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りゅうの独り言  福徳圓到來

北海道の伊達市に住んでる 私 西岡宣龍こと りゅうは 美容師&日蓮宗の僧侶 であります 美を創造つかさの店という名の小さな美容室を1人で経営しています 美容師である私 宣龍を 日蓮宗の僧侶へ導いてくれた 今は亡き私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 を 書いてます

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般若心経

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






般若心経


般若心経の内に色即是空 空即是色とありますこと 

皆様ご存知のことと思います。色とは、色々な うつり変わりのことであります。

物質のことでもあります、在るようで 実はないと言うことであります

しかし必要に応じて表れても致す訳であります

この事を お釈迦様は本来五官に感ずるものは何もないと 

申しお伝えくださって居ります此れを 

仏教の言葉で 五蘊皆空 とお示しで御座います

この五蘊皆空に照見(しょうけん)し給うとの事でございます

「我今五官の世界を去って 実相の世界に入る」です

本来五官に感ずるところはないのでありますよ と 言う事なのであります

ですから肉体に溺れて 生活致して居りますと

絶対に 成仏も 天国もないのであります

あるのは 地獄道 餓鬼道 畜生道の 三悪道のみであります

本来無しと お悟りに成り 悟ることが出来て

断ずることにより 成就致すのであります

所有していながら無所有の理(ことわり)で御座います

現象の物や 肉体に 執着致す事により

苦しんだり 悲しんだり 悩んだり致すのであります

その結果は 対立 争い 等など悪いことが沢山おこってくるのであります

お釈迦様は 五蘊皆空と照見して

「度一切苦厄」 とお示しで御座います

(度 とは助けるという意味です)

五蘊を照見致す事により 吾われにある

一切の苦厄が 消えるとお示しなので御座います

病気も 災難も 苦難も 全部消えると言うことで御座います

肉体に執するな 物質に執するな 

執着致す事による結果は 心の乱れと成りまして

病気や 苦痛の原因となるのであります

私たちは 神の生命 仏の生命の顕現であります事を

本当に自覚いたさなければなりません

そうしてこの現象は不生であり 不滅であると

悟り 認める事でございます

現象物存在(あり)てそのまま無であると言うことです

無でありながら 無尽の世(実相界)たる処には、宝蔵されたるものが

理念其のままに いくらでも ある訳で御座います

物や形に執したり 人々相(すがた)に また 対応に嫉妬したり

対立闘争ムキ出しの 心を起こしたり致すことは

即ち物が 事実のものであり 肉体的心が 実際の心であるとの

念(おもい)の処より 発せられる 現実界の思いが そう致すのであります

本当のことで御座います

この事は 自分の悟りに到らない 修行不足の為のことでありまして

大いに省(かえり)みて お覚(し)りに成る必要があるのであります

いくら 心理を勉強しても 理論で知っていても 

実際に 観と念(おもい)によって 実感致さなければ 全然駄目なのであります

いづれ消え去り 消滅してしまう 物事に 少しでも執する心が起きますことは

厳しい言葉ではありますが ご神仏よりの 生命の尊厳

そうして 働きを全然く(まったく) 悟るどころか

覚る(しる)事も、不可の 低い魂の人なのであります

残念で御座いますが 仕方のないことなので あるのでしょうか?・・・

全部て(すべて) ご神仏の下命の結果なのでしょうか

汚れたものを綺麗にするための 清水の流れが少々不足なのでしょうか

それならば 自らが覚り(しり) 覚れる為に努力し

真を求め進み行き 激流の清水にて 洗い清められると

良いと思いますが如何でしょうか

少しでも 一秒でも早くこの様に致してくださいますよう願いとう御座います

皆様と共に祈りて 彼らの 幸 来たらん事を 願いたく思います

「妄想に執(とら)われず」 にで在ります 要するに

根拠の全然ない 妄想なるものの上に築かれたものに着して

執着 嫉妬 その事ににての 対立 不調和を成しては

駄目でありますよ と 言う事であります

本来五官は無いんだ念(おも)い 信じていくことが必要なのであります

真の理(ことわり)在りて 追従のことであると認め

迎合致すことであります(五官の事)

現象に現れている 物 に着し あるかの如く思い

これが欲しい、あれが欲しいと思う 

そうして それを吾個人所有と願う欲望が

相手と喧嘩をしても 時としては 殺人まで起こしてまでも

奪い合いをするのであります 当然の事 人と人も含みます 

虚言も平然と言いますしね どうしようもありませんです

般若心経の最後のほうに御座います経文に

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦  
(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい)

とお示しで御座います 要するに

早く 早く 真実を悟りて 仏に成れよ と言うことで御座います

私たちは 御神仏の申し子で在ります

神性仏性 そのものの子なのでございます

御神仏の霊魂が 私たちの霊魂なのであります

大変ありがたいことで御座います

本来諸法は不生不滅であります

未だかって 生まれたことも滅したことも無いのが諸法で御座います
(諸法とは現象存在の諸々のことであります)

無いものは無いのであります ですから実相なのであります

何かがですね 存在(ある)と思うから

私たちの心が ある ものに引掛かってしまうのであります

そうして その内より何とか自由が供なうようにしようと一所懸命頑張るんです

ところが残念ながら 何か に 引掛かっておりましては

絶対に自由は無いので在ります

本来の自由自在を失うのであります

自由自在を失う事は 迷いに入ってしまうことであります

本当は 迷い無しが真実でありますが 迷ってしまうのであります

無明という事でございます

無明を放棄致し 光明を生み出しては如何でしょうか

光明は神仏の光であり 明るい智慧と申しまして

とても素晴らしい事なので御座います

何らに迷うな 

ただ神仏に従い 行いを致し 業を成就(なす)事であります

理屈は全然必要ありません ハイ でいいのであります

欲の夢 執着の夢から さめてくださいね

慧可禅師の弟子入りのお話を少々

慧可禅師の師は 達磨大師であります

その慧可禅師が大師の弟子になるために

寒い冬のとき、先生どうか私をあなたの弟子にしてくださいと、申したそうです

すると達磨大師は

「お前なんか弟子にしてやる資格がない出て行け」 と言って

入れてやらなかった・・・と 書かれています

現代では 教えを受けるのに道場を暖房装置で暖めておいて貰って

先達者の方から

「どうぞ来てくださいませ、ただで聞かせてあげますから」・・・・


「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」


道を聞くためには、生命を投げ出して、肉体は本来無いのだから

その肉体の生命を投げ出して 今この一瞬に

「真理」  を知らしていただいたなら、

一切のものをなげうってもいい、というほどに

全生命を賭けなければならない・・・

慧可の 断び(わび?)といいまして 有名な話があります

慧可禅師は、私は肉体の救いを求めているのでは無く

又その為に弟子に成るのでは無く

「真理を知れば こんな肉体など どうなっても好いのです」 と言って

腕を切って血みどろの腕を差し出し 達磨大師の前に出したとあります

それで 弟子として入室することが許されたのです と御座います

真理を真剣な気持になって聞いて

真剣に受取る事の出来ない人は駄目なんですよ・・・

いくら本当の真理を与えられて居りましても

なれあいになっていたり 受取る人の身体の態度如何によって

ごく少ない真理しか受取ることが出来なくなることも、沢山在る訳で御座います

例えば、注意されても 我 を持って生出だし、失敗を繰り返す人も居ります
(そういう人は・・・駄目だと思います)

私たちは御神仏の本性で居りますのが本当です

ですから一生懸命頑張って、智慧ある生命を出し切り

沢山の人々のお役立てと成り、四苦を超越し
(四苦とは生老病死のことであります)

御神仏の教えを広宣流布致しまして、私たちが本来持っている

神の生命 仏様の生命を その善なる生命の波動を

知り合う多くの人々に、差し上げましょう


吾 観世音菩薩なりと 大宣言致しましょう

無量無辺の相持って奔走し 普賢菩薩の如く賢くあまねきましょう

そうして 人類救済の御為

吾 人生 吾 肉体神のもの 仏のもの悟り 本来同魂の

今だ少しだけ悟りに、遠ざかっている人たちのため

愛の実践、慈悲の流布を致しましょう、必ずご神仏が守護給います

吾 日天、大日無碍光天照大神の智慧そのものなり

吾 その愛そのものなり 吾その慈悲そのものなり

吾 その生命そのものなりと大悟し ガンバ です



我一切のものの我なり そうして大生命なり

我心(意)に従って 全部備わり

意(こころ)に従って 善き事全部 漏れなく

集まり来ると断言し、大宣言せよ


悪は本来無いが、あると見えても

自ずから去るのであります 間違い無しであります



再度申します

般若心経いわく

羯諦 羯諦 通り 早く早く

悟り 実践 愛業を祈ります

奔走は吾祥福の源なり



故 玄龍院龍弘日宣上人より







~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







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