善に見えても善ではない行動

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ




ある本から 抜粋した文である



形は善に見えるような行為も

「本当にある善」が内から表現されたものでなければ

「善」とは言えないのである  たとえば

子供が寒中水に溺れているのを

助けるという行為をした場合に

その子供を海中より救い上げたら

褒美の金がもらえるというので

その褒美の金欲しさに その子供を助けたとしますと

その 一つの行いは 何の利益も考えないで

自分の命まで投げ出して助けた献身的な救助と

形の上から見ると 皆同じことですが

一方は「金を儲けよう」という意図でしたから

「善行とは言えないのです」

命をかけて人を助けましたにしても

「金が欲しい」の目的では

金で命を売っているのでありまして

別に 善と言う事は言えないのであります

善とは必ずしも一定の形ではない

かくのごとき形が善であるという形はないのである

例えば汽車のようにレールがあって

そのレールの上に乗ったら

いやでも応でも善の他は何もできない

人間は善の他は何の動きもとれないというふうに

機械的に善をなしたとしましたならば

その人間は善に見えても善ではないのであります

たとえばそれは 監獄の囚人のようなものである

囚人は朝早く起きるが それは いやでも応でも

起きなかったら看守に起こされる

強制的な力で 朝早く起こされ 掃除をさせられ

またその他の与えられたいろいろの苦役や

生産的な世の中のために成る仕事をする

そして 彼らの労役によって作られた生産品は

安い値段で買われて喜ばれるかもしれないけども

その囚人は自発的にその行為をしたのではないのであって

強制力という機械的に駆使されて

いやでも応でも働くしかしかたがなかったので

働いたのですから 囚人のかくのごとくしてできた行為は

善ではなくして 機械的行為であります

「善」の要素としては 「人格の自由」 

と言う事がなければならないのです

何をしても自由であって

自分の内心の要求から

進んでするのであってこそ はじめて

善行であるといわれうるのであります


それは子供を育てる上からいいましても そうでありまして

親があまり規則ずくめにして

いやでも応でも こうしなければいけないと定めまして

その子供が委縮して 我儘ををいう余地がなく

そとから見ると少しも悪いことをしない

行儀の良い子供が出来上がったとしましても

その子供は善人ではないのであります

その子供は少しも自由が許されてないから

善人ではない

善なる行為をいまだかつて 一つもしたことがない

という事になるのであります





この文はある本から抜粋して

ほんの一部を 抜き出したものなんですが

ちなみにこの本は 50年以上も前に書かれた本なんです

まっ それはいいとして

私の亡くなった師匠が読んでいた本で

自分も買って読んだんですが


何が言いたいかと言いますと

これを読んで 解る方は

はっ と気づくと思うんですが


私は これを読んだとき なぜか

自分自身 心が苦しくなってしまった


客観的に 自分の行動を 振り返ってみた

なぜか 恥ずかしさを感じたり

苦しさを感じてしまったのだ


私にも子供がいます 中三に中一

今迄 勿論子供に いろんなことを言ってきた

あぁしなければ 駄目だよ・・・

こうしなければ駄目だよ・・・ などなど

勿論悪い事をしたときは 叱って来たし


でも 子供に言ってきた言葉の中に

もしかすると 自分がいい親に見られたいから

言ってしまったことがあるのではないか?

ほんとに子供に善く成ってほしくて言ったつもりが

実は 自分が良い親で

良く見られたいが為に 



言ってしまったのではないか? など

いろんなことを考えてしまった・・・・


これは 子供に対してだけではない

回りにの人達にも対しても 

自分自身に対しても

同じことが言える


初めは やらされた善の行為でもいいのではないかと思う


でも いつまでもそれではだめだ

これは 良い行動だからしよう

初めはいいのかもしれないが

その 善き行動を 無意識に 心からでる

行動にならなければいけない

勿論 見返りを求めない行動にならなければいけない


私の仕事は自営業だが

今回初めて 自分の仕事を書くが

実は 美容師である 小さな美容室を一人でやっている

忙しい時だけ 妻に手伝ってもらっているが

美容師と坊さん・・・・・・・・

結びつかないと思うが・・・ほんとである

美容師で生活をしている

ちなみに坊さんとしての 収入なんて 全くありません

そんなことは どうでもいいか・・・


で 普段美容師をしている自分ですが

今ってね ネット宣伝 店のブログを書いたり

当たり前ですよね

これも事実ブログだしね


私も仕事上 いろんな美容師さんのブログを見たりするし

勉強になるしね 講習会に行ったりもするし

いま かなりの美容室がブログを書いて

ヘアスタイルや技術事など スタッフや

自分の事 店の事を書いたりしてる方が多いですが

私も自分の店のブログもあります

だから このブログと 店と 2つのブログを書いてるわけ


講習会などで いろんな美容師さんに

お会いしたりもするんですが

皆さんそれぞれ ブログを書いてる方が多くてね

でもね 会うとね・・・・・・・・


書いてるブログと 書いてる本人

あ~~ そのままの人だな~~~ って 思う時と  


この人 書いてる事と 全然違う人だな・・・・

なんて 思うことが ざらにある

これはね 美容室に来てくださってる

お客様には 余りわからないと思うけど


ちょっと 言葉悪いけど

おまえ 書いてることと 思ってる事全然ちがうな!

自分を美化しすぎだろ!

って 人が 多いんだな~~~~~


しまいには 書いてる本人もそれに気づいてない


解って書いてるやは まだいいかもしれんな


自分は2~3年前から 店のブログを書いてるんだけど

書き始めて しばらくたってから

あれ・・・・って 思ったんです

勿論 お店のブログですから

店の宣伝目的が多くて当たり前ですよ


でも だんだん 書いてて ん?

なんか あれ 

段々 自分を良く見せる記事になってたり

自分の店を 必要以上によく見せようとしてる記事になってたり


これって 自分でも気づかないうちに 

書いてる事エスカレートしちゃう事があるんだよね


自分は ある時気づいたんです


いろんな美容師さんのブログを見てるうちに

なんか変だぞ

人によっては 他店のやり方

他の人のやり方まで否定して

それを記事や言葉にしてしまう

他を否定して 自分をよく見せる

書いてる人は そんなつもりで書いて無くても

けっか 他を否定して自分をよく見せようとしてる

ものになってしまってる

そんな 事になってることにも気づかない


あれ? もしかすると自分も

って 思ってしまってね

言葉って難しいですよね



ちょっと 以前書いたこの記事を見てください

四苦よりの解脱




自分はもちろん

皆さんも どうか 

自分の行動を 自分の言葉を振りかえって

あっ て思う事があったら

気づいて 改善してほしいのです


俺は 私は そんなことは絶対にない!

なんて思ってる人は・・・・ それは それで 

その人の自由なんでかまいませんけどね


まっ そんな奴が 実は

一番 そうだったりするけどね



うちには 中三の娘がいるんだが

3月には高校受験があるんですが

受験生を経験した親ならわかると思いますが

内申点? なんてものがあるよね?

うちの娘に行きたい高校を

推薦とかできないの? って 聞いたら

私はダメだよ だって推薦の条件に

あてはまらないもん

条件って?なんだ?

その条件ってやつを 見たんだが

部活を3年間やってなきゅだめとか

生徒会をやってなきゃダメとか

実にくだらん条件が多い・・・・

部活をとちゅでやめたらだめとかってさ

やめる理由によるじゃない

場合によっては 生徒自身の問題ではなく

家庭の事情だったり

学校の責任や 先生に問題がある場合だってあるでしょ

3年生になると 生徒がいろんなかかりなど?

率先して やるようになったりするんだって


なぜか? わかりますよね

もちろん 心から進んでやる生徒もいるでしょう

でも大半が 受験の為の 内申点


それをいいことに アホな教師は

そんなことしてたら 内申点悪くなるぞ!

なんて 言う 教師も出てくるらしい


これこそ まさに


「自分の内心の要求から

進んでする 善行ではなく

やらされた 善行であって

全然 善の行動ではない」

内申点を上げるための

見返りを求めた 行動である


内申点を餌に 子供を良くさせよう

とする 教師も教師だし

良くさせようなんて 思ってるなら

まだましだよ

それを餌に子供を自分の思い通りに

させようとする 教師も多い

そんな行動になってることにすら

気づかない教師・・・・・・

いままで ず~~~~っと そうだから

それが 当たり前だと思っている

もちろん そうではない教師も沢山いますよ



でもね 学校に限らず

会社でも 家庭でも なんでもそうですが

同じようなことが言えたりする


善の行動と思ってることが

実は やらせれてる善の行動

大きな見返りを求めてる善の行動


自分の都合良くしたいがために

相手に善行をさせようとする




これは ほんとの 善行とは 言えません



今回の記事を見て

多少なりとも 

あっ と 気づく事があったり


何言ってんだこいつ!

って 思う人がいたり 様々でしょう


これを読んで

少しでも腹が立つような感情が出たり

ムッ とくるような感情があったら

特に 要注意だよ・・・・・


どういう 行動をとろうと

どんな感情になろうと

人それぞれであり 自由だが



自由をはきちがえるなよ

自由 自由 

人を殺しても自由

もちろん違うだろ

人に迷惑をかけても自由

嘘をついても自由

これは 自由でも 

間違ってることぐらいわかるはず


ほんとの自由ってさ

神仏と一体なる自分

その 神仏と一体なる自分の

心から湧き出る 善行のみなる 行動が 

ほんとの自由な行動なのではないかと

自分は 思うんです



みなさん誰もが 神の子仏の子であり

誰もが 真の善行ができる 人間なんです

でも ほんとはできる 真の善行を

つつみかくしてしまって しらずしらずに

善行ではない 善行になってしまってる



神仏と一体なる自分

真の善なる人間 善なる自分を

包み隠す

つつみかくす これは

罪であります


自分はもちろんのことですが

皆さん ほんとの善行が出来るように

なりましょうね





最後に これを 

ポチッ としてね










~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから








...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







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プロフィール

りゅう

Author:りゅう
北海道の片田舎に住んでる 私 西岡宣龍こと りゅうは 自営業者&日蓮宗の教師 であります 私 宣龍を 日蓮宗の教師へと導いてくれた 今は亡き私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 を 書いてます

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