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りゅうの独り言  福徳圓到來

北海道の伊達市に住んでる 私 西岡宣龍こと りゅうは 美容師&日蓮宗の僧侶 であります 美を創造つかさの店という名の小さな美容室を1人で経営しています 美容師である私 宣龍を 日蓮宗の僧侶へ導いてくれた 今は亡き私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 を 書いてます

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幸福の源とは・・・1

この文章は 私 西岡宣龍こと りゅうを 日蓮宗の教師へと導いてくれた今は亡き 私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 や つぶやき を 書いてます





まいど~~

宣龍こと りゅうでございます




皆様お願いです

いつも 

笑っていて下さいネ



ワハハヽ(^▽^)人(^▽^)人(^▽^)ノワハハ



皆さま ご無沙汰してしました

3ヶ月振りの更新になってしまいました

皆さま・・・と言っても 

とてつもなくアクセス数の少ないブログなので

皆さま ご無沙汰してしました・・・

なんて いうほどでもないですけどね

でも やっぱり 月に 2~3回は

更新しておこうと思いまして

久しぶりの更新です


無き師匠の書き残した法話

新しい文章を 載せていきます

この文章も 結構長文なので

の~~ンびり のせていきますね






幸福の源とは

与え 与わる 

無限の愛と慈悲の事

人は皆 真理の子です


幸福の源とは

仏教的には 与え 与わる

大慈悲で在り


日本古神道 又

キリスト教的には

同じく 与え 与わる

愛 であります

太陽の輝きの如く

万人の光で在ります





幸福の源とは・・・1




宇宙の大生命なる ご神仏の導きの功徳 又

ご神仏の御心の儘でのお導きを願い

先んじて 大生命に感謝申し上げます


まず 自分が真の幸福の為には

何よりも一等最初に 

執着 嫉妬の全く無い

放つ愛 放つ大慈悲の 心 を

持たなければなりません

真に 愛 慈悲の心を持つとき

そのまま そこの処が本当の心平和で

安穏な天国浄土と成るのであります

お釈迦様は仏典の内で

仏国は今の所 処に在ると申しお示しであります

天国は今 此処に在るとお示しで在り

イエスキリストさまも 天国浄土は

彼の国(遠い国の事)では無く

自分の内に 既に今在るとお示しであります

全ての大聖者は言葉での現しは少々違いますが

同じ大真理を申されて居られるのであります

ですから 自分の幸福は全ての万象悉く

仏性の顕れであると見(観)る事が出来て

初めて真の幸福の源は 全部 自分の

心の持ち方と 感謝御礼の喜び現し方により

実際の幸福を覚る事が出来るのであります

太陽は私達を温めてくれる

水は渇きを癒してくれる

植物は吾々に 衣食住を与えてくれる

これは 釈尊の金言と同じ事であります

全部 私達は神様仏様の 愛と大慈悲に

何らの不足なく つつまれていることを

悟り 覚らなければなりません

一つ一つを数えれば 数えきる事の全然出来ない

愛と慈悲に温かく包まれているのであります

大変ありがたい事なのであります

しかし 残念ながら常々不平や不満

そして 人によっては最悪の嫉妬に執し

精神的気狂とも受け取れるような状態に

おちいる事も多々あるので御座います

この様な人は結局 自分都合 自己本意の人であり

御神仏より遠く離れた 可哀想な人であります

しかし いくら可哀想でも ご本人さんが

お悟りに成らなければ 仕方ないのでは無いでしょうか

相手をうらやむ人で 被害者意識が強く 最悪の

嫉妬心に満たされた人であります

大変もったいない生涯の一時であります

前述のような考え 感のある人は 少し一所懸命

もの に対して 愛や慈悲を真剣に 

注いでみては如何でしょう

私達はご神仏の愛と慈悲に 何らの漏れなく

悉く全てを包まれているのであります

ですから 私達は先ず何よりも 一番最初に

すべての もの にご神仏の申し子であります

神の子仏の子 如来様の子として 

大いなる愛と 大いなる慈悲を お与え致し

一所懸命 一生の間注ぐ業を 何らの躊躇全然なく 

行業と行い 人々の為森羅万象の為

奔走致さなければならないのであります

自分が幸福をお求めに成りますならば

先ず 求めるより 相手様に

お与え致す事が大変大事なので御座います

口先や 表面のみでは 全然ご神仏に

受け入れられることは ありません

幸福 歓喜(よろこび)の 初めは 

当然の事として まず 


「愛を悟(し)ること そして 

慈悲を悟(し)る事 であります」


いくら 理屈や理論で知っていても

実際の生きるところで 

他人をうらやむ心 嫉妬の心のあるものは

真の幸福 歓びは全然無理かと 小生思います


「嫉妬深い奴は 破壊感情の持ち主だ」


如何でしょう 皆さん 人の生命は

生命(いのち)なんです

肉体は仮の相なんです

皆さま少し考えましょう・・・・ね


「真の幸福の源泉は」


人々との和楽 そして 例えますと

家族を持って居られる方は

家庭の和楽 又 会社仕事場にては

それぞれの場での和楽が 大きく

かかわっているので ございます

それは 自分自身が 何の執われ皆無で

相手様一人一人の尊在を 神の子仏の子

如来の子の本相を お認め出来る事によって

「和」が生まれるからであります

例えば家族の中の一人が 自分都合の感情で

むっつり していたり だらしなかったり

等々がありますと なかなか上手い具合には

行かないもので御座います その時

互いに責任を相手に振り向けない事を心掛け

改善の道を選択致さなければなりません

大生命は宇宙の真理でございます

宇宙の心理は 空想や想像ではなく

大生命の分霊で在り 個霊であります

私達が 実際行動の内 生命(いのち)通しの

者と者が 相互いに生かし合い 

その事を実践し 多くの人々の為 広宣の業を

行わなければならないのであります

愛行をしなさい・・・と 強く申します

強くであります 宜しいでしょうか

愛行は相手様の幸福の為であります

自分が覚っていて 苦しむ相手を

救ってあげる等と 少しでもの感のある人は

全然くも全然く 駄目な奴です・・・

相手に嫉妬し 相手に反感を抱き 逆念を送り

影で悪口を言い 一種の呪いを送信し

自分を守るため 不特定の人達へ知らせ

あたかも自分は正道者のような事を

平然と言う人がおりますが
(こういうのは 人の相をまねる物なのでしょうね)

これは完全に 地獄 餓鬼 畜生道の

三悪道の流れをしっかり持っている

超低級修行者であります 超低級で在りますので

今後如何ほどの繰り返しの修行が 

与われるのか でしょうね


このような人に限って 表面上は

上手いことつくろい しゃべるんですよ

自分の周りの事柄を整理の出来ない者が

何を言うのか・・と 小生は本当に思います

一番身近に在る処の事を整える事が

出来ないのに 何が出来る・・・ 

外に多く向けていての 表面飾りは

如何なものでしょう 頭脳にて肉体を

調整し生きていられる間は良いかもしれません 

こんなんは 生涯を生命では無く 

物質現象重視者の感の在る人達の 

世界の事であります どうぞご自由に

なさっていただきたく 思います

ご神仏の源泉とは 

ご神仏は全能の大智慧であり

神の子仏の子通しの 大調和の智慧であります

ですから 吾々が幸福を求め行き

本当にそう成りたくおもいますなら

今 今 今即に 自分の内に そして

此の処に 偉大にして絶大なるご神仏の力が

私達一人一人の内にある事を信じ

迎合致し 今在る事実に目(心)を

向けなければ駄目であります

ご神仏は今の其の処にいまします(存在)のです

決して遠く離れた所にはおられません

自分が生かされている事に気づく方は

其の儘が全能の大智慧であり

全能の大調和なのでございます

誰が認める事なくても 

その事 事態が証拠なのであります


「一切を新めよ ご神仏の働きに感謝せよ

今を悦べ 良くなったからとて

かんしゃするものでもない」


私達の生命(いのち)の内に

既にご神仏は全部ての幸福の源を

お与え済みです 私達はただ 

「それを引き出し」さえすればいいんです

とても簡単な事であります

しかし残念ながら 難しく感じる人は

上手い具合に事運んだ時とか

何かが治ったり 良くなった時に

喜ぶようでは 全然く駄目なのであります

現象によって治った事に感謝致します事は

物質や現象に ある意味では支配権の内に

自分があることを信仰し 認めていることに

成るのであります よろしいでしょうか


「現象は 只の随伴物に過ぎない」

のであります



「何よりも先ず 君が既に神であり

仏である霊魂を見て 悦ぶのだ

そして 感謝せよ」


ようするに 「真」に自分が認めた

「ものだけが」現れるという事であります

大生命に相應ずる 想念感情を常日受持つ事が

大変大事なのであります

何時も申しお伝え致しておりますが

釈尊も 森羅万象は悉くが

仏であるとお示しでございます

仏さまに相應ずる感情 是が

光輝く明るい感情のことであります

ご神仏の光輝く明るい感情を

吾がものと致すことは素晴らしいのであります

しかし間違っても暗い 

自己中心的思想による感情は

忘れる事無く 放下致す方がよいのであります


暗い感情

「自己中心主義者で ものごとを感じ考えますと 

自分だけが唯一知っているという事になります

それは 真理の約束事の理に反するのでありますので

当然の事最悪の 陰門道へ入ってしまう事となります」

相手様に受け入れられる様な事でなければ

自らが淋しい思いを致すのであります

淋しい思いとは 自縄自縛になり

その所へ落入ることであります ですから

その処より 自分が除かれる為

相手様との間に 対立が起き 相手様を犠牲にしても 

自分の守りに入るのであります

仏教で申す処の脚下照顧(きゃっかしょうこ)と

申しまして まず 自分の所処の脚下を浄め

綺麗にお掃除致さなければなりません

自分の霊魂の本来の本当を覚こともなく

只 何となく覚ったようで 何か普通の

満足のようなものをえて 

これで良いんだ思っては全然駄目であります

現象的道徳と致しましても

今ある自分の周りを愛し 慈悲を

お与えさせて頂く処の調和であります

和楽がなければ 真の浄化も存在致しません

自分の周りの調和も計る事の出来ない人には

絶対と申せますが 和と楽はありません

結果として 真の親への感謝 祖先への感謝

国への報恩など 当然の事も出来ないのであります

表面上は一所懸命の相でしょうか・・・・ね

小生若い頃より

「親を拝し 夫を拝し 妻を拝し 子を拝し

周りの全ての人々を拝せ」  と

生意気にも申しお伝えし 又 文にも書きました

少し位は お役立出来たかと思っております

ご神仏の法則は秩序でございます

心 霊魂に秩序ある者は

中心に帰一致すものであります

秩序あるように態度等示しても 

現実社会の内で 不調和 自分勝手思想

自分都合の嫉妬の人 着心多き人等は

いいですか その時々の感情の心 思い

(頭脳より発する)に支配される

気の毒なバラバラ思想者の法則なのであると

(その時々の成り行きに一種支配された)

小生断言申します

「日本の国は中心にまとめる

霊の国の文明である」

吾々はそこの処に生まれさせて頂いた

神の子仏の子なので御座います

此の事を大変有難く感じ 念い

感謝報恩の事を成さなければ 何の為の 

神の子仏の子であり 生涯であるのか 

全く解らないと思うのであります

神の子仏の子とは 自分のみでは無く

周りの人々全員 又 世界の人々も全員

隣の人々も全員が全員

神の子仏の子同しなので在ります

自分だけ 等と思わぬ事が大事で在ります

相手様が迷っているとき 又悩んでいるとき 

他人様をお救いさせて頂く行いを致すとき

自分の脚下のお掃除も余り綺麗で無ければ

理りのお救いのお手伝いは大変無理かと思います

仏典お示しの脚下照顧でなければ駄目で在ります

脚下照顧でありますれば 大変有難いことに

私達の住む日本国が生きるのでありますし

国体を吾々一人一人の心の真理受持によって

生かすことができるのであります

善い結果として 中心に帰一致す法則も

生きてきますので 私達も安堵の一途

幸福の一途と成就致すことと成るのであります

私達が本当に願いますならば そして

「誠の法則」(大生命のことです)に乗じ生涯を 

堅固 不壊のものと致したく願いますならば 

先ず 超在意識の下部にあります処の

潜在意識を浄化(きれい)に致す必要があります

自分勝手による 抑圧の破壊感情を

綺麗にすること 第一義です だから

全ての「不幸」と感じ 見える事は

「個人思想」の「自己中心的自暴自棄的」な

破壊の心なのであります 心の向きを変えよ 

本当に変えよ そうすれば大丈夫であります

でもね 前述の様な人 そのような人は

なかなか難しいかもね 中途半端な信仰者ほど

理屈ぽくて 小生は嫌ですね 表面作りが上手くて 

中身は悪魔の心 悪魔の最大の悪の友達は

全く真の「愛」が無いことです

口先での説法は上手いこと言うんですよ

貧弱思想であります処の「嫉妬」や「執着」や

他人を「うらやむ心」で 自らの「心や」

潜在意識をけがす者は 仕方ないんですよ

相手様の幸福歓喜を願うよりも 又

その事を喜び愛の想念を送るよりも

自分の事が先となるんですから


良き縁は 他人(ひとびと)に幸福や

悦びや 調和や 円満なることを願い

愛の想念送信 慈悲の想念送信を

善き諸行として 誠に信じ切る 魂よりの 

善き願いの心を常日頃受け持つ事が出来て

実際に実行致すことが出来ている人に

ご神仏よりの贈り物として

素晴らしく幸福な縁が与えられるのであります

是が潜在意識成る 魂の浄化であります

全てが全て ご神仏の御心の儘での生き方を

出来るだけ一所懸命実践致すと大変良いのです

装いを止めて 飾りを止めて素朴に

中心者であり 総支配者の源であります

ご神仏に 只々帰依致すとよいと思います

ご神仏 真理とは法則であり大きな秩序なのです

法則秩序に従わざる者に 和も楽も幸福もありません

大事な大事な調和に欠けるからであります

縁は形です 良縁も形です 悪縁も形です

形になって顕れてきますので 

迷ったり 悩んだり致すのであります

お願い申し上げます 私達の日常生活での内で

なるべく失錯は致さぬ方がよいと思います

自分の心 潜在意識にあるものが その人を導き

幸にも 不幸にも導き 駄目になったり

改善の業を成せる善者に向かったり

致せる立派な人となる場合もあります


「全ては自分の心の持ち方を

如何に調整し 真実を渇仰し 

一生懸命事を成すかの問題であります」


妙法蓮華経如来寿量品に お釈迦様は

法説をお説になっておられます それは

私達は何時の時も法を説かなければならない

そうして 真実の理を悟り 幸福と成って頂くために

知り合う全ての人々に 真理をお知らせいたし

無数億の衆生を教化せよ と 申し示されています

教化致すことは 決して 

無理をせよという事ではありません

自分が真でありますれば 

光明の発する雰囲気によって 相手様が

自然のなか 集まって来て下さるのであります

(ただし 相手様も普通であればです

我見強く 自欲の強い人 又 ある人は

なかなか手間もかかりますね)


私達は特に気を付けなければならないことは

家族の者どうしの心の不調和 又 

親戚の人達との心の不調和による処の

心によって 本当に多くの人達が 病気又は

精神的苦痛の内にあるかご存知でしょうか

私達が生きる上での 最も大切な

順調な運びも悉くが大変不能となり

苦しみ 悩む事の原因になるのであります

前述申しお伝えいたしましたように

必ず忘れず抑圧感情であります

被害的意識を捨て去り 自棄的的な意識も

全て完全に捨てるべきであります

そういたしますと 生涯の悉くの事柄が

能率よく運ぶのであります 

自分に今ある寒い感情の寒風を省みて下さい

普通の感情の持ち主ならばご理解できる事であります

自分で自分を傷つけていることを覚って下さいね

真の幸福 日本独得の和楽を求める私達は

本来の人間像とは 霊的実在であることを

覚っているのであります

私達は神の子仏の子の実相なのであり

金剛不壊の霊的人間なのであります

私達人間 特に日本人はなぜ 和と楽を

大きく求めるか それは日本国にはずっと昔より

家を大切にしてきたからであると小生思います

国を愛する心であります やはり

心が大事です 右へ向かうか 又 左へ向かうか

又 中道であるのかなのでございます

生命(いのち)の栄えは 中道でなければ駄目で在ります

例えば現象界の相 形として善きものを

現す事願いますならば 先ず 内部にあります

「いのち」の営みなるものが

内部に起こらなければなりません

新たな生命(いのち)の働きが内部に起こることが

新たな働きの活動なのであります

その善き活動が 誰にも喜ばれる

「善き相」「善き形」

となって現れるのであります 此の処に 

調和が整い 幸福が到来いたすのであります


*ここから とても大事であります*



内部のいのち(生命)の営みとは

私達神の子の実の相の「いのち」であります

生命 言い変えますと

「ご神仏の生命と共の儘で 相手様を観て

拝み祈る 態度でなければ駄目で在ります

人は皆悉く神の子であり仏様の子であります

是を覚れるものは 神の子なる人々に対して

嫉妬したり 執着の心を起こしたりすることは

絶対にありません 又 当然の事

相手の着ているのも その他色々な物にも

決して うらやむ心も「起きない」ものです
(起こさないのでは無くです)

命の営みの活動は全ての事を ものを

観て 拝み 祈る ものであります

私達神の子仏の子は 悪なる対立や

嫉妬や執着 奪う心 欲しがる心 ねたむ心

無理を願う心 自己中心 自己本意の心等々

まだまだ沢山ありますが 

そういう悪と争う必要はありません

善きこと ものと調和致せる努力を

頑張るとよいのであります

「吾々は(観る)という事を

今まであまりにも軽々しく

取り扱っていたようです」

私達は懺悔致さなければ駄目で在ります

イエスキリストは ヨハネ伝に

「言葉は神なり」と示されております

「観る」とは「言葉」でもあるわけです

言葉は一つの道であり 一つの信でもあり

一つの拝みでもあり 一つの祈りであり

一つの業であり 一つの行であり

一つの観でもあるのであります ですから

「一切は唯心所現なのであります」

実際にそうですよね 

何事も私達の観る通りに現れる

是の事 「事実」であります 

「事実である(真実ではない)真実は

観る事無く 第一義の善のみ」

そうして自由選択の心で

「観る通りに信ずる事が」できるのであります

その事が「悪」に変じたり 「善」に

変化致したり致す事なのであります

自分が幸福と 和と楽をお求めならば是非にも

一切のものの 善さを観て下さい お願い申し上げます

本質成るご神仏を顕わし願うなら 本質なる

ご神仏の相を「観」によって顕わす事が必要です

観座 観法も一業であります

「観る通りに信ずる事」とあります処ですが

観るとは 自分個人の立場 個人的考え等々

全く悉く投げ棄てなければ全然無理です

観(み)る は 観(かん)であります

観(かん)はご神仏と一通の為の業と行であります

口先で上手い事申しても駄目です

端的な直視の行が伴った観(み)る心の態度が

整っていなければなりません



続く



故 玄龍院龍弘日宣上人より


最後に これを 

ポチッ としてね










~是非 読んで頂きたい記事~


私達にある病気

寝る前に ちょっとでいいから

善に見えても善ではない行動







...ニコニコ (⌒-⌒) ニコニコ...







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Author:りゅう
北海道の伊達市に住んでる 私 西岡宣龍こと りゅうは 美容師&日蓮宗の僧侶 であります 美を創造つかさの店という名の小さな美容室を 1人で経営しています
美容師である 私 宣龍を 日蓮宗の僧侶へと導いてくれた 今は亡き私の師匠が 生前書き残した法話や 私 りゅうの 独り言 を 書いてます

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