りゅうの独り言  福徳圓到來

北海道の伊達市に住んでる 私 西岡宣龍こと りゅうは 美容師&日蓮宗の教師 であります 美を創造つかさの店という名の小さな美容室を1人で経営しています 美容師である私 宣龍を 日蓮宗の教師へと導いてくれた 今は亡き私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 を 書いてます

ご神仏は偉大 母は偉い! 

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます






まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ




ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ







ご神仏は偉大 母は偉い!





決めつけは無理でありますが

應々にして 乱暴な言葉使い 又 強力な暴力

又 自分の指示(ご主人)に従わざる時は

態度の変化を致す勝手な 夫

自分の遊びや 酒席での楽しみには

家族の不安 不満等全く気にせず暮す 夫

俺の言うことを聞かなければ 必ず後で後悔する・・ぞ

なんて 偉そうな事を言う 夫 自分中心の勝手なことを申し 

己の立場を維持しようとする 勝手な夫 がおります

いろいろと多種 ありますと 思いますが

そんな状態の内でも 一所懸命 一生の間

影ながら  一人一人の母が 影ながら

誰々に理解(わか)って頂く事に 期待もあまり示すことなく

偉大な貢献を致している 母に 

感謝申し上げなければいけません


お母さんに 心して  ありがとう と

感謝の言葉を献上受持って 申し上げては如何でしょうか


私達をこの素晴らしい世に産んでくださる媒介者となり

苦慮致しながらも その子供たちの生長 幸福を願い

又 家族円満 調和を願い 我慢致しながら

一所懸命頑張っている 天下の母さん

この 母さまに 今一度有難うの感謝の言葉を申しませんか


さあ皆さま ここで一緒に母様に

有難うを宣言致しましょう


(如何です 心明るく幸福に成りますでしょう)

追分・・残念ながら 内には悪い母もおります

どうしょうもない 母も実際におります・・です




苦しくても 悲しくても 出来るだけ

明るく振る舞うよう 努力致し 我顔と愛の言葉を発し

心配りを致しながら 家族円満と具足を求め 願い

一所懸命働く母 この母こそ 地上天国を作る

源と申しても言い過ぎでは無いと 小生思うわけでございます

耐える力の強き母よ ガンバですよ


顕祭仏像にも慈母観音菩薩はございましても

慈父観音菩薩とは 小生の記憶では知りません

全ての創造も観音様の業なのでありまして

其の観音様は大使命として 森羅万象に対し奉り

智慧であります 大慈悲を顕現(あらわ)して

全てを育み給うので在ります

円満に育む為には 念(ねが)う 思いやりが

皆無では全然駄目なのでありまして

当然の事 大慈悲の念いのままでの業と行いを

実際に取締り仕切るのであります

大いなる慈悲が無ければ 

不平等な処しか顕すことが出来ないので在ります

しかし 悉くが調和により整う世 この世が生みの業

創造の業 実際の行として 円満に 

そうして 完全に現れているのであります

ですから 母さまは 偉大なるものとして

御仏様の慈悲と 一通いたすと 小生思います

感謝致さなければ ならないと思うのであります

この慈悲深い母さまに対し 逆らったり 憎んだり致し

非礼な者は  偉大な母を殺してしまう極悪な奴もおります

この悪い奴も 心入れ替えてくれるなら 大変良いのでありますが




本性なる本来の私達は もれなく全員が全員 

神の子 仏の子 であります


(此の事から申しますと 本当は悪い奴は 皆無なのであります

その人の内に必ず善いところがあるということであります)



ですから祈りをもって 内在の実相の生命を 礼拝致しましょうよ

そうして人々の幸福到来の為 自分が頑張りまして

行く行くの処えの 私達の道柄の糧と致しましては 如何でしょうか

そうして 何よりも大事なことは 


人々は皆  一つの生命の つながり でありますことを 

自覚致さなければなりません




ですから 回りの 誰か一人の思想の 心が変わりますと

回りの人々が 一変して良くなるのであります




ですから結果として 地上天国が建設されると言う事に成るので


「明るく」 「ハイ」と 返事をいたし

必要な事を実際に実行致さなければなりません

それを実行している母 母さまへ  一番立派だと ほめて差し上げましょう

余分なことであるかもしれませんが

小生若い時より 次のように書いておりました


「親を拝し 夫を拝し 妻を拝し

回りの全ての人々へ感謝致しましょう」




現象は母でありますが 人々は全員が全員 

前述の言葉通り 一つの生命体であります


皆に 互いに御礼と感謝を申し上げまして

自身の神の子仏の子の 実相を現しまして

ご神仏へ恩返しを致しましては 如何でしょうか

是を実行致しますことにより 心も軽くなり

何かの事や 物に執し縛られる事もなく

大変な幸福と 喜びを実感致せると思います

私達は善子(よいこ)であります

この事を心して ご神仏 ご先祖様 父 母 兄弟 兄妹 姉妹 

回りの人々 もの 事に 誓願致しませんか

必ず成ると宣言してください


これより 少し文章を変えます


仏教の教えにも

「吾仏性を顕すことが出来れば 全て万事が変わる」

と 教えられています


「自分が変われば 回りも変わる」


それは私達が ご神仏の自己実現として

真実を表現致し 実践致す事により

円満に 事 運ぶからで在ると 小生思います


先ず 私達は完全なご神仏の自己実現で在りますこと

絶対にお忘れ無き様お願い申し上げます

その意味に於いて 私達は中心者なのであります

ですから 人間としての 人間力で いくら頑張っても成しえぬ事も

ご神仏の自己実現でありますことを覚り

ご理解ご認識頂けるなら 全ては

癒しの対象となり 解決致すのであります

小生は絶対に信じております


人間智は頭脳の働きのみ 

ご神仏の波動には 大愛と大慈悲と言う

不可思議な ちからの 大きな大きな働きが在るのでございます

病気でも もし 不治の病気といたします

その時自分は勿論の事 家族の人達も大変残念に思いますでしょうし

又 絶望致し 悲しむのではないでしょうか

これが 一種の絶望的行き詰まりなのであります

この時こそ 私達は神を信じ 仏の慈悲に感謝の思いを起こし

自己の実相成る真実(まこと)を 思い起こしまして

本来の霊魂(こころ)の光明を生出さなければならないのであります

しかし 人々はおうおうにして こういう時は

只悲しみ 気づくのも忘れてしまい

生命の霊魂を 残念ながら 暗くしてしまうのであります

例えばでありますが 今記載の病気の件の時

人々が 今は最悪の時では無い と信じ

相手様の内に 内在し給う霊魂

そのご神仏の働きで在ります 霊魂(たましい)の実相

その実相成る 曇り無き想をみて 一所懸命礼拝致せることは

相手様に内在し給うご神仏に 思いを懸ける事につながりまして

上手い具合に現象的危機は自然と消え去り

本来の神の子仏の子の 綺麗な相 晴天のような

常住の実相が 現実に現れるのであると申せます

信じて頂けるか 否かの事でもあります

残念ながら 私達は案外常日頃の思いとは別に

何か事が起こってきますと 潜在的にあるのかどうかわかりませんが

病気の事や 不幸や 災難や 悪や その他の悪い事を思っていたり

つかんでいたり 想像したりしてまして 

その事を自然体なのか わかりませんが

常々吾心に描いている場合が大変多いのであります

ご神仏は 決して私達に不幸につながるような

悪い事をお求めになっていないのであります

しかし 私達の 心 の置き所の間違いにより

自分勝手な想念の源を「つかんで」しまうのであります

これが 心 に描きつかんで 放さない

心の所現(しょげん)であります 
(現象の心の法則)

ですから これを放さない限り 私達は

現象の不幸より 脱する事は全く無理であります

豊かな繁栄も全然無理であります


全てこの現象界は

心の所現(あらわれ)であります

(三界も含みます)




「ですから 同じ心の所現(あらわれ)でありますなら

感謝 報恩 貢献 人々の救済奔走 願い等

善に つながる諸行成満の念いの

心 を起こしては如何ですか

誰よりも 自分が幸福となり 

心の健康も生出(いで)まします

心の健康は全ての癒しでありまして

その事が神であり 仏様なのであります

その本人が 私達一人一人なので在ります」



人間の人間を脱した 真の人間であります



如何ですか?何か自信が付きませんか



私達は解っていながらも 病気の事や

災難の事や 苦痛の事 等々ありますが

應々にしてその事や それを時々や ほとんど毎日のように

思い浮かべる方達が 沢山いるとおもいます

特に今現在 病気になってる人や

災難 苦難の中にいる人は 特にそうであると思います

しかしですね その事や それを思うことは

恐怖致している証拠なのであります



大事な事は その「恐怖」する心の働きは 想念感情となり 

その想念は「形」となり「心の所現」として現実として

今より「強烈」な 状態を作ってしまうのであります
(生意気ながら この時は 最初の ゼロ に戻ると良いのです)




私達はご神仏の「子」であることを

覚っていても そうなってしまうのであります・・・ネ

そこで私達はこの状態 この時こそ

私にかかるものは 非実在なり 本当の実在は


何の理由もなく「只完全円満大具足なり」と


神とのつながりを 強調し一所懸命「祈る」事が

とても大切な事なのであります

大事な事でありますので 心して記憶してください


全ての調和円満の創造(うみ)の親は無限でありますがゆえ

完全なのであります

私達に計り知る事の出来ない 大善の偉大なる

権威の顕現なのであります これを悟る為には

自分の心の不健康を「消す」事が必要であります

不健康は すべてが ぜんぶの 癒しを駄目にしてしまいます


ご神仏は前述の通り癒しで御座います

応々私達はその癒しを 心 の内で求めていながらも

現象の 相 形 物質 に心が縛られて

真理なる精神波動に素直に乗じる事が出来ないのであります

結果として 否定的に成って 只苦しむ事と成るのであります

だから その癒しの善を 「否定」 なすような

心の波動は 全然駄目なことで在りますので

神の子 仏の子の 実在の放棄となり ご神仏とのつながりをも

肉体重視の低次元の頭脳判断により 断ずる事となるのであります


大変大事なところであります 良く読んで下さいね


吾々一人一人が神(真理)へ向へよ

心して神(真理)の方へ振り向くことの大切さを悟(し)って下さい

又 苦しめる人 病む人々の為の癒しの為には


自分自身が まず 癒されている 

実際の実相を 悟らなければなりません


ただ相手様の癒しを願うことは

相手の苦しみ 病気などを

認めている事になるのであります


ですから まず 「吾」を完全に癒すことを

絶対に忘れては駄目なので在ります

この事をお忘れ無きようお願い申し上げます





お間違い無きようお願い申し上げますが

決して 医術を否定致す訳ではありません

唯物信仰の人達にとっては 唯一の治療はの方法は 医術に頼り

医術の力によっての快癒を願うのが当然の事なのであります


決して 悪い考えでも 悪い感情でもでもありません

過去にも申し上げ お伝え致して居りますことで在りますが

現象修行途上の私達は 人それぞれの霊魂の状態により

どちら側が 強く持っているかの違いはありますが


精神的法則の部分と 物理的法則の部分の

二つを持っているのが 私達なのであります




ですから 物理的法則の方を強く持っている方は

当然の事 医術を選ぶ方が多いのであります しかしですね

「私達の本質は ご神仏の申し子」であります

ですから もし もしもですよ お医者様が手放したとて 

余り心配致すことは無いのであります



* それの為には 今の自分 今の

「自分に宿り給う」 ご神仏の「生かす生命」

この生命をよ~く お覚(し)り頂きまして

その「波動」の「心」をご神仏の方へ

振り向ける事が 何よりも大切なことであります

ご神仏は全智であり全能であり

限り無き 無限の愛と 大慈悲であります

その大愛のご神仏の生命の分霊が 私達一人一人であります

ですから その大愛 大慈悲成るご神仏を

一時も忘れること絶対無くして

今の吾心に描く事が大変大事であります

「心」に描く事が出来まして 全智全能なるご神仏が

今即 自分 又は知り合いの人 又家族の人々の

苦痛や病気を癒し給いつつある事を

「心」に描いて 信じ 深く深くご神仏に

そうして その人達の内に宿り給う 

ご神仏の大生命に その個霊の生命に

伏して感謝の祈りと 言葉を発する事が必要であります *



元々から在る 苦痛や病気ではないと思うのであります

(霊界での修行も致さず 何度か 何十回か 何百 何千回かの
生まれ変わりの修行者?で 全く改善の無い人で
無理に 激しい修行? を与えられる者?は別であります)


ですから 全癒して当たり前の事であります

ただし 我 や自己の個人的感情を 生出して祈ったり

相手様を視ては駄目であります 

この為には 毎日々の観法が大切で在ります

一所懸命祈り 正しき(真実の)誓いの希望を

祈願致すことであります

この時が初めとなり 慈母の観世音菩薩さまが

顕れ 成就成満致す訳であります

無量にして無邊の働き(無指向)

「吾 業は吾なすにあらず」

「天地の御親神が為し給うのである」

私達は真の理をお伝え致す お使い者となり

その業と行をさせて頂くのであるとの

自覚をしなければならなのであります
(相手献上の精神)


自身應護の我によりての 自由を求むるな

そして 執着するな 又 嫉妬するな



自分の力で生きている間は 普通の事と思いがちですが

全然違うのであります

吾(われ)吾(わが)生くるにあらず であります

神の生命ありて生きるなり であります


自己の働きで生きる者は 自縄自縛に落ち入りやすくなり

苦痛も病気も 悲しみも つかみやすいのであります

そうして自分の思うがままでの心で 事を進めるので

人々を自分の意の思いで 支配致すのであります

此に 自分を縛る状態の精神が存在致しますから

相手をも縛り 自分の思いの 自由にしたくなるのであります

嫉妬 執着 恨み 憎しみ 不平不満 相手非難 全てそうです

しかし ご神仏の申し子なる私達は

生かされている者でありますので 

これを覚(し)り悟る人は 執着も無く 心平和にして 

悉くが安心と安定と安堵の処でありますので

幸福であると覚(し)る事ができまして

私は本当にご神仏に 生かされているとの 自覚が 

神仏の意のままで自然と 生まれてくるのであります

如何なることも このように 感じ 考える事が出来るなら

私が 事 を成しているのではない との

大義の自覚を致さなければ駄目であります

例えば仕事なら仕事によりましても

誰々が仕事を致しているのでは無く 現実は 私 誰々でありますが

誰々の仕事を通して ご神仏が働き給う事を

悟らなければなりません

私達は 神の子仏の子であります ご神仏の入り口の前で 


「吾々の 心 を開き 全開致して」


ご神仏とのつながりを 決して断ずる事無きよう

信じて神仏の生命を 迎合致さなければなりません

小生も含め願いたく思います


「心 全開であればあるほど 神と仏は守護給う

本当のことであります

信ぜよ そして心より感謝致せよ 奉ぜよ」


と 力強く申しお伝えいたします


人間の能力での判断で物事を進めて行く時

必ずと言って良いくらい行詰りが存在(ある)ものであります

本当にそうなんですよ

人間の力によって行った事物が 行詰った時 そして

どうしようもなくなった時 皆さま如何いたしますか?

多分 自分の都合良き事に運ぶ為の智慧が

湧き出ると思いますが 如何でしょうか?

もし そうでありますなら 此の考え方こそ

物質 肉体人間の 考え方であり 着心致すところの

自己 善人 相手 悪人の 思想なのであると

小生思いますが・・・皆さな如何思いますか?


この様な人は 必ず間違いなく 相手を非難し

相手が悪いから こうなったと 

責任転嫁いたすものであります



はっきり申し上げまして その時 行詰った時 

ご神仏に心振り向け 何の抵抗も感ぜず 心全開に致し
 
ご神仏に全托し「ワガイクルハ ワガチカラナラズ」

私達は 祈り 従い 神の子仏の子としての

普通の生活を致し 円満に事運ぶ事に感謝し

完全円満なる実相を現す為 

一所懸命頑張る事が必要なのであります


「この様に致す実践により」 


神が為し給う諸々の業には 

絶対に行詰りは 無いのであります




創造主であり 総取締の主のご神仏は

無限の繁栄の開放であるからであります

この事は大変有難く思えることでありまして

信じてご意志に従いますならば 間違い全然なく

心 暖かく しかも笑いながら 愉快に

事 運び進み行く事が出来るのであります

これ 繁栄のための源であると申せます


繁栄・・とは 健康も幸福も 全て含まれる

言葉の表現であります




ご神仏の創造せるこの大地 天地一切に

感謝致す事にもなるのであります

天地一切に感謝致す事は 

普通の生活を致すことであります ですから 



特別な諸行は全然必要無いのであります


「でもね 人と言うのは 苦悩致すとき 

その事件よりのがれたい時ほど 他の方面へ

苦より脱する願いの為 

好き勝手な方へ向きやすいのであります

それは 遊びこけたり も そうですし

酒に溺れるのも そうであります それから

色情におちいる者もおります そうして

酒の量が多くなったり 訳の解らない事でも

怒ってしまったり 暴力的に成ったりと

余り好ましくない事を致す人も実際に沢山います」



小生も本当にそのような相談に接することが多く 

時々嫌に成る事もあります

普段は案外へらへらしているのですが

酒などが入ってしまいますと 


なかなか大変なようです

家族の一員でありましても 人なのでありますのに

小言グダグダ言ったり してさ 本当に

嫌になると思いますよね  可哀想にね・・・

でもね 実はですね 酒飲み酒乱の人々の

酒量の多い少ないの問題だけの原因だけでは無くですね

実は霊界よりの影響もかなり強く在るのでございます

実際に小生も何度も経験を致しております(僧侶として)



霊界からと申しましても 自分の直接の関係者だけの

影響だけではないのであります 飲酒の悪い癖のある誰かが 

霊界で大変苦しんでいて(親類とか縁者)

酒が欲しいと波動を起こすのであります

これも現世の人達への

苦しみの逆念波動と成るのであります

多分成仏の成さない霊でありますので

今だ肉体の相の念いを持ち続けているのでしょう と思います

この酒が飲みたく念う 思いを持っている霊の

心の波動を感受致す人は 残念ながら

いくら沢山飲んでも 全然飲み足らないのであります


飢えと 渇きの相 そのものでありますので


結果として泥酔致すのであります

泥酔だけならまだ少しくらいは良いのですが?

(本当は全然良くないと思います)
(暴力より少しくらいいいでしょうかね)


狂乱の状態を起こすのであります

それはですね 

自分自身(現象生活者)(生きている人 本人)

が しっかりと 真 を求めた実践者であり

普通の生活者でありましたなら

絶対にこう言う事にはならないのでありますが・・・




仕方無いのでしょうか 現在の人が

この様な相に現れるのは 霊界の 迷い霊に左右され

チョロチョロにされているのであります

お前しっかりしろよ! と言いたいです


応々にしてこのような人は 自分に何かの不都合や

不具合 勝手思想に相応致さぬ人々に

色々と理屈を言い

「お前が あなたが悪いからだ」


と申し 回りや相手の責任に致したくなるので在ります


「霊界よりの影響は 

酒のみだけではありません

変な悪癖も 色情も 

精神的急変も 言葉での

相手への暴力状態を

起こすもそうであります」




でも ご安心ください この問題の

解決方法はちゃんとあるんですよ



泥酔にて一種の狂乱状態になっている本人を

元の状態に治す為には まず一等最初に

迷っている霊を 完全なるご神仏の子であります


実の相を現して上げなければなりません


誰に対しましても 酒によつて酒乱の状態になった時

又 酒によって暴れる様子の時 

もし自宅に居りましたら(祭事を致す人)


仏壇へ向かい ローソクの明かりと 線香をつけ

酒によって苦しむ 迷霊に対し 酒 を供えて

御供養の儀を致すと良いのであります


お金を支払うのが嫌な方は別でありますが

出来る限り いや 絶対にと申したく思いますが

6丈の塔婆にての供養を寺に委託し

自宅にては 迷える霊に対して あなたの本来相は


神の子であり 仏様の子であります・・・よ

と申し伝え 今肉体の無いあなたに

肉体があった時(真実にあったのではない)の苦しみも

何かの影響によって苦しむ事も 全くありませんよ

と 真実をお伝え致す事が 

大変大事な事なのであります


この時絶対忘れてはいけない事は

必ず経文を読誦致す事であります


出来るだけ訓読にての読誦が良いと思いますし

相手様にも大変理解出来やすいと 思うのであります

そうして もう一つ大事なことは 狂乱状態の人に対しましても

誰々さん あなたは本来素晴らしい 神の子仏の子の


実相身そのものであります!


と大宣言にて 断言致す事であります

そうして必ず祈る事を 当然の業と行いとして

実践致すことが約束事であります

ご神仏との約束事でありますので 完全な結であります

ですから軽々しく思わず 真剣に実行致してください


一日のみ 又は泥酔の時のみではなく


毎日致す事が良い事なのであります


又この祈り願いは必ず成就するとの信念を持って

ご神仏 ご先祖を そして父母を仰ぎ奉り

感謝の思いを起こし わが心の乱れを整し

天地万物と調和することであります


その真の諸行の結果として


霊界にて迷っている霊も そして苦しみの余り

狂乱錯乱の念波動を送る霊も

悟り救済致され 成就致されますので

そのような感と念いは

送られて来なくなりますのであります

これで 一件落着 であります


常日頃のご先祖の御供養は大変大事なのであります

今の自分が特別な事もなく 生活致しているからとて

余り安心はできないのであります

何かの問題や事件が起こってからでは無く

先んじて 感謝と報恩と御礼の真理をの宣言をのべ

供養を致さなければならないのであります

迷い霊の強力な波動が現れてからでは 

解癒も中々大変であり 


現象より 霊の所へ送る真理の言葉も

中々通じずらいのであります


それはどうしてなのでしょうか?


と 思う方が全員かと思いますが その原因は

私達にとって大切な 本源なる秩序(善き調和)を

守らないからなのであります

ご神仏を尊ぶことも ご先祖を尊ぶ事も致さぬ人は

応々にして 死後の霊は迷霊となります

ある強力な迷霊は 私達の現象外の苦痛の


地獄 餓鬼 畜生 の三悪道にいるからであります


この事を 妙法蓮華経普賢菩薩観発品第二十八に

次のように示されて居ります

よーく お聞きください よーくお読み下さいまして

ご理解下さい お願い申し上げます


*若(も)し復(また)是の経典を受持せん者は

其の過悪(かあく)を出(いだ)さん・・・

此の人は現世に 白癩(びゃくらい)の病となる

又 之を軽笑(きょうしょう)致す者は

醜脣(しゃしん) 平鼻(びょうび) 

手脚繚戻(しゅきゃくりょうらい)

眼目角眸(げんもくかくらい)身体臭穢(しんだいしゅうえ)

悪瘡膿血・水腹短気(あくそうのうけつ・すいふくたんけ) 等

諸々の悪重病あるべし

(あるべし)・・ですので 肉体重視の思いは穢れ(けがれ)

となり 三悪道へ入ると言う事です*



と お釈迦さまはお示しでございます

ですから この意味からしましても

絶対に天国浄土へ向かうことは全くありませんし

真理受持の心無くして 自分の考えているような

楽な処は全然保障されてはいないのであります


ですから 無秩序なる者は 間違いなく

地獄 餓鬼 畜生道に落ちるのであります

そうして落ちたる者は 最悪の悪邪霊と成り

時として悪魔民の霊と成ったり 邪鬼になったり致し

浮幽霊となり 全然救われる事の無い

迷霊と成ってしまうのであります


「これも本人の責任であります」


*迷霊はその苦痛を知る人々に與(よ)せ
自分が楽に成ろうと致すのであります 
(迷霊が満足致し楽しむ事・・・大変な事なんですよ此れは)
又時として 他人に頼る事も多々あります 
頼られる人は大変迷惑を感ずる訳であります


私達から言わせれば 勝手な奴が

勝手にそうなっているのだから

自己の責任にて 勝手に苦しめ・・・と

申したくなりませんでしょうか・・・・・

でもね 「仕方無い」 でもいいです 

次のように みんなで頑張ろう!  です

私達は神に愛され 神に育まれている 

ご神仏の愛子であります
 
ですから 私達の回りには一瞬のすきも全く無く

無量無辺なる菩薩さまが陀羅尼を宣舌致しながら

三千大千世界の真空妙有を私達にお与え下さりながら

御守護下さっておられるのであります

この有難い真の波動 念いを 私達が

心善く受納させて頂きましいて

仏様の言葉を 声聞いたし 迷霊の為

真理のちからと 塔婆の供養によって

救済のお役立ての実際の実践を致し

私達の子孫に波及致すこと無きように

迷霊救済成就の為 皆んながそれぞれの中で

頑張って頂きたく思います 又そのように

致さなければ成らないのが本当であり

自己救済の霊魂浄化の実践でもあります

同じご先祖の影響を受けるに致しましても

善きことなら大変有難い事でありますが

悪い事など全然不必要なのであります

迷霊も一日も早く 仏語を受持して

浄魂浄化 修業を霊界に於いて致して頂く願います


御供養の大切さ 塔婆供養の大切さ

しっかりとご認識頂きたく願います



いずれ それぞれの皆様のご先祖が御供養の供々により

功徳を与えられ 救済されまして善霊と成り

素晴らしい高級霊となり 大いなる善魂の使命として

高級守護神(霊)となり 世の争い無き 秩序整いの為 

大慈悲の念波動を送り続けて頂きたいものです

勿論私達も前述(高級霊)のようになる使命があるのです

此の処の使命とは 天の使いの天子 天童のことであります

今の諸行に甘んじるな もっともっと厳しく

自身を見つめる事 そして実際の行動にても

人々の為にご神仏の申し子で在ります私達は



智慧と 愛と 慈悲を 

おおいに 生出し 奔走致す事が

功徳と 使命 と言う事なのであります



人々の為 人々の為と 小生よく書き示しますが

これは 禅宗の修証義の内にあります処の

一切衆生を渡さんと発願修行するもの・・・・

たとい過去の一家一内悪業多く重なりて

悟りの障りの因縁ありといえども・・・とあります


すなわち 私達が 一所懸命 

浄魂の供えももって 「功徳」

真実の理りに乗じるとき

その時が悟りとなりますので

私達一人一人が 菩薩さまの位に

位置致す訳であります

この菩薩の位に 自らが乗じる時

その「功徳」は あまねき無尽の法界に

完全充満致すのであります

ですから 如何なる悪業積も 順調に

消滅 改業され 円満となるのであります


悪苦からの解脱であります




何を成すにもまず 大事なことは

自己善儀によるところの

争いの 念波動を 

起こさぬことであります



そうして 両親に対する感謝の念いが大切であります


両親とは 父母のみではありません

上に向かって ご神仏の事でもあります


天地一切への感謝であります


ご神仏は私達の味方であります

ご神仏に只伏して 感謝御礼を申し上げましょう・・ね


私達の中 又私達の知り合いの方々の内で

「心しての」ご神仏への信仰ある人は案外少ないと思います

信じているように感じられる人々も ほとんどが

半信半疑の思いでいるのではないでしょうか

例えば 私は 一所懸命行っている

私は 一所懸命勉強もしている

私は 一所懸命本も読んでいる

私は 一所懸命お話も聞いている

私は これだけ一所懸命している



等々と申される方は沢山居ると思います

そうして こんなに一所懸命しているのに

どうして上手い具合に事が運び行かないのかな~

と 思っている事もございませんか?

もし そうでありますれば その原因は



「心」のどこかに 不足 不満が 

潜在している場合があるので御座います



ようするに 「心」に真実を求め

それを与える喜びを 心に描く事を

想念として 念わないのでは・・・ 

なのではありませんか・・と申し上げます


この事は 仕事に於いても言える事であります

その道のプロで在ればあるほど 特に

そう思いがちであると 小生思います

それは大変失礼ながら 仕事なら仕事が

誰よりも出来るばっかりに?

思いあがってしまう 心の思いが

表現(あらわれ)るからであります



「この時こそ 私の仕事は

ご神仏の成せる仕事であり

ご神仏の念いを(人々を生かし繁栄喜びの為)

代行しているのだ

その自覚での事でありますれば

事 悉く 上手く 具合も良く

結果も善く納まると思うのであります」



そこに まつわる人々の神の子仏の子の

共生共通の 本来なる相を感じ

認識出来るからであります


「この時 此の処で この人に

神の生命 仏の生命の実相が顕現(あらわれ)た 

素晴らしい 真実の人と成就致すのであります」



多くの人がこの様に成れますと お釈迦さまお示しの 

森羅万象悉く仏性なり その仏性そのものが 

法爾自然として 現象化致すのであります

此処に書かせて頂きました通り



私達一人一人が変われる事が出来ますれば

不思議と思われるかも知れませんが

本当に周囲が変わる者なのであります



しかし 実際に実行致しながら 

中々変わる事が無いようで在りますれば それは 

当人の急ぎすぎか 相手を視る「心に」

少々問題があるのかも知れませんので

冷静に一考して頂きたくおもいます そして

現象界の諸行には必要である 時間がかかる事を

絶対に忘れてはならないのであります この世は 

時間 空間にて成り立っている処であるからです

ところで 元の所

「自分が変る(改善)と周囲が変る」


のでありますが

私達は全員が全員 神の子仏の子であります

ですから 有難いことに 私達は神の御名のもと

常にいつでも 完全な自由で在るので御座います

しかし その自由を 神の子仏の子として

真に発揮致す事が出来なければなりません

もし不可能でありますれば


この事は 自己主義 主張の勝手自由と

者があっての自由と勘違いいたし

そのように変化いたします


神の子仏の子には 縛られることも

回りの人々に支配され そして 相手の奴隷にもならず

ましてや 暴力に伏し 悪に 染まる事も

全然無いのであります 神の子仏の子は 

本来の本性をけがす事は 全く無いのであります

けがれ無き本質の本性を顕現し それを悟る為には

毎日毎日の 観法 観座 が大事であります

その結果としての祈りが 神の子としての

自由増進の源となり 内在の神が

現象修行界に現れ 常に働き給い

何かとっさの問題 判断が必要な時

又 何かに行き詰まり 苦悩しているとき

本当にその事象に 案外簡単に 上手い具合に

解決致せる道が 開けて来るものなのであります

神は相合う法則であります ですから

「私達が真で」ありますなら 


如何なる問題も

解決の為に必要なる言葉 対応が突然のごとく

思い起こして チャンと解決致すのであります

相手を通じて 自分も導かれるのでります

円満解決であります


皆さま 祈りの観法を致されて居りますでしょうか

実践も伝導も

「祈りに始まり 祈りによって成就」

致すのであります こと 強く申し上げます

神仏は「常住の愛」であり「慈悲」であります

ですから 私も「常住の愛と慈悲であると」信ぜよ

そうして 本当の心から感謝致してください


常住の愛と慈悲とは 社会的立場を捨てて

奔走実践の事で在ります

いい加減な生き方をあらためよ

受ける喜びを人々の為に与えよ


「言葉理論のみ覚ろうと思うな」


与える事に躊躇致す者 いつの時か必ず

もれなく全員が 吾が身体 心を塞す(とざす、ふさぐ)であろう

人々を見る時 私を救って下さる 又

私を導いて下さる観世音菩薩さまの到来と感謝せよ

そして 拝む事忘れるな

無量無辺なる相を顕す 観世音菩薩さま

その観音様は 私達の持続する 「心」によって

「心」のままの相を顕すのであります



ご神仏の御心のままでのお話を話します


心によって現れ給う観音様 この観音様は

私達の接する回りの人々の相となり

私達の浄化の鐘と成って

「真理」 「行動」 を通しまして

真理を常に 吾々みんなの為 

ご説法致されているのであります

この観音様の奔走の説法を 受来る事が

出来るのも 不可であるのも 

私達の「心」の置き所によって 

大きく違ってくるのであります

例えば自分が正しくて 相手が悪い時 どうしても

相手批判に集中しやすいのが普通の状態でありますが

少しお考えください・・・・多分

常日頃の「浄心」を 忘れ

相手様を 「正して」?差上げる?という

「大義」?のもと 自分がいつの間にか先生と成り

相手様の本当の 神の子仏の子のすがた

実相の真実を忘れているのではありませんでしょうか

如何でしょうか 

話が上手く 行くことを願うよりも

神の義(ただしき)を 

お伝え致すことが大切なのであります

義(ただ)しきをお伝え致す為

心正して「相手救済」の「喜びの」ため

奔走致しましょう と申し上げます


観世音菩薩さまは いろいろな相を持って現れます

それは私達の親と成り 又兄妹と成り

又祖父母 姑など 又勤め先にては重役部下

仲間と成って「私を」導いて下さる相となって現れまして 

私達の心の向き先を 私達が覚る為に 

顕現(あらわれ)て来て下さるのが

観世音菩薩さまなので在ります

私達の霊魂の浄化 向上の為わざわざ

多分「御苦労」されながら いろいろな相と成って

示され顕れ給うので在ります



相手批判より 

その人を通して現れている相を見て

自分自身が反省し改善致せれば 

大変良いのあります




この反省が そうして懺悔と相手様を認める

「心」を顕現わす事が

自分の霊魂の向上につながります

そして 相手の悪い人の「内」に宿り給う

ご神仏の生命を礼拝し 現れている相を無視し 

自らの心より 捨て放つと良いので在ります

余り気になるようでしたら 

その悪い人と現れている人との関係を

浅く 又は断ずる事を致せば良いので在ります

全員では在りませんが


外に出て いいふりして 

家庭では いいかげん・・では 駄目です

生命の実相 生命の本当の相を

職場でも家庭でも 実際に実践致す事

外部の第一線に 心とらわれるな

物質一線は崩壊の危険在り


おどりでるなら 生命をともなった 第一線を

そして 多くの人々のお役立ての

立役者となって頂きたく思います


ご神仏の生命の実相は 外に在るのではなく

「我が」仏子成る 内に現存しているのであります

ですから 真の心 受持(も)って

内在のご神仏に感謝御礼を申し上げまして

「心」正してお祈りいたし 内在のご神仏の念いと願いを

現実の世に現せれば 大変良い事であり

「大善」の「行と業」と成就(なる)のであります

この大善の行と業を実践致す為には


自分自身が真理の「行者」として

実際に行動致さなければ駄目であります


そうして自信を持って


「吾 動かざれば 誰がこの世の

救済の役立ちとなるか!」


と大宣言し 第一線にて より多くの人々に

真理(まこと)の理(ことわり)道理を宣舌いたし

誤りて迷える人 誤りて病める人

誤りて苦しめる人 誤りて悲痛の思いの人

誤りて他人 知り合いを 

怨んだり 憎んだり致す人

誤りて不調和と成ってしまう人等

まだまだ沢山ありますが そう言う

真より 少し離れた生き方の人々の為

ご神仏の天使として「吾」動き「実践」し

皆の幸福 平和の為 奔走いたしますと・・・

「吾動かざれば」が 完成致します

ご神仏に誓願を祈り 

本当に実業致してみては如何でしょうか 

この事は 自分の心が楽しくなり 

幸福感を知る事が出来ます原因となります

自分に出来るかな? 等と 余り前もって心配すると

恐怖の心の働きが 具象化致し表面化致しますので


勇気と決断と自信を持って

平然と行動致す事が大事で在ります


「吾 常に神と偕なり 神と吾と二人なりき」

浄土宗の開祖法然上人さまは

「衆生仏憶念すれば 仏 衆生を憶念し給う」

と申されております まったく同通のことであります


親(神仏)は子を見離しは致しません

必ず何時も護っていて下さいます

先ず 信じて ありがとう と

申す事を忘れないでください お願い申し上げます



感謝と共に 既に神の御業が顕れ 吾願い成就せり 

と感謝致し ご神仏の偉大なる御業を


自分の内に取り込み 霊魂のレベルを

ぐ~~~~んと 上昇致し

我 神と偕 成るが由

我成す業 悉く円満に事運ぶと信じて

仕事場にても 組織の中でも 家庭でも

友達 親族縁者の所でも

大生命成る 生命の実相を生出し

顕現(あらわ)す事が 出来ますことが

真実(まこと)の現れなのであります

一生の間一所懸命させて頂きます と言う

取決めの心體と礼拝の心が大事で在ります


「そして 自分が変る事により 回りも変わります」


回りが変って来ますと ご神仏の本来の求めで在ります

世界も変わります 忠実に帰依致す処の

世界平和が現実化致すので在ります

(現実の実際は 欲に着する為 中々難しいです
でも 理想の念いです)


私達は神の子仏の子であります 

今の自分はご神仏よりの 愛と智慧を戴いている

金剛身そのもので御座います

絶対に崩壊致すことなく 只々 皆が


「善く成る為だけに生かされている生命で在ります」


要するに本来相を現実界に現す 

大使命を 持ちながら生かされているのであります

この意味から申しましても 人々 そして世の光明化の為にも

私達は「心」して 何の抵抗も全く無くして

人々 環境の為にも揵身致さなければ駄目なのであります

ご神仏に只有難うだけではなく


「報恩の」行いを実践致さなければなりません

ご先祖に 各個霊位に 親に兄妹に 良い人(おっと)に

妻に 子供たちに 心よりの生命礼拝を致し

神の子仏の子として尊先祖 尊人扱い致さなければなりません


そこの処に秩序ある 神の子仏の子の 平等性が表面化致し

平和と成り 調和と成り 互いの生かし合いが

円満に成就すると言う事になり 悉くが完成致すのであります

これが 小生思いますに お釈迦さまお示しの

森羅万象悉く仏性なり が顕れた事に成り

環境もふぞろいのままで ご神仏お示しの

美しさを認めさせて頂くことが出来る

神の子仏の子の「自分が」此の処に在るので御座います

「今 まさに 吾神の子の実相身」なのであります

有難い事であります

真実(ただしき)行いと業は執われず行動致す事です


ある意味にては
(成せる業に執着せず 感謝と御礼を致し
与える布施行のこと等)


無我夢中でやっているうちに 必ず 全く予期致さぬ 

実際の 善き現象結果が顕れてまいります 
(本当なんですよ)



私達が最も信頼の致せる者は

神様仏様でなければなりません

それは 誰もが求める 心の健康
(心の健康とは私達の本性自体の事
神の生命 仏の生命の子の事)

その心の健康を現実社会で表現して

出来るだけ 知り合う人たちと仲良く

「円い心」を受持ながら 勿論の事

精神的にも 肉体的にも健康で幸福で 喜びで 豊かで 

人々と仲良くくらしたいと願うものではないでしょうか

ご神仏の創造の森羅万象とも 調和の整う

理想のふるさとが 実現できるので在ると思います

仏様の 仏語通りの影響そのものの

善き大調和の処と成ると思います

この喜び 幸福の内に 常に有難いと思い願いますなら

神を信じ 仏様を信じ 吾内に そのご神仏の



生命存在の意義を間違いなく

迎合致さなければなりません


迎合致す為には 信仰の心と信仰成就の「要(かなめ)」

として必ず致さなければならない約束事がございます  

それは 自分の幸福や豊かさ 健康 自分都合の

良きことを求め実現を願う事より まず 大事なことは

「愛の伝導」と「愛行」が無ければなりません


相手様が本当に善く成って下さると いいなぁ~

と願う 本当の心の「念いの想念感情」を

「湧生出す」生命の働き この生命の働きを

遠慮なく おしむ事なく 全てを出し切り

躍動の柱として頂きたく 小生願いたく思うのであります


お釈迦さまは 時々 限り無く あらゆる処で

信仰の布施行を致されておりました事が

経典に示されております ですから

現代に至も仏教があるのであります


幼き時より仏法をならい 法華経広宣流布の為 

色々な法難と申せし事件も 沢山沢山出合いながらも 

只々大乗経典 妙法蓮華経の功徳と真実の教義功徳を

大衆に示さんが為 自らの生命の危険に

何度も出合いながらも 又流刑に処せられしも 


本当の本当の真理  この真理は  

お釈迦様は四十余年間衆生の為の

救済真理として方便を説いて来た しかし 

今 此処に最終経典として最勝のまことの真理を

広宣す と大宣言致され 法華経を示された

大乗経典 法華経以外には無いとの確信の源

生涯をかけて 万民の為 国家の為大奔走された

聖者も 実際におられたわけであります

これは 日蓮大聖人であります

日蓮聖人は 法華経の義(ただしき)の内にだけ

ご自身を置かれ 真の真理広宣流布の為

身を粉に致しながらも 大奔走致され

時の幕府にも 経文の理を献上致されました

素晴らしき 大聖者であります




真理は一つであります

自分の過去の業績が現在の 私達一人一人の

人生の出発点と成っているのであります

もし今現在の生活の内で 苦難や困難等があるとすれば

全部 現在の人生 生活を 今迄よりも

尚一層 真剣に生きまして 今以上沢山の

善き徳を稼いでおく必要があります

この事は 当然の事として気づかなければなりません

善に於いての想念感情 善の行動 善き言葉

良きことを念い 善き親切等々を業績として蓄積し

神仏の世界に 善なる業績として

一種の記録とでもいいましょうか

そのように致さなければなりません

そうして 善き財産として 来世誕生の時まで

大事に受持(たもつ)ていなければなりません


「常に善き生活 人に親切 

人の為になる行為 人を傷つけず

人の財を奪う事無く 生物の生命を奪う事無く

又 いじめる事無く」




少々難しく思うところもあるかと思いますが

私達はご神仏の申し子であります

「心」して心がけなければなりません


生まれ変わりの人生の半分は 過去世の諸行の

「業」で決定致してしまうのであります ですから 

今 もし色々な悩み苦しみの内に在るならば

心の持ち方 行いの仕方 人々の為成る事 等を

一所懸命努力致しながら 善事実現の為頑張る事に

心がける必要があるのでございます

今の世は激しい映り変わりの時代であります

今良くても 又すぐ駄目に成ってしまう・・と言う

急激な景気状態と社会情勢 本当に困ってしまいます

と思っていると思います 此れには

互いに相手より奪ってでも 他より お金 財産が

自分の所が知りえる 誰よりも繁栄繁栄いたせば良い

と言う心の波動が在るのではないでしょうか

もし その念いでの仕事成就 繁栄を願いましても

それは 中々上手い具合に 事運びません 又

客入りが悪いと 相手商売の人に対し 何か

自分の「心の置き所」も不安定となり

感謝に始まる 安心安定の感情が

抜けてしまうのではないでしょうか

そうして これが原因となり 時として



家庭不和の原因にもなり 具合の悪い時(状態)には

崩壊にもつながりかねません この時こそ

心して自分の本体成る本質は何であるかに

気づく事を忘れては駄目なので在ります

もし忘れる事多い人は


神と偕にして 二人成りの理りを

真剣にとらえていない証拠であります


私達は宇宙の大生命成る 生命の分霊なる

神の子仏の子であります(絶対に忘れぬように願います)


今こそ 此で神様仏様ま そして

超高級霊なる霊の「援助」や「導き」「加護」を

「絶対に必要と致すのであります

ご神仏よりお与え下さる生命の働き

援助を必要と願う事なく 只

受け入れると良いのであります」




私達は肉体によって生きているのではありません

生命にての働きにて生かされているのであります




この事でもご理解頂けると信じますが

ご神仏の威力の 尊き援助と加護を頂く事が無くては

先ず改善 改造は全然無理であります と申し上げます

心正して制し 秩序万全成るご神仏の尊き修正によって

もしかしたら 今よりもっともっと幸福に成るかもしれないし

そう成るはずの運命が 少しずつ より高く

改善改造され 有難い事に救われる運命に

大きく変わる可能性が ぐ~~んと 

高くなる事もある訳で御座います

運命が好転致した時にばかり 有難うと感謝せず


「常日頃に 何事があっても 

御礼と感謝の念いを 

忘れぬことが大切で在ります」



そうして善きことを多くの人々に宣布

広宣致さなければ駄目であります

自分が受けたり 繁栄致したり致す事に

有難く思い歓喜致すだけでは無く 

一種の 苦 と思える事にも

私の改善の為の修行と とらえ ご神仏へ向かい

ご神仏の「善き波動」を「迎合」致し


「必ず善く成る 絶対に善く成る

いや 既に私は善く成ったのである との

信念が 必要であります」




「すでに成就(なり)たる観念想」

を受持ながら

観座 観法を致し 神想う心にて

ご神仏との一体感を悟る事で御座います

この時 神の修正に導かれて 上手い具合に

ほとんどの悉くが成就致すので御座います

(ご注意申し上げます 「事実の行い」を

致してください そうでなければなりません)



私達には個人的差は御座いますが 私達の念波動は 

聞いたこと 見て恐怖致した事 等により

「凶運」になったり「良運」になったり致すものであります

それは 例えますと星座占いとか トランプ占いとか

画数占いとか 生命判断の手相とか

今の世 色々な占い的相談所?なるものがありますが

そこで相談致し 占い師より 

自分の運命の善く無い事を宣言され

その事が恐怖の源となり 潜在的にも現実的にも

自らが 自分を凶運者と決めつけてしまい

いつもその事を思い 又は思いださずには

いられなくなりますし この思いが 残念ながら

心に描いてしまう原因となってしまうのであります

この心に描く「悪い原因が」


「繰り返し自分の心に描くもの」と成ってしまいまして 

必ず 現実の処に現れてしまう 最悪の状態となり 

大変悲しまなければならない 結果と成るのであります

そうして人によっては あの占いが的中した等と考え

増々「恐怖」が「増長」いたし

どんどん不幸となり 益々中々抜ける事の出来ない

「恐怖」と「不幸」の 人生の内の小さな部分か

大部分か解りませんが 



毎日毎日の本来の感謝致せる善き日を

「自らの念波動により」 本来の善なる善き日を

悪い日と恐怖とに 変えてしまうのであります

一見超能力者?と見える人であり?ましても

決して悪い運命(凶運)を又それに通ずる様な

運命を宣言するような言葉を信じては

絶対に駄目なのであります
(カルト集団のマインドコントロールにはまるな)

自分は何の子なのか良く覚るべきであります


小生二十二才の頃より 人々は皆が皆

偕に神の子仏の子の真実(まこと)で在ること

お伝え申しております しかし

現在よりは全然自覚不足であったと思います

勿論の事今現在も全然まだまだ自覚不足であります

文章・・元の処へ戻ります


凶運の生涯と思っていた 悪い運命を

善く致す方法がちゃんとあるので御座います

悪いと思っていた運命を修正いたしたく思い

心より正しく願う人は 幸福到来の確約を

ご神仏とお約束出来たことと成るのであります

と 申し上げます  これは絶対的結びで在ります


「宣言致された言葉の力により

自分の心の世界 自己の霊の世界に起こる

事件の原形 光景が出来上がって

その事が現実化致し

映写されるべく 待機している

一種の運命のフィルムを

その現実化以前に 神に仏に

幸運の方向に修正していただくのが必要である」



「修正に應ぜざる時は その凶運なる働きが

既に現象界に移行すべく待機している」




「大事な事は 私達がその悪い運命とでも

申しましょうか その事に

正と義の 義(ただしき)を持って

神を信じ 仏様の慈悲を願い

私達一人一人が 真剣に心して

ご神仏へ振り向く誠の心と 

本質の身体在りまして 祈るとき

当然の事 その人の 心は浄まり

その人の浄まり具合によって ご神仏の御加護 

そして 高級霊による守護により

御加護戴けまして 本当の大善なる

護りのちからが働き 生出すのであります

自分の内にある仏神の湧出であります」






私達がこの祈り この浄化を信じ切り

実践する勇気を持ち 感じましたならば

絶対大丈夫であります


日蓮上人も お釈迦様もお示しで御座います

「お釈迦様は 自らを仏と」宣言致し 如何なる時も

「私達一人一人をお護り」下さる・・と

日蓮聖人申す「お題目吾を守護(まも)ると」

現代語にて解りやすく



「吾背後には ご神仏の無限の生命

無限の愛 無限の智慧 

無限の慈悲がひかえている」




私達はなんの問題も 恐怖も全然無くして

大丈夫なのであります 絶対の安心の境地であります

絶対安心の根拠は まず私達は霊的実在なる

自己実現の神の子仏の子であります

その源成る真実の実在は 「霊なる源」

それは 「高級霊」であります

この高級霊は なんの衝撃も障害も全くない

「霊の世界」に住んであるのであります

そ高級霊の内には 私達の祖先の高級霊化した

霊魂も含まれているので御座います ですから

子孫である私達の 苦しみや 苦痛 困難をみて

悲しまない祖先の高級霊は絶対にありえなのであります

高級化致した祖先霊は お悟りの処でありますので

それぞれの子孫の安穏 安堵を常日頃

願い 護っておられると思うのであります

ですから 占い師たぐいから 悪い運命

悪い将来の事柄など 又 凶運であるとの

言葉を受けまして 苦しむる子孫を

そのまま放置致すこと ばかりでは無いのであります

(ばかりとは 全部が全部高級化
致してる訳ではありませんので・・ね)

(祖先に対する御供養の大切さ ご理解下さい
自分の霊魂浄化も)

その占い的言葉の恐怖などにより

淀みかけた状態が 現象現実化致す前に
(本人の心の想いが現象界に移行する直前)

我らの高級霊は 最高の智慧持って

修正の為働き給うたり 迷える本来無き

謎の迷走苦痛を破壊いたし 

お守り お導き下さるのであります

お護り頂く為には 只願うだけで無く

常日頃の観法が不可欠であります
(真理にふれる事)

毎日毎日の生活の内 私達は幸福である

普通の生き方を致したく願っていると
(自分都合の欲深くないこと)

思うのでありますが 如何でしょうか

もし本当の 心より願いますなら


「自らが真理を悟り」


ご先祖の霊魂に対しても 真理の言葉を

御供養させて戴き「神通の力」を増し

またご先祖にも増して頂く事を願う事であります

ただし一生の間 一所懸命実践致す事

忘れずお願い申し上げます

少々もんくを申し上げますが

今の状態に満足していて 毎日のことながら
(経文読誦の義 祈りの義)

「なれ合い」の心で行っている人が多いと思います

何か問題が起きると大変あせるのに・・・

全く「勝手心」の人々よ 「大改善致せ!」

と願いますし お祈り申し上げます



私達の内在のご神仏を生出し

「自らを神々しい」ご神仏の「相と認め」

生出して感謝と御礼と奔走受持(もっ)て

「平和の為」頑張りましょう

平和はご神仏の念いの相 そのものの

心の健康であります 心の健康も

自分だけでは 全然駄目であります

本当は全員と申し上げたいのでありますが

中々大変であります しかし出来るだけ多くの人々が 

心の健康成就で頂きたく思うのであります その成就の為には 



* 自らの 実際の「広宣流布」(愛行)が必要で在ります

人は皆 神の子仏の子であります  残念ですが

そのご神仏の子の 自覚のない人が沢山おります

その人たちが 本来相なる実相実在の自覚を

覚って頂くために 私達が実際に

愛行実践を通して 吾が霊魂の「高昇」を計り

相手様の神の子成る実相を 顕現の為奔走致し

「明るく光輝く人生で在り」 

素晴らしく楽しい生涯と共に 吾が霊魂も

「光明」そのものの「霊的実在」である事を

相手様にお知らせ致し 「本当の人間の」

「霊的実現の自分である」事をお覚り頂き

この事を自分も悟る事が 大事なので在ります *





愛行 広宣流布は相手様を生かす事です

相手様を生かさず 自分が生きる事は不可能であります

なぜなら それは生かし合いの無い不調和で在るからです

自分一人の所なら良いかもしれませんが・・ね

私達は広宣流布 愛行を致し

すぐ結果が出ないからとて 躊躇致すことなく

一所懸命 その人の為 その事の為

ご神仏の御意志のまま 念いを受納いたし

相手様の改善 幸福到来の為

真理の理を 宣舌致す事であります

法華経には 「仏語を大宣舌」致せと示されています

挺身 挺心 致心 でございます

そうして 自己犠牲にも似た

献身と必要なる献資であります

自分の状況状態に着せず 他人の事は気にせず

自分を守る事に終始する 自分の今の幸福 

普通の状態をも 自己満足にも似た状態での

愛行 実践は少々つらいとも思います


「信仰とは伝導なり 愛行なり」

「自己限定を打ち破れ」

「今の幸福を他人(人々に)与えよ」

「君たちも必ず善く成り 

幸福と成れることを 大宣布せよ」

「人々の為に成る事は 今すぐ現れずとも

必ず素晴らしき ご神仏の御業として顕現る」

「私は調和であると念え 念えば必ず成る」

「善きことを心に描け そして一所懸命祈る事」

「吾が使命喜びて成就する」

「真理にふれての不調和は本来無し」

「成せる業 行いを自分が成したと思いあがるな

神仏在りて成せるなり」

「口先の説法はは悪魔成り」

「行じ実践致す事 此れ 真理成り」

「自分だけ 自分の家族のみの 思想は

崩壊の第一歩成り」

「他人在りて吾整い 全てが整う」

「観法 観座は吾道の羅針計である」

「私は神の子仏の子 全員が全員

神の子仏の子 と観ぜよ そして感謝せよ」

「森羅万象悉く神性仏性である

次元の違いを乗り越して覚る事は悟りなり」

「私の心は光に満たされたダム湖である」

「喋る言葉は愛と慈悲であれ」

「仲良くすることは 大変良い事です」




現実に私達を生んで下さり 育んで下さいます

私達の両親 父母に恩を返し

ご両親に悦ばれる徳を積まなければなりません

この徳は 常日頃の生活の内 明るく

人々の為となる諸行 所作を成し

人々にお喜び頂ける行いは 回りの人達より

喜びと感謝の念いの念波動を 自分が

受ける事が出来る喜びなので御座います

この喜びの念波動がご両親に対する

報恩でもあるので御座います 中には 

自分なんか 生まれてこなければよかった

等々申す方もおられますが・・・・・・

駄目ですよ そんな考えは 今より頑張りましょう

暗い思い(現象の中での事)での問題は

改善 成就 成功後の 今の素晴らしき心境に

到達致す為の 一種の布石であります


暗く悩んだときは もう既に遠くへ行った

今の私の周囲には ご神仏の光に満たされた

人々と ものと こと しか存在していない

と 感謝し御礼を申し 今より後の諸行は

他人の為 お尽くし致し 幸福と喜びを覚って頂くため

誠心誠意頑張ると 誓って下さい そして

必ず実践実行致して下さい

広宣の流布も致さず 自分の喜び幸福を欲しても

それは絶対に成就致しません

人々に喜び 幸福 繁栄の原因をお知らせいたし

その相通ずる念いが相応し幸福が到来いたすのであります

当たり前の事と思いませんか そう思う方

実際の実践行動は如何されておりますか

生活に おわれている なんて理屈は必要ありません

それからですね 解ってはいるけれども

中々出来ないし とか 結構忙しいから 等々申す方は 

はっきり申し上げて 全然駄目な人であります

と 申し上げます 返り見て 考えて見てくださいよ

自分 又は自分の家族 回りの親族連中の苦しみ

悩みの時 ご相談も受けた事あると思いますが

そんな時 如何でしたでしょうか・・・

それとも 知らないふりをしていましたか?




私達は 生かされている者同士なのであります

一人一人が別々の相 形を致しておりますが

ご神仏の名のもと 私達は同じ神様の大生命より

分霊し 個霊化致し それぞれに生まれて来ていますが

元々の源泉は一つであり 一緒なのであります

現象的には別々の生命體と感ずる 「生命」も

実は「大生命」の「個霊化の現れ」であります

人々を全く関係のない他人と見たり 又は思わず

本来は同じ 神の子仏の子どうしと認め

相手様の苦しみは 私の苦しみ

相手様の(総合的に申しますと)精神的苦痛激痛も

私の精神的激痛と感じ 相手さまも自分も

本来の神の子の相が現れてこそ 本当の相と悟り

本来一体であるのが 本当でありますのに

誰かさんだけが苦痛に在るのは 絶対に違うとの

信念(おもい)を観法により 覚り 悟りまして 

神の子仏の子の実相顕現の為の 祈りと 実践伝導 

愛行のお助けの人と成らなければなりません


「それが衝撃に左右されない 

金剛不壊の

仏子であります処の 

私達なのであります」




その生命(いのち)は 大和魂です

大和魂は共通のもので在ります 

一体で在ると言う事であります

光明は日本人特有の明かりと輝きで御座います

心の輝きは 世界を照らします

「平和」を求め「秩序」を大事に思う

立派な国 それが日本なので在ります
(現代は少し違うように思います?)


日本には日本の文化があります

(決して他の国の人や国を非難してるわけではありません
誤解無きようお願い申し上げます)


個人主義が何か通説のようになっている現代 又 

物質万能信仰の現代 唯物信仰は必ず崩れます

又 崩れなくては ならないのであります

いつの時か 私達が覚るところの

神の子仏の子の真理が 多くの人々に覚られ

共に生かし合いの生命礼拝の出来る国 顕現の為

私達は心して 今 今 一所懸命 


「真理の伝導を致し」


私達の祖国日本の為 又 日本に住まいする

人々の為 覚りたる神の子 仏の子の真理を

多くの人々にお伝え致す事を ともに頑張って

一生の間一所懸命奔走の義(ただしき)を

お示し致しませんか

この世 この日本に生まれさせて戴いた事に

気づかなければなりませ 本当にありがたい事であります

日本古神道のお示しの 天照大神さまの

御光そのものであります 本来の私達は

其の儘の相の出現であり 顕現なのであります

感謝し合掌礼拝いたしては如何でしょうか

ありがとうございます・・・と

天照大神さまの御光 その御光が実相であり

その実相顕現が私達の使命そのものであります

天照大神さまの御光の輝きは 光明思想を

表現することであり 顕す事であります

私達は内在の光明思想を生出して

仕事の内 又周囲の人々の為 又

色々の事象に対し自らが 明るい思想を

「心に受持て」それを実際生活 実際の作業の中

明るく光り輝く信念のもと いつも


「善き明るい希望と理想を失わず」


毎日毎日を生き 生活致す事であります

この明るい本来の生命の動きが

私達神の子仏の子には存在致しているのです

実際に存在していると信じ感謝致せば

必ず顕れまして 実感出来るのです

光り輝く明るい生命の源 動力は

ズバリ ご神仏の大生命の働きであります


その働きが私達一人一人の

「心」の中に在るんです ですから 

その「心」が明るい方向を選択して向うも

暗い方向に振り向くも


「自分が決定致す事なのであります」


有難く 神の子仏の子を覚りたる人は

間違いなく 当然の事

明るい方向へ向くのでります それは

喜びである幸福を 潜在的に悟っているからであります

もし もしもですよ 間違ってか誤ってか別として

その暗き方向へ向う人が居りましたら

お知らせ申し お助け致して差上げてください

共生の法則であります 今の時こそ

「心」の影響範囲にあり 起こる色々な出来事を

感謝と輝きの 善のみに致さなければ成りません

勝手な心による 悪道は絶対に許してはいけません
(自己主義 個人主義の人)

中途半端に妥協致しては全然駄目であります

現実に現れる事象は 私達一人一人の


「心」の現れであります 

「環境は心のあらわれ」であります




私達の「心」の念いの 「心」の「波動」が

どちらに向くかによって 

重大な 結果を表す問題なのであります




人々との調和の取れない重大な悪い結果で

ありましたら どう致しましょう



相手様を傷つけてまでも 自分を守るのか

又 自ら悟りて改善の方向性に気づき頑張るのか

進歩改善の無い その時の働きのままでは

駄目でありますし 無理でしょうね・・・



ですから 私達の「心」の持ち方は

大変重要であり 大事なのであります


私達は常々幸福を願っているのであります

しかし自分の幸福だけでなく 他人を

含まなければなりません 含む事による幸福

調和で在り 円満であり 喜び等であります

この事を 実際に明るい処を現す為には

暗黒の心を捨て 久遠の光なる光明を糧にて受納し

たもち続けて 生出さなければなりません

生出せば必ず明るくなりますし 

闇は消えて 当然の事と成ります 

久遠の光は神であり 仏様で御座います

その処が妙なる処所であり 真空妙有であります

その真空妙有なる処より発生するすべての空は

全てが「善であり 素晴らしきご神仏の

アイデアで在るのであります」


その霊的アイデアを 神仏と一体の私達の

「心」に感受して 結果として具象化致し

展開致すのあります 以前よりお伝え致している

観座観法の事で在りますが 皆さま如何でしょうか

実践致されておりますでしょうか

私達がご神仏との一体感を覚るため 又

ご神仏に振り向く為には 絶対必要な業であり

事実の実践で在ります この実践によりまして

私達は ご神仏の愛と慈悲の霊光に「ふれる」

ことが可能と成り 霊光に照らされている事を

有難く感ずれる実感を悟る事が出来ると思うのです

実感することが出来まして 本来の本質であります

霊的実相と霊的実在を顕す事が出来て来るのであります

その実相と実在が吾霊魂歓びを生出し

湧き出て来るのであります

盡十方無礙光のことであります

無礙光は喜び勧善の御光で在ります


「触れる光は我が光成りであります」


その光明の源に ご神仏に

感謝御礼を申し上げましょう


神様の恩 仏様の恩 で御座います


「神は愛で在ります ですから

愛に飢えたる者 

人間の愛に裏切られた者は

神に振り向くが良い

神の愛は裏切る事は無い

神の愛は無限である」



悲しい時こそ 

神と偕にあると念い 信ぜよ

自分は淋しいと 思う時こそ

神と偕あると 信ぜよ

自分はつらいと 思う時こそ

神と偕あると 信ぜよ

どうしたら良いか と悩む時こそ

神の解決を願い 神と偕あると信じ感謝せよ

自分は孤独なんだ と感ずる時こそ

神と偕なりと 信ぜよ

と 小生申しお伝え申し上げます


「自分と神とは如何なる時も

常に 一緒で在ります」



人によって他にも色々 悩み苦しむ事が

多々あると思いますが 仕事にしても

諸々の事象困難の時にも 常に

「神と偕にあると 信じ切る事が」

大事であります

ご神仏は 愛と大慈悲であります

神様仏様は吾らが願いをお知り下さいまして

御守護を用意していて下さる事を

信じなければなりません

私達は絶大なる勇気を持って前進致し

一時も無駄な時や 最も大切な心による

不安 心配 取越苦労 持越苦労など致さず

今現実に在る仕事(諸々の愛行も含む)

与えられた諸々の業と行いを全力にて

心身を集中し頑張るのが ご神仏の加護を

受ける条件なのであります

改善大躍進の為には ご神仏より頂いている

大生命の精神を そして神仏の権威の力とを

完全集中致すの事で在ります

天照大神さまの光 日蓮宗で申しますな日天さま 

浄土真宗なら無礙光 真言宗なら大日如来等の

光り輝く光明と 愉快な心にて 

物事に取り組む事が大切なので在ります

大繁栄躍進の改善は 自らの感謝と 

観法による処の 神仏との一体感 

その一体感より出現いたします

神仏の善波動と真の自分が 一致致す事であります

この事がご理解いただけます事により

今迄あったかもしれない 恐怖 心配

悩みなどと違いまして

安心と幸福の念いの心で 前より一層

善く成る事が出来るので在ります


「全ての人の内に輝く生命の荘厳を見よ

全ての事件の奥に動いてる

進歩せんとする力」 を見よ




人々を祝福せよ そして自らも祝福せよ

自分も相手様も同じ 神の子仏の子であります


「一切衆生悉く仏性なり」の金言であります

お釈迦様が 常不軽菩薩さまの時の修行途上

人々を軽く見る事無く 全ての人々を

仏の子として礼拝致されましたことが

経文に書き示されております

私も常不軽菩薩そのものの生命であります

ですから 同じく人々の生命の実相を

礼拝致す事が必要なのであります

又私達にはこの実践が出来るのであります

第一義の事を 第一義にする事が大切であります

あれこれ考えて 第二義の事を考えて行動すると

案外失敗することが御座います

第一義的に あ~これは良い事だと思いましたら

素直に すぐ第一念のまま 実践致すと良いのであります


「ただし 仏子としての自覚を持っての事です」

「個人の欲望欲情の感ありましては

全然駄目であります」



「第一念とは」 

自己の内に潜在する能力は 現有の能力よりはるかに 

超高級の霊魂の潜在の能力の所であります

私達は現有の能力のみを 一所懸命努力し

すすめようと致しがちであります

しかし今この時 潜在するご神仏に通ずる

超在意識の所まで入り込み 今だ自分の気づかない

無限の活動の源の存在を覚る事をしなければなりません

「現有の能力意識を 最大だと思わず」

まだまだ自分には 内在の強い力が在る事を

覚るべきであります

潜在する能力を沢山生出し 素直に感謝しますと

必ず此の処に ご神仏が働き給います

ご神仏の導きなる働きは「善き」事で在ります

正しき道柄のまま 神の子仏の子としてのままで

第一念が生出すのであります

神→超在→潜在→現有→吾々 この吾々が

上(かみ)へ通ずる念いの能力を

眠らせては全然駄目であります

少しくらい普通より出来るからと言って

思いあがらない事であります

「潜在能力」を 上手い事利用いたしますと

「現有能力」の働きの助けとなり

本来持っている(包蔵)潜在能力を 生出し

現有能力として活動 活躍致す事が出来るのです

それなりに 今の仕事 技術 対応等に

それなりの満足感を知っている人は

全然と言ってもよいと思いますが

改善も 潜在するちから(無限能力)の存在をも

なかなか信じる事は致さないので在ります

残念で在ります  精進努力を致してこそ

全てが育まれるのであります

少しずつの改善で在りましても それが

「真」の諸作で在りますれば 絶対大丈夫であります



「人間神の子無限力」



無限力は→潜在→超在→に至る事であります

現有意識 現有能力に満足致し 改めも求めず 

自分はこれで大丈夫 自分より勝者はそうそういない

等と思い上がらぬ事であります


私達は観法修行を必ずする事


祈りはご神仏との一体感の為

祈りは自分の欲望 欲等で無く

他の人々の為

祈りは必ず成就するとの観念を持つこと




私達には真実の理念があるんです

それが本来の実相で在ると小生思い信じております

だから必ず成就致し仕事も 人々に喜ばれながら

繁栄成功致すのであります

ご神仏のお求めに 神の子の自己実現成る人々に

お答え出来ます事に有難く感謝も出来る訳であります


「今」少し回りの人より「劣っ」ているからとて

「絶対に悲観致すな」



悲観致しますと

此の処よりご神仏はいなくなります

善きこと成就の為の 最後の目標の為

あきらめず 一緒に頑張りませんか

絶対大丈夫です 間違いなく大丈夫です

全てをご神仏に托し 只々従いて

明るく 愉快に 人々にお喜び頂けますよう

一生懸命挺身 改心致し 全員もれなく幸福到来の為 

ご神仏の理念の働きを 自らが受納いたしまして

接する多くの人々の為 喜びを受持て

明るき光明の輝きを 放射致しましょう

喜び幸福は 誰もがお喜び下さいます

結果 相手様の真の幸福と 心の健康は

吾々自分自身の幸福と成るのであります




個性に満ちた「善の花びらきを」祈ります

吾々一人一人に本来より潜在致します

神仏其のものの能力を 顕在致す事が

出来ますれば 全てがオーケーです

こうなりますと 嬉しい事に

増上慢になる事も無いですし

今 回りの人々より 仕事でも 何かのことでも

少しばかり遅れていても 悲しむ事もありませんし

悲観する事も無いですし 最悪の劣等感に

落ち入る事も全く無くなります



* 存在(ある)のは 神様仏様に満たされ

導かれたままの 神の子仏の子の

「我」のみが 何物にも支配されず

神に直結の「心」と精神のまま

最終目的達成の為の 愛行実践を

成就致す事が完成として出来るのであります*





この愛行実践の「功徳」が「充満」する事により

他人(ひとびと)よりの感謝と御礼の

善き念いの念波動が 

「自分に流れ入ってきます」ので

当然の事 自分は喜びと嬉しさと 繁栄と

幸福感とが実感として体感することが出来るのです

これで全てが万事結実致した事であります


「先ず 先ず 自分が変ること!」


大事であります 自分が変る事により 

中々無理で出来ないと思っていた

調和 繁栄 愛の伝導 

慈悲の伝導が調和致し

両立いたすのであります

仏様の誓願が成就致すのであります

これは 私達の親さまなるご神仏に

恩返しをする事であります


親は子供に何かをしてもらうと

大変喜ぶものであります

まあまあ いつの間にこんなに立派に成って

と 思って 感激の涙の一つも出ると思います

そうでは ありませんか?



「吾はあなたの愛が婆を

あらわしたものなのである

吾はあなたの智慧の

個体化したものなのである

吾は生命である 吾は愛である 

智慧である 平和である

吾はまた名づけ難き実体である

吾はまた霊である 吾は本質である

吾は病むと言う事はない

吾あ健康である 吾は歓喜であるからだ

吾は実在だ 実有だ 実相だ

吾は恐るるものは無いのである

吾は実在だ如何なる危険も

吾に近寄る事は出来ない

吾は実有だ 吾は霊だ 吾は生命だ

吾は空しくならない 

吾は神の内に在るからだ

吾は迷わない 神よあなたは到る所にいます

もし物事がこぐらかったり 

順調に行かなかったりしましたならば

どうぞ いとたかきもの の奥底に入らしめて下さい

全能なる者の庇護の下にあらしめてください

吾は実在である 吾は実有である

吾魂の奥底では 全ては平和で安穏である

御親の神に感謝致します」 と

小生あらためて 大いなる感動と

向うこれよりの進路の証明(あかし)と

なったような精神状態であります

本当にありがたいですね 嬉しいですね




今の子供たちの内に在り 内在致す


ご神仏の働きの「無限力」を伸ばして頂くために

親御さんの いま一層の努力と

神の子仏の子の無限なる潜在の生命の

躍動を湧出していただきたく思い

書かせていただきます



子供が義務教育を終了し上の学校へ向かう時

高校進学の時でありますが その時

中学の担任の先生より 誰々さんは

OO高校は無理ですよ と宣言されたとき

親は勿論の事 子供達も大変ガッカリ致すと

思うのであります その時

ほとんど全員の親御さんは 大変な心配を致し

何とかならないのか 又 子供に対して

お前が 普段から一生懸命勉強していないから

こう言う事になるんだ 等と

苦情と子供非難を言ったり 


しませんでしょうか?

しかしですね ご安心下さい 

不思議に感じ 思われるかも しれませんが

ご両親が変る事により 

不思議と

周囲が変る事実があるのであります

それは 人々の為 自分が愛の実践

慈悲の実行を致し 

自分自身「かまえる事」全然なく

自分自身の心を「全開」に致し 

自らが ご神仏に向かい 

「愛と慈悲の心で」


育んできた子供の生命の本源であります 

本質を悟り 子供を 

吾々の「肉の子」であると感ぜず

そして 大生命なる 神の子であると

絶対に認める事であります 

認めて 大変大事なことは

大生命なるご神仏より 

お預かりし ご神仏から頂いた

神の子仏の子である真実を感じまして

愛と慈悲によって育んできた

子供たちの名前を書き

 誰々さん あなたは

神の子仏の子の実相であり

完全円満であります 

完全円満であるがゆえ

当然の事 本来は

素晴らしい 素晴らしい

神様仏様の働きによる 

頭脳の持ち主である  と 


「信じ切る」 事が大変大事な

「観念」 なので御座います




前述の所へ戻りますが 例えば

OO高校受験の件と致しましょう この時 紙に 

OO高校「既に」に「進学」出来ましたと

「書い」て「感謝」致す事であります

そして 各祖先霊の流れの内に在る

子供の 生命(いのち)の働きに対して

感謝と報恩の意味から申しましても

ご先祖代々 各個霊に経文の功徳を

毎日読誦し「続ける」事で在ります

形式的な所作にとらわれるのではなく

心の諸作として 誠を創造(つく)る諸作として

「心に描き続ける」


ことが大切であります

描きつ続ける事により この事が

自分の心の世界に 完全に完成完了致した

事に成るのであります ですから

当たり前の事として 現象界に

現象界の事実として 映し出されて

実際に「実現」致すのであります 

此の処に 

本来神の子仏の子の実相に 満たされた 

生命の動きが潜在致して

働き給うているのです 

その潜在の賢い能力を

生出して上げれば良いのであります

心の法則であり 

大生命なる生命の哲学であります

この事を 自分自身が

実際に体験致します事を

小生伏してお願い申し上げます


「人々の愛の実践は 

結果として 私達自身に 

感謝と喜び 嬉しさの

念いの心の波動が

私達の心に 

神の善き波動と共に

流れ入ってくるので在ります」




そういたしますと 

神は愛であり

何でも育んで下さる 

大愛の「主」でありますので

私達の真実の諸行に在っては

「必ず」 「お力添え」


を戴く事が出来るのであります

一発大成功であります 

自分だけが

真実(まこと)に生きればいい 

と言う思想を捨て 

私達の回りの人々

接する人々の 出来るだけ多くの人が

真実に目覚め 

幸福に成ってほしいと願い

日毎日毎の生活を致します方は

全ての事が成就致すのであります 

本当であります


大いなる夢と希望 

願い成就の為には

何かの紙に希望を書き 

それを毎日魔日見て

一所懸命信念を持続し 

念ずると良いのであります

必ず成就致し現実化致すのであります


「真理の実行は 吾心にあります」


吾心にある真理を 

実行致す人は

誰から見ても尊敬されるのでありますし

善い結果を得ますし 

成就致すのであります

子供達の将来の幸福安穏を願いますなら

又 子孫大成繁栄を願いますならば

今 親であります私達が 

真剣に取り組んで

一生の間 一所懸命 

愛の実践 慈悲の実行


を致す事を 

一時も忘れては駄目で在ります

今の間良いからとて 

安心いたすな

生涯は 現象であります 

しかし その奥なる処に

生命であります 

霊魂が存在(ある)のであります

自分で生きている思いを捨て 

ご神仏の大生命によって 

生かされていることを 

自覚致す事であります

其の大生命が 

私達の祖より 私達の親 私達

そして 大事に育んできた 

子供達へとつながって行き

行く行くは子孫の繁栄 

幸福喜びへと

つながって行くので在ります

悉くが出来るだけ 

円満に運ばれる為には

「当然の事である」との大認識のもと

神を奉じ 仏を奉じ 信頼の観持って

より多くの人々の為に 

奔走愛行の実践を

吾が浄財にて 

何の抵抗も感ぜず 

実際に 行動の業を

起こすことが大変大事で在ります



この時 私は経済的に大変だから

致したいけれど無理なんです とか

そこまで致さなくても 

一応頑張っているから

此れでもいいと思う人等は 

本当のご神仏の

お求めに成られている事を 

全然理解致せぬ 

少々残念なお人であると 小生思います


「吾が子孫の繁栄は 

今の自分の内に在る事を」



悟って頂きたく思います

日蓮上人は



悪は 上七代より下七代迄流るるべし」

「善は 上七代より下七代迄流るるべし」




と申し示されて居ります

今現在の 自分の諸行生活が

善くも悪くも 行く行く大変大きな

結果を表すのであります



将来の日本の国体維持の本源と成り

生命線と成る子供達 

そして 今の若い人達の

善き希望成就の為 今の私達が

真理の功徳を「心」より生出して

人々にお与えし 「心」の養いを致し

お伝導(つたえ)致さなければなりません


「無限なる可能性の宿り給う人々を

生かして上げるのが 

私達の‟大使命”であります」




今致さなければ手遅れであります


自分の家の子供だけでなく 

他人の為に 挺身致す事は 

吾の幸福の源であります



常に愛行 徳業の功徳を宇宙の蔵へ

預蓄致しておく必要がある事をご理解下さい

預蓄がありますれば 必要な時いつでも

降りてくる訳であります

陰徳は大変大事なのであります




陰徳は大変大事であると申しましたが

その理由(わけ)は・・・・・

親でありましても 実際の真実(まこと)は

私達が 神の申し子 仏様の申し子

「そのもの」どうしなので在るという

真実なので御座います

現象界にては 親と成り 子と成っている

事実でありますが 互いに生かしあう

ご神仏の子なのであります

この事とをご理解いただけますよう

お願い申し上げます ですから

現実現象界にての役目としての

親の立場 この 親が陰徳を積む事は

他を生かす事であり 他の生命を

伏して礼拝致す事ともなり 他の人々の

喜び 嬉しさ 楽しさ 歓喜を生出して

差上げる 影の力と成るわけであります

ですから 特に吾子供達ならば なおさらの事

最も近い存在で在りますので 誰よりも

その子供たちの為に 役立つ諸行の所行と

覚ならば 全く何らの抵抗全然無く

一所懸命頑張る事ができるのであると

小生思うのであります そうでありませんか

感謝の念いを普通の状態での中

忘れる事無く 実践致しますならば

この影の陰徳が実を結ぶ結果が現れるので在ります





「今迄も何度も申しお伝え致しておりますが

人々のお役立ちの為 自らが何かの求めもなく

お与えさせて頂く喜びを覚りながら

一所懸命奔走し 浄財の功徳持って

他人の救済の為の資金と致し 使用致します事は

ご神仏の生命をお与え致す事と 同じ事で在ると

小生は 確信と信念を持ってあります」



私達は神の子仏の子であります

相手の幸福を願うため 先ず第一に

人は全員(みな) 神の子仏の子の

無限なる 実相の持ち主である事を

観じて視る事が真理の理として 

大事なのであります このように

自分が「誰」「彼」全然関係なく

観じ視る事が出来まして 初めて

神の生命 仏様の生命の働きが生き

生み出し湧きいずるのであります

こうして私達は 必要な時に

必要な実力が出るのであります

他人に対しても 友に対しても 子供に対しても

無限力を観じ視る事を出来る事が大事であります

大人にも 子供にも 日本人にも 外国人にも

「ご神仏の無限力が」潜在している事を

認めることであります 今より少しでも良いです

信じて頑張ることです そう致しますと

段々と改善され 神の導きのまま「よく」成ります

そう致しますと 嬉しくなりますでしょ


{その処に「善く」成りたいと言う念いの

欲が出てくるのであります}


誰に致しましても 苦しさや悲しさより

良いほうが嬉しいのが 当然であると思います

子供達の場合は特に 自分が 親は勿論のこと

友達や知り合う人々より 良く見られたいと

素直に思っていると 思います

良い子だねと 褒められたいものであります

此の処が 子供に宿り給う無限の

力(神仏の相互性)の存在なのであります

子供が この 褒められたい 認められたい

と 潜在的に求めている 心の状態を

指導的立場にある親が その事に気づき

内在の働きを引き出して差し上げる行動を

業行として 実際に 愛と慈悲の念いのままで

相手(子供達)を 神の子仏の子の一人として

人格を認め その人の為に 一所懸命

努力致さなければ ならないのであります


自分の子という 又 

自分の理想や 

念いの自由になる子供と

みるのは 全然間違いであります




子供の人格は ご神仏の愛深い

尊きの波動の内にあるので御座います

ですから 

「この人達(子供)を発展途上の

途中で無垢なる 

素晴らしい状態を

破壊致すような言葉や 態度や

強制的指導方法は 

駄目であります かといって 

溺愛では余計に駄目であります」




秩序ある真理のままでの教えに

従う処より発する思いを

ご神仏の念いに変化致し

自らが そうである事を

立証致すことが 必要であります

こう致しますことにより 

子供達も 素直に 正しさと

義しきとを 自然と悟る事となり


「現象現実の親に対しまして

感謝と幸福と喜びの観を

意識致しまして

人間的に大変立派になり

大人となって 回りの人々より

尊敬される人格者と成る訳であります」

(それぞれの置かれた処での立場)


尊敬される為には まず 頭脳の働きと

回りとの調和を計ることの出来る

人間性(理念)が必要であります

「自分はほとんど何でも知っている

との思いは 自分の ”我” を

力強く出しているだけの人であります

もしか致しますと 単なる

権力維持を願う 表面 ”つくり” の

上手い人なのかもしれません です

多分 自分は立派であると 回りの人に

知らせたいのでしょうね」




これ ダメな事であります


能ある鷹は 爪をかくす のでありますし

能なし 鷹は 爪を 出す であります




*人さまより 尊敬される人格者と成る為には

不特定の人達の悦びに お答えさせて頂く為の

愛行と広宣流布が 絶対に必是であります*




「少し不思議に思われる方も居るかも知れませんが

大人や親である私達が 

人々の お役立ちの相を現実の中 

実際に致してる状態を 子供たちは

内在している 本来の霊魂の歓びを

感受致すことが 可能と成る訳であります」


ですから 子供は親の相を見て

育まれるのであります



俺は 私は 親である・・・との

ことだけ では 駄目だと小生思うのであります

お間違い無きようお願い申し上げます


お陰はご神仏のお求めに 素直に従い

ご神仏の導きのままに 伝道実践を

致す事の大切さを悟らなければなりません

(お陰様でさまで という事の意味です)

今よりの日本国 この素晴らしい日本国の

国体維持の立役者たる人達のため

今の私達が 今すぐ実行いたしませんか


本当に私達が行動することにより

子供達の「心」も豊かとなり

神仏礼拝に始まり 先祖への感謝

親への感謝 回りの人々との調和の大切さ等を

覚り 悟れる事となり その人の生涯は

素晴らしい状態での 日毎であると

思わざるをえないのであります

ご神仏に導かれたままでの幸福な一生涯であります

来世も又 調和と幸福の内 

心豊かな状態での生活が保障されるのであります


「報恩の功徳は 

必ず自分に戻って参ります」




物質の人間では無く 神の生命 仏の生命の

私達であるからの結果であります

申しお伝えいたします

子供は神の子です 私達の子ではありません

ご神仏よりの

「おあずかり」

致している

ご神仏の申し子であります

信じて 正しき念いのまま 

ご神仏に 託する事でございます


吾が子は本来 

吾が子に非ず
 


で あります(少し悲しいですか?)

神の子 仏の子 成就(なり)

その神の子仏の子に 私達は

心して 拝む(おがむ)行いを致すのが

当たり前なのであります

お導きのご神仏に感謝御礼申し上げます



子供の成長を願う念いは 誰よりも強く感じ

いつも心配りを致して居られるご両親

そのご両親が 自分の「思想」や「思いのみ」で

子供を育てられては 全然駄目であります

それは どうしても自分の欲と申しても

過言ではないと思いますが

他人の子供達より 少しでも立派に

致したく思う心の 潜在的働きが

自然と出てきまして 余り気付かぬ内に

相手批判の 言葉と 言動が

実際に表面化致してしまう事も

多々あるのであります

もし この様に成りますと


肉体人間の 物質と物質の

価値観のくらべもの


のようになり下ってしまうのであります


人は皆 偕(ともに) 

神と偕なりでであります

神の子仏の子でありますので

霊魂(たましい)の尊厳を犯しては

絶対に駄目であります それは 

自己の宿業的罪へとつながります

仏教的に申しますと

自縄自縛という事です

これより将来に渡って 私達は

人々の為に 真理の理を多くの人々に

お伝えいたさなければなりません

この事は 使命なので御座います

ご神仏を拝し 感謝致す心の発展を願い

奔走することを 皆に願いたく思います

本当の幸福は「他」と「回りを」

実際に「拝み切る祈りと」「実践」により

私達に来るものなのであります これが 

ご神仏のお求めの 調和致しながらの 

相互の幸福到来と成就であります

これが法則であります


「他人の苦しみや 不幸を見て

見ぬふりを致す人もありますが

大変悲しい思いであります」

「こんな人は 自分中心の

自己満足で欲の強い人」


愛行 先祖供養 

実際の浄財による処の布施行

神の子仏の子の本来相の認業(みとめぎょう)

本来の神童であります直視業

本来の無限力の宿り給う神仏の子(子供)

に対する 祈りと感謝の行業を

親が心して立起致し 実践致しますことが

大事であります

(それなりの状態に答えうる行動が出来なければ

全てが全部上手くは事運びません

秩序と法則は実践 守ることであります)


子供の無限能力 子供の無限力を信ぜよ

信じて 誰々さん 有難うと申しましょう

不安の精神状態の波動より

安心の心を現わせ そうして

子供に安心の気持ちを起こさせよ

余り自分達が(親の事)出来なかった事を

子供に対して 希望期待を

持ち過ぎないことが大事であります

余り関心を持ち過ぎますと

子供には大変な重荷となります

親といたしますと 何かと激励致し

頑張って欲しいがゆえの事なのでしょうが

当の子供にとっては 大変な

精神的疲労となるのであります そして段々と 

その精神的疲労が重くなってきて

親に対する反抗となったり

ノイローゼのようになったり

もうどうでもいいと 宣言したり

部屋に閉じこもってしまったり

登校拒否になったり 等々

色々と大変な状態が出てくるのであります

下手すると悪い方向へと行ってしまう事にもなります

神の子の自分を放棄し 肉欲の快楽や

お金に通ずる喜びの方へ向かいやすいのであります

親の欲望は余り示さず

余り関心を示さぬ方が良いのであります

ご神仏の霊魂に生かされている子供の

真の素晴らしさを認め 信じてください

「親と子の対立は無い方が良いのであります」

子供が親に感謝と尊敬の念いを

常日持ってくれるような 精神的念いが

一番良いのであります

欲望だけで それ程確信に満ちた考えも無く

回りの状況や状態に 振り回されるような

曖昧な考えや 思いは全く駄目な事であります

もしそうでありますなら 反省し

子供の素晴らしき霊魂を穢した事に

お詫び申し上げ 懺悔致す事であります

親の権威を捨てる事も必要なのであります

捨てることによりまして そこに

親と子の間にありながら

神の子仏の子どうしの 相通ずる

ご神仏の本来の理念が働き給うて

悉くの願い事が成就致す事と成るのであります

此の処で万事が円満完全となり

苦が 胸よりさって行く事により

心が安定致し 見定める先々の事柄も

大変上手く運ばれるのであります

これからの日本国の主となる子供達

この子供達の為 私達は最善を尽くし

接する人々を真に救けて差上げなければなりません

何かの事件 問題の時 その時だけ

なんとか上手く切り抜ける事を

私達は 考えがちでありますが

まず 善くなる事を考え ご神仏に

解決を祈ることが大事なのであります

私達の創主は 神であり仏であります

創り主に全托致す事が 一番良い事なのであります

慈母観音さまの 相であります

愛する子供の為 確認に確認を重ねて

一所懸命頑張ることです 又

一所懸命不特定の多くの人々の為

「愛行」と真理の広宣流布を致しますよう

小生お願い申し上げたく思います

再度申し上げます

観座 観法にての祈りをお忘れ無きように

そして 明るく光り輝く前途をお見通しの

ご神仏に 一時も離れずつながっている事を

願います 目の前の諸事や 欲得に

心執われることなく 生きることが

大事であります しかし 私達は

中々このように出来ずらいのであります

それは 一人一人の ものに対する

執われの度合いによるところが

大きく影響致してると思うのであります

大体はその時に これは得か損かの判断と

良いか悪いかの判断により 前途の事まで

判断致したと思い 勘違いいたす事が

大変多いのであります

でもこの 勘違いに気付かず

自分は正しい判断をしたと 満足する事で

自分納得を致すのであります

「神に全托するような心境になることが

肝要である そうして 自我の欲望は

目先にあるものだけしか見ないが

神は遠くを見 はるかして 

何が彼にとって最も幸福であり

適切であるかを 知り給うのである

神に全托するとき 目前の出来事は 

失敗したように見えても

やがてその失敗が その人にとって

幸福だった事を知ることが出来るのである」


実際に体験された方もおられると思いますが

突然都合悪くなり 予定の行動を遅らせる事により

逆にそれが 正しい方向であったり

不都合と思える事柄が また 逆に良かったり

等々ありませんでしょうか 小生には

たまたまでしょうが ありましたし 現在もあります

ご神仏のご意志のままでの 

ご神仏のご選択に おまかせ 致すものが

一番幸福であり 一番安全なのであります

ご神仏のご意志に護られる事が

肉体的互換の判断感覚を乗り越す

最大の幸福なのであります

互換の幸福は 肉体が存在(ある)時のみの

一瞬の 歓喜 歓楽 快楽 であります

特に肉体欲は色情の最たるものであり

用足らずの状態になりますと

益々執着の心が強くなり 最終の

終焉(しゅうえん)を向かえた後も

同じ念を持ち続け苦しむのであります

久遠の幸福は神の道 仏様の道にのみ在り

決して他の所には御座いません

悉くが仏性であります 神性仏性は私にあり

我は神仏の本質成就と祈れ

そして 感謝せよ と 申し上げます

吾が霊魂の素晴らしき事を悟れ

自分を導いてくださる ご神仏

そのご神仏の命令によって選ばれ

私達を常日頃護って下さる 

守護神守護霊さま この守護下さる神霊は

大変な神通力を持っているのであります

守護神守護霊様は 私達一人一人の祖先の内より

選ばれる高級霊なのであります 全員の守護神が

超高級霊でありますれば 良いのですが 

中々そう上手くはいかないのであります

普通よりは 高級でありますが 同じ守護神でも 

修行の足りた霊と まだ途上中の例とがある訳であります

じゃぁ どうして高級霊の守護神と

そうでない守護神があるのでありましょうか

これには 自分の過去世の諸業

その所の諸業 前世の諸 諸業による処の

功徳全行 如何によって決定致してしまうと

小生思うのであります


普通の人間としての生き方の人には

一生涯の間一番最初より 生涯まで

お護り下さる役目の守護神様が

存在(いる)のであります

しかし 真実の理(わけ)を求め

一生の間一所懸命真理を求め 

多くの人類のお役立ての誓願を起(た)て

真理 広宣流布の実践を致して居られる人には

必ず 間違いなく 導きの超高級霊なる

守護神が入り給い お護り下さるのであります

入れ替わりが在る証拠で御座います

しかし 何の善行功徳の業も致さず

只 漠然と入れ替わって下さる訳ではありません

ほとんどの広宣流布の功徳のない人に

そう簡単に善い守護神は与わりませんです

例えば過去世の諸行が大変良く それを

現在の現象界まで引き継いで来ているとします

その人は大変良い環境の中 まずまずの

幸福の生活(いとなみ)が出来ると思います

自分の希望も成就しやすいですし ある程度

順調に 事 運ぶ事が出来るのであります

しかし残念で在りますが その状態を

最後まで維持致せる人は大変少ないのであります

その理由は 常日頃の自分の生活状態 環境が

上手く行ってる事が 当たり前となり

人々に対する「愛の施し」「慈悲の善行」を

「行わない人が」 ほとんどであるからであります

これでは当然の事ながら 生涯の終わりまで

維持致せるわけは無いのであります

過去世に於いて 一所懸命「天」の徳の蔵へ

積んでいた徳行も 途中で使い果たし

せっかく積んでおいた徳行も残りが

少なくなって来ているのであります

これでは 維持は全然無理であります

もし企業家でありますれば 

その企業を受け継いだ人は(二代目)

親の七光りの内での事しか 理解出来ぬ

下等にも等しき人間智しか持ちえないのであります
(理屈理論は立派であるかも?知れませんが)

一代目の親も又 二代目の為 溺愛の心で接し

応々にして 寛大に許してしまうのであります

馬鹿の致す事であります 真に二代目の事

またまたその次の代の人々の事を

真剣に考えますなら 回りの人々の為

お客様の為 取引先の皆様の事を 本当に真剣に考え 

愛の実行を致すと思います 次代の人達にも

その事の大切さと 大事さを知らして

実際の行業として 実践させると思うのであります

もし実践させることが出来ず 指導も出来ない親ならば

全然駄目で在ります でもまあ引継ぎの人の

霊魂のレベルにもよる処も御座います・・です

真の幸福 繁栄を願い求めますなら 

ご神仏に伏して従い 信じて神霊の愛と慈悲の波動を

受納致すことであります 高級の守護神様は

全く間違うこともなく 私達を導いて下さるので在ります

その導きの方法は「真実の霊波」によって

お導き下さるのであります 私達の生活 生き方によって 

神仏の導きを受け入る事が出来る人と 

そうでない人とがあるのであります

その「高級霊波」を受けいる人は 行く先の幸福 繁栄は

ほとんど間違い無いのが事実なのであります

しかし大事なことは 自分自身の「精神状態」を

しっかり守り通す必要が 絶対条件で在ります

もし 自己の精神状態が堕落に近い状態の人や

その方向へ向かいつつある人は 守護神様の

指導の霊波を受け入れる事は難しいのであります

それは 自分の波長と 導きの高級霊との波長が

合わない為であります それは 全部

「自分の責任」なので御座います こう言う時は

中々良い判断に欠けるものなのであります


「超高級なる守護神を 我の主守護神と致し

現世諸行の人々の為と成る実行を成せる

自分の導きの 副守護神さま 又人々の美の法悦に

自らの喜びの心で 報恩報化できる導きの守護神様が 

仏我であります自分に在る事を信じ その通りの生き方 

その通りの諸行を実践致さなければなりません」


神仏に祈る観法にて 切実なる願いの祈りを

致す事が大事であります

切なる願いの祈りを毎日毎日 実行致しておりますと

どうしてだろう 不思議だわ とか

私だけという 護りがあるのでございます

例えばですが 同じ自動車に乗っていながら

事故や大変な不都合が生じました時

守護神(御神仏)様による 守りのある人と

守られる度合いが少ない者との違いが

不思議ながら 自然に出てくるのであります

皆様もご経験がある人もいらっしゃるのではないでしょうか


*大事な事は 「善きこと」の切なる願いの

「祈り」と「経典読誦」「経文読誦」が日毎の

当たり前の諸行である との自覚に至り

実際に差定致さなければ成りません

これはご神仏との約束事であります

御神仏とのつながりと 約束事の結びが在るがゆえ

私達は「生かされる」のであります

この事が「完全円満」の源であります

私達に完全円満の源ありて 生かされている訳ですので

神の子には 本当に大抵の悉くが 直観と申しましょうか

御神仏よりのインスピレーションがピンピンと

自身の頭に善波動(霊波)が来るのであります

これは絶対に正しい導きで在りまして

回りの都合や余分であります 変な気使い無く

事を運ぶと大変良い諸行と結果と成るので在りますし

必ず善き結果が現れます 

ご神仏の導きの事で在りますので

万事都合よく事運ばれるのであります

善き結果が生み出る為には 不都合と感じ見える

不都合なる「こと」は本来無いので在ります

表現(おもて)に現れた状態の癒しのみを求むるな

真の癒しは「心」のあります

素晴らしき「心であります」


病苦に対して「その時の状態は(熱の事)

神が修繕中の 作業熱である」

余り心配と恐怖は致さぬ方がいいのかもしれません

人は神の子であります が 真実であります ですから 

ご神仏に全面的に託した方が良いのであります

人はどうしても 今の処に気を配り 余計な想念を

波及させてしまう事が 実に多いのであります

失敗の原因でもあります

仏我なる心で見定める事が大事な事であります

私達は万物の霊長であります 万物の霊長とは 

生命そのもののことであります すなわち

ご神仏の霊の分霊化した 個々の個霊が私達で在ります

ですから 私達は神の子仏の子なのであります

霊長であります  私達全員が人々の想念(環境)に

案外 支配されやすいのであります  それは

相手も霊長 自分も霊長であるかで御座います

霊長どうしは 感応しやすいのであります ですから

私達は 常日頃より良き想念をたもっていて

それを自らの観にて護り 人々より発信される

悪い想念感情を 絶対に自分に受け入れない信念が

大事であります 強い善人になっている

本来の本当を悟ることで御座います

人はですね 強い善人を受持(たもち)

続ける事は なかなか難しいんですよ・・・ね

どうしてかと申しますと 私達は

精神的波動による処と 物理的波動による

二つの法則により 生きているからであります

どおしても現実界に於いては 

物質の豊かさに執し 欲しやすいのであります

ですから 中々強い善人を受持続けるのは

難しいのであります が

「今の自分」「これよりの自分」 又 

子孫繁栄と幸福 心の健康の為にも

誰にも負けない位の「強い信念」を持ち続け

行く行くの「天国浄土」に住ける為にも

「強盛な心」にて 前へ前へと進み行き

その為の実践 広宣流布を一所懸命 本当に

致さなければなりません です そうして

しょうらいの日本国の主となる子供たちに対し

上っ面の言葉ではなく


「自分を神の子と悟りて その精神状態の内で

子供に対して OOさん OO君

あなたは神の子仏の子 全ては完全円満

善きこと何でも出来る 素晴らしい子 と

褒める事が必要であります」


言葉の実践によって 子供さんが大変良い道へ

進み行く大きな糧となるのであります

「甘やかすのではありません」

でも中には 自縄自縛によって 苦しみ

自分の進み行く道も定まらず

あれこれ 悩みながら 自己抑圧に入り

結果として悪の道へと入り落ちて行く

将来の国の柱となる 本来の神の子仏の子の

子供達が実に多いのであります

残念で在り大変悲しい事と結果であります

特に甘い言葉 文章で申しますならば

一種の習慣的な ものの「縛り」より 

「解放」して差上げる事を 神仏の智慧のままで

致せば良いのであります  それは

現実界の「物」に対し 特に愛着を感じたり

求めたり致すのが現代の流れでありますが

そのままでありますと それは

精神崩落の「すがた」であります ようするに

「真」を知らざる迷いなのであります これは

私達大人にも 大きな責任があるのではないでしょうか

現象界の悉くは 全部が全部 精神波動による処より

生出して来る事を覚って頂く事が必要なのであります

そう致します事により 物は真実ではなく

だだ「形在るもの」だけの事で

事実を悟って頂く事が出来るのであります

此の時「迷い」が消え「縛り」の習慣性が「消滅」し

神の求めます「転回の好機」をえた事となるのであります

執着致すな 嫉妬致すな 「現象の不完全に」

お気づき下さい お願い申します

既にある善 既にある善の行い 既にある実相

これを祈りだし 仏我なる自分のものと致す事が

大事であります 自分の幸福の為であります

祈り 拝み 観座観法によりまして

神仏と我との一体を顕わさなければいけません

何でも駄目だと言う悲観的な事は

考えない方が良いのであります

暗黒の言葉をしゃべる事は 回りを そして

特に近しき人々を大変暗くしてしまいます

これは法罰にも似た行為でもあります

自己憐愍(じこれんびん)をすてて下さいね

自己憐愍は回りの人々の同情を求むる行為であると

小生思います 少し位の事なら 多少は

可哀想にも思いますが 余り 多々そう言う事が

在りますと 自然と近寄りたくなくなります


「自分の そして家族の幸運をお求めになるなら

先ず一等先に 人々の為 一生の間 一所懸命

真理の言葉 真理の本などを布教致し

実際の行動として 本当に 愛行 実践をして下さい

自分のみ 自分の気に入る人達のみの幸福を願い

求むる人は 悪魔的精神波動の(失礼ですかね?)

奪う心で在ります 自分達の事のみの考えや

感じ方は「強奪」に一通するおこないであります

私達は神の子仏の子であります

いつも人々の幸福ありて 吾幸福なりと感じて下さい

そう致しますと そこの処の人々に対し

ご神仏の護りが必ず顕れてまいります

ご神仏在りての私達であります


「肉体あっての私達ではありません

肉体的な私達に 永続的な幸福や幸運は

絶対に存在致さぬことを心して

お覚り頂きたく思います」



人々よ 願い事 希望するものを何かに書いて

一所懸命願い 心に描けよ と強く申します

そして真剣に祈る事であります

自分の希望を願う時 自分の大事なものを

欲する人の与えなければなりません

人々に差上げる事に  出さず

欲し 求めるばかりでは駄目であります

(もったいない それから 
着する人は別であります)


もし迷惑をかけた人には 何よりも先に

素直にお詫びを申し上げる事であります

報恩の心を持って 必ず 愛の念い

慈悲の悦びを与えることが必是であります

与える事は ご神仏の「無限供給」が

「自分に流れ入って」来る事と成るのであります

それは 神様からですよ 嬉しくて有難い事です

与える事も 希望成就を願います事も

全部「心に描く」事により 

祈りが成就いたすので在ります

現実化の法則であります


「自分好き勝手な祈りと 希望は

全然駄目で在ると思います」




「唯物論」から「脱却」することである



又 人間にはすべて 「神」の生命が

本性として宿っているのである 又

仏性である その 神性 仏性を

今 ちょっとだけ忘れているのか

まだ 気づいていないのか どちらかの人々に

私達は色々とお話をし お伝えいたし

相手様の「神性 仏性」宿り給う本来の

「本質」なる「本性」を「生出す」ための機会を

お与えさせて頂く「諸行」が「大変立派」な

「広宣流布」と「実践」伴う「愛行」なのであります

私達自身が 過去にも 今現在にも

又此れより先々までも 沢山の人々に接し

身に余る程の お世話と恩と 報恩なる事を

受けると思うのであります

接する多くの神の子仏の子皆様へ「神性開発」の好機会を 

相手様に報じなければなりません

そう実践いたしますと 必ず相手様よりの

感謝の善き念いの念波が 吾の処に流れ入り

不思議な事が一緒になって 上手い具合に

進み行く事が 自然にできるのであります

これが 神宿り給う者同士の相合布施の

生かし合いなのであります


「私達が幸福になろうと思ったならば 先ず 

朝 目が覚めた時 その今日に呼びかけて

祝福されたるこの朝よ あなたは太陽と共に

すべての人間に幸福を持ってくる

わが家族にも幸福を持ってくる

私にも幸福をもってくる 

私は感謝の心に満たされている

神様ありがとうございます

天地の万物 ありがとうございます

と 感謝の言葉を 声を出して また

口の内で唱えるのもよし 

感謝する人のところへ


‘‘感謝すべきよきもの‘‘


が 集まってくるのである」




言葉の力の 応用の事であります


御神仏は我々の内にあります 実際に 

「生命」として「生きて」おられるのであります

ですから 全てを覚り給い

全ての高貴なる智慧にて 私達を含めた

森羅万象を知り給う大生命の智慧なのであります

その大生命の智慧が 私の内に

誰々全然選ばれる事無く 人びと一人一人の

誰の内にも存在致しているのであります


妙法蓮華経の「妙法」が 又

阿弥陀の「弥陀」が 又

金剛不壊の「不壊」が 真実の理わり 

そして 又 私達の生命として

私達の内に いつの時も「ある」のでございます

その処からからの 自己の霊魂の開眼開発は

スムーズに成就致すのでございます




ありがとうございます



神様 御仏様の事 ご先祖様の事 

父母の事 子供たちの事

他人と感じる人々の事

ご先祖供養による処の 好影響の事

私達自身の心の在り方による影響の事

布施財 浄財の事

御供養致さぬ時の悪影響の事

等々 色々と書かせて戴きました


有難うございましす

平成11年 12月12日


終わり






故 玄龍院龍弘日宣上人より




最後に これを 

ポチッ としてね







~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動









...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







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りゅう

Author:りゅう
北海道の伊達市に住んでる 私 西岡宣龍こと りゅうは 美容師&日蓮宗の教師 であります 美を創造つかさの店という名の小さな美容室を 1人で経営しています
美容師である 私 宣龍を 日蓮宗の教師へと導いてくれた 今は亡き私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 を 書いてます

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