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りゅうの独り言  福徳圓到來

北海道の伊達市に住んでる 私 西岡宣龍こと りゅうは 美容師&日蓮宗の僧侶 であります 美を創造つかさの店という名の小さな美容室を1人で経営しています 美容師である私 宣龍を 日蓮宗の僧侶へ導いてくれた 今は亡き私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 を 書いてます

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・16

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ






ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・1

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・2

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・3

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・4

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・5

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・6

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・7

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・8

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・9

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・10

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・11

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・12

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・13

ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・14


ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・15






ご神仏は偉大 母は偉い! ・・・16






子供の成長を願う念いは 誰よりも強く感じ

いつも心配りを致して居られるご両親

そのご両親が 自分の「思想」や「思いのみ」で

子供を育てられては 全然駄目であります

それは どうしても自分の欲と申しても

過言ではないと思いますが

他人の子供達より 少しでも立派に

致したく思う心の 潜在的働きが

自然と出てきまして 余り気付かぬ内に

相手批判の 言葉と 言動が

実際に表面化致してしまう事も

多々あるのであります

もし この様に成りますと


肉体人間の 物質と物質の

価値観のくらべもの


のようになり下ってしまうのであります


人は皆 偕(ともに) 

神と偕なりでであります

神の子仏の子でありますので

霊魂(たましい)の尊厳を犯しては

絶対に駄目であります それは 

自己の宿業的罪へとつながります

仏教的に申しますと

自縄自縛という事です

これより将来に渡って 私達は

人々の為に 真理の理を多くの人々に

お伝えいたさなければなりません

この事は 使命なので御座います

ご神仏を拝し 感謝致す心の発展を願い

奔走することを 皆に願いたく思います

本当の幸福は「他」と「回りを」

実際に「拝み切る祈りと」「実践」により

私達に来るものなのであります これが 

ご神仏のお求めの 調和致しながらの 

相互の幸福到来と成就であります

これが法則であります


「他人の苦しみや 不幸を見て

見ぬふりを致す人もありますが

大変悲しい思いであります」

「こんな人は 自分中心の

自己満足で欲の強い人」


愛行 先祖供養 

実際の浄財による処の布施行

神の子仏の子の本来相の認業(みとめぎょう)

本来の神童であります直視業

本来の無限力の宿り給う神仏の子(子供)

に対する 祈りと感謝の行業を

親が心して立起致し 実践致しますことが

大事であります

(それなりの状態に答えうる行動が出来なければ

全てが全部上手くは事運びません

秩序と法則は実践 守ることであります)


子供の無限能力 子供の無限力を信ぜよ

信じて 誰々さん 有難うと申しましょう

不安の精神状態の波動より

安心の心を現わせ そうして

子供に安心の気持ちを起こさせよ

余り自分達が(親の事)出来なかった事を

子供に対して 希望期待を

持ち過ぎないことが大事であります

余り関心を持ち過ぎますと

子供には大変な重荷となります

親といたしますと 何かと激励致し

頑張って欲しいがゆえの事なのでしょうが

当の子供にとっては 大変な

精神的疲労となるのであります そして段々と 

その精神的疲労が重くなってきて

親に対する反抗となったり

ノイローゼのようになったり

もうどうでもいいと 宣言したり

部屋に閉じこもってしまったり

登校拒否になったり 等々

色々と大変な状態が出てくるのであります

下手すると悪い方向へと行ってしまう事にもなります

神の子の自分を放棄し 肉欲の快楽や

お金に通ずる喜びの方へ向かいやすいのであります

親の欲望は余り示さず

余り関心を示さぬ方が良いのであります

ご神仏の霊魂に生かされている子供の

真の素晴らしさを認め 信じてください

「親と子の対立は無い方が良いのであります」

子供が親に感謝と尊敬の念いを

常日持ってくれるような 精神的念いが

一番良いのであります

欲望だけで それ程確信に満ちた考えも無く

回りの状況や状態に 振り回されるような

曖昧な考えや 思いは全く駄目な事であります

もしそうでありますなら 反省し

子供の素晴らしき霊魂を穢した事に

お詫び申し上げ 懺悔致す事であります

親の権威を捨てる事も必要なのであります

捨てることによりまして そこに

親と子の間にありながら

神の子仏の子どうしの 相通ずる

ご神仏の本来の理念が働き給うて

悉くの願い事が成就致す事と成るのであります

此の処で万事が円満完全となり

苦が 胸よりさって行く事により

心が安定致し 見定める先々の事柄も

大変上手く運ばれるのであります

これからの日本国の主となる子供達

この子供達の為 私達は最善を尽くし

接する人々を真に救けて差上げなければなりません

何かの事件 問題の時 その時だけ

なんとか上手く切り抜ける事を

私達は 考えがちでありますが

まず 善くなる事を考え ご神仏に

解決を祈ることが大事なのであります

私達の創主は 神であり仏であります

創り主に全托致す事が 一番良い事なのであります

慈母観音さまの 相であります

愛する子供の為 確認に確認を重ねて

一所懸命頑張ることです 又

一所懸命不特定の多くの人々の為

「愛行」と真理の広宣流布を致しますよう

小生お願い申し上げたく思います

再度申し上げます

観座 観法にての祈りをお忘れ無きように

そして 明るく光り輝く前途をお見通しの

ご神仏に 一時も離れずつながっている事を

願います 目の前の諸事や 欲得に

心執われることなく 生きることが

大事であります しかし 私達は

中々このように出来ずらいのであります

それは 一人一人の ものに対する

執われの度合いによるところが

大きく影響致してると思うのであります

大体はその時に これは得か損かの判断と

良いか悪いかの判断により 前途の事まで

判断致したと思い 勘違いいたす事が

大変多いのであります

でもこの 勘違いに気付かず

自分は正しい判断をしたと 満足する事で

自分納得を致すのであります

「神に全托するような心境になることが

肝要である そうして 自我の欲望は

目先にあるものだけしか見ないが

神は遠くを見 はるかして 

何が彼にとって最も幸福であり

適切であるかを 知り給うのである

神に全托するとき 目前の出来事は 

失敗したように見えても

やがてその失敗が その人にとって

幸福だった事を知ることが出来るのである」


実際に体験された方もおられると思いますが

突然都合悪くなり 予定の行動を遅らせる事により

逆にそれが 正しい方向であったり

不都合と思える事柄が また 逆に良かったり

等々ありませんでしょうか 小生には

たまたまでしょうが ありましたし 現在もあります

ご神仏のご意志のままでの 

ご神仏のご選択に おまかせ 致すものが

一番幸福であり 一番安全なのであります

ご神仏のご意志に護られる事が

肉体的互換の判断感覚を乗り越す

最大の幸福なのであります

互換の幸福は 肉体が存在(ある)時のみの

一瞬の 歓喜 歓楽 快楽 であります

特に肉体欲は色情の最たるものであり

用足らずの状態になりますと

益々執着の心が強くなり 最終の

終焉(しゅうえん)を向かえた後も

同じ念を持ち続け苦しむのであります

久遠の幸福は神の道 仏様の道にのみ在り

決して他の所には御座いません

悉くが仏性であります 神性仏性は私にあり

我は神仏の本質成就と祈れ

そして 感謝せよ と 申し上げます

吾が霊魂の素晴らしき事を悟れ

自分を導いてくださる ご神仏

そのご神仏の命令によって選ばれ

私達を常日頃護って下さる 

守護神守護霊さま この守護下さる神霊は

大変な神通力を持っているのであります

守護神守護霊様は 私達一人一人の祖先の内より

選ばれる高級霊なのであります 全員の守護神が

超高級霊でありますれば 良いのですが 

中々そう上手くはいかないのであります

普通よりは 高級でありますが 同じ守護神でも 

修行の足りた霊と まだ途上中の例とがある訳であります

じゃぁ どうして高級霊の守護神と

そうでない守護神があるのでありましょうか

これには 自分の過去世の諸業

その所の諸業 前世の諸 諸業による処の

功徳全行 如何によって決定致してしまうと

小生思うのであります


普通の人間としての生き方の人には

一生涯の間一番最初より 生涯まで

お護り下さる役目の守護神様が

存在(いる)のであります

しかし 真実の理(わけ)を求め

一生の間一所懸命真理を求め 

多くの人類のお役立ての誓願を起(た)て

真理 広宣流布の実践を致して居られる人には

必ず 間違いなく 導きの超高級霊なる

守護神が入り給い お護り下さるのであります

入れ替わりが在る証拠で御座います

しかし 何の善行功徳の業も致さず

只 漠然と入れ替わって下さる訳ではありません

ほとんどの広宣流布の功徳のない人に

そう簡単に善い守護神は与わりませんです

例えば過去世の諸行が大変良く それを

現在の現象界まで引き継いで来ているとします

その人は大変良い環境の中 まずまずの

幸福の生活(いとなみ)が出来ると思います

自分の希望も成就しやすいですし ある程度

順調に 事 運ぶ事が出来るのであります

しかし残念で在りますが その状態を

最後まで維持致せる人は大変少ないのであります

その理由は 常日頃の自分の生活状態 環境が

上手く行ってる事が 当たり前となり

人々に対する「愛の施し」「慈悲の善行」を

「行わない人が」 ほとんどであるからであります

これでは当然の事ながら 生涯の終わりまで

維持致せるわけは無いのであります

過去世に於いて 一所懸命「天」の徳の蔵へ

積んでいた徳行も 途中で使い果たし

せっかく積んでおいた徳行も残りが

少なくなって来ているのであります

これでは 維持は全然無理であります

もし企業家でありますれば 

その企業を受け継いだ人は(二代目)

親の七光りの内での事しか 理解出来ぬ

下等にも等しき人間智しか持ちえないのであります
(理屈理論は立派であるかも?知れませんが)

一代目の親も又 二代目の為 溺愛の心で接し

応々にして 寛大に許してしまうのであります

馬鹿の致す事であります 真に二代目の事

またまたその次の代の人々の事を

真剣に考えますなら 回りの人々の為

お客様の為 取引先の皆様の事を 本当に真剣に考え 

愛の実行を致すと思います 次代の人達にも

その事の大切さと 大事さを知らして

実際の行業として 実践させると思うのであります

もし実践させることが出来ず 指導も出来ない親ならば

全然駄目で在ります でもまあ引継ぎの人の

霊魂のレベルにもよる処も御座います・・です

真の幸福 繁栄を願い求めますなら 

ご神仏に伏して従い 信じて神霊の愛と慈悲の波動を

受納致すことであります 高級の守護神様は

全く間違うこともなく 私達を導いて下さるので在ります

その導きの方法は「真実の霊波」によって

お導き下さるのであります 私達の生活 生き方によって 

神仏の導きを受け入る事が出来る人と 

そうでない人とがあるのであります

その「高級霊波」を受けいる人は 行く先の幸福 繁栄は

ほとんど間違い無いのが事実なのであります

しかし大事なことは 自分自身の「精神状態」を

しっかり守り通す必要が 絶対条件で在ります

もし 自己の精神状態が堕落に近い状態の人や

その方向へ向かいつつある人は 守護神様の

指導の霊波を受け入れる事は難しいのであります

それは 自分の波長と 導きの高級霊との波長が

合わない為であります それは 全部

「自分の責任」なので御座います こう言う時は

中々良い判断に欠けるものなのであります


「超高級なる守護神を 我の主守護神と致し

現世諸行の人々の為と成る実行を成せる

自分の導きの 副守護神さま 又人々の美の法悦に

自らの喜びの心で 報恩報化できる導きの守護神様が 

仏我であります自分に在る事を信じ その通りの生き方 

その通りの諸行を実践致さなければなりません」


神仏に祈る観法にて 切実なる願いの祈りを

致す事が大事であります

切なる願いの祈りを毎日毎日 実行致しておりますと

どうしてだろう 不思議だわ とか

私だけという 護りがあるのでございます

例えばですが 同じ自動車に乗っていながら

事故や大変な不都合が生じました時

守護神(御神仏)様による 守りのある人と

守られる度合いが少ない者との違いが

不思議ながら 自然に出てくるのであります

皆様もご経験がある人もいらっしゃるのではないでしょうか


*大事な事は 「善きこと」の切なる願いの

「祈り」と「経典読誦」「経文読誦」が日毎の

当たり前の諸行である との自覚に至り

実際に差定致さなければ成りません

これはご神仏との約束事であります

御神仏とのつながりと 約束事の結びが在るがゆえ

私達は「生かされる」のであります

この事が「完全円満」の源であります

私達に完全円満の源ありて 生かされている訳ですので

神の子には 本当に大抵の悉くが 直観と申しましょうか

御神仏よりのインスピレーションがピンピンと

自身の頭に善波動(霊波)が来るのであります

これは絶対に正しい導きで在りまして

回りの都合や余分であります 変な気使い無く

事を運ぶと大変良い諸行と結果と成るので在りますし

必ず善き結果が現れます 

ご神仏の導きの事で在りますので

万事都合よく事運ばれるのであります

善き結果が生み出る為には 不都合と感じ見える

不都合なる「こと」は本来無いので在ります

表現(おもて)に現れた状態の癒しのみを求むるな

真の癒しは「心」のあります

素晴らしき「心であります」


病苦に対して「その時の状態は(熱の事)

神が修繕中の 作業熱である」

余り心配と恐怖は致さぬ方がいいのかもしれません

人は神の子であります が 真実であります ですから 

ご神仏に全面的に託した方が良いのであります

人はどうしても 今の処に気を配り 余計な想念を

波及させてしまう事が 実に多いのであります

失敗の原因でもあります

仏我なる心で見定める事が大事な事であります

私達は万物の霊長であります 万物の霊長とは 

生命そのもののことであります すなわち

ご神仏の霊の分霊化した 個々の個霊が私達で在ります

ですから 私達は神の子仏の子なのであります

霊長であります  私達全員が人々の想念(環境)に

案外 支配されやすいのであります  それは

相手も霊長 自分も霊長であるかで御座います

霊長どうしは 感応しやすいのであります ですから

私達は 常日頃より良き想念をたもっていて

それを自らの観にて護り 人々より発信される

悪い想念感情を 絶対に自分に受け入れない信念が

大事であります 強い善人になっている

本来の本当を悟ることで御座います

人はですね 強い善人を受持(たもち)

続ける事は なかなか難しいんですよ・・・ね

どうしてかと申しますと 私達は

精神的波動による処と 物理的波動による

二つの法則により 生きているからであります

どおしても現実界に於いては 

物質の豊かさに執し 欲しやすいのであります

ですから 中々強い善人を受持続けるのは

難しいのであります が

「今の自分」「これよりの自分」 又 

子孫繁栄と幸福 心の健康の為にも

誰にも負けない位の「強い信念」を持ち続け

行く行くの「天国浄土」に住ける為にも

「強盛な心」にて 前へ前へと進み行き

その為の実践 広宣流布を一所懸命 本当に

致さなければなりません です そうして

しょうらいの日本国の主となる子供たちに対し

上っ面の言葉ではなく


「自分を神の子と悟りて その精神状態の内で

子供に対して OOさん OO君

あなたは神の子仏の子 全ては完全円満

善きこと何でも出来る 素晴らしい子 と

褒める事が必要であります」


言葉の実践によって 子供さんが大変良い道へ

進み行く大きな糧となるのであります

「甘やかすのではありません」

でも中には 自縄自縛によって 苦しみ

自分の進み行く道も定まらず

あれこれ 悩みながら 自己抑圧に入り

結果として悪の道へと入り落ちて行く

将来の国の柱となる 本来の神の子仏の子の

子供達が実に多いのであります

残念で在り大変悲しい事と結果であります

特に甘い言葉 文章で申しますならば

一種の習慣的な ものの「縛り」より 

「解放」して差上げる事を 神仏の智慧のままで

致せば良いのであります  それは

現実界の「物」に対し 特に愛着を感じたり

求めたり致すのが現代の流れでありますが

そのままでありますと それは

精神崩落の「すがた」であります ようするに

「真」を知らざる迷いなのであります これは

私達大人にも 大きな責任があるのではないでしょうか

現象界の悉くは 全部が全部 精神波動による処より

生出して来る事を覚って頂く事が必要なのであります

そう致します事により 物は真実ではなく

だだ「形在るもの」だけの事で

事実を悟って頂く事が出来るのであります

此の時「迷い」が消え「縛り」の習慣性が「消滅」し

神の求めます「転回の好機」をえた事となるのであります

執着致すな 嫉妬致すな 「現象の不完全に」

お気づき下さい お願い申します

既にある善 既にある善の行い 既にある実相

これを祈りだし 仏我なる自分のものと致す事が

大事であります 自分の幸福の為であります

祈り 拝み 観座観法によりまして

神仏と我との一体を顕わさなければいけません

何でも駄目だと言う悲観的な事は

考えない方が良いのであります

暗黒の言葉をしゃべる事は 回りを そして

特に近しき人々を大変暗くしてしまいます

これは法罰にも似た行為でもあります

自己憐愍(じこれんびん)をすてて下さいね

自己憐愍は回りの人々の同情を求むる行為であると

小生思います 少し位の事なら 多少は

可哀想にも思いますが 余り 多々そう言う事が

在りますと 自然と近寄りたくなくなります


「自分の そして家族の幸運をお求めになるなら

先ず一等先に 人々の為 一生の間 一所懸命

真理の言葉 真理の本などを布教致し

実際の行動として 本当に 愛行 実践をして下さい

自分のみ 自分の気に入る人達のみの幸福を願い

求むる人は 悪魔的精神波動の(失礼ですかね?)

奪う心で在ります 自分達の事のみの考えや

感じ方は「強奪」に一通するおこないであります

私達は神の子仏の子であります

いつも人々の幸福ありて 吾幸福なりと感じて下さい

そう致しますと そこの処の人々に対し

ご神仏の護りが必ず顕れてまいります

ご神仏在りての私達であります


「肉体あっての私達ではありません

肉体的な私達に 永続的な幸福や幸運は

絶対に存在致さぬことを心して

お覚り頂きたく思います」





故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね




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~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







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Author:りゅう
北海道の伊達市に住んでる 私 西岡宣龍こと りゅうは 美容師&日蓮宗の僧侶 であります 美を創造つかさの店という名の小さな美容室を 1人で経営しています
美容師である 私 宣龍を 日蓮宗の僧侶へと導いてくれた 今は亡き私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 を 書いてます

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