私達にある病気

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 笑っていて下さいネ

ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ









お題 

「私達にある病気」



医療 医学が 発達した時代 しかしながら 

これだけ医療や医学が発達していながら

人々の病気

国の医療費は 増すばかりの時代

おかしな話ですよね・・・・・



私達にある病気 主に

「心」 によって 

御自身の 「心」 によって 

今の健康状態が大きく変化する
(すべてではありませんけどね)


事が 書かれております


長文ではありますが

ぜひ 最後まで 読んでいただけると

きっと 私達にとって

大なり小なり 気づきを得る事が

出来るのではないかと思います






本当は病気なしの

神の子、仏の子、如来の子の

私達なのに・・・・・どうして?



私達にある病気

執着、嫉妬、自己中心者 嘘善者にはありますよ


私からのお願い事です


皆様お願いです

いつも 笑っていて下さいネ






私達にある病気


神の子仏の子の本来相には全然(まったく)くない病気

しかし現実には存在している人間の病気 どうしてなんだろう?

と感じて悩む人々も沢山おられると思います

本来相には肉体はなく 今の吾々には肉体があるからだろうか?

と 考える方々 特に真の真理を求める求道者には 特に多いと思います

それは本来相成る 真理の理である 理論を覚っているからだろうと

私は思う訳であります しかし 真理とはただの理屈理論ではない事を

是非知って頂き度く思いますし 私生意気ながらお願い申し上げたく思います

宗教で在るからという思いで 漠然と信じていては 又考えていては

生命(いのち)の働きであります 偉大なる御神仏の癒す力

全てを癒す力の源で御座います 親さまなる 神様仏様の大生命を

知っている つもり だけで終わってしまう危険が共なうのであります

大変有難い事に 私達神の子仏の子に内在する生命(いのち)此の生命が

自己に宿り給う 全ての癒しの大生命成る 親様の大生命なのであります

この生命が本霊なる 霊魂(たましい)の働きなのであります

ですから物質であります肉体を生命で在ると感じたり 見たり致しますと

大変な間違いの問題が起こってくるのであります
(病気、迷い等々)

此で生命と肉体との 主観的視方を覚る最大の必要性を覚って頂きたく思います

私達の大生命は 「ご神仏の いのちの 波動」

客観的に肉体を使用致すことを 先ずお知りください

其の客観的に使用いたします働きの源は

霊の智心 感情 成しとげる意慾 智慧 知性 想念

私達一人一人にある本能 これらが 前述の主観的働きの元なのであります

この働きによって 本来物質なる肉体が 生命の本源なる

大生命の命令ともうしましょうか 下命と申しましょうか

その 波を与える事により動く力となって 生命のまま

それぞれが(肉体の部分)独立の動きと 働きを致すのであります

と 私は思います いかがでございます?

肉体のみでは 自由勝手な行動や 行いは絶対に出来ないのであります

私達は ご神仏の波動と申せます心 この心の働きと 導きにの指導がなければ

都合によって勝手気ままに自滅してしまうのであります

ですから病気に掛かったり 迷ったり悩んだり

他 悪諸行と認めざるをえない状況 状態が現れてくるのであります

(病気は全てそうかと誤解無きようにお願い申します 原因は多種あります)

肉体人間の心? と申しましょうか 意志と申しましょうか

その もの によって支配されて生きている人間は

「必ずと申します」「必ず」不足の原因により障害が表面化致すのであります

私達は神様仏様の大生命で御座います 生命(いのち)の子

そのままの生命の子が私達本来の 実相身であります

神の子仏の子の私達一人一人なのであります

ですから 何らかの懐疑全く皆無にして(全く疑う事無く)天上の親様である

ご神仏に対し奉り 無条件にて従う事が必是なのであります

此のご神仏に無条件に従う事が当然の事でありますので

その結果として 善き事の導きのみが働き給うのであります

すなわち 此れが主観的指導の内に 自らが存在(ある)事となるのであります

こうなりますと 神は愛でありまして お与え専門の親様なのでありますし

仏様も同じ大慈悲の親様なので在りますので

善き事としての結果は 病気無しが成就するのでございます

「全てに於いて 神仏の統治が必要である」

ですから完全に統治されたる私達には 釈尊お示しの

法爾自然(ほうにじねん)そのものの処となりますので

自然と悪い事も 悪いものも 消滅してしまうのであります

大変有難い事でありますので 今すぐ合掌しご神仏に

ご先祖様に御礼と感謝を申し上げたら 大変良い事と私は思う訳で御座います


物質文明の内で 食物を互いに分け合っている間は

何とか生きる事が可能である そうして

とも角生きているように見えるであろう・・・・

此れは 物質主義の人々に対する言葉かな・・・・と思う


しかし私達はいずれか いつか必ず・・・解って頂けると思いますが 

天の主なるご神仏(大生命)より 生かして下さる

力 を 戴いて 生かされながら 普通で言う

生きて行かなければ成らないのであります

この主に従い 今現在の体を働きとして 世の為 人々の為に奔走し

愛業実践の人々は ご神仏の主観的働きに乗じている事になるのであります

この働きに乗じる人は 守護(まも)られ 尊きを受け

幸福となれるのであります

幸福や豊かさの本体は 人々の為のお役立てが

実際に出来る人々の為であり その人々が ご神仏より享受できる

本当の幸福な人なのであります


「富とは生命のさきはえ」である

大生命の さきはえ なのであります ですから富とは 

その生命が私達の住む現象界に具体化したものなのであります

ですから私達一人一人が 不特定多数の一人一人対しに奉り

相手様の幸福 健康(心の健康)繁栄 そうして最も大きく

大切なお悟りの為に 献上の心持って接し 真実(まこと)の心 

善の波動にて 生命をお与え致す事が大事なので御座います

本当にそのように致しますと 不思議と思われかも知れませんが

自らの病気も治り 健康体と成れるのであります

その原因は当然の事でありますが 心が健康に成りますので 

その精神波動によって あらわれている 肉体が

ご神仏の創造の域に達する為

車で例えるなら 真新しい車(新車)と言うことに成るのであります


私達は神に創造(つく)られた私達なのであります

性的交渉に のみによって 生まれ 生れ出たのではありません

ご神仏は 常日 常時 常秒 私達をお護りお導き下さって居られます

私達は 只それに気付き御禮として 接する多くの人々に

布施行の実践を致せば良いのであると思います

私は当然のこと 皆様も 今より少しだけ頑張って頂きまして

是非そう致して下さい 伏してお願い申し上げます

喜び幸福を求める人々のお役立てに成れる幸福を 実感致して頂き度く思います

全ての癒しは 私達の回りに そうして 近くに そうして 自己に内在し給う 

御神仏無くしては 全然無理ですし 駄目なので御座います

ちょっとぐらいの覚識で上慢に成らぬ方が良いのであります

人々へのお救いの助けは ご神仏の波動であります

主観的導きに 私達が客観的に応じる 心 ありてこそ

現象界での諸業が成就致すのであります

此れが全ての苦痛より脱する 業と行であり ご神仏へ

無条件降伏致せまして 万事悉くが円満に事が運び

喜びと 嬉しさと 感謝の念いの感情が起こってくるのであると

私は信じておりますし 思っております 忘れなく 願いたく思います事は  

中途半端な 善の心 念いを完全に捨てきる事が大事な要件でございます

信仰心を持ちながら 物質第一主義の念いと心を捨て

そこの処より脱却致してください  執する事無く 又

支配される事も無く 頑張って頂きたく思い願うもので御座います

物質と感じ見える処の中に 霊が宿っております

事実この事実の奥に宿り給う偉大なるご神仏の波動

その絶対的霊性の尊厳を自覚致さなければなりません

全てを霊性と視るか 物質と知るかによっても 

全然受け方が違ってくるのであります ですから

その事によって自分自身の霊的尊厳を悟る事も出来ますし

また 不可ともなるのであります 日蓮宗的に申しますと
 
霊々妙々 と観ずれるか 観ずる事が出来ないか の

差が生じるのであります どちらを選ぶも私達の自由意志であります


私達は 皆様ご存知の通りの 神様仏様の申し子であります

神の子誰々 仏の子誰々でありますれば 余り心配は無いので在りますが

そのご神仏の申し子であります事実を 少しであると思いますが

今 忘れている人 また 残念ながら

全然覚らぬまま現在に至っている人たちには・・・

物質論によって 必ず病気があるので御座います

書き示すのが申し訳無く思いますが・・・(お許しください)



御自身の 心 によって 今の健康状態が変わる

と言うことを申しお伝え致したく思います





最初は疑念を持ってお読み下さっても結構です

結構で在りますが 最後までお読み下さる事を信じ申し上げ

小生生意気ながら 皆様の健康成就の為



心 と言うものが如何に偉大な 「進化と、結果を現す」 のか



と言う処をお知らせ申し上げたく念います

お読み下さる決意に伏して感謝申し上げます




現代に於いては よくテレビ等を見ておりますと

野球なら野球 他のスポーツもそうですありますが

試合途中の状態に応じて 精神状態がイライラしたりすると

責任者等が よく 胃が痛くなる等と申しておりますが

其の原因はストレスと申しまして 陰の心の相の表れなのであります

陰の相の心とは 悪い方面や 大変な不都合が生じるのではないか等と

恐怖を考えてしまうものであります ですから

今まで調和していた 心 の波動が上手い具合に調整されない為

細胞一つ一つの働きに不都合が生じ 

上手い具合に細胞の働きが進まないのであります

其の原因は ご神仏の御意志であります 創造の働きに追従するのでは無く

人間の自分の心で 想念し創るからで御座います





人は案外 善き事 良き様に成る事を願いながらも

実はその反対に 余計に悪い事をも 

想像し想念してしまうものであります





やはり 恐怖の情が存在しているようでございます 残念であります

ご神仏がお求めに成られ教示どおり 何にでも 

感謝報恩の心をたもちながら御礼を申し上げては如何でしょうか

但し 対立の可能性ある場合には 関心を示さず 

相手様を 憎まず 怨まず 対立せず 只只相手様の

神の子の相 仏の生命の相を礼拝致しまして

実相を祝福して差し上げると大変良いのであります

だいたいほとんどの場合 病気と言うのは



陰の心(暗い心の事)そのものの 

不調和より生ずる事が多いのであります


**陰の心** 大変大事な意味です





ですから 陰の心より発し 在るかのような病気を癒す為には
(本来無しに近づく為には)

私達は勿論のこと 薬屋さん 薬剤師の事ですが それと 

最大の効果 結果を 表現わす お医者さんの言葉によって

変化いたす事が実際に数限り無く沢山在るので御座います

私達が病気になっている最中に医者より 恐怖ある診断をされたとしますと

今以上の心配を致すのではありませんでしょうか

お医者さんには申し訳ないのでありますが 医者の言葉によって大分変わるのであります

常日頃 小生申し上げておりますが ヨハネ聖者の 「言葉は神なり」であります 

ですから 医術に於いては 又 医者の言葉 又 薬剤師の言葉などは

大きな効果と結果をあらわすのであります

(申しお伝えいたします 医者は肉体的に見て診断するのでありますから当然の事です)

小生龍弘の勝手な申し出で在りますが 医者もですね 難しい顔ばかり致さず

もう少し明るい顔で 患者に接して頂きたいものでありますね と 申し上げたいです

例えばですね 患者さんに対して 大丈夫ですよ今ねとても良く効く薬を差し上げますからね

此れで絶対大丈夫ですと 力強い言葉など申してくださると
(自信をもってですよ)

大部違うと思うのでありますが ね 案外お医者さんは 

とりあえず薬を出しておきますねと 言います 

そう致しますと 当然の事 患者さんは心配致します 

心配の心は 心を暗く致します そうしますと

改善の余地も無くなり 心淋しくなり 顔相も大変厳しくなり

人々に接する時も 眉をひそめ 病気そのものの 悲しい表情を致すのであります

そうして 背中丸めて 人相の悪い状態を継続致すのであります

ですから 指導者 先達者 上に立つ者は 常に相手の事を良く認識致しながら

言葉を発して頂きたいものです 現に小生の住む旭川で

小児科の病院の医者ですが このお医者さんは 子供、その親に接する時

何時もニコニコ顔で応対し 悪い病気のようでも 決して余り悪くは言わず

大丈夫だよと言う様な言葉で 安心を与え治療致して下さるのであります

医者は人々に人々に幸福を願うものでなければなりません

小生龍弘実際に体験致した事であります


この先生の病院は 今現在大変大きな病院となり

沢山の人々のお役立ちを致しているのでございます

人間と言うのは 人相 言葉によって 

大変大きな影響を相手様におよぼすものであります

如何に自分の対応が大切かを 覚る事も 大きな大きな改善の道なのであります

勿論自分より発する言葉によっても 自らが病気になることもあるんです

自らの言葉での病気の原因は 相手とのお話の中で

相通ずる事の出来ない 一種の癖によって相手様に不快の思いを起こさしめる原因もあります

例えばですね 小生龍弘常日頃よく申し上げてる事ですが

語尾をハッキリ言わない 又 自分都合なのか 言語能力不足なのか(失礼でした スミマセン)

わかりませんが 言語不明瞭な人間が実に多い現代

聞く側の立場の人に致してみれば ハッキリ申し上げて腹が立ちますよ

特に小生はそうですが その様な人々に常々接する機会の多い人は

多分精神的にイライラしていると 小生思うのでありますが 如何でしょうね

そうして イライラしている人は 相手に対して多分文句等申すと思うんです

そう致しますと 言語能力不足の人間は面白く無い顔して相手を見ると思うんです

そこで 此の所に精神的対立が起こってくる事があるのであります

この精神的苦痛が病気になる原因となる可能性が多分にあるので御座います



批判を受けるのをわかって書きます



「言語不明瞭は相手に余分な迷惑をかけるぞ!

まともな言葉を喋る事の出来ない人間の為

何の為 こちら側の人間が病気にならなければならないのか?

小生は不思議だよ!」



此の部分は

小生の腹立ちです 通り過ぎて下さい・・・

と 書いてありましたが あえて書きました


前述の腹立ちの部分 此れは小生龍弘の一種の利己主義と成るのであります

利己主義は全然駄目でありますので 小生龍弘は精神?神経?衰弱者?となります

神経衰弱を治す為には 真理の理を 何時も受持(たも)って

人々の実際の幸福の為 愛行を致し一所懸命つくす事により

脱却いたす事が出来るので御座います


人々のお喜びを余り覚(し)らない人 又 喜ぶ事の出来ない人には

大変無理であるかと思いますが 


他人の嬉しい相 楽しい相 喜ぶ顔などを見ますと 

私達神の子仏の子は 自分に対する感じがとても良くなり

その後味が良く大変嬉しいものであります

それは大生命の子 通りの 本来相を潜在的に悟っているからであります



自他一体の真理であります



色々とあれこれ考えず 出来るだけ純粋に 他の人々

時としては物 事に対しましても 全然抵抗無く

自然的に行動できる人は 先ず病気になる事もなく

御神仏創造の相 其のものの健康体で居られるのであります

よ と小生申し上げます(少々はあるかも知れません?けどね)


常々私達はご神仏より 恵 を受けているのであります

その恵みに対し何ら お返し 致す事無く の生涯は悲しいものであります


「神様の恵みがそこの実現する為には 神の無限の調和

神の無限の平和 神の無限の愛」




それらと 私達一人一人の 

心の波長 が合わなければならない




私達が波長を合わせることが出来なければ 残念ながら

私達は 神愈も受ける事も出来ず 悲しい状態と成る可能性が高いのであります

余り簡単に読み過ごさず 真剣なる事をお願い申し上げたく思います


ご神仏の恵が 何時も有ると言う事は当然の事

私達は肉体が在っても 無くても 全然関係無く 霊界に住(い)ても

現世修行界にても 一瞬の休み無く 生かして いて下さって居るのであります

ですから私達は 神様仏様を尊敬し ご神仏の 愛 と 慈悲 に感謝し

ご神仏の権威に無条件に従いて 此の世界は全部ご神仏の創造で在る事を

覚り 悟るなら 自己の念(おも)いより生ずる 病気は

絶対に起こる事は皆無なのであります


当然の事でありますが 

ご神仏が 不具合や不調成るものを創る訳が無いのであります


(病気だけではありません ご神仏は全部ての もの こと

悉くを調和致して創造(つく)られてたのであります)



悉くの一切は 愛と慈悲の ご神仏より出て来たものなので御座います

だからご神仏は 不完全や不調和で 神の子の人間 仏の子の人間を

苦しめたり 悩ましたり 悲しませたり致すようなこと 

事を お創造(つく)りにはなっていないのであります

もしそう言う状態や状況が表面化致すのは


私達人間の心が現すのであります


もし不完全と思うのならばですね 


それは 中途半端な信仰心であり 

強盛な信仰心に欠けている証拠でもあるの訳でございます



人々の幸福を願い 自らが満たされた喜びを与えたく思いますなら

是非とも願います事は 強盛な信仰心と 只 只

ご神仏への 無条件降伏をお願い申し上げたく念います

自分の親様であります 全ての源で御座います 親さまなる御神仏 

此のご神仏を軽々しく思い 自分都合に合わせる信仰を

直ぐ止めて頂きたく 小生龍弘お願い申しお伝え致します


神や仏を けがすな! と 申し上げます


実際現世社会の仏教の祖で御座います お釈迦様は

一等最初の悩みは 生老病死の難しさに悩まされたそうでありますこと

仏典に示されております

人は生まれ 段々と年老いて その内に病気になり 

最後には 苦しみながら死亡する・・・・

この 四苦に大変お悩みであったことが書かれております

勿論お釈迦様以前等より あった と思いますが

人々の意識であります 人類意識の中に 一つの人生の流れの意識に


生まれ 老いて 

病にかかり 死ぬ



と言う 一つ一つの 苦 を通る 通過するのが普通であり

当たり前である との 潜在意識の働きがあり

それを中々忘却(ぼうきゃく)致す事が出来ないのが

忘れ去る事ができないのが 私達人間なのであります


その念いが 現在までも広がり 今の世 迄も続いているのが実態であります

私達の潜在意識の内に在る念いを消す事は 本当になかなか難しいものであります

如何でしょう 私達も何かの病気などに掛かった時 又 病気を現したとき

家族の人や回りの人たちに対し 誰々さん気を付けなさいよ

私はこの様な状態に成ってから こんな病気に成ったんだよ・・・と

余分な気づかいを致し 相手様にお伝えしたりしませんか?

又 自ら一所懸命説明を致し 病気に成る流れを肯定いたすのであります



この様な話しは出来るだけ 

止めたほうが良いかと思います
・・・が ですね


回りの人々も 病人を心配致している様な振りを致しながら

どのような事からそうなったの? 等と聞き出したいものであります

それは 自己に在る 


恐怖の心より 発芽いたします 

悪玉の心なのであります




私達は神の生命 仏様の生命であります

お釈迦様は 人類皆悉く 仏子 なりと大宣言もうされております

イエスキリスト様も 天の父の子なりと 私達のことを申され

日本古神道にても ミソギによりて 神の子である事を示されております

私達は大生命の分霊であります 個霊であります

ですから 真実の(本当の)御神仏の申し子なのであります

此の本来の創造主(つくりぬし)の真実と教えに 何の抵抗も無く

ハイ と従い 帰依いたしますなら 

何にも絶対に間違いは無いのであります がねと申し上げます

生命の宿らぬ 肉体に 執する事無く また 

物質を 主 とする感じ 教えの意識に執する事無く

神の生命に生かされたいもので御座います 

人類意識を捨てましょう ご神仏の御意志に託しましょう

そうして安心の上乗せの安心と 我此土安穏の真理に

生かされて 行こうじゃありませんか!

 
「我此土安穏 天人常充満」(自我偈)

…我が此の土(この世)は安穏であり、

常に天人や人々で満ちあふれている



野獣や野鳥には病気は無い・・・・

じゃあどうして野獣や野鳥には病気は無いのかと申しますと それは簡単な事であります

私達人間はご神仏の申し子であり 万物の霊長でもあります

ですから 全ての悉くを完全に 如何様にも出来うる


自由な想念と創造とを持っているのであります


その人間は精神的部分の発達 発展が豊かな人と

物質物理的容積の豊かな人とがあります

吾々人間は全員(みな)両方の波動波長をたもちながら生活を致しているのであります

どちらを沢山生出して 毎日毎日の生活を致すかは

それぞれの念い思いの儘(まま)での現れで日毎を生きるのであります

ですから 私達は 何を見 何を覚るかによって 

又 何を想像し何を想念致すかによっても

ずい分と毎日の生活 健康が 変化いたすのであります

万物の霊長であります私達の自由は 如何なる所でも

自身の思いのまま 事々を支配いたす事が可能なのであります

ですから 前述に御座いますように 



想像 想念によって 恐怖いたしたり 悲しんだり

対立心を起こしたり 

恨み 憎しみなどの心を




自由自在に表現化出来る訳ですので

その反動として 心に不調和が生じ

細胞一つ一つの働きの調子が狂い

病気になったり 不具合が生じたり致すのであります





しかし 二次元の動物(いきもの)や 三次元の鳥等は

弱肉強食のみの事しか知らない下等な生き物ですので

想念も何も無いわけであります お解り頂けます事 感謝申し上げます

しかし そう言う動物なども 人間界の雰囲気の中に入ってしまうと

残念ながら病気になりやすいのであります(不思議と本当なのであります)

皆様が一番よく知っていて身近な動物は 犬、猫 小鳥などではないでしょうか





わしはマイッタよ 字がポンポン出てきて書くの間に合わないよ

いったん書くの止めるかな ほんとにマイってしまって

コマってしまって どうしようもありません・・・・



って 書いてあります(笑)
 


ちょっと 本文からずれますが

私 せんちゃん 亡き師匠からよく聞かされていました


亡き師匠は このような文章は わしが頭で考えて書いてるんじゃないんだよ

書かされるんだ・・・・・・


なんて よく言っておりました

せんちゃんは 当時 うそだ~~~~ なんて 思っていましたが






「わしはマイッタよ 字がポンポン出てきて書くの間に合わないよ

いったん書くの止めるかな ほんとにマイってしまって

コマってしまって どうしようもありません・・・・」



なんて 書いてあるって事は  ほんとに そうなんですね

不思議ですね・・・・・

例えば 普通飼っている犬や猫 小鳥でありますが

寒い時家の中に入れたり ストーブを付けて暖めてあげたりする方がいますが 

実際に私達人間は 飼っている生き物に対して 余り心配を致し

その動物の生き様を 私達が勝手に想像し作って居りませんでしょうか?

その結果として 動物は病気にかかるのであります

世界の人類皆そうでありますが 人類の精神波動

人類の念いと言うものは 大変なものでありまして

動物ごときものには いとも簡単に影響を与えるものであります


ですから万物の最高の長であります 神の子仏の子の私達は

想念観として 絶対に病気が在るなどと思っては 全然駄目なのであります

心 の波動に常々 病気無しの念いを 固定いたす事が是非必要であります

但し 否定しすぎる事は 執着の心となりますので お気おつけ下さい




本当は否定も肯定も全然無いのが一番よいのであります

神の子の儘(まま) 

仏の子の儘(まま)であるということです

悪は無い 病気も無い 

悪いもの 事は無いと宣言致し





普通の人類意識に 惑わされず


悪や変なマイナス的観は無いと ご神仏に感謝御礼を申し上げ

一所懸命お祈りいたす事であります

悪い人々の意識 そして人類意識の悪想念の観念と 

波長が合わぬように致さなければなりません

大変有り難い事に 私達は神に 仏様に 


愛され 護られ 導かれている 神の子仏の子なのであります


先ず持って 毎日毎日 有難うと申す事であります

口先 減らず口 作り笑顔等 早く止めよ・・・と申します


普通の状態で 明るく 心 親切にして

思いやりの心持って ご神仏を始めとし 全て悉くに


ありがとう と申し上げることであります

(ただし自分の都合にあわさず・・ね)


科学の力ばかり頼っていては 失敗いたしますよ

要するに科学の力による 色々なお薬が沢山出る事により

人々はそれぞれ少しぐらいの不調にも 恐怖いたし 何の薬がよいかなと 

心が 変な方向へ向かってしまうことも多々在るのでございます

私達の本性は 神であり 仏様であり 如来様であります

先ず 創造主(つくりぬし)にご相談申し上げ


ご神仏の神癒を戴く事が大変大事であります


私達一人一人が気をつけ 薬 薬 の上乗せは 是非とも 止めるほうが 


神の宿り給う 身体にはとても良いのであります


浄土宗の開祖 法然上人さまは 


「しらつゆも もみじにおけばくれないの

たまとみゆれど まこといろなし」

と お示しで御座います


在るようだけど 実は無い であります


不必要なる病気を所有致す必要ありません

存在(ある)ようですけれども 


実は無い



と言う 無所有の実践が絶対であります


小生龍弘 当寺林昌寺にお力添えを下さいます 

御信者様によく申し上げてる事で有りますが

風邪を引いた時 普通療法では 暖かくして汗を出して寝なさい 

と申しますが  小生龍弘は 風邪を引いた時は


アツイ お風呂に入ってくださいと 申します

なぜならば 小生の記憶では 昔より風邪は万病の元と聞いております

風邪の万病とは 迷妄の事であります

神の生命の宿り給う素晴らしき修行服 肉体と感じ見えるこの相は

実は 神其のものの修行者なのであります

ですから 神宿り給う修行者の肉体が風邪などに引掛る訳が無いのであります

ご神仏は愛と慈悲を持って 私達一人一人の個霊なる霊魂の

改善 改魂の為に 常にお導き下さって居られるのであります

もしもですよ 風邪ならば それは 前述申し上げた

人類意識の念波動に 一寸だけ引っ掛っただけの事であります

中途半端な 善 の念いと心で 神や 仏様や

自己の超高級霊であります 守護神様を計らぬ事であります

風邪は無い 風邪は無い等と余り申して 非定致さぬほうが良いと思います

私達の本性は 如何なる衝撃にも 左右されない


「 霊的存在であります」

肉体に執して 決して 

つかまない で下さい





*わしには全然無理かも知れませんが 一応記をさせて頂きます*



生命(いのち)が自由自在に成就(なる)為には

放す事が必要なのであります

縛っていては 駄目なのであります

放してこそ 本来の自由自在となるのであります




自由とは 


表面上で円満に致す事ではありません


一番大事な 心 の事で御座います




心の中に何かを 又 何かに対して つかむ心がありますと

全然自由とは言えないのであります

こうなりますと病気に成りやすくなるのであります

( 小生みたく馬鹿な奴は 腹を立てたり 何かに少しであっても

恐怖したり致す事も 原因となります)


例えば人々の為の救済のお手伝いの為のことでありましても

また 意識的でありましても そうなのであります

言葉によって成る行動 これこそ 良く 良く 考えて

行動致さなければ 大変だな と 小生思います


お釈迦様は全ての 悉くを解脱せしむる事を教えられて居るのであります

特に一切の衆生 自分 人々 生命(いのち) 迄をもでありまうす


つかまず 放せ と 言う事であります

執着 嫉妬 自縄自縛 等 


全ての解放であります




己自身の解放は 神の解放であり 仏様の解放であるとの

信念と確信より生出さなければなりません

この 真の解放は 心よりの 身体を健全に致しますので

完全なる ご神仏の護りの癒しと成就(なる)訳であります


「汝が何者かに傷つけられたり 

バイキンや悪霊に冒されたりするのは

汝が 天地一切のものと 

和解してない証拠であるから 省みて 和解せよ」



人々の病気は 肉体的な対立よりも

精神的対立 不調和 不和解のほうが 

病気に成りやすいのであります


治りたければ 和解いたすことであります


私は 僕は 俺は 何とも思ってないよ・・・・・

だけれども あいつが・・・ 相手が・・・・


どうのこうの・・・なんて 心に思う 事が 



精神的な部分よりの病気の実態なのであります


日蓮宗の開祖 日蓮聖人は  「一心同体」 と申しお示しで御座います

私達はそれぞれ 個性豊かな生命ある人間であります

容貌(ようぼう)や 体の相形の個々別々によって

相手を判断いたす事は 大きな間違いなのであります

(それぞれの好き好きによって違いますが 実際は肉体的に見て
カッコいい方が良いですよね フフッ)

しかし人々は 残念ながら 自分の感情的な働きによって

外見で見て 判断してしまう事が大変に多いのであります

例えば 民族対立 家族対立などもそうであります

本当は ともに 人 悉く宇宙創造の大生命なるご神仏の

大生命に生かされたる 生命(いのち)の 分霊であります

その分霊の 一霊一霊が 個霊なる 今の私達の生命なのであります


その生命の一体なる実相を見ること 又は

感じることの出来ない人間・・・・


対立心の念いを 何の抵抗も全く無く

もろに出して 平然と自己主張 個人主義

勝手主義の思想を出し自分は善人であり 

正しい考えの人間だと自己を信じるのであります

(それでは 駄目でありますよ!)





私達が最低限守らなければならない法則は



私達一人一人が 互いに 尊重し合い

出来るだけ 仲良く致し 人を愛し 人に慈悲を与え

人に善意の施しを致さなければなりません です




誰々関係なく 人殺しをしたり 人々を苦しめたり

自分の快楽 歓喜のため 相手様より 奪ったり 

他色々ありますが 悪い事を致しては駄目であります


一時の収入(自身の得と成る事)は 必ずゼロになります

栄える事は 無し と言うことであります



仏典お示しの 


「因果」は 巡る(めぐる)のであります


人間の悪業は 人間の来世までも引継ぐのであります




この人間の悪業を 断ち切れない者 又は 悟る事の出来ない人は

仕方在りません・・・沢山苦しんでください


お願い申し上げます 願います

仏の子であります私達 ですから私達は仏我であります

仏我であります私達が 自己中心の我を持っていては

全然いけないのであります


我を完全に滅するこつは

我を忘れることでありまして(放下致す事)

再び戻る事無く修行することが必要であります


要するに 本当の本当に無条件で帰依するだけで成立いたすのであります


我を無くす事によりまして




執着の心 嫉妬の心

憎しみの心 争いの心

怨みの心 持越し 取越し苦労の心

欲しい 欲望の心

腹立って くやしい心

時々気が狂う心

悲しい心  等々 





まだまだ沢山御座いますが


全て 我の心 なのであります


是非とも下劣な業より脱して 本来の


仏我吾成り(無我と言う事です) と 悟りまして

悪い業の本体を捨てる事が大事であります


そうして 思いっきり飛躍いたしまして

ご神仏との一体を 躍入によって覚ることが大変大事で御座います


そう致しまして 私達の本来の目的であります



善行 善業 を成し

森羅万象に奉仕いたし


公の場 処に於いて 愛行を実践し

吾生命を持って お与えさせていただく広宣流布は 


立派な諸行であります





しかし 此れは神の子仏の子としての私達

厳しい事では有りますが 成せて当然のことであります
(出来るだろうか? などと思うから・・出来ないのであります)


理論理屈の問題ではありません 必ず実行致せる人は


神に護られ 仏に導かれ


富と幸福の泉の中に 何時もいるのであります





人々が必ず喜んで下さるために 必ずお喜び戴ける為に

自分の生命投げ打つ覚悟で 事を運ぶ事が

ご神仏がお求めに成り お与え下さっているのが

法爾自然 そのものなのであります

御神仏のままの法則 此れが真実の念いより生ずる

宇宙よりの波動と一致いたす思いでありますとか 行為なのでありますし

この事が自然の中 何にも不思議無く 調うと

宇宙創造の 法爾自然と成るわけであります



森羅万象悉く仏性なり 

森羅万象悉くご神仏の智慧となりまして


私達一人一人 そうして周りの全ての人々の 又

世界の人類一切の幸福と成るのであります



宇宙の法則は秩序であります 整然であります


秩序は法則であります



私達の肉体の細胞が何の狂いも無く 上手い具合に調和し円満に運ばれ

私達が健康なのは ご神仏の智慧のおかげであります

ご神仏の智慧は 一切の事 一切の運びに対し

対立も不具合も不調和も全く無しに 大調和のまま 事運んでくださるのです

この秩序ある法則に乗じ 生活を保つためには 

私達の内にあります 個我 であります この 



個我を 捨てきる事を致さなければ成りません


我は ご神仏とのつながりを 断つ原因であります


私達にとって大事な 製造元であります

創造主(つくりぬし)との つながりを無くしては

神の子としての生活は出来ないのであります


常々良い「果報」を頂く為には 天地一切との 

自然の調和 此れが大事であります

(果報とは 何かの原因に対して 結果としての むくい の事でです)




「悪い果報」「良い果報」 我を生出しての行動は

歯車が合わず ガタガタと行き 上手く行きません




天地の自然の動きと調和する動きになることが出来ますれば

健康は勿論の事 ほとんど悉くが 円満に運ばれます



繁栄も当然のことであります 天地宇宙の自然は ご神仏の智慧であります



「智慧」に逆らっての行動は 何を致しても絶対に上手く行きません



逆らう事は 「我」の一方通行であり 相手に関係なしの行動でありまして


自己満足だけの 畜生道と餓鬼道の現れの実践であります


最良の霊長であります 私達の魂の真の働きが 


陰となっている状態となる訳であります 此れでは 何をやっても 


一時的には上手い事行ったと思う事がありましても 必ず失敗いたします 


本当は物質ではありません 生命体であります

生命体で在る以上 必ずそこには智慧が存在するのであります

その智慧なる生命体にとけ込まないで 事運んでも善き様には行きません

原因は 皆様ご存知の通りの 個我が在るからです

ご神仏に従い生活を 心豊かに生きようと思いますなら



「観法の実践」 この大事な観法を忘れず実行いたしてください



仏我なる 魂が 塾いたしまして ご神仏の智慧と一体となり

前述通りの 御神仏の法則通りの 法爾自然と一つの相となる為の行動として

私達は 素直に従って 大事な大事な 自然法爾に成りたいと言う念いを

内なる処より生出さなければ駄目であります

確たる信仰の実際の行動化であります



確かたる信仰とは・・・・信じてご神仏の創り給うた処の

完全なる相を信じ 自分の全てを託す事です


うわべの信仰とは・・・・話も聞くし 話もする しかし何かの事に対して

感謝よりも懐疑心を持つ 我の思いより判断しやすい人です(他にも沢山ありますけどね)





この文章の題は 「私達にある病気?」でありますが



病気は ある のでは無く


あらわれている だけの事であります






お間違い無きようお願い申し上げます


神の子仏の子の吾々には 病気は無いのであります


他人(ひとびと)を愛する事 人々を思いやる心の無い人

人々に怒ってばかりいる人 人々を憎む人

人々を批判の対象とする人 

自分が正しくて 自分の心の思いと違う人たちに対して

ムッとしたり 暗い表情をしたり 被害者のような振りをしたりする人々


本当に自分中心の勝手人間 周りの神の子仏の子に 迷惑を掛けるやつは




一日でも 早くこの処より ??れ!  と 私は言いたい




中途も中途も半端な気持ちで 善人ぶるな!

善の心の影に 振り回されている事を悟れ!


書いてる内に少々腹立ってきた 駄目ですね・・・・





と 書いてあります

なき師匠 故龍弘上人は たま~~に 話していると

感情的にる事が有りました(笑)

ふと 懐かしく思ってしまった 自分であります


ところで


「一日でも 早くこの処より  ??れ」


なき師匠は どのような言葉を思って 

??れ と 書いたのかな~~~?

皆さん 自分なりの言葉入れてみてください


ちなみに 僕は  無意識に 去れ と 読んでました




そして 今日の最後は

この言葉を忘れないように


病気は ある のでは無く


あらわれている だけの事であります




ですよ~~~~


私達の精神状態や 雰囲気によって変化いたす事

また 環境をも変化する事を致す

私達の 心 権威(ちから)の事を書かせて頂きます


何べんも申しますが 万物の霊長である私達

この私達が善く思う 心の力 によって微生物も感心致し

よい結果を現す菌と成るのであります 例えますと

お食事の料理を作る時 物質であります 調味料ばかり頼りに致さず

この料理は必ず良くなる 必ず良く 美味くなる 絶対間違いない!

と念じ 思いながら調理の作業を行いますと

その思い念が必ず 具象化し現実に具体化になる と小生思うのです

ですから 自分の立場から一所懸命 感じ 

念う雰囲気は大変大きな効果を表すのであります

その善き雰囲気が全てに感応して 相手様にお喜び戴ける

美味しい味の料理となるのであります



明るい心で 楽しく作ることが大事であります


どうかな? どうかな? 等と思わず

お喜び頂ける為だけに 一所懸命事を成す事であります

何に対しましても 自分の雰囲気がどれだけ多くの回りに

影響を与えるか 良く考えて行動いたすとよいのであります

自分の精神波動による影響は 大変なことであります




「相手様を大きく苦しめる事も

相手様を嫌な状態にしてしまう事も

自由に出来る 力を 持っているのであります」





勝手信条を捨てきれ! 




解りましたか と 申しお伝えいたします



「相手様を大きく苦しめ 相手様を嫌な状態にしてしまう人」


に 対しまして  絶対間違いなく 必ず 強く申しておきます


このような人は 

全身に重症の痛み それから ブツブツ

それから 神経痛のような 痛みが体に現れるのであります


本当は 物質であります肉体 なぜこの肉体物質に痛みがあるかと申しますと



それは 自分勝手の中途半端な頭脳的心の 感情より

感応する 心 と申しましょうか

その心が その時々の状態で 自分都合に合うように変化いたす為

不調和が生じ 良いか悪いかの判断も  全然と言っても過言ではないくらいの 


判断能力しか持っていなのであります ですから 病通も仕方無いのかもしれません


しかし 何とか少しでも良いから 覚って頂きたく思います

この事は 肉体が病むのではなく 基本的に



「心が 病んでいる証拠なのであります」



心の痛みの原因は 

「不調和 不感謝 の源であります


対立の口惜しい思い 腹が立つ思い


嫉妬の思い 執着の思い」 





等など まだまだ 沢山御座いますが 



「その様な心の痛みが 肉体に現れて(表現)来るのであります」


イタイ イタイは 大変です 肉体が痛いのでありますが


本当は 「心」 が 痛いのです・・よ



以前より 何べんも お伝え申し上げております事でありますが


私達は 何辺も 難十回も何百回も



「霊的修行の為 生まれ変わっているのであります」


その修行途中の現在が 私達の 「今」なのであります


ですから 私達は修行の段階に応じた 結果としての「相」が


如実に顕現(あらわ)れて来るのです


精神的波動の部分の包容が 多い人と そうでない人とが いるのであります

なぜ この事を 書き記したかと申しますと

私達の痛み その痛みの激しいい人と そうでない人の

差を書こう・・ と思う訳であります


私達は ご神仏の申し子であります ですから



ご神仏の近くに 精神波動の在る人は


案外痛みがありましても そのことにすぐ気が付き

反省し 真剣に感謝いたす事の実践観法を 致しました時

案外簡単に治り癒されるのであります


「わが魂の 底の底なる神よ 無限の力わきいでよ」 



一生の間 一所懸命 念い観ずる事は

霊魂のレベルを上げる事になると 小生は信じております


この事は私達の潜在意識の中に在る 悪想念を排しますし

又 形状に現して 懺悔いたす事にも繋がる行業であると思うんです


是非共頑張って実行して頂けますようお願い申し上げます


悪想念を人間の心でつかむな


先ず人間の心を捨て 神仏の心に直結致すよう 共に頑張りましょう


人間の心についてでありますが 人間の心には宿業と言う

良くない業の元(良くない事)と成るという 可能性が非常に多いのであります

小生以前にも書いた事でありますが

人間は前述通り 何べんもの生まれ変わりの相なのであります


「その私達一人一人の 今の諸行が 

来世の諸行のつながりとなります」

(良き事も 悪しき事も 苦も 楽も 今 今が大変大事であります)



そうして 今の自分達が存在すると言う事は

当然の事前世があったと言うことでございます

その前世の宿業が現世につながり 引継ぐ事は

今の時に必ず 間違いなく表現化致すのであります

(宿業とは悪い事であります)


余り詳しく書きますと 恐怖いたします

中には 大丈夫だから教えてくださいなんて 申す方も居られますが

大変なんです 興味あって聞きたがる人もいます でも もうしません


只大変なことであります 「宿業」 この事だけは

よ~~~く 心に 思い 置いてください


*宿業よりの脱却はかなり難しいです*


表面の相 形と 潜在的 心の念いの違いと引継ぎの事

(潜在的・・・知らぬ間覚らぬ間に納まる潜在意識の恐さを知る事大事)


毎日毎日を 心して 生活奉仕の業行をお願い申し上げます



ここから とても大事です よく読んでください




宿業の始まりは ほとんどが 人間と人間の間にある

「惑わし」合いの内より生ずるのが 普通であります

普通と申しましても 是が 大変大変な大事件であります


怨みを受けるな 憎しみを受けるな 怒りを受けるな


と 申しお伝えいたします


受ける苦しみには 必ず対応したくなるものです

そこに何が起こるかと申しますと 当然の事


闘争の心が起こります


闘争の念いと 行動は決して良い結果は出ません


「執着満足」 と 「嫉妬満足」の


精神的怨みの 気狂い(きちがい)障害に気付かず


相手を 怨み 憎しみ続ける事となります

その結果は 悉くの不調和でありますので

その人の生涯は中々 上手い具合には行きません


又 気狂い障害の者は 自分の精神的イラ立ちを納めるため

相手様を殺したり 障害事件を起こしたりの

事件を起こすことにもなるのです 

その結果の先々は如何でありましょうか

お解り頂けるものと思います


*書き出したら止まりません これ以上書くと恐怖のみ残る事となります

本当に書くのやめます 失礼致しました*




自分を物質の塊と思う事なかれ


人々を物質の塊と思わないで下さいね


生命です!




さあ~て 是よりは

ご神仏の本当の智慧の働きや 

知性の創造等を書かせて頂きます


吾が守護神様 守護霊様に 伏してのお導きを願い奉ります


この文章が神の子の 人々のお役に立てますように

神の子仏の子の 人間と人間の糧となれますように・・と

お願い申し上げまして 加護を願います


私達はご神仏の一つの基盤の内に 今立っているのであります

その基盤とは 知性と言うものであります

知性は 全ての人類に共通致すものであり

私達一人一人の中に内在しているのであります ですから

知性とは普遍的な生命体と申しますか 意識なのであります

「人は皆が同じ構造を持ち同じ生理作用を営んでいる事は同じ知性である」

人は全員同じ構造を持っているということは(人種に関係なく)

この事事態 創造者たる ご神仏の業なのであります と 小生信じております

ですから 結論は私達はご神仏の申し子となる

神様仏様の子なのである と言う証拠であります

宇宙に普遍的に満ち給う内で 最も尊い段階の生命 それが 

万物の霊長であります 私達一人一人なのであります

唯物論者には 申し訳なく思いますが  唯物論では

とても計り知る事の出来ない 創造なのであります

信じるも 信じないも 勝手でありますが

無量であり 無辺であり 普遍なる 大生命は偉大なので御座います

唯物信仰の論者は 多分こう申しますでしょうね 一般でよく申す事でありますが




人間は死んだら 心も何も無いと申します 勿論 唯物論者でなくても

ほとんど無信仰に近い人は 同じ様な事を申しますが・・ね

(わしに言わせると 馬と鹿としか申しようがありません)



人が死んだら 心も何も無い との考え 感じ方は如何なものでしょうか

要するに 頭脳があって初めて その頭脳より発する一つの作用が

心みたい なものであると申すのであります(心と思いますでしょうね)

ですから 人間が死んで脳髄が消えてしまうと

心なるものは 元々無いものだから 当然無くなり

消え去るものであると思うのでしょう

理屈はそうであるかも??? 

そう感じるかも知れません?????



しかし 真の人間は 細胞と細胞の塊ではなく

霊魂の顕現(あらわれ)れと致しまして

個々の霊体の内に 心と言う働きの源が備わるのであります




ですから 其の 心無くして 人間としての相も

物質包容の肉体も創られることは無いのであります




私達が現象物を見るとき絶対に必要な 目を見てください

そうして考えて見てください 私たちが近くを見ていて

急に遠くを見たとき如何でありますか

ちゃんと即見ることと 見て確認いたす事が出来ますでしょ と申します


此の瞬間の出来事にでも即時に相応致す事が出来るのは

頭脳の そして脳髄の働きでしょうか また 此の

物を見たり確認いたす 目は 脳髄の意識で作ることは可能でありましょうか

ましてや 凸凹自由自在の 運動と働きをなす 眼球などなどの構造は

物理的 物質的な偶然では 絶対に出来ないのであります

もし出来ますなら 失礼な事と言葉で御座いますが(申し訳ありません)


目の不自由な方々は居られないと思うのであります

ですから 私達の本性であります 生命 此の生命の源であります

大生命の知性の働きがあって 初めて生命による処の

ご神仏の心の働きが 人間の頭脳以前に 


心を創造されるのであります




知性と智慧の働きによって ご神仏の自己実現の

人として 修行と魂の上昇の為 

必要なる全ての細胞を創造(つく)って下さっているのであります

魂の上昇の為の修行であります


決して 全ての個人満足 快楽の為ではありません。。。宜しいいでしょうか




「唯心論者と唯物論者の違いは大きいんです」


私達が一生の間 一所懸命 其の場 其の時の衝撃に左右されず

大生命に 帰依 致す念いを 常日頃どんな時でも 受け持っているならば



誰一人もれなく 完全に大生命の 

「智慧」と「知性」に 「護られ」



私達自身が高き霊魂の状態でいられるので御座います


よろしいでしょうか



脳髄が先ではなく

心が先であり 創造の元であります




もしもですが 唯物論的に申しますと

脳髄が先で その つくりが少々悪いといたしますか(例えばの話でありますよ)

そういたしますと 身体も不都合とならざるを えないのであります


が と 小生思います 間違っていますかね?



残念ながら 私達は どうしても 


暗い方面 悲しい方面に向かう 

不幸な印象を心に憶えている という傾向に在りたがる?

のか あるのであります もしかしますと


人々の注目を引きたいのか 又 自身のあわれみによって

一種の中心者と成りたいのか 良くわかりませんが

人と言うのは どんな時でも 幸福を求めながらも

悲劇者となりたがるのであります





それは 自分が 自分自身をあわれむ事によって

人々の注目を引きたいという 思いの原因となるからであります

その事によって 友が増え 一つの集合体の形が出来る事によって

安心いたすのでありましょうか 




でも 悲しい印象は 深ければ深いほど 大変であります

ですから 私達は明るく 人々の多くの心に


明るい印象を植えさせていただく 伝者にならなければなりません


私達は神仏の働きそのものの 私たちであります


意を決して 人々のため 明るく喜んで 奔走いたしまして


不幸は無い 心の念いの波動によって 

人々の生涯は変わるのである事を お知らせ申し

彼らの心の中 潜在意識に良き事を 印象して頂くことが必要であります


その為の働きを 私達は致さなければ成らないのであります


私達の取って大事な事は 何事に於いても その時々の状況 状態 

又 時の変化に対応できなければ駄目なのであります


要するに プラスの思考に 得に必要な事は 応ずる心の変化


この心の変化に 対応出来なければならないのであります


この事を成就させる為には 何が一番大事であるかといいますと



観の転換が 大変大事なことであります


「観 観念は  創造事であります そうして 観る事であります」



例えでありますが 実際には 皆様も少なからず経験があると思いますが



ここより とても大事な事書きます




* とても 悲しい事や 苦しい事 辛い事 等は

時間的に見ても とても長い間だった・・なと 思いませんか?


ああ~ 「あの時は苦しかったよ」 と思う念いは

長い間 自身の心に 深く印象致す傾向に」あるのではないでしょうか *




現実の実際は案外短い時間であったかも知れない事でも

非常に長く感ずるものであります


しかし 人というのは(立派な人は別です)


「楽しい事 愉快な事には 時間が立つのが

 とても 早く感ずるものなのであります」


ですから 此の時こそ 楽しく 愉快な時と

心を長く感ずれる様に 感謝の念いを持って 

其の感謝の念いを 持続 出来るように



観を変える必要が 絶対に必要なのであります



悲しくて 辛くて 苦しい どうして私は不幸で

なんで 上手く行かないのかな 等の 悪い事

不快な事の印象を 心して 「潜在意識より」

捨ててください! と お願い申し上げます


潜在的悲しみの記憶を捨ててくださいね



私達の潜在意識は 大したものなのであります


「 マイナス的思考の人は特に 又 恐怖の人も特にそうでありますが


どんな時でも 何かあったらどうしよう・・・・・


と 考えてしまうのであります そう考える人は 残念ながら 


自分の想念で恐怖やマイナスを呼び込んでいるのであります 」


(自分の想念 思いによって 良くない事や 恐怖するような事が 
 現実に形となって 現れてしまいますよ)




智慧に満たされたる私達は ご神仏の愛の子であります

その愛の子であります私達 神の子仏の子に対し

親であり全ての導きの源である ご神仏が

真に 不幸や 悲しみを お求めでは 無い のであります

ですから私達はその 善き誠の念いの御意志の お求めに対し

只 従う事でよいのであります

ご神仏は 守護して下さいますし 私達の幸福の為に

お導き下さるのであります


悪い印象の記憶を捨てましょう

本来 人々に不幸はありません



幸福と感ずれる 心が 神であり仏様であります

それも 心 が大変健康であり 霊魂よりの喜び幸福が

本当の幸福なのであります

不具合と感じたり 悩みと感じたりいたして

もし 悪いような状態が出来たと致しましょうか


でもそれは 出る 事によって 

その悪い事は 消える事となるのであります



ですから 逆に 出てしまったことに 感謝いたし

振り返らない事が大事であります

自己の想念の恐怖が 形相と成ったのであります

だから 出てしまった後は 簡単に消えます ご安心ください


暗いと不平を言うよりも 「進んで明かりを燈(つけ)よう」


でしたか?? キリスト教の教え?? があります

「進んで明かりを燈(つけ)よう」 


小生も本当にそう思います

光明であります 明かりなんですよ 大事なのは

それは只 電気を燈して明るく致すもそうでありますが


心そのものに 明かりを受持つことが大切であります


私たちは何時も 自分を光の方へ 

振り向けていなければならないのであります

 
私達が意を決して 全人類に 明かりを運ぶ人になりましょう
(自分が困っているとき 助けが欲しいでしょう 同じことであります)


人類意識改革の為にですよ


その明かり 光の運びの実際の奔走者となるためには

先ず自分自身の

* 現在意識の あまりハッキリしていない時に 潜在意識に

光明の祈りの念いを 強く強く印象付ける事が 是非必要であります

エミール・クーエの暗示の方法で

「私はこれから 毎日あらゆる点で 一層良くなる」

と いう言葉を 20回 唱えよ と 御座います *


私たちも 今のことに感謝申し上げ その為に

霊魂よりの本当の奔走を致しませんか


人々の幸福ありて 自らも幸福になれるのであります



「 人々の為に 広宣 愛行の布施を致さず

自分の癒しと解決を願うような 下等な人間に

ならない方が 大変良いのであります」



ご神仏のお示し給う 完全円満な処


実在の実相の世界 その処 所が 今の吾々の処

ここで あります

ご神仏の 独在 の 処であります


「全ての創造主である 神を 一時も忘れることないように

また 常に神との直結を求めよ 祈りて感謝せよ

そして 神は愛であり 全智であり 全てのものを知りつくし 

全ての幸福を吾々に与え給うている」





ご神仏は私達に 一瞬一時も休みなく 

無限の幸福をお与え下さっているのであります

悪いやつにも 良い人にでも 全然関係なくです

ですから その全ての幸福を 我が物と致すためには

毎日毎日必ず神とつながる 観法を致すことが当たり前の事であります


何かを求める時 何かに悩む時 何かの要求を満たすための時だけ

祈っても 又 先達者に相談されても駄目であります





もし まかり間違って 成就致したのごとく 表れましても

それは残念でありますが まもなく 崩壊致すこととなります



それは 我欲 我欲 我欲 の一種の信念の力にて

自分の良き様に 現象物を引き寄せたこと だけ の事であるからです



人々も もし引き寄せられたと致しますと

それも 現象物の一つと成り下ってしまいます

注意致さなければなりません


「私達には 真実のご神仏の恵みを

この現象の処に 引き出す役目が在るのでございます

その事が出来る事により初めて 

全て え の ご神仏の癒し」



が始まると 小生思うのであります
 
吾々も 知性と智慧に満たされた

真の神の子仏の子なり

悉く調和の先達者 吾 なり


その吾の生みの媒介者であります

我が 父 母 そして ご先祖様 各先祖の

個々の霊位に 伏して感謝致さなければ駄目であります


自分一人の力ではありません 


ご神仏ありて 秩序あり そして法則なのであります

そして自分を守って下さる 守護神様に御礼を申しましょう



「普段の生活状態 環境作り 人々との良い対応

布施行 浄財行 法説行 愛行 調和行

そして 六根清浄業 等々によりまして

私達の守護神(霊)は段々と 高い位置にいらっしゃる

高級霊と現在の守護霊との入れ替わりが可能と成るのであります」




又 逆の事も当然のごとくあります

妙法蓮華経 如来寿量品第十六に御座います処の

宝樹多花果(ほう じゅ た け か)

と お釈迦様お示しの

地上天国の生活(いとなみ)を お求めでありますれば

正に 一所懸命 迷わず正道を 真実を求めながら

進み行くと 大変良いのであります


私達がこの道を歩むことによりまして

私達自身のご先祖様も 大変喜びます 間違いありません


この事は ご先祖様に少しでもの 安心を

与えて頂くことにつながりますので

結構大きな 功徳と 成るわけでございます


ご先祖様ありての 私達であります


ご神仏は私達に 素晴らしい親をお与えくださいまして

その立派な親が 私達の親であります

私達は 真(まさ)に 神の子仏の子の親を媒介として

現世に生まれ出た 神の子仏の子の 真人間であります

(たまあ~に 悪い親もいる・・・かな? 仕方ありませんけどね)


各ご先祖様に対する 報恩感謝行を忘れては 駄目でありますよ


「神に感謝しても 父母に感謝し得ないものは

神の心にかなわぬ」



父母とは 両親の事だけではなく 両親の親もそうでありますが

上へ 上へと昇りますと ご先祖 そのご先祖の源であります

個霊 分霊とつながり 大生命であります

神様仏様と つながるのであります

ですから 少なくても ご先祖に対する

感謝報恩の行は絶対に 実践業(行)として実行致すことが

当然の事であります 私達の生活そのものであります

最も簡単に申しますと 先祖に対するご供養は

先祖の霊魂を招霊し 感謝の法要を致し

真の理を付与致すことであります

真理の言葉を念送することでありまして

その有難い真理の言葉の力と 功徳によって

迷える個霊も救われるのであります

救われたる霊魂は 真理を悟っている事ですので

自縄自縛 束縛より脱することができます


その結果は 明らかに 一層の自由自在を与え

増々の神通力を発揮することが出来ると思います

その神通力を与えた霊位は喜びと満足とを

御礼返しの 感謝として 私達の子孫の繁栄 健康

等への導きと成って下さるので在る と 小生断じて信じております


祈ってばかりでも駄目であります

実際に実践致さなければなりません



実の業 実の行いであります そうして

墓参りも忘れないように お願い申し上げます

本当の心は必ず通じます


*私は頑張るよ と 皆で大宣言致しましょう*


ご神仏はどうして 私達をこの世に出して

色々な苦難や困難 また 幸福と見える人


又 悲しいと見える人等々・・・作られた??のでしょうね

それは 何なんでしょう・・・キリスト教的にもうしますと


アダムとイブのお話があります

ご神仏は アダムとイブが現象的快感を(肉体で知る快感)を知るまでは

天国と同じ 地上天国を示されていた訳であります

ご神仏の念いの 心 のままでの地上天国で在った訳であります

しかし キリスト教的教えによりますと


アダムとイブが果実(現象の肉体的快感 快楽)を知った時を限りとし 

神より離れた所の現象界(物理理論 物質理論 唯物論)に

落とされたと申しましょうか そうなのであります

此の処で 小生は思います


「人は皆本来 神の子との聖句」であります

私達は本来ご神仏の子なのでありますから

吾々の心も本来のご神仏の念いの善であります 心を

常日頃 たもち続ける事が出来るならば

まったく 全てにおいて問題は無いのであります


しかし 私達が 快感 快楽 を知ったとき

そのままの ご神仏の善念波の 心なるものを

維持いたし受持続ける事はなかなか いや 全然でしょうか

無理であろかと 小生生意気でありますが そう思います


ですから 私達は勝手な 自己の心?に総じて おもてむくままに

もの 事を 運びたがるのでございます


その時 どうしても回りの人々との関係に於いて

中々一通致すことが少なく 対立の図面が出来てしまうのであります

そうして 対立 怨み 憎しみなどが 現れてきまして

自己統制が不都合と成り 自己抑圧 そして自己破壊へとつながり

最後には 自己崩壊と成ってしまうのであります


其の時ほど 人々は自己の心の 置き処の改善改革よりも

他人や回りの人々に 責任を加せてしまうのが大変多い実例であります

この様に 現実界で余り良い状態の行いを致さぬ場合に 


現れてくるのが 自分の身体えの病気であり 



特に難病や 中々治りづらい病気となってしまうのが

多く在るのでございます


これは 自分の 心 の念いの 想念感情が

そのまま 現れた結果であります

(今霊界にいる人の波動もありますが この件は別にお伝えします)


良くない事の 想念感情が 体に現れたと言うことであります

想念感情とは 祈る事 のみ ではありません

なんとなく 腹立たしく思うこと 不幸の事 不満の事の思い

又 常々の口癖が全部 自分の「心の相」として 

現実に 肉体に現れるのございます



心の相とは 心の象徴であるという 肉体のことであります


「私達の肉体は 念う心の象徴であります

肉体は 心の影であります」



自分達の心の念いの相として 現実界の内にあって

本当はまだ何も無いのに 

形ある形に あらわされ たのが象徴であります


吾々神の子仏の子の生命は健全であります

心の象徴であります 肉体に執着する事が無いように頑張りましょう



もし病気などにより 苦しむ事 多くありましたら

私達の祖先の 「功徳に頼る事も必要であります」

また 高級霊の治病であります 

神癒の力 仏癒の力 を信じて 受け入れる心が必要であります


「宇宙を貫く法則 真理 智慧 絶対の愛」

すなわち 宇宙普遍の超高級霊の働きであります



私達は 誤った 「心の象徴」 を変化させなければだめであります



ある意味においては 肉体と言うのは

人間の心の 「かたまり」 といえると思います

いや 「かたまり」 みたいなものと 申した方が正しいのでしょうか

どちらに致しましても 吾々の心の変わりようによって

どうにでも 変わることができますし 

変わることが可能なのであります




私達は 勝手な思想の持ち主でありまして

仕事でも 家事の事でも 何かにつけて 不都合や 不具合が生じますと

疲れたな・・ どうしてこんなに上手く行かないんだろう・・・

嫌に成って来た 等と考え 思う傾向にあります

その時に 少しゆっくり休みたいな・・・と 思うことありませんでしょうか

もしかしたら 病気にでもなって 入院でも出来たら

ゆっくり 休めるのにな~~ と 思うことあるのではないでしょうか?

この様に考える事がありましたら それは 即ち




人間的意志の 観想 が働きますので 

その意志の力によって 必ず何らかの病気になります 


これが 心の象徴である 肉体に現れる 

現実の結果なのであります



私達はご神仏の申し子であります

ご神仏の象徴ではありません

神の子仏の子の 生命の そのままなのであります


ですから 真剣にご神仏のご意志のままの

心持で いなければならないのであります

嘘を言っておりますと 本当の病気になります

例え仮病で在りましても 申さぬ方が良いのであります



小生も事実 過去に致した実験があります

それは 若い女の人でありますが 

虫歯で大変痛がっていた訳であります

ほっぺは パンパンに腫れ上がり 冷たい何かで冷やしておりました

小生はその時医者へ行って 早く治療するといいよと申しました

女の人は歯医者へは行ってきたとのこと しかし

今は腫れがひどいので治療ができない とのことだそうであります

小生はあまりにも その女の子が可哀想と感じましたので

何とかしてあげたくなりました その時 上手い具合に

ふと 思いだしたことがありました 早速 その女の子に

これは 特殊な歯の薬で 小生もめったに使わないことを

まず 時間をかけて 一生懸命説明しました

その理由は 早く痛みが治りたいと言う思いを

女の人に 沢山持って欲しかったからです

其の時 この薬は よく効く薬で どんな痛みも

20~30分以内には必ず治ると宣言致しました


大事な事は 心の 問題であります


そうして 単に正露丸に似た 家庭薬の熊の胃薬でありましたが

それを痛む処へ つぶして つけさせたのであります


ここで 必要な言葉は 小生も今まで何べんも経験があるけれども

絶対に 間違いなく 一発で効く!

と 申し伝えることを忘れては駄目であります

小生の実験では 激しく痛む場合ほど 良く効くみたいであります

固形と固形の当たり具合では無いので 余計に上手くいくのです

女の人は 安心の顔も少しではありますが 表情としてありました

儂は上手くいくと 本当に自信の心で在りました

今でもはっきりと記憶致しております

そこで あ~~ら不思議 本当に痛みがとまります

2時間ぐらいの間に 腫れも少し引いて来たのであります

そうして 数日後報告がありました 無事 歯科にて

抜歯して今は大丈夫との事でありました

本当に上手い具合に事が運びました事は

ご神仏のとっさの判断の導き(実相に すでにある導きで在ります)と

小生伏して一所懸命御礼を申し上げました


如何に私達は 心の象徴なる肉体で在るかの

事実の証拠であります(たまたまかもネ)


理屈理論では計り覚る事の出来ない心の波動が

実際に在ることを忘れては駄目であると



小生思うわけで在ります  



私達は実相身の神の子仏の子であります


私達は如何なる事がありましても

決して 同情的注目を求めては駄目であります



憐れみを求める事 のことであります

同情的注目を集めるためには 第一に

自分が不幸につながる状態を表現いたさなければなりません

その為には 病気になるか 何か災難の様な事に合うか

苦しい様子を出すか の事です



要するにあまり良くない事が起こることを

願いだすことであります



同情を求める人にではなく

相手様を救いうる人にならなければ駄目であります

それが 神の子に与えられた業であり 

使命であり 菩薩業なのであります

この菩薩業を成功させる為には どうしても

現世諸行の使い人となる為に 肉体が不可欠なのであります

肉体が無ければ 何の 修業も 愛行も 

広宣流布もできないのであります 

この 業と行をなす為に 肉体と言う物質を

活用致さなければ 全然出来ません

その物質と見える 肉体の内に宿り給う

大生命の流れの いのち 

その いのち の 心が 

存在してることを 忘れないでほしいのであります




心によって成立致している 身体(からだ)


この大事な身体は 


大生命の 心 によって整理され

正しく 組立られている 構造を持っているのであります


ですから肉体だけを見ると  物質であるように感じますし 見えます

此の処に 心(創造の命)の働きが現れますと

肉体は完全に支配下に置かれるのであります



だから 心の変化  悲しみ 

苦しみ 恨み等々によって

肉体に心の反射として 

不調和が生じる事により


病気や精神的病いに

掛かりやすくなるのであります

如何に 心 なる精神的波動が 

大きく左右しているかの

証明と証拠であります



先日某テレビ番組で 医学のみではなく

精神治療と医学との組み合わせが 絶対に必要であることを

医学博士が申しておりました 小生も昔からお伝え致しております


神の教えに素直に ハイ と従い 

神の導きに素直に ハイ と従う


此の事が私達には大変必要な心構えなのであります

お釈迦様を 祖とする仏教でもそうでありますが

教えの基本は 無我の ハイと従う心 の教えなのであります


無我とは 

見返りの報いを求めないことであります


仏教の極意は 

報いを求めない

無我のハイ 

であると示されております




お釈迦様が霊鷲山で六波羅蜜を示され 極意伝授のときであります

その時釈尊は 末顕真実と申され その極意を

覚り悟ったのが 十六弟子のひとり 迦葉尊者でありました

釈尊は実相無想微妙の法門ありと 宣言致され

迦葉尊者に伝え渡されました


執着全然無く 愛着も 染着も 嫉妬も 

何もかも 全然く無想にて 報いを求めぬ

従いの ハイ が大切なことであります


ちから関係や 仕方なしのハイは 全然だめであります

お悟り下さいね・・・・


素直に ハイと従うことは 

大調和そのものの相でありますので

実相の儘 の相なのであります



実相には 悪は無い 

苦も無い 悲しみも無い

執着も無い 憎む事も無い 

嫉妬も無い 要するに

マイナス 悪い事は まったく 

無いのだと言うことであります

「神は無相にして相形無く」 

と 小生お伝え申し上げます

だから 円満にして完全な円相なのであります




せっかくのこの世の生涯 私達は 

何か人々の為のお役立てとして

大事な使命を実践致しませんか

それは 私達が人々への御報恩として

菩薩となり 菩薩業を致す使命を ご神仏とお約束し

本当に実践致すことが 大事なのであります

ご神仏の望みのため 懸命に生きましょう


吾々自らの内に隠れている 

真の念いを引き出し

善は人々の為と確認いたし

大いなる希望は 

必ず成就するとの観念想を

常に 心 身体に 抱いて

人々 社会の為に 

働いては如何でしょうか




「神が創造給うと 

此の処に後退は無い

我が情熱 久遠に在り

甲斐(かい)は創り出すもの 

生きる気 強盛

祈りのみの願いは不足是なり 

広宣流布ありて 成就せり

善き諸行無くして 

幸福願うは 魔の心なり

神の子が 

神の子に施すは当然の事

何らの報い求めず

ご神仏は一切を求めず 

只与える事のみ

吾ら その申し子なり 

御意志迎合して

初めてご神仏の子となる

その儘が 

神の子 仏の子」





終わり



私達にある病気

故 玄龍院龍弘日宣上人より







故 玄龍院龍弘日宣上人より



...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







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プロフィール

りゅう

Author:りゅう
北海道の片田舎に住んでる 私 西岡宣龍こと りゅうは 自営業者&日蓮宗の教師 であります 私 宣龍を 日蓮宗の教師へと導いてくれた 今は亡き私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 を 書いてます

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