロールにはまるな)

自分は何の子なのか良く覚るべきであります


小生二十二才の頃より 人々は皆が皆

偕に神の子仏の子の真実(まこと)で在ること

お伝え申しております しかし

現在よりは全然自覚不足であったと思います

勿論の事今現在も全然まだまだ自覚不足であります

文章・・元の処へ戻ります


凶運の生涯と思っていた 悪い運命を

善く致す方法がちゃんとあるので御座います

悪いと思っていた運命を修正いたしたく思い

心より正しく願う人は 幸福到来の確約を

ご神仏とお約束出来たことと成るのであります

と 申し上げます  これは絶対的結びで在ります


「宣言致された言葉の力により

自分の心の世界 自己の霊の世界に起こる

事件の原形 光景が出来上がって

その事が現実化致し

映写されるべく 待機している

一種の運命のフィルムを

その現実化以前に 神に仏に

幸運の方向に修正していただくのが必要である」



「修正に應ぜざる時は その凶運なる働きが

既に現象界に移行すべく待機している」




「大事な事は 私達がその悪い運命とでも

申しましょうか その事に

正と義の 義(ただしき)を持って

神を信じ 仏様の慈悲を願い

私達一人一人が 真剣に心して

ご神仏へ振り向く誠の心と 

本質の身体在りまして 祈るとき

当然の事 その人の 心は浄まり

その人の浄まり具合によって ご神仏の御加護 

そして 高級霊による守護により

御加護戴けまして 本当の大善なる

護りのちからが働き 生出すのであります

自分の内にある仏神の湧出であります」






私達がこの祈り この浄化を信じ切り

実践する勇気を持ち 感じましたならば

絶対大丈夫であります


日蓮上人も お釈迦様もお示しで御座います

「お釈迦様は 自らを仏と」宣言致し 如何なる時も

「私達一人一人をお護り」下さる・・と

日蓮聖人申す「お題目吾を守護(まも)ると」

現代語にて解りやすく



「吾背後には ご神仏の無限の生命

無限の愛 無限の智慧 

無限の慈悲がひかえている」




私達はなんの問題も 恐怖も全然無くして

大丈夫なのであります 絶対の安心の境地であります

絶対安心の根拠は まず私達は霊的実在なる

自己実現の神の子仏の子であります

その源成る真実の実在は 「霊なる源」

それは 「高級霊」であります

この高級霊は なんの衝撃も障害も全くない

「霊の世界」に住んであるのであります

そ高級霊の内には 私達の祖先の高級霊化した

霊魂も含まれているので御座います ですから

子孫である私達の 苦しみや 苦痛 困難をみて

悲しまない祖先の高級霊は絶対にありえなのであります

高級化致した祖先霊は お悟りの処でありますので

それぞれの子孫の安穏 安堵を常日頃

願い 護っておられると思うのであります

ですから 占い師たぐいから 悪い運命

悪い将来の事柄など 又 凶運であるとの

言葉を受けまして 苦しむる子孫を

そのまま放置致すこと ばかりでは無いのであります

(ばかりとは 全部が全部高級化
致してる訳ではありませんので・・ね)

(祖先に対する御供養の大切さ ご理解下さい
自分の霊魂浄化も)

その占い的言葉の恐怖などにより

淀みかけた状態が 現象現実化致す前に
(本人の心の想いが現象界に移行する直前)

我らの高級霊は 最高の智慧持って

修正の為働き給うたり 迷える本来無き

謎の迷走苦痛を破壊いたし 

お守り お導き下さるのであります

お護り頂く為には 只願うだけで無く

常日頃の観法が不可欠であります
(真理にふれる事)

毎日毎日の生活の内 私達は幸福である

普通の生き方を致したく願っていると
(自分都合の欲深くないこと)

思うのでありますが 如何でしょうか

もし本当の 心より願いますなら


「自らが真理を悟り」


ご先祖の霊魂に対しても 真理の言葉を

御供養させて戴き「神通の力」を増し

またご先祖にも増して頂く事を願う事であります

ただし一生の間 一所懸命実践致す事

忘れずお願い申し上げます

少々もんくを申し上げますが

今の状態に満足していて 毎日のことながら
(経文読誦の義 祈りの義)

「なれ合い」の心で行っている人が多いと思います

何か問題が起きると大変あせるのに・・・

全く「勝手心」の人々よ 「大改善致せ!」

と願いますし お祈り申し上げます






故 玄龍院龍弘日宣上人より









~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







プロフィール

りゅう

Author:りゅう
北海道の片田舎に住んでる 私 西岡宣龍こと りゅうは 自営業者&日蓮宗の教師 であります 私 宣龍を 日蓮宗の教師へと導いてくれた 今は亡き私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 を 書いてます

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